豊かな富を持つ国に、ある時、漂流者が辿り着く。王は謁見を許す。どこの国の者かと尋ねると、漂流者は幸せの国の者だと答える。
薄汚い身形をした漂流者の答えに居並ぶ者は失笑する。中には、「智慧の国へようこそ!」とふざける者もいる。
笑いもせずに王は漂流者に、どこにいこうとしていたのかと尋ねる。すると漂流者は不幸な国を助けるために、命を受けて宝物を届けるところだと答える。
幸せの国の宝物と聞いて、王は身を乗り出し、その宝物とは何かと尋ねる。すると漂流者は、それは言えないと断る。物が何かと尋ねただけなのに、きっぱりと断られたことに王はいささか気分を害し、口を噤んだ。
居並ぶ近臣たちは、漂流者にお前の国の国土はどのくらいあるのか、また人口は? 産業は? 通貨は? などとひっきりなしに尋ねる。中には露骨に総資産は如何程かと尋ねる者もあった。
漂流者はそのたび、臆することもなく、ありのままに答える。戦乱と平和を昼夜のように繰り返して来た、途方もなく長い歴史のある国という割には、あまりにもみすぼらしい、未開とも退化とも滅亡寸前とも言える現状を聞いて、一同の顔色はみるみる和らぎ、中には落胆する者もいた。
やがて王は漂流者に、お前の持っている宝物を力づくでもよこせと言ったらどうするのかと尋ねる。すると漂流者は、あっさりと、欲しいならば与えてもよいと答える。
平静を装いながらも実は次第に恐れを感じているのかと気分をよくした王は、では自分の受けた命はどうするのかと尋ねる。すると漂流者は、王からの預かり物であっても飢えている者に恵むのは罪とはされないだろうと答える。
その力によってあらゆる富を得たと信じている王は、飢えていると言われてカッとなり、漂流者を自分の国の繁栄を象徴する都が見渡せる窓辺へ連れていく。
そこで王は、この国にはすべてがあり、そしてその国の支配者である自分にはすべてがあると言う。続いて居並ぶ近臣たちも、この国がどれほど富に満ちているかを誇らしげに述べ、それを齎した王の偉大さを讃える。
やがて王は漂流者に、お前の国の王は、どんな力があり、国に何を齎したのかと尋ねる。漂流者は、王は一年中神に祈りを奉げていると答える。お陰で昔はあったが、神が導き守って下さるので法や税も必要無くなったとも言った。
王をはじめ一同は、法も税もないなどあまりにも原始的な国の、いや国としての最低限の形もない、そしてほとんど王とも言えないような夢のような王の姿を聞いて、もう余興は終わりにしようという気分になった。
だが王は、傍弱無人な漂流者に興味を覚えて、この国に留まり自分に仕えぬかと尋ねる。だが、漂流者は結構だと断る。自分がこのような国にいれば、滅ぼしてしまうかも知れぬ故、明日にでも発った方がよかろうと言う。
最後まで人を食った漂流者の態度に、近臣の中には剣に手をかける者もあったが、王はそれを眼で制し、そうかと一言言った後、近臣たちを引き連れて、出て行った。……
その日の夜、王は昼間の漂流者のことが気になり、なかなか寝付けないでいたが、やがて俄かに起き出し、数人の側近を引き連れて、漂流者の船が停留している浜辺へと忍んで行った。
そして王は、側近に強盗のような身形をさせ、船に押入って漂流者の荷物を奪い、船を焼き払うよう指示した。しかし、決して彼を殺してはならないこと、殺さずに生かしておいて、多大な恩恵をかけ、自分とこの国の豊かさを思い知らせるのだと言った。
王の思惑通り事は済んだ。不幸な国を救う宝物があるという漂流者の持ち物は意外なほど軽がると運ぶことができた。
船の乗組員は眠っていて、船に火をつけられてやっと目を覚まし、慌てて海に飛び込んでくれたので、誰一人血を流すこともなかった。
