1.保水性のある肥沃な土壌よりも、水捌けのよい痩せた土壌の方が良い葡萄を産出する。
けちな金持ちの家よりも、執着のない質素な家の方が、優れた人間を輩出する。
よい土地に植えても、よく手入れをしなければ、薄くて酸っぱい葡萄になる。
子供を害虫や雑草から守り、剪定できる者だけが将来美味い酒を飲むことができる。
「夫れ痩地の民に心有る者多きは、労すれば也。沃地の民に不才なる者多きは、怠なれば也(淮南子/第19巻)
2.雑草を刈り取ってからでなければ、野菜や花の種は蒔けない。
劣悪な風俗を一掃してからでなければ、文化の種は蒔けない。
雑草も、確かに植物だが、花とは言わない。
娯楽も、確かに風俗だが、文化とは言わない。
「悪者どもが青草のように生え出でようと
不法を行う者共がみな栄えようと
それらは彼らが永遠に滅ぼされるためです(詩篇92:7)」
3.他の植物を害さなくても、地面を占めてしまうから雑草は刈り取られる。
他の文化を攻撃しなくても、民の心を奪ってしまうから低俗なものは排除されるのだ。
いくら良い種を蒔いても、それの世話をしなかったり、雑草や害虫を除かないなら収穫もない。
どれだけ学問や芸術を推奨しても、猥褻物や賭博を放置しているなら、全く効果はない。
「耶律楚材常に言ふ、一利を興すは一害を除くに如かず、一事を生ずるは一事を減ずるに如かず、と(十八史略/第7巻)」
4.畑の本当の所有者は、地主ではなく、農夫でもなく、作物だ。
国の本当の支配者は、国王ではなく、民でもなく、文化だ。
誰の登記地で、誰が耕しているかではなく、何が植えられているかが問題なのだ。
領土や主権が保たれていても、外国の文化ばかり育っていれば、征服されているのと同じだ。
5.「オラん家の井戸水を使うんだから、オラの野菜の種を蒔くのが当然だ」と言って
荒れた他人の畑を耕作して、収穫を持ち去るのは、明らかな農地侵犯だ。
「わが国の税金を使うんだから、わが国の企業が受注するのは当然だ」と言って
途上国や戦災国の需要を消化して、市場を占拠するのは明らかな侵略行為だ。
6.田圃と田圃の間には苗を植えない畦や水路があるから、農夫たちは争わずに済む。
国境付近には誰も住まない森や川や山や海や砂漠があるから、一々紛争を起こさずに済