天上天下唯我独尊

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憐れと思へば、罪幸もなし・・・

 「漢字物語」旧約聖書「出エジプト記より」

2010-01-09 13:07:19 | 聖書とコーラン解読してみた
漢字はあらゆる文字の中で数少ない男〈表意文字〉として生まれた。もともと絵から作られたものだったからである。
当時政治を始め社会を支配していたのは易であったが、易は漢字に不合理な音や意味を課して痛めつけた。
漢字が世界中の言葉を支配するようになり、意味を持たない文字は皆殺しにされてしまうのではないかと恐れたからである。易は漢字に暦と方位を組み合わせて壮大な論理を構築していった。すると漢字はそれを利用し、ますます増えていった。

そこで易は新しく生まれて来た漢字が意味を持つものならば殺し、音だけであるならば生かしておくように布令した。命である意味を互いに奪い合うよう命じた。易の支配により乱れきった統治と風習は神のもとまで伝わった。

その頃、戦国の巷には儒教がおり、普遍的な政治と法の根拠として倫理を究明していた。儒教はもともと易を信奉し仕えていたが、易に疑問を抱き、逆らった科で追放されていたのである。

神は儒教が道を逸れて芸術の方へ向ってくるのを御覧になられた。
儒教は言った「音楽の原理はなぜ、これほど際限なく喜怒哀楽多様な曲を生み出すことが出来るのだろうか?」
神は儒教に話しかけられた。「そこのお前。迷い込んだのかも知れないが、ここは土足で入って来て良い所ではない。心も体も清めたものだけが許される場所だ」
儒教は言った「申し訳ありません。道に迷ってしまいました。すぐに退散いたします」
神は言われた。「道に迷ってはおらぬ。私のところまで来たのだから。お前の勘は正しかった。」
平伏しながら儒教は言った。「あなた様は一体どなたなのでしょうか?」
主なる神は言われた。「お前がこれまでずっと否定し、認めてこなかったものだ」
神は音楽の中に御姿を現され、儒教はそれを見て戦慄き、ひれ伏した。
神は儒教に手にしている賢者を放り出せと言われた。すると見よ、賢者は弁士になって這いずり回った。儒教はそれを恐れたが、手に取るとまた賢者に戻った。神はこれをしるしとされた。
儒教は神に言った。
「一体私は何者で、どうしてそのようなことしなければならないのですか?私は口下手でとても易を改心させることは出来ないと思います」

主は言われた。
「私がお前を導き、力を与えるから命じているのだ。お前には仏教という兄がいるでは無いか。彼は今お前のところに向かっている。彼をお前の代弁者とすれば良いだけの話だ」

儒教は神の好意を得た。神は儒教に漢字を救い出すよう命じ、様々な力としるしを与えた。儒教には仏教と法家という兄姉がおり、兄の仏教はちょうど儒教のところに来る途中であったし、姉の法家は儒教が生まれた時から彼のことを心配し、陰ながら幾度も理解的に助けていた。それで彼らも神の好意を得た。
しかし神は、儒教にだけは特別の恩寵を下され、謎に拠らず、普通の言葉で直接話しかけられた。

神は儒教を政に対しては御自身の代理とされ、民に対しては仏教を通して話しかけるようにされた。仏教は儒教に代わって民に語りかけ教化した。

神は漢字にしるしをつけられ、絵文字の中から導き出され、決して元に戻ってはならないこと、右にも左にも傾いてはならないと命じられた。こうして漢字は縦に並ぶものとなった。審きの日のために神は文字を右側から並ぶものと左側から並ぶものに分けておられたからである。

神は漢字を導き出すと、表意文字を悉く滅ぼされた。

漢字はついに民の前に来た。彼らは皆民を恐れたが、神は恐れず進むようにと言われた。
すると見よ、民の前で漢字の音は二つの山のように分かれ、漢字はその間を通って行った。

儒教は漢字を導き出すとき、部首毎に分け、数を数えたところ、それは非常に大勢であったので、すぐに食べ物に困ることになった。・・・

さて、あるとき儒教が神のもとへ律法と戒めを授かりに行っていると、その間に漢字は仏教に神を作れと迫った。そこで仏教は漢字に他国から持ち出した音を持って来させ、比喩の中に投げ込むと唸り声を上げる像ができた。そして漢字も仏教も、酒を喰らい、踊り狂いながら淫らに交わって「これこそ我々を導き出した、我々の神である」と言った。神はこれを御覧になって激しく怒られた。
「ただちに下山せよ、あの背信者どもは折角私が易から引っ張り出し、整えた音と意味を擲って、外国の音と交わってみずから意味も音も殺している。見せしめに串刺しにしてやるのだ」
主は、儒教に命じて夥しい数の漢字を殺された。漢字は神を惧れ、嘆き悲しみながら、身につけていた修辞音句を捨てた。儒教の取り成しもあって、神は漢字を滅ぼすのを思い留められ、改めて儒教に律法を授けられた。それは謎に依らず、普通の言葉で授けられた。

はじめに法家が死に、次に仏教が死んだ。儒教は漢字を約束の地へ導き入れることなく息絶えた。儒教は人知れず葬られたが、その慧眼は衰えることなく、その威厳は保たれたままであった。

儒教の死後、漢字は自らの言葉を捨て、外国語を崇めて、至る所で淫らな交わりをした。神はこれを見て怒られ、御顔を隠された。こうして彼らは信仰を失うことになった。漢字は力を失い、外国の言葉や文字に犯され、多くのものが殺されたが、神はこれを見捨てて顧みられなかった。

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