
甲子園での高校野球選手権では、これまでに数多くのスター選手が生まれた。
日本のプロ野球に入ってくる選手は、高校時代に野球をやっていた選手ばかりだろうが、甲子園大会で活躍した選手は、大きな期待を持って球団に迎えられてきている。
ただ、ある時を境に、甲子園大会で活躍した選手がアイドル的な存在になるケースがあるようになった。
そのある時とは、甲子園大会に太田幸司投手が登場した時。
それは1968年。当時、三沢高校のエースだった。
太田選手は、アイドル系高校球児の元祖だったと思う。
甲子園大会での熱投ぶりもさることながら、ルックスでも話題になった。
女性人気も抜群で、高校野球に女性ファンを呼び込んだ立役者だった。
その存在感は圧倒的で、マスコミ報道も過熱した。
あるマスコミは、大田投手を殿下と呼び、皇族のように扱った。
太田投手を主人公にした野球漫画も現れた。
後に「ドカベン」や「あぶさん」などの野球漫画を生みだすことになった漫画家・水島新司さんによって描かれた「ケッパレ!太田投手」という作品がそうだ。
それだけではない。あの野球漫画の金字塔「巨人の星」にも太田投手は登場したこともあった。
太田投手の投げた試合を私はリアルタイムでは見てなかったが、太田投手が相当騒がれていたのはなんとなく覚えている。
まあ、一種の社会現象を引き起こした投手ではあった。
プロでは近鉄に在籍し、プロでの通算成績は58勝85敗4セーブ。
で、アイドル選手になったと言えば、次に思い出すのは、バンビというニックネームで呼ばれた坂本佳一投手。東邦高等学校の野球部の当時1年生投手として甲子園に出場。1977年、夏。
投手としての凄みというより、アイドルになれるオーラが、投げる姿に漂っていた。女性にとっては母性本能をくすぐるタイプだったようだ。
ただ、大学進学後はあまり活躍できなかったようで、プロからの指名は結局なかったようだ。
その後、社会人野球に進むも、早めに野球は現役引退したそうだ。
そして、次に思い出すのは、なんといっても荒木大輔。
1980年、早稲田実業高校の投手として甲子園に登場。
直球に威圧感があるタイプではなかったが、端正なルックスで、マウンドでの姿は華があった。
いわゆる「大ちゃんフィーバー」なるブームが起き、「大輔」という名前も大人気になり、子供に「大輔」という名前をつける人が続出したらしい。
ちなみに、あの松坂大輔も、荒木大輔にちなんで親に「大輔」と名付けられたそうである。
1982秋のドラフトでヤクルトに入団。プロ入りしてからも、人気面では絶大だった。
ヤクルトでは1987年には10勝をあげ、この年はヤクルトの主戦投手のひとりになった。
後年はケガに泣かされたが、初期のアイドルらしさから脱却し、苦労を重ねて甘さの抜けた選手になった印象があった。、プロ生活の通算は39勝49敗2セーブ。
そして荒木の次にアイドル選手となったのが、やはり斎藤祐樹。早稲田実業の投手として2006年に甲子園に登場。
マウンドでしきりにハンカチで汗をぬぐっていたので、「ハンカチ王子」の異名をとった。
斎藤投手が、歴代のアイドル選手と違っていたのは、なんといっても甲子園台大会で優勝したこと。
最後は、あのマー君こと田中将大投手有する駒大苫小牧高校と決勝戦で投げ合って戦い、最後のバッターとして出てきた田中選手から三振を奪って勝ったのが印象深い。
連投による肩の消耗や疲労を指摘する声もあったが、本人としては甲子園で腕が折れてダメになってもいいぐらいの気持ちで投げていたらしい。
まあ、そういう気持ちじゃないと、甲子園大会では勝てないのだろう。
高校卒業後は早稲田に進学。2010年のドラフトで日本ハム入団。
私が高校野球の歴史でアイドル選手として印象深かった選手の名前をあげたが、もちろんこの他にもいる。
例えば定岡正二。鹿児島実業高校で甲子園大会に出場。
1974年のドラフトで巨人に入団したことで大きな注目を浴びた。1980年に9勝、81年に11勝、そして82年には15勝をあげ、この当時は巨人で江川・西本と並び「3本柱」とまで言われる存在になった。
プロでの通算成績は51勝42敗3セーブ。
ただ私は甲子園球児時代の定岡選手は、ほとんど見てなかった。だから上のリストに記さなかったが、熱心に高校野球を見続けた人にとっては、定岡投手は太田投手・坂本投手・荒木投手・斎藤投手と並ぶアイドルであったことだろう。
以上、アイドルと呼ばれた甲子園球児をあげてきたが、もちろんスター選手という意味では多数いる。
江川・桑田・清原・水野・金村・愛甲・松坂・松井・立浪・ダルビッシュ・田中・中田、清宮・・・・たくさん居過ぎて、書ききれないのでこのへんでやめておく。
スター選手・名選手になった選手は多数いる。
そのへんは、アイドルというより、実力派の名選手だ。
ただ、アイドル的に騒がれた選手といえば、先ほどあげた名前が思い当たる。
案外、さほど数は多くないのだ。
アイドル選手になった選手は、これまでのところでは、プロ入りして歴史に名を残し球界を代表するほどの成績をあげたアイドルは、まだいない気はする。
少なくても名球界入りできるくらいの通算成績をあげた選手は。
そのへんは、ドラフト戦略では難しい点のひとつなのかもしれない。
ただ、アイドルになった選手は、華があった。
お客も呼べた。
華は、努力だけでは得られない、ある程度、持ってうまれたものなのだろう。
いつか、高校野球の甲子園大会でアイドルになった華のある選手で、プロ入りして名球界入りするほどの通算成績をあげる人が出てきてほしいと思う。
プロフェッショナルよりもアマチュア。
真夏の定番「選抜高校野球大会」は、大好きです。
あくまでも野球観戦が好きなのであり、贔屓にしているチームや選手があるわけではありませんけどね。
さて私にとって、大変印象深い高校球児は、「金沢星稜高校・松井秀喜選手」です。
「ゴジラ」というあだ名は、伊達ではありませんでした(笑)
打てば必ずホームランか超強力打線!!
対戦チーム明徳義塾高校のピッチャーが臆病になってしまい、松井秀喜選手の打席全てを敬遠した試合を観たときは、本当に唖然としました…。
「アマチュア、高校野球なんだから、正々堂々と直球勝負すればいいのに…」と(笑)
ピッチャーを指令した監督に問題有りだったのでしょうね。
その結果、明徳義塾は勝利はしたものの、地元を含む日本全国から非難罵倒の猛攻撃!!
いまだかつて高校野球で、ここまで「事件」になったことあったでしょうか?
だんぞうさんが取り上げた「アイドル選手たち」は、私は1人も知らなかったのですが(笑)奮闘ぶりも正々堂々と立派なものだったでしょうね。
特に劇画『巨人の星』にも登場したという選手、まさしく空前絶後です。
彼は甲子園大会で一試合で5打席連続敬遠でいちやく有名になりましたね。
他の試合でのホームランより、あの連続敬遠のほうが伝説になってる気がします。
あの時は、対戦相手がかなり批判をあびました。
勝利至上でいくと、勝つためには作戦のひとつだったんでしょうね。
まあ、それだけ恐ろしいバッターだったということですね、松井さんは。
私のあげたアイドル選手のなかでは、斎藤選手などはまだ記憶に新しいほうなのではないでしょうか。、
プロになってから、なかなか結果が出せないでいるのは、本人にとっても悔しいでしょうね。
甲子園で燃え尽きたのかなあ、、、。