天上天下唯我独尊

夢に生き、夢のように生きる人の世を
憐れと思へば、罪幸もなし・・・

四行詩集 ~無花果の実り~ 5

2008-01-26 11:46:45 | 「無花果の実り」
「律法篇」


   すべての国々の民よ、これを聞け。
   世界に住むすべての者よ、耳を傾けよ。
   賎しい者も、貴い者も
   富む者も、貧しい者も、共々に。
   私の口は知恵を語り、私の心は叡智を告げる。
   私はたとえに耳を傾け
   竪琴にあわせて私の謎を解き明かそう。(詩篇49:1)


1.美しい旋律が流れていると、誰でも知らずと口ずさみ、和になって踊りだす。
  善い政治が行われていると、民は知らずと教化され、熱心に公共奉仕をする。
  お祭りに欠かせないのは、神輿と奏楽と踊り。
  政に欠かせないのは、信仰と教令と賦役。
「孔子、魯の哀公に見ゆ。哀公曰く、寡人に語る者有り、曰く、国家を治むる者は、之を堂上に治むるのみと。寡人、以て迂言と為す、と。孔子曰く、之迂言に非ず。之を身に得る者は、之を人に得、之を身に失ふ者は、之を人に失ふ。門戸を出でずして天下を治むる者は、其れ唯己の身を治むることを知る者かと(呂氏春秋/第3巻)」

2.どんな味気ない曲でも、不協和音や拍節の乱れた演奏を聴かされるよりはましだ。
  どんな貧弱な政権でも、権力争いや歩調の乱れがなければ国民は政令に耳を傾ける。
  どれだけ大きな音を出していても不協和音ばかりでは、みな耳を塞いで逃げていく。
  権力争いばかりしていると、国民は政治から逃れ、命令にも従わなくなる。
「政和せざれば、すなわち民其の教えに従はず。教えに従はざれば、すなわち民習わず。習はざれば、すなわち得て使ふべからざる也。君子言の信ぜられんことを欲すれば、先づ其の内を虚にするより善きは無く、政の速やかに行はれんことを欲すれば、身を以て之に先んづるより善きは無く、民の速やかに服せんことを欲すれば、道を持って之を御するより善きは無し。故に服すと雖も必ず強ふる也。忠信ずに非ざるよりは、すなわち以て親を百姓に取るべき者無し。内外相応ぜざれば、すなわち信を庶民に取るべき者無し。此れ民を治むるの至道たり。官に入るの大道たり、と(孔子家語/第21章)」

3.楽員の一部が、違う楽曲を演奏しているのなら、不協和音が生じるのは当然だ。
  国民の一部が、異なる信教を奉じているのなら、対立するのは目に見えている。
  それぞれが、好きな曲を好きなように演奏してよいなんて、それでも楽団と言えるのか。
  合奏に交ぜてもらいたいなら、後から入った者は、今演奏されている曲を習え。
「また『皆が信仰しているように、お前たちも信仰しなさい』と彼らに言えば、『馬鹿者どもが信仰するように信仰せよと言うのか』などと言う。おお、彼らこそ馬鹿者なのだ。しかもそれが彼らにはわかっていない。彼らは信仰ある人々に会えば、『我々は信仰しています』と言う。しかし、仲間のサタン共と水入らずになれば、『我々は君たちの仲間だ。からかってやっただけだ』などと言う。神こそ彼らをからかっておられるのだ。そして、彼らが無秩序の中を右往左往するのに時をかしておられるのである(コーラン2:13)」

4.即興演奏も確かに魅力的だが、それは皆が忠実に伴奏してくれているから可能なのだ。
  自由は確かに素晴らしいかも知れないが、それは貧しい者の奴隷働きの上にあるのだ。
  一人の自由は多くの犠牲を伴い、皆が自由を要求すれば合奏は崩壊し、害悪となる。
  みなが一斉に自由を放棄し、楽譜を受け入れることで合奏は始まり、演奏は磨かれていく。
「およそ自由の使徒は気にくわなんだ。
どいつもこいつも、自分のやりたいことしか主張しない。
みなを自由にするというなら、お前が進んで彼らに仕えよ。
それがどれだけ辛いことか、やってみるがよい(ゲーテ/ヴェニス警句)」 

