空と無と仮と

渡嘉敷島の集団自決 誤認と混乱と偏見が始まる「鉄の暴風」①

不可解な問題点の提示 


 渡嘉敷島の集団自決を取り上げた最初の文献は「鉄の暴風」です。これはもう間違いありません。

 つまり、軍の命令で集団自決をしたか否かの論争の、それこそ出発点になるということです。

そうであるならば、そもそも「鉄の暴風」に何が書いてあるかを検証しなければなりません。

             

 

 初版は1950年・昭和25年ですから、終戦後比較的早い段階で書籍化されています。1993年で第10版まで重版されており、現在でも簡単に入手できます。ちなみにAmazonでの書評はどんなのかなと興味本位で覗いてみましたが、意外なことに2019年2月現在では誰も書いていませんでした。これも歴史認識問題の範疇だから参考にしてみようと思い、誰かしらは書いていると思って興味もわいたのですが、南京大虐殺や従軍慰安婦よりもマイナーだからかわかりませんが、結局誰も書いていなかったです。もっともあの書評には参考にならないものや、長文すぎて読む気も失せるものまである玉石混合状態ですけどね。

 

 なお、集団自決がどのようなものであったかというような経緯や概略は、書籍やインターネット上で簡単に知ることができるので、ここでは省略させていただきます。興味がある方は是非ご自分で調べてみることをお勧めします。

 

 さて「鉄の暴風」についてですが、集団自決というより沖縄戦全般を扱う内容となっています。ことに渡嘉敷島の集団自決については32~41ページまでですから、どんなにゆっくりなペースでも数十分で読みきれるような割合です。慶良間諸島全体で起こった、他の集団自決についても多かれ少なかれ書かれていますが、今回は渡嘉敷島の一点に絞りますので省略します。

 本来なら実際に買って、あるいは借りて読んでいただきたいのですが、ここでは参考がてら重要と思われる部分を箇条書きにしておきます。

  1. 3月26日米軍上陸
  2. 住民は各の退避壕へ避難
  3. 守備軍は島の西北端・恩納河原付近の西山A高地に移動
  4. 「軍陣地に集合せよ」守備軍の指揮官が駐在巡査を通じて住民に命令
  5. 「軍民ともに戦って玉砕しよう」という指揮官の伝言
  6. 住民は喜んで軍陣地に集結
  7. 住民は軍に従ったのに「この壕へは入るな!」と指揮官に言われ、周辺の麓に降りる
  8. 「住民は渡嘉敷に避難せよ」という軍の命令。
  9. 米軍が攻撃中の渡嘉敷には行かず恩納河原付近にとどまる
  10. 「こと、ここに至っては、全島民、皇国の万歳と、日本の必勝を祈って自決せよ」と指揮官が命令
  11. 1発の手榴弾に20~30人が集まる
  12. 自決用手榴弾32発が既に渡されていた。のちに20発追加
  13. 手榴弾の爆発が始まる
  14. 死にきれなかった人々が剃刀・鋤・棍棒で殺しあう
  15. 「持久戦は必至である。軍としては最後の一兵まで戦いたい。まず非戦闘員をいさぎよく自決させ、我々軍人は島に残ったあらゆる食料を確保して、持久体制を整え上陸軍と一戦を交えねばならぬ。事態はこの島に住むすべての人間に死を要求している」と、指揮官が地下壕陣地で主張していたと戦後に判明

 ざっと書き出してみました。これで読まなくても、ある程度の内容は理解していただけたかと思います。

 

 まず米軍上陸が3月26日とありますが、これは27日の間違いです。訂正しないのはどうかと思うのですが、ここでは特に問題にすることでもありません。

 「鉄の暴風」を読む限り、米軍上陸から集団自決までの一連の流れを追っていきますと、住民が自決することが軍、あるいは指揮官によって決められていた、つまり既定路線であるような印象を受けます。特に15の「持久戦は必至である…」といった指揮官の主張がそれを裏付けるような証拠にもなっています。何の予備知識を持たないですんなりと読んでいたとしたら、指揮官の命令で集団自決が決定し実行されたと思われても、それなりに納得できるような構成ともいえるようです。

 

 しかし、それを覆すような事実、厳密にいえば証言がありました。命令したとされる人物、「鉄の暴風」に出てくる指揮官本人の「自決命令は出していない」という証言です。ここからすべての論争が始まるのです。 

 自決命令を出したとされる指揮官は赤松嘉次氏といいまして、渡嘉敷島に布陣した海上挺身第三戦隊の戦隊長でありました。集団自決が起こった頃の階級は大尉で、のちに少佐へ昇進します。既に亡くなっておられる方ですが、沖縄戦では生き残っています。ま、生き残ったから証言できたんですけどね…

 海上挺身第三戦隊というのを簡単に説明しますと、爆弾を積んだモーターボートで敵の艦船に、人間ごと体当たりする特別攻撃隊です。渡嘉敷島のみならず慶良間諸島の各島にも、それぞれの戦隊が配置されていました。なお、海上といっても第三戦隊は陸軍の部隊で、海軍にも似たような部隊がありました。

 海上挺身第三戦隊については、本来ならもっと詳細な説明が必要です。特に何をしていたか、あるいは何をしようとしていたかということは、集団自決が起きた過程において重要な要素を含んでいますし、赤松氏自身の行動も同様です。しかしそれは別の機会にあらためて検証したいと思います。ここでは概略だけ理解していただければ、問題はないと判断しております。

 

 赤松氏の証言によると、前掲の箇条書き10と15のことは言っていないとのことです。しかし一方で克明に記された自決命令もあるわけです。さてこの二つの相反する事実は、いったいどちらの信憑性が高いのでしょうか?

 とはいっても、赤松氏の証言を「鉄の暴風」のみで検証することや、逆に赤松氏の証言のみで「鉄の暴風」を検証することは、お互いが持つであろう情報があまりにも少なすぎて、現段階では比較検討することができません。言った言わないの、単なる無益な水掛け論に陥ってしまう恐れもあります。 

 

 そういったことを踏まえて、ひとまず赤松氏の証言は置いといて、別の観点から検証したいと思います。それは「鉄の暴風」に記述された内容に整合性があるか、説得力があるかの検証です。

 

 そうなると「鉄の暴風」にはいくつか気になる点がありますが、自分自身が特に気になったものをとりあえず二つ、取り上げてみます。

  • 誰が自決命令を聞いたの?
  • 地下壕陣地ってどこなの?
 個人的に気になったのは他にもあります。例えば伝言・主張・命令のあいまいさや、あまりにも具体的な手榴弾の数といったことですが、これも別の機会に検証することにしたいと思います。それがどういうスタンスになるかはわかりませんが、とにかくひとまず置いておきます。

 次回に続きます。



 

参考文献

沖縄タイムス社編『鉄の暴風』(沖縄タイムス社 1950年)

曽野綾子『ある神話の背景 沖縄・渡嘉敷島の集団自決』(PHP研究所 1992年)


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