1.よくメスを振るう者ではなく、振るわずに済む者こそ名医だ。
よく権力を振るう者ではなく、振るわずに済む者こそ明君だ。
健康管理をちゃんとさせて、早期治療を奨励すれば、大事に至らずに済む。
戒律を与えて、小さな罪でも意識させるようにすれば、民は大罪を犯さずに済む。
「公孫某の法には、軽罪を重くす。重罪は人の犯し難き所也。而して小過は人の去り易き所也。人をして其の易きを去りて、其の難き所に離ること無からしむ、此れ治の道也。夫れ小過生ぜず、大罪至らずば、是れ人罪無くして、乱生ぜざる也(韓非子/第30章)」
2.刃物を振るえばそれで医者と言えるわけではない、医術と善意に基づかなければ。
権力を振るえばそれで為政者と言えるわけではない、真理と公義に基づかなければ。
医者は殺すためには血を流さない。生かすためにのみ血を流す。
真理と公義を会得した者は、国を生かすためなら血を流すことを躊躇わない。
「哀公問ふ、兵を用ふる者は其れ不肖に由るか、と。孔子答へて曰く、何為すれぞ其れ不肖なるや。聖人の兵を用ふるや、以て残を禁じ暴を天下に止むる也。後世の貪者の兵を用ふるに及んでや、以て百姓を刈り、国家を危ふくする也、と。人性喜怒有り。故に兵の興る、民と共に生ず。聖人利用して之を止め、乱人之を興して其の身を滅ぼす。校徳塞がらず、武を子孫に嗣ぐ。聖人百姓を愛して海内を憂ふ。後世の人の及んで、其の徳を思ひ、必ず其の人を称す(大戴礼記/第75章)」
3.苦痛を逃れるために正気を放棄するならば、死ぬまで安息は得られない。
戦争を避けるために正義を放棄するならば、絶滅するまで平和は来ない。
どれだけ苦難に遭おうとも、正気と正義は手放すな。
みんなと同じでも、狂気や病気が正常ということにはならないのだから。
「主が課せられた務めを疎かにする者は呪われよ。
主の剣をとどめて流血を避ける者は呪われよ(エレミヤ書48:10)」
4.薬は病人には有益だが健常者には有害だ。運動は健常者には有益だが病人には有害だ。
病気が快方に向かうにつれ投薬は抑制し、少しずつ運動をさせていかねばならない。
国家の患いが解消されるにつて刑罰は抑制し、礼儀を教えていかねばならない。
刑罰は乱世を治療するが、治世にそれを乱用すると、それが原因で乱世に逆戻りする。
「某曰く、蓋し国を治むるの法は、身を理むるに似たる有り。平らかなればすなわち養を致し、病めばすなわち之を攻む。夫れ刑罰は、乱を治むるの薬石也。徳教は、平を興すの良肉也。夫れ徳教を以て悪を除かんとするは、是れ糧肉を以て病を養ふ也。刑罰を以て平を治めんとするは、是れ薬石を以て供養する也。昔、文帝、肉刑を除くと雖も、当に右足を斬るべき者は棄市し、鞭打たるる者は往々にして死に至れり。是れ文帝、厳を以て平を致せる也、寛を以て平を致せるに非ざる也、と(資治通鑑/第53巻)」
5.預言者は昼の光、約五百年間世界を照らし、人々を仕事に駆り立てる。
哲学者は夜の光、羊飼いらの家路を照らすが、獅子とハイエナに狩場を提供する。
思い上がるなよ、月は太陽の光を借りなければ物の輪郭すら現すことはできない。
哲学は預言者の教義に則らなければ、人々の足元を照らすこともできない。
「夜も昼も、太陽も月も、すべて神のみしるしである。太陽や月は伏拝することなく、それらを創造し給うた神を伏拝せよ。本当にお前達が神を崇拝していると言うのであれば。たとえ彼らが驕慢であっても、主の御元にいる者は日夜、主を讃え、倦むことはないのだ(コーラン41:37)」
6.沈む夕日は美しく偉大に見え、昇る朝日は目に痛く、苛烈に思える。
しかし太陽は、本来目にすることができない。
空が赤く燃えて見えたら、家畜どもを連れて、家へ帰れ。
夕日に追い縋る者は、朝日から一番遠い所で力尽きることになる。
「お前たちのうちにいるであろうか
主を畏れ、主の僕の声に聞き従う者が。
闇の中を歩くときも、光のないときも
主の御名に信頼し、その神を支えとする者が。
見よ、お前たちはそれぞれ、火を灯し
松明を掲げている。
行け、自分の火の光に頼って
自分で燃やす松明によって。
私の手がこのことをお前たちに定めた。
お前たちは苦悩のうちに横たわるであろう(イザヤ書50:10)」
7.星が見えないのは、雲のせいか大気が汚れているかで、星の光が弱いからではない。
偉人を見出せないのは、邪魔者のせいか自分の心が汚れているか
天を仰いでいないせいかで、彼の実力や業績が足りないからではない。
天を仰ぎ、雲を退け、空を清めよ。航海時には星が位置を教えてくれる。