5.即興演奏といえども、音律や和声から外れてよいわけではない。
  自由といえども、倫理や物事の運びを無視してよいわけではない。
  即興演奏ができるのは、和声を熟知し、高度な技術を持つものだけではないか。
  道徳も知らず、自制心も持たない者が自由を得れば、周囲は迷惑を被るだけ。
「神から見て最も悪いけだものとは、何も悟らない聾唖者のことである。もし神が、彼らにもよいところがあるのを認め給うたならば、きっと聴こえるようにし給うたであろう。しかし、たとえ聴こえるようにし給うたとしても、彼らは背を向けて立ち去ったことであろう(コーラン8:22)」

6.指揮者なら、みんなが音を出す前に、一つの曲を提案するだろう。
  指導者ならば、皆に意見を言わせる前に、一つの信教を提示するだろう。
  作曲者や調子が異なっても、ちゃんとした音楽なら耳が痛むことはない。
  宗主や教義が異なっても、真理に適う信教ならば、良心が痛むことはない。
「礼楽の情を知る者は能く作る。礼楽の文を識る者は能く述ぶ。作る者を聖と言い、述ぶる者を之明と言う。明聖とは述作するの謂也(礼記/第19章)」

7.和音とは、同じ音を出すことではなく、異なる音を協和させることを言うのだ。
  和合とは、同じ意志を持たせることではなく、互いの意志を譲り合わせることを言うのだ。
  他の音と和するためには、あまり大きな音を出さず、耳を澄ましていなければならない。
  しかし、それよりも先ず、それぞれが正しい音程で奏でるように心がけねばならない。
「君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず(論語/第13章)」

8.ある音との完全な調和を求めるなら、その他の音との調和を諦めねばならない。
  誰か一人と特別に親しくしようとするなら、その他の人との親睦を捨てねばならない。
  特定の調や、特定の和音だけを聞くなら純正律は美しいが、総合的に見れば不均衡だ。
  情和を損ねても、礼を遵えば、どの関係も不愉快に聴こえることはない。
「有子曰く、礼の和を以て貴しと為すは、先王の道も是を美と為す。小大之に拠れば、行はれざる所有り。和を知って和すれども、礼を以て之を節せざれば、また行ふべからざる也、と(論語/第1章)」

9.明らかに音階を持っているならば、協和できる音とできない音とを持つことになる。
  明らかに見解を持っているならば、共感を持てる相手と反発する相手を持つことになる。
  すべての音と融和できるのは、音程の曖昧な打楽器だけだ。
  見解捨てれば、どこでも誰とでも上手くいくが、協和の喜びをも捨てることになる。
「孟子曰く、人は共に責むるに足らず。政は誹するに足らず。唯大人のみ能く君の心の非を匡すことを為す。君仁なれば仁ならざること無く、君義なれば義ならざること無く、君正しければ正しからざること無し。一度君を正しくして而して国定まる、と(孟子/離婁章句上)」

10.一番大きな楽器の音を旋律にすべきだなんて、音楽を知らない者の言うことだ。
  一番数の多い団体が主導するべきだなんて、政治を知らない者の言うことだ。
  音の正しさや美しさは、音量の大小によって決定されるというのかね。
  皆が皆、真っ赤になって音量の大きさだけを競う合奏体なんて、世にもおぞましい光景だ。
「伶州鳩、王に謂ひて曰く、夫れ政は楽に象り、楽は和に従ひ、和は平に従ふ。声は以て楽を和し、律は以て声を平らかにす。細は抑えられ大は凌ぎて、耳に容らざるは、和に非ざる也。声を聴くに越遠なるは、平に非ざる也。正しきを妨げ財を乏しくし、声和平ならざるは、宗官の司る所に非ざる也。夫れ和平の声有れば、すなわち蕃殖の財有り、是に於いて之を導くに中道を以てし、之を詠ずるに中音を以てし、徳音過たず、以て神人合わす。神は之を以て寧く、民は是を以て聴く。若し夫れ財用を乏しくし、民力を疲らして、以て淫心を逞しくし、之を聴くに和せず、之を比ぶるに度ならず、教に益無くして、民を離し神を怒らすは、臣の聴く所に非ざる也、と(国語/第3巻)」
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