1.ああ醜い、猿は自分を慰める。大衆国家は自国を褒める。
猿は笑われているのがわからない。大衆国家は蔑まれているのも気づかない。
手が長いと罪を犯して恥もかく。舌が長いと憎まれた上に蔑まれる。
猿の特技は談合とリンチだ。大衆国家が振り回すのは経済制裁と先制攻撃論だ。
「言ってやれ、『神の報いについてこれよりもっと悪いことをお前達に話してやろうか。神の呪いを受け、お怒りを蒙り、猿や豚に変えられて、ターグートを拝む者、こういう者は最悪の立場にあり、正しい道から遥か遠くに迷い去っているのである(コーラン5:60)」
2.町全体を見たいというなら物見櫓に登るのもよいが、翼があればもっとよい。
世界を展望したいというなら経書を学ぶのもよいが、叡智があればもっとよい。
経書に立場を置くと狭い一つの見方しかできないが、叡智の翼があれば自由自在だ。
櫓に登ることより飛ぶことに努めよ。学習することより想起することに努めよ。
「吾嘗て終日にして思へども、一時の学ぶ所に如かざる也。吾嘗てつま先立ちて望めども、高きに登るの博く見ゆるに如かざる也。高きに登りて招けば、肘長を加ふるに非ざるに、而るに見ゆるもの遠し。風に順ひて呼べば、声疾を加ふるに非ざるに、而るに聞こゆるもの彰らか也。輿馬を駆る者は、足を利するに非ざるに、千里を致す。船楫を駆る者は、水に能ふるの非ざるに江河を絶す。賢者は生異なるに非ず、善く者を駆る也(荀子/第1章)」
3.いくら翼を動かしても、飛べないのは、空ではなく地面に目を向けているから。
いくら思惟しても、真理に近づけないのは、道理より功利を探っているから。
空にあると言えば雲ばかり。道理にあると云えば仁義や忠誠の徳ばかり。
富や名誉を求めている間は、いくらばたばたやっても真理などには到達しない。
「お前たちは天空を操られて飛んでいる鳥を見たことがないのか。それらを支えているのは、ただ神あるのみ。信仰深い人々にとって、これこそみしるしである(コーラン16:79)」
4.安定した飛行をするためには、右に傾いても左に傾いてもいけない。
誤謬に陥らずに思考を高揚させていくためには、硬派になっても柔和に傾いてもいけない。
片側の極端からその反対の極端までを測った者だけが、中心を定めることができる。
真の中正を得る為には、人は少なくとも二度、思想立場を変えたことがなければならない。
「形正しからざる者は、徳来らず。中精ならざる者は、心治まらず。形を正し徳を修むれば、万物悉く得、翼然として自から来り、神もその極みを知ること無く、昭かに天下を知り、四極に通ず(管子/第37章)」
5.どれだけ高く飛べる猛禽だって、雲に巣を作るわけにはいかない。
どれだけ叡智を誇る賢哲だって、久しく神の目に仕えるには耐えられない。
神の前では千年が一日のよう、千億人の命も大地を湿らす雨露に等しい。
天に近づけば近づくほど、地上のものは小さく虚しく見えてくる。
「今の学を為す者は、山麓を登るが如し。其の入るに当たりては、闊歩せざるは無し。峻所に至るに及び、すなわち止む。須らく是れ剛決果敢にして以て進むを要すべし(近思録/第2巻論学)」
6.泳げなくても、鳥ならそれも欠点ではない。飛べなくても、魚ならそれも問題ではない。
計算に弱くても哲学者ならば、それは全く問題ではない。
比喩を使用できなくても、数学者ならばそれは問題ではない。
鰭のあるものは泳ぐことに専念し、翼あるものは飛ぶことに専念せよ。
「凡そ人禽貞蟲、各々以て生ずる有り。或いは胎、或いは卵、或いは飛び、或いは走り、其の情を知るもの無し。唯知の、道に通ずる者のみ、能く之を原本す(淮南子/第4巻)」