「また神は、暗夜に陸また海を行くお前たちの導きとなるように、星を設け給うたお方である。我らは知識ある人々のために、諸々のしるしを明示した(コーラン6:97)」
8.一つ、また一つ、と希望の光が潰えたからといって
嘆き悲しむには当らない。
太陽が昇る前、星たちは役目を終えるのだから。
神の助けと勝利が来る時、戦士たちは伝説の中へ凱旋するのだ。
「神の道の為に殺された者を、決して死者と考えてはならない。否、主の御元で扶助を賜って生きているのである。彼らは、自分たちが神から授かった恩恵を喜び、まだ彼らに追いついていないが後に続く者の為にも喜んでいる。その人たちには怖れもなく、悲しみもないのだから(コーラン3:169)」
9.太陽が出ていると、人々は夢を見ているわけにはいかない。
良心が灯っていると、人々は快楽に耽ることができない。
夜中に働けとか寝るなとか、白と灰色を見分けろと言われても無理な注文だ。
人々の心に良心の灯りを灯さないで、節度や良識を求めるのはフクロウの類だ。
「夫れ心暗ければすなわち照らすこと通ぜざる有り、至察なればすなわち多くの者を疑ふ(貞観政要/第2章)
10.太陽が昇れば、その光で闇夜は亡ぼされる。
神の国から言葉が出れば、その真理で虚妄は残さず焼き尽くされる。
光と闇は共存できないし、闇は光に抗うことはできない。
真理が現れたのに、虚妄に固執すると一緒に滅びることになる。
「翁曰く、山谷は寒気に閉ぢて、雪降り凍れども、柳の一芽開き初むる時は、山々の雪も谷谷の氷も皆それ迄也。又秋に至り、桐の一葉落ち初むる時は、天下の青葉は又それ迄也。夫れ世界は転回して止まず、故に時に遇う者は育ち、時に遇はざるものは枯るる也。午前は東向きの家は照れども、西向きの家は陰り、午後は西向く者は陽をを受け、東に向く物は陰る也。此の理を知らざる者惑ふて、或いは舞い上がり、或いは嘆き悲しむは誤り也。今此処に幾万金の負債有りとも、何万町の荒蕪地有りとも、聖賢有りて此の道に寄る時は憂ふるに足らず、あに喜ばしからずや。たとひ何百万金の貯蓄有り、何万町の領地有りとも、暴君在りて、道を踏まず、是も不足彼も不足と驕奢慢心、増長に増長せば廃滅せん事、秋葉の嵐に散乱するが如し、恐れざるべけんや(二宮翁夜話/第168章)」
よく権力を振るう者ではなく、振るわずに済む者こそ明君だ。
健康管理をちゃんとさせて、早期治療を奨励すれば、大事に至らずに済む。
戒律を与えて、小さな罪でも意識させるようにすれば、民は大罪を犯さずに済む。
「公孫某の法には、軽罪を重くす。重罪は人の犯し難き所也。而して小過は人の去り易き所也。人をして其の易きを去りて、其の難き所に離ること無からしむ、此れ治の道也。夫れ小過生ぜず、大罪至らずば、是れ人罪無くして、乱生ぜざる也(韓非子/第30章)」
2.刃物を振るえばそれで医者と言えるわけではない、医術と善意に基づかなければ。
権力を振るえばそれで為政者と言えるわけではない、真理と公義に基づかなければ。
医者は殺すためには血を流さない。生かすためにのみ血を流す。
真理と公義を会得した者は、国を生かすためなら血を流すことを躊躇わない。
「哀公問ふ、兵を用ふる者は其れ不肖に由るか、と。孔子答へて曰く、何為すれぞ其れ不肖なるや。聖人の兵を用ふるや、以て残を禁じ暴を天下に止むる也。後世の貪者の兵を用ふるに及んでや、以て百姓を刈り、国家を危ふくする也、と。人性喜怒有り。故に兵の興る、民と共に生ず。聖人利用して之を止め、乱人之を興して其の身を滅ぼす。校徳塞がらず、武を子孫に嗣ぐ。聖人百姓を愛して海内を憂ふ。後世の人の及んで、其の徳を思ひ、必ず其の人を称す(大戴礼記/第75章)」
3.苦痛を逃れるために正気を放棄するならば、死ぬまで安息は得られない。
戦争を避けるために正義を放棄するならば、絶滅するまで平和は来ない。
どれだけ苦難に遭おうとも、正気と正義は手放すな。
みんなと同じでも、狂気や病気が正常ということにはならないのだから。
「主が課せられた務めを疎かにする者は呪われよ。
主の剣をとどめて流血を避ける者は呪われよ(エレミヤ書48:10)」
4.薬は病人には有益だが健常者には有害だ。運動は健常者には有益だが病人には有害だ。
病気が快方に向かうにつれ投薬は抑制し、少しずつ運動をさせていかねばならない。
国家の患いが解消されるにつて刑罰は抑制し、礼儀を教えていかねばならない。
刑罰は乱世を治療するが、治世にそれを乱用すると、それが原因で乱世に逆戻りする。
