天上天下唯我独尊

夢に生き、夢のように生きる人の世を
憐れと思へば、罪幸もなし・・・

四行詩集 ~無花果の実り~ 18

2008-02-11 17:47:21 | 「無花果の実り」
1.羊を牧するのに、羊の鳴き声を調べる必要はない。
  それが盲で聾の羊であるということを知っていれば。
  政治をするのに、民の意見を聞いて回る必要はない。
  出任せの鳴き声に従うなら、共々迷子になって、やがては崖から落ちてしまう。
「もし汝が地上の大多数の者に従うならば、必ずや神の道から迷い出るであろう。彼らは、空想に従っているに過ぎない。ただ嘘をついているだけである。汝の主は、誰が道から迷っているかを一番よく知っておられ、正しく導かれている者のことも一番よく知っておられる(コーラン6:116)」

2.羊は巻き毛を伸ばして自分を大きく見せようとする。
  人民は己に罪を働いて、自分を強く見せようとする。
  年に一度、奴らの汚れを刈ってやれ。罪が伸びすぎると目も耳も塞がれる。
  それがお前の体を暖め、命を守り、隠し所を覆う衣となる。
「知れ、主こそ神。
 主が、私たちを御造りになった。
 私達は主のもの、主の民、その牧場の羊である(詩篇100:3)」

3.羊を集めるのに犬を用いないなら、えらい難儀をすることになる。
  民衆を治めるのに宗教指導者を用いないならば、集めることも導くこともできない。
  羊は人間の言葉には従わないが、犬の声には従う。
  民衆は政治の事は理解しないでぶつくさ言うが、宣教師の言葉には黙って従う。
「野のすべての獣よ、森のすべての獣よ
 食べに来るがよい。
 見張りは誰も、見る力が無く、何も知らない。
 口を閉ざされた犬で、吠えることができない。
 伏してうたた寝し、眠ることを愛する。
 この犬どもは強欲で飽くことを知らない。
 彼らは羊飼いでありながらそれを自覚せず
 それぞれ自分の好む道に向かい
 自分の利益を追い求める者ばかりだ。
 『さあ、酒を手に入れよう。
 強い酒を浴びるように飲もう。
 明日も今日も同じこと。
 いや、もっと素晴らしいに違いない』(イザヤ書56:9)」

4.餌も首輪も与えず、頭も撫でてやらずに犬を働かせようと思っても上手くいかない。
  扶持も権限も名誉も与えず、宗教を政治に利用しようなんて甘い考えだ。
  だが、犬と主人とは同じ家に住まわないし、彼らが聖などと冠するのを許してはならない。
  それを許すと、いつの間にか犬が羊の前で主人面して、牧人に逆らうようになる。
「商の太宰、孔子を見て曰く、子は聖なるか、と。孔子曰く、聖はすなわち子何ぞ敢へてせん。然ればすなわち子は博学多識なる者也、と。商の太宰曰く、三王は聖なるか、と。孔子曰く、三王は善く智勇に任ずる者也。聖はすなわち子知らず、と。又曰く、五帝は聖なるか、と。孔子曰く、五帝は善く仁義を任ずる者也。聖はすなわち子知らず、と。又曰く、三皇は聖なるか、と。孔子曰く、三皇は善く時に因るに任ずる者也。聖はすなわち子知らず、と(列子/第4章)」

5.主人に棄てられ、誰からも餌を与えられない犬は、悪さをするほか生きる道がない。
  権力者から棄てられ、誰からも養ってもらえない僧侶は、詐欺でも働くほかあるまい。
  財力のある者が犬や猫や小鳥を飼うのは、自分の便利や享楽のためだけではない。
  僧団や娼婦や芸者が国家の害とならずにいられるのは、権力者がそれを養っている間だけ。
「信ずる人々よ、律法学者や修道士の多くは、虚偽によって人々の財産を食らい、神の道を塞いでいる。金銀の蓄積して、これを神の道のために費やさない者共には痛烈な懲罰があることを告げてやれ(コーラン9:34)」

6.調教されていないなら、家畜の数が増すほどに、煩悶を抱えることになる。
  礼儀を仕付けていないなら、民や役人の数が増すほどに、為政者の心労は募っていく。
  調教を心得ているなら、獅子でも熊でも虎でも扱えるようになるだろう。
  調教を心得ていないならば、獅子や熊や虎に引き千切られることになるだろう。
「少なくとも驢馬や馬や牛の世話をする管理人がそんな体たらくだったとしたら、さだめし無能な管理人だと思われたことだろうね。もしそういった家畜たちが、手元に引き受けた時には管理人を蹴ったり突いたり咬んだりすることはなかったのに、世話をした結果、粗暴になって、全てそういった乱暴を働くようになったとしたらね。それとも君には、たとえどんな動物のどんな管理人にせよ、おとなしいのを引き取っておきながら、引き受けた時よりも粗暴にしてしまうような管理人がいるとしたら、そんな管理人は無能であるとは思えないのかね、どうだね? ところで人間もまた、動物の一種ではなかったかね?(プラトン/ゴルギアス516A)」

7.立派な角のある足腰の強い雄牛こそが、役畜として重用される。
  義理堅い志を生やして忍耐強い男児こそが、国家公共の役に立つ。
  国の役に立ちたいならば、男は志をぶつけ合って、人格を鍛えなければならない。
  書類を食んで、軽口を叩いているだけの山羊は、役にも立たず、不味くて食えない。
「悪者共の角を、悉く切り捨てよう。
 しかし、正しい者の角は、高く上げられる(詩篇75:10)」

8.雄牛は角、雌牛は乳で価値が決る。
  武官の価値は志、文官の価値は知恵で決る。
  男なら志をこそ誇れ。野心や欲望の大きさを競うな、それはお山の猿の戯れだ。
  女は艶やかな愛を子供のために蓄えよ。大人の雄牛は雌牛の乳や艶など愛さない。
「彼は貧しい人々に惜しみ無く分け与えた。
 彼の志は永遠に堅く立つ。
 その角は栄光のうちに高くあげられる(詩篇112:9)」

9.蛭に比べれば、蚊が吸う血などは微々たるものだ。
  税金産業に比べれば、暴力団なんぞは国家の害悪のうちに入らない。
  だが、その蛭よりも、寄生虫の方がさらに害を為すこと甚だしい。
  暴力団よりも、税金産業よりも、腐敗した官僚や偽善の代議士の方が国家にとて有害だ。
「まことに神は、蚊でもそれ以上のものでも、譬えに引用することを恥じ給わない。信ずる人々には、それが主よりの真理であることがわかる。しかし、不信者どもは、『こんなものを譬えにして、神はどうするつもりなのか』などと言う。種はこのようなことで多くの者を迷わし、また多くの者を導き給う。ただ迷わされるのは悪徳の者共のみ。すなわち、神とかたく契約を結びながら破棄し、神が結ぶように命じ給うたものを殊更切断し、地上に害をなす者共のみ。このような者共は損をする人々である(コーラン2:26)」

10. 浅ましく餌を争っても、哀れむべし、一番肥えた豚から殺される。
  貪欲に利益を漁っても、恐慌の時には、富豪は蓄財の多い順に殺される。
  肥満は絶対隠せない。富は見せ付けなければ意味がない。
  贅沢を見せびらかすのは、贅肉を誇っているに等しい。

 

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