7.虱からすると、蝿や蜂も飛び回っているから鳥と同じように見えるらしい。
小人共からすると、雑誌記者や時俗作家も、筆を執るから知識人と言えるらしい。
臭いものを嗅ぎ回ったり、甘い蜜を集めるのは、鳥のやることではない。
為になる言葉を聞かせる知識人は、嘴を汚さないように慎みを持っているものだ。
「また、汝の主は蜜蜂に啓示して言い給う、『山でも木でも人間の建ててくれるものでも、それを家とせよ。そしてあらゆる果実を食べ、平坦な主の道を辿って帰れ』。その腹から、人々の為に薬となる色々な飲み物が出てくる。思慮深い人々にとって、これこそみしるしである(コーラン16:68)」
8.足がない魚に、道を歩けと言っても無理な相談だ。
自立りんも責任感もなく世を泳いでいるど奴僕たちに、道義を説いても効果はない。
空のことは鳥、道のことは人、野のことは獣、海のことは魚。
学者には理で、士には義で、商人には利で、町人には情で語れ。
「孔子曰く、魚は水に相生き、人は道に相生く。水に相生くる者は、池を穿ちて養足り、道に相生くる者は、事無くして生定まる。故に曰く、魚は江湖に相忘れ、人は道術に相忘る、と(荘子/第6章)」
9.誤謬は寄生虫のように侵入し、学識を齧って増殖する。
矛盾してても気づかない、理性が正しく働かない。
口から出たものを指摘されたら、徹底的に探し出せ。
騙されるなよ、誤謬は人をして争はしむる。
10.物見櫓を築くのを仕事とする者もいれば、その土台を掘り返して壊す者もいる。
高い見識を築く学者もいれば、彼の人格を誹謗して、学説まで抹消してしまう者もいる。
土を掘り返してばかりいると、視力が退化して日の目を見れなくなる。
下らないことばかり穿鑿していると、何も発見できないし、誰からも発見されなくなる。
猿は笑われているのがわからない。大衆国家は蔑まれているのも気づかない。
手が長いと罪を犯して恥もかく。舌が長いと憎まれた上に蔑まれる。
猿の特技は談合とリンチだ。大衆国家が振り回すのは経済制裁と先制攻撃論だ。
「言ってやれ、『神の報いについてこれよりもっと悪いことをお前達に話してやろうか。神の呪いを受け、お怒りを蒙り、猿や豚に変えられて、ターグートを拝む者、こういう者は最悪の立場にあり、正しい道から遥か遠くに迷い去っているのである(コーラン5:60)」
2.町全体を見たいというなら物見櫓に登るのもよいが、翼があればもっとよい。
世界を展望したいというなら経書を学ぶのもよいが、叡智があればもっとよい。
経書に立場を置くと狭い一つの見方しかできないが、叡智の翼があれば自由自在だ。
櫓に登ることより飛ぶことに努めよ。学習することより想起することに努めよ。
「吾嘗て終日にして思へども、一時の学ぶ所に如かざる也。吾嘗てつま先立ちて望めども、高きに登るの博く見ゆるに如かざる也。高きに登りて招けば、肘長を加ふるに非ざるに、而るに見ゆるもの遠し。風に順ひて呼べば、声疾を加ふるに非ざるに、而るに聞こゆるもの彰らか也。輿馬を駆る者は、足を利するに非ざるに、千里を致す。船楫を駆る者は、水に能ふるの非ざるに江河を絶す。賢者は生異なるに非ず、善く者を駆る也(荀子/第1章)」
3.いくら翼を動かしても、飛べないのは、空ではなく地面に目を向けているから。
いくら思惟しても、真理に近づけないのは、道理より功利を探っているから。
空にあると言えば雲ばかり。道理にあると云えば仁義や忠誠の徳ばかり。
富や名誉を求めている間は、いくらばたばたやっても真理などには到達しない。