「某曰く、蓋し国を治むるの法は、身を理むるに似たる有り。平らかなればすなわち養を致し、病めばすなわち之を攻む。夫れ刑罰は、乱を治むるの薬石也。徳教は、平を興すの良肉也。夫れ徳教を以て悪を除かんとするは、是れ糧肉を以て病を養ふ也。刑罰を以て平を治めんとするは、是れ薬石を以て供養する也。昔、文帝、肉刑を除くと雖も、当に右足を斬るべき者は棄市し、鞭打たるる者は往々にして死に至れり。是れ文帝、厳を以て平を致せる也、寛を以て平を致せるに非ざる也、と(資治通鑑/第53巻)」
5.預言者は昼の光、約五百年間世界を照らし、人々を仕事に駆り立てる。
哲学者は夜の光、羊飼いらの家路を照らすが、獅子とハイエナに狩場を提供する。
思い上がるなよ、月は太陽の光を借りなければ物の輪郭すら現すことはできない。
哲学は預言者の教義に則らなければ、人々の足元を照らすこともできない。
「夜も昼も、太陽も月も、すべて神のみしるしである。太陽や月は伏拝することなく、それらを創造し給うた神を伏拝せよ。本当にお前達が神を崇拝していると言うのであれば。たとえ彼らが驕慢であっても、主の御元にいる者は日夜、主を讃え、倦むことはないのだ(コーラン41:37)」
6.沈む夕日は美しく偉大に見え、昇る朝日は目に痛く、苛烈に思える。
しかし太陽は、本来目にすることができない。
空が赤く燃えて見えたら、家畜どもを連れて、家へ帰れ。
夕日に追い縋る者は、朝日から一番遠い所で力尽きることになる。
「お前たちのうちにいるであろうか
主を畏れ、主の僕の声に聞き従う者が。
闇の中を歩くときも、光のないときも
主の御名に信頼し、その神を支えとする者が。
見よ、お前たちはそれぞれ、火を灯し
松明を掲げている。
行け、自分の火の光に頼って
自分で燃やす松明によって。
私の手がこのことをお前たちに定めた。
お前たちは苦悩のうちに横たわるであろう(イザヤ書50:10)」
7.星が見えないのは、雲のせいか大気が汚れているかで、星の光が弱いからではない。
偉人を見出せないのは、邪魔者のせいか自分の心が汚れているか
天を仰いでいないせいかで、彼の実力や業績が足りないからではない。
天を仰ぎ、雲を退け、空を清めよ。航海時には星が位置を教えてくれる。
「また神は、暗夜に陸また海を行くお前たちの導きとなるように、星を設け給うたお方である。我らは知識ある人々のために、諸々のしるしを明示した(コーラン6:97)」
8.一つ、また一つ、と希望の光が潰えたからといって
嘆き悲しむには当らない。
太陽が昇る前、星たちは役目を終えるのだから。
神の助けと勝利が来る時、戦士たちは伝説の中へ凱旋するのだ。
「神の道の為に殺された者を、決して死者と考えてはならない。否、主の御元で扶助を賜って生きているのである。彼らは、自分たちが神から授かった恩恵を喜び、まだ彼らに追いついていないが後に続く者の為にも喜んでいる。その人たちには怖れもなく、悲しみもないのだから(コーラン3:169)」
9.太陽が出ていると、人々は夢を見ているわけにはいかない。
良心が灯っていると、人々は快楽に耽ることができない。
夜中に働けとか寝るなとか、白と灰色を見分けろと言われても無理な注文だ。
人々の心に良心の灯りを灯さないで、節度や良識を求めるのはフクロウの類だ。
「夫れ心暗ければすなわち照らすこと通ぜざる有り、至察なればすなわち多くの者を疑ふ(貞観政要/第2章)
10.太陽が昇れば、その光で闇夜は亡ぼされる。
神の国から言葉が出れば、その真理で虚妄は残さず焼き尽くされる。
光と闇は共存できないし、闇は光に抗うことはできない。
真理が現れたのに、虚妄に固執すると一緒に滅びることになる。
「翁曰く、山谷は寒気に閉ぢて、雪降り凍れども、柳の一芽開き初むる時は、山々の雪も谷谷の氷も皆それ迄也。又秋に至り、桐の一葉落ち初むる時は、天下の青葉は又それ迄也。夫れ世界は転回して止まず、故に時に遇う者は育ち、時に遇はざるものは枯るる也。午前は東向きの家は照れども、西向きの家は陰り、午後は西向く者は陽をを受け、東に向く物は陰る也。此の理を知らざる者惑ふて、或いは舞い上がり、或いは嘆き悲しむは誤り也。今此処に幾万金の負債有りとも、何万町の荒蕪地有りとも、聖賢有りて此の道に寄る時は憂ふるに足らず、あに喜ばしからずや。たとひ何百万金の貯蓄有り、何万町の領地有りとも、暴君在りて、道を踏まず、是も不足彼も不足と驕奢慢心、増長に増長せば廃滅せん事、秋葉の嵐に散乱するが如し、恐れざるべけんや(二宮翁夜話/第168章)」