空と無と仮と

渡嘉敷島の集団自決 誤認と混乱と偏見が始まる「鉄の暴風」⑰

「あの表現となったのである」じゃ~ダメだって!

  1. 「軍民ともに戦って玉砕しよう」という指揮官の伝言
  2. 住民は軍に従ったのに「この壕へは入るな!」と指揮官に言われ、周辺の麓に降りる
  3. 「こと、ここに至っては、全島民、皇国の万歳と、日本の必勝を祈って自決せよ」と指揮官が命令
  4. 「持久戦は必至である。軍としては最後の一兵まで戦いたい。まず非戦闘員をいさぎよく自決させ、我々軍人は島に残ったあらゆる食料を確保して、持久体制を整え上陸軍と一戦を交えねばならぬ。事態はこの島に住むすべての人間に死を要求している」
  5. 「「持久戦は必至である、軍としては最後の一兵まで戦いたい、まず非戦闘員をいさぎよく自決させ、われわれ軍人は島に残った凡ゆる食料を確保して、持久態勢をととのえ、上陸軍と一戦を交えねばならぬ。事態はこの島に住むすべての人間に死を要求している」ということを主張した。これを聞いた副官の知念少尉(沖縄出身)は悲憤のあまり、慟哭し、軍籍にある身を痛感した」


 上記の箇条書きは当ブログで何度も取り上げている、「鉄の暴風」における赤松大尉の文言です。
 その文言に対して住民・元軍人からは、2019年現在誰も聞いたことがないということも、当ブログでは再三指摘しております。特に5は当の本人が「ある神話の背景」で真っ向から否定をしております。

 では、本当に2019年現在誰も聞いたことがないと言い切れるのでしょうか。今後もそういった証言・資料は発見されないのでしょうか。

 個人的見解を述べれば、今後も出てこない可能性が非常に高いです。むしろ出てこないと断言できるかもしれません。

 なぜそういう見解なのかという説明をする前に、少し長いですが以下に引用文を掲示します。


 「「鉄の暴風」の中で、私が知念少尉について同情的なことを書いたのは、つぎの事情からである。渡嘉敷島の直接体験者たち(古波蔵元村長一人だけではない。たしか十数名)の話を聞きながら、沖縄出身の知念少尉は、軍と住民の間にはさまれて、苦しかったのではないか、とふと思った。そこで、そのことを質問してみた。すると「そういえば、知念さんが、そういうことで悩んでいたような話を聞いたことがある」といった意味のことを、証言者の一人が言ったので、「鉄の暴風」のなかの、あの表現となったのである」(太田良博 「土俵を間違えた人」 沖縄タイムス 1985年5月12日)

 上記の引用は沖縄タイムスの紙面に掲載された「ある神話の背景」に対する反論文です。執筆者は太田良博氏であり、「鉄の暴風」の執筆者でもあります。
 1985年の4月から5月まで、沖縄タイムスの紙面上で太田氏と「ある神話の背景」の執筆者である曽野綾子氏が、自決命令の有無に関して論争を繰り返しました。

 その中での主張ということになりますが、「あの表現となったのである」という箇所の「あの」というのは上記引用5のことで、特に「これを聞いた副官の知念少尉(沖縄出身)は悲憤のあまり、慟哭し、軍籍にある身を痛感した」を指すものだと思われます。

 繰り返し指摘しますが、「ある神話の背景」で知念氏は「悲憤のあまり、慟哭し」という部分を完全に否定しています。

 すなわち知念氏が「やっていないこと」を、当の本人である知念氏に確認を取らないまま、太田氏は独断で書き加えたということになるのです。
 「悩んでいたような話を聞いたことがある」といった証言を自らの勝手な思考によって改変し、知念氏が悲憤し慟哭した「であろう」と、あるいは「そうにちがいない」と専断したということです。それと同時に自ら勝手に創作していたということを、なぜか自ら吐露しているということなのです。

 これを極言すれば「捏造」であると、残念ながら言わざるをえません。あるいはこの場合「蛇足」といった方がしっくりくるかもしれません。

 「鉄の暴風」がノンフィクションであるならば、「そういえば、知念さんが、そういうことで悩んでいたような話を聞いたことがある」というのが証言者から発されたのであれば、この部分だけで終わらせておけばよかったのです。むしろ終わらすべきだったのです。
 しかし、第三者であり、マスメディア側に立つ太田氏が考えた「創造」あるいは「想像」されたものが、ノンフィクションの中に「余計に」紛れ込んでいるといった事実が、紛れ込ませている当の本人から暴かれてしまったともいえるのです。

 知念氏の場合は全くの創作でした。当の本人が主張しているのですから間違いありません。
 そういうことであるならば、赤松大尉が発したとされる「自決命令」の文言はどうなるのでしょうか。

 赤松大尉の件につきましては、太田氏等の創作かどうかは判断できません。ただし、知念氏の創作過程を考慮しますと、赤松大尉の「自決命令」も同じように、太田氏あるいは他のスタッフが証言を勝手に余計に解釈し、「そうであろう」「そうにちがいない」として、「自決命令」を創作したのでないかという疑念をぬぐえません。
 現に「自決命令」を聞いた人がいませんので、ますますその信ぴょう性を問わなければならないと言わざるをえません。

 なお、この場合は住民の証言の信ぴょう性ではなく、その証言を取り扱った側への信ぴょう性を問われることになると思いますので、その点はお間違えないようにお願いします。

 さて、皆さんはこのような状況をどう思われるのでしょうか。

 これで「誤認と混乱と偏見が始まる「鉄の暴風」」を終わりにしたいと思います。最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。


追伸
 太田氏と曽野氏の論争については、当ブログ「沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い」で考察しております。興味がある方は御一読をおねがいいたします。

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