「お前たちは天空を操られて飛んでいる鳥を見たことがないのか。それらを支えているのは、ただ神あるのみ。信仰深い人々にとって、これこそみしるしである(コーラン16:79)」
4.安定した飛行をするためには、右に傾いても左に傾いてもいけない。
誤謬に陥らずに思考を高揚させていくためには、硬派になっても柔和に傾いてもいけない。
片側の極端からその反対の極端までを測った者だけが、中心を定めることができる。
真の中正を得る為には、人は少なくとも二度、思想立場を変えたことがなければならない。
「形正しからざる者は、徳来らず。中精ならざる者は、心治まらず。形を正し徳を修むれば、万物悉く得、翼然として自から来り、神もその極みを知ること無く、昭かに天下を知り、四極に通ず(管子/第37章)」
5.どれだけ高く飛べる猛禽だって、雲に巣を作るわけにはいかない。
どれだけ叡智を誇る賢哲だって、久しく神の目に仕えるには耐えられない。
神の前では千年が一日のよう、千億人の命も大地を湿らす雨露に等しい。
天に近づけば近づくほど、地上のものは小さく虚しく見えてくる。
「今の学を為す者は、山麓を登るが如し。其の入るに当たりては、闊歩せざるは無し。峻所に至るに及び、すなわち止む。須らく是れ剛決果敢にして以て進むを要すべし(近思録/第2巻論学)」
6.泳げなくても、鳥ならそれも欠点ではない。飛べなくても、魚ならそれも問題ではない。
計算に弱くても哲学者ならば、それは全く問題ではない。
比喩を使用できなくても、数学者ならばそれは問題ではない。
鰭のあるものは泳ぐことに専念し、翼あるものは飛ぶことに専念せよ。
「凡そ人禽貞蟲、各々以て生ずる有り。或いは胎、或いは卵、或いは飛び、或いは走り、其の情を知るもの無し。唯知の、道に通ずる者のみ、能く之を原本す(淮南子/第4巻)」
7.虱からすると、蝿や蜂も飛び回っているから鳥と同じように見えるらしい。
小人共からすると、雑誌記者や時俗作家も、筆を執るから知識人と言えるらしい。
臭いものを嗅ぎ回ったり、甘い蜜を集めるのは、鳥のやることではない。
為になる言葉を聞かせる知識人は、嘴を汚さないように慎みを持っているものだ。
「また、汝の主は蜜蜂に啓示して言い給う、『山でも木でも人間の建ててくれるものでも、それを家とせよ。そしてあらゆる果実を食べ、平坦な主の道を辿って帰れ』。その腹から、人々の為に薬となる色々な飲み物が出てくる。思慮深い人々にとって、これこそみしるしである(コーラン16:68)」
8.足がない魚に、道を歩けと言っても無理な相談だ。
自立りんも責任感もなく世を泳いでいるど奴僕たちに、道義を説いても効果はない。
空のことは鳥、道のことは人、野のことは獣、海のことは魚。
学者には理で、士には義で、商人には利で、町人には情で語れ。
「孔子曰く、魚は水に相生き、人は道に相生く。水に相生くる者は、池を穿ちて養足り、道に相生くる者は、事無くして生定まる。故に曰く、魚は江湖に相忘れ、人は道術に相忘る、と(荘子/第6章)」
9.誤謬は寄生虫のように侵入し、学識を齧って増殖する。
矛盾してても気づかない、理性が正しく働かない。
口から出たものを指摘されたら、徹底的に探し出せ。
騙されるなよ、誤謬は人をして争はしむる。
10.物見櫓を築くのを仕事とする者もいれば、その土台を掘り返して壊す者もいる。
高い見識を築く学者もいれば、彼の人格を誹謗して、学説まで抹消してしまう者もいる。
土を掘り返してばかりいると、視力が退化して日の目を見れなくなる。
下らないことばかり穿鑿していると、何も発見できないし、誰からも発見されなくなる。