だが、側近は、船をいくら捜しても漂流者はいなかったこと、ひょっとしたら乗組員と一緒に海に飛び込んでしまったのではないかということを王に伝えた。
王は幾分残念に感じ、悪いことをしたと思いながらも、漂流者の持つ宝物を奪ってきた側近の働きを労った。……
城に帰ると、王は側近たちと共に奪ってきたばかりの漂流者の荷物を紐解く。すると中には一つ、皮袋に詰められた液体があった。
それも大そうみすぼらしく、とても中に宝物が入っているとは見えなかったが、他には目ぼしいものはなかったので、王は、文明から隔絶した国のことだから、おそらく酒か香水の類だろうと思い、それを開けるように命じた。
側近の中にはひょっとすると毒薬やも知れぬと言って反対する者もあったが、王はいくら毒薬でも開けただけでは人は殺せまいと言い、構わず開けさせた。
側近の一人が皮袋の紐を解くと、袋は急に口を広げて、中の液体がすべて床に零れた。
あっという間もない出来事に、一同声を失ったが、床に零れ落ちた液体が放つ、噎せるような香りに酒だと言った。それはよく見ると血のような色をしていた。
間もなく側近の一人が手を打って、どこかに、水からでも酒を作る国があると話を聞いたことがあると言い、中でも神に奉げる酒は生贄の血をもって造られ、その香りだけで人を酔わせることができるのだというが、これがまさにそれではないかと言った。
それを聞くと王は、さもあらんとして徐に革袋を取ると、そこに残っている香りを嗅いだ。そして王は惜しいと発して残念がった。
血を以て酒を造り、それを神に奉げるなどというのは野蛮も野蛮、彼らは邪教徒に違いないが、本当に水からでも酒を造る技術を持っているのならば、それこそ錬金術と言えるだろうと王は思った。
だが、それよりも、王は一口でもいいから、その酒を味わいたかった。それは瞬く間に失われてしまったが、王がこれまで嗅いだことのない、身の毛の弥立つほど気品に満ちた香りを放っていた。
薄汚い身形をした漂流者の答えに居並ぶ者は失笑する。中には、「智慧の国へようこそ!」とふざける者もいる。
笑いもせずに王は漂流者に、どこにいこうとしていたのかと尋ねる。すると漂流者は不幸な国を助けるために、命を受けて宝物を届けるところだと答える。
幸せの国の宝物と聞いて、王は身を乗り出し、その宝物とは何かと尋ねる。すると漂流者は、それは言えないと断る。物が何かと尋ねただけなのに、きっぱりと断られたことに王はいささか気分を害し、口を噤んだ。
居並ぶ近臣たちは、漂流者にお前の国の国土はどのくらいあるのか、また人口は? 産業は? 通貨は? などとひっきりなしに尋ねる。中には露骨に総資産は如何程かと尋ねる者もあった。
漂流者はそのたび、臆することもなく、ありのままに答える。戦乱と平和を昼夜のように繰り返して来た、途方もなく長い歴史のある国という割には、あまりにもみすぼらしい、未開とも退化とも滅亡寸前とも言える現状を聞いて、一同の顔色はみるみる和らぎ、中には落胆する者もいた。
やがて王は漂流者に、お前の持っている宝物を力づくでもよこせと言ったらどうするのかと尋ねる。すると漂流者は、あっさりと、欲しいならば与えてもよいと答える。
平静を装いながらも実は次第に恐れを感じているのかと気分をよくした王は、では自分の受けた命はどうするのかと尋ねる。すると漂流者は、王からの預かり物であっても飢えている者に恵むのは罪とはされないだろうと答える。
その力によってあらゆる富を得たと信じている王は、飢えていると言われてカッとなり、漂流者を自分の国の繁栄を象徴する都が見渡せる窓辺へ連れていく。
そこで王は、この国にはすべてがあり、そしてその国の支配者である自分にはすべてがあると言う。続いて居並ぶ近臣たちも、この国がどれほど富に満ちているかを誇らしげに述べ、それを齎した王の偉大さを讃える。
