1.大人よりも子供の方が、子供よりも猿の方が、高い所に登るのは上手だ。
君子よりも小人の方が、小人よりも奸人の方が、高い地位に昇るのが巧みだ。
人は賢くなればなるほど、恐れと恥を知り、危険な場所に近づかないものだ。
高くて滑り易い所にいるのに、恐れもせずに得意がるのは、子供か猿かだ。
2.自分の親が呉れない御菓子を、他人の家で貰った子供は、自分の親に逆らうようになる。
自国の権力がくれない名誉を、他国から貰った学者や民は、自国を蔑むようになる。
手元にお菓子があるからといって、勝手に他人の子供に与えてはならない。
賞罰の権を犯すのは、侵略しているのと同様に見做される。
3.高い塔を築いても、賢い者は、決してその上で暮らそうとはしない。
高い功を築いても、賢い者は、決してその上に位を得ようとはしない。
地震のときには、高ければ高いほど揺れは激しくなるし、何といっても雷が怖い。
目立つところで高ぶっていると、民からも神からも、命を狙われることになる。
4.手元で火力を調整できないような火気は危険すぎて扱えない。
自分の才知や情熱を抑制できないような才子は、主人の家を焼くことになる。
慎めよ、火花を散らすな、上の者を焦がすな。
自分の効能と危険を正しく把握していてこそ、道具はいつまでも重宝される。
5.勝たねば意味がないなんて言うな、勝てばそれでよいということになる。
勝てばそれでよいと言うなら、勝つためには何でもやるようになる。
当選しなければ意味がないと言うなら、当選するためには何でもするようになる。
当選するためには何でもするというなら、当選した後は何もしなくなる。
「彼らはこう言うのです。
『我らはこの舌で勝つことができる。
我らの唇は我らのものだ。
誰が、我らの支配者なのか』(詩篇12:4)」
6.天秤が無ければ、重りは何の役にも立たない。
真理が無ければ、刑罰は寧ろ悪に悪を重ねることになる。
毒には毒をの発想で、怪我人に怪我をさせる医者がいるか?
悪を為したからといって、悪で報いるなら、さらに事態は悪くなる。
7.秤が正しく調整されているなら、誰が量っても同じはずだ。
刑法が真理に基づいているなら、誰が裁いても同じはずだ。
確かな秤があるなら、どうして重い軽いのと人が議論する必要があろうか。
皆の前で同じのを用いるからといって、未調整の秤では公正な計量とはいえない。
「一体彼らは、無明時代の裁きを願っているのか。確かな信仰を持つ人々には、神より優れた裁判者はいない(コーラン5:50)」
8.好きになると、その人の全てが美しく見え、嫌いになると、すべてが醜く見える。
崇拝すると、その人の全てが正しく見え、軽蔑すると、すべて間違っているように見える。
人間は過誤を避け得ないから、崇拝してはならないし、崇拝されてもいけない。
いくら崇拝しても、いくら崇拝されても、過誤は正しくならないし、人間は神にはなれない。
「なぜ私を『尊い』というのですか? 尊いお方は、神お一人のほか誰もありません(ルカ伝18:19)」
9.神を恐れる者は神以外のものは恐れない。
権力であれ、暴力であれ、死であれ、悲しみであれ。
神を恐れる者は、人間などいくら集まっても何もできないことを知っている。
人間に何かができると思っているなら、いつまでたっても神を知ることはできない。
10.厳しい試験に合格して入学を許されたら、もう勉強しなくてよいわけではない。
苦しい試練を抜けて神の国に入ったら、もう信仰しなくてよいわけではない。
入学したら、もう後戻りはできない、遊んでいる暇などない。
神に帰依を許されたら、命がけで信仰しないと蹴り飛ばされる。
君子よりも小人の方が、小人よりも奸人の方が、高い地位に昇るのが巧みだ。
人は賢くなればなるほど、恐れと恥を知り、危険な場所に近づかないものだ。
高くて滑り易い所にいるのに、恐れもせずに得意がるのは、子供か猿かだ。
2.自分の親が呉れない御菓子を、他人の家で貰った子供は、自分の親に逆らうようになる。
自国の権力がくれない名誉を、他国から貰った学者や民は、自国を蔑むようになる。
手元にお菓子があるからといって、勝手に他人の子供に与えてはならない。
賞罰の権を犯すのは、侵略しているのと同様に見做される。
3.高い塔を築いても、賢い者は、決してその上で暮らそうとはしない。
高い功を築いても、賢い者は、決してその上に位を得ようとはしない。
地震のときには、高ければ高いほど揺れは激しくなるし、何といっても雷が怖い。
目立つところで高ぶっていると、民からも神からも、命を狙われることになる。
4.手元で火力を調整できないような火気は危険すぎて扱えない。
自分の才知や情熱を抑制できないような才子は、主人の家を焼くことになる。
慎めよ、火花を散らすな、上の者を焦がすな。
自分の効能と危険を正しく把握していてこそ、道具はいつまでも重宝される。
5.勝たねば意味がないなんて言うな、勝てばそれでよいということになる。
勝てばそれでよいと言うなら、勝つためには何でもやるようになる。
当選しなければ意味がないと言うなら、当選するためには何でもするようになる。
当選するためには何でもするというなら、当選した後は何もしなくなる。
「彼らはこう言うのです。
『我らはこの舌で勝つことができる。
我らの唇は我らのものだ。
誰が、我らの支配者なのか』(詩篇12:4)」
6.天秤が無ければ、重りは何の役にも立たない。
真理が無ければ、刑罰は寧ろ悪に悪を重ねることになる。
毒には毒をの発想で、怪我人に怪我をさせる医者がいるか?
悪を為したからといって、悪で報いるなら、さらに事態は悪くなる。
7.秤が正しく調整されているなら、誰が量っても同じはずだ。
刑法が真理に基づいているなら、誰が裁いても同じはずだ。
確かな秤があるなら、どうして重い軽いのと人が議論する必要があろうか。
皆の前で同じのを用いるからといって、未調整の秤では公正な計量とはいえない。
「一体彼らは、無明時代の裁きを願っているのか。確かな信仰を持つ人々には、神より優れた裁判者はいない(コーラン5:50)」
8.好きになると、その人の全てが美しく見え、嫌いになると、すべてが醜く見える。
崇拝すると、その人の全てが正しく見え、軽蔑すると、すべて間違っているように見える。
人間は過誤を避け得ないから、崇拝してはならないし、崇拝されてもいけない。
いくら崇拝しても、いくら崇拝されても、過誤は正しくならないし、人間は神にはなれない。
「なぜ私を『尊い』というのですか? 尊いお方は、神お一人のほか誰もありません(ルカ伝18:19)」
9.神を恐れる者は神以外のものは恐れない。
権力であれ、暴力であれ、死であれ、悲しみであれ。
神を恐れる者は、人間などいくら集まっても何もできないことを知っている。
人間に何かができると思っているなら、いつまでたっても神を知ることはできない。
10.厳しい試験に合格して入学を許されたら、もう勉強しなくてよいわけではない。
苦しい試練を抜けて神の国に入ったら、もう信仰しなくてよいわけではない。
入学したら、もう後戻りはできない、遊んでいる暇などない。
神に帰依を許されたら、命がけで信仰しないと蹴り飛ばされる。