やがて王は漂流者に、お前の国の王は、どんな力があり、国に何を齎したのかと尋ねる。漂流者は、王は一年中神に祈りを奉げていると答える。お陰で昔はあったが、神が導き守って下さるので法や税も必要無くなったとも言った。
王をはじめ一同は、法も税もないなどあまりにも原始的な国の、いや国としての最低限の形もない、そしてほとんど王とも言えないような夢のような王の姿を聞いて、もう余興は終わりにしようという気分になった。
だが王は、傍弱無人な漂流者に興味を覚えて、この国に留まり自分に仕えぬかと尋ねる。だが、漂流者は結構だと断る。自分がこのような国にいれば、滅ぼしてしまうかも知れぬ故、明日にでも発った方がよかろうと言う。
最後まで人を食った漂流者の態度に、近臣の中には剣に手をかける者もあったが、王はそれを眼で制し、そうかと一言言った後、近臣たちを引き連れて、出て行った。……
その日の夜、王は昼間の漂流者のことが気になり、なかなか寝付けないでいたが、やがて俄かに起き出し、数人の側近を引き連れて、漂流者の船が停留している浜辺へと忍んで行った。
そして王は、側近に強盗のような身形をさせ、船に押入って漂流者の荷物を奪い、船を焼き払うよう指示した。しかし、決して彼を殺してはならないこと、殺さずに生かしておいて、多大な恩恵をかけ、自分とこの国の豊かさを思い知らせるのだと言った。
王の思惑通り事は済んだ。不幸な国を救う宝物があるという漂流者の持ち物は意外なほど軽がると運ぶことができた。
船の乗組員は眠っていて、船に火をつけられてやっと目を覚まし、慌てて海に飛び込んでくれたので、誰一人血を流すこともなかった。
だが、側近は、船をいくら捜しても漂流者はいなかったこと、ひょっとしたら乗組員と一緒に海に飛び込んでしまったのではないかということを王に伝えた。
王は幾分残念に感じ、悪いことをしたと思いながらも、漂流者の持つ宝物を奪ってきた側近の働きを労った。……
城に帰ると、王は側近たちと共に奪ってきたばかりの漂流者の荷物を紐解く。すると中には一つ、皮袋に詰められた液体があった。
それも大そうみすぼらしく、とても中に宝物が入っているとは見えなかったが、他には目ぼしいものはなかったので、王は、文明から隔絶した国のことだから、おそらく酒か香水の類だろうと思い、それを開けるように命じた。
側近の中にはひょっとすると毒薬やも知れぬと言って反対する者もあったが、王はいくら毒薬でも開けただけでは人は殺せまいと言い、構わず開けさせた。
側近の一人が皮袋の紐を解くと、袋は急に口を広げて、中の液体がすべて床に零れた。
あっという間もない出来事に、一同声を失ったが、床に零れ落ちた液体が放つ、噎せるような香りに酒だと言った。それはよく見ると血のような色をしていた。
間もなく側近の一人が手を打って、どこかに、水からでも酒を作る国があると話を聞いたことがあると言い、中でも神に奉げる酒は生贄の血をもって造られ、その香りだけで人を酔わせることができるのだというが、これがまさにそれではないかと言った。
それを聞くと王は、さもあらんとして徐に革袋を取ると、そこに残っている香りを嗅いだ。そして王は惜しいと発して残念がった。
血を以て酒を造り、それを神に奉げるなどというのは野蛮も野蛮、彼らは邪教徒に違いないが、本当に水からでも酒を造る技術を持っているのならば、それこそ錬金術と言えるだろうと王は思った。
だが、それよりも、王は一口でもいいから、その酒を味わいたかった。それは瞬く間に失われてしまったが、王がこれまで嗅いだことのない、身の毛の弥立つほど気品に満ちた香りを放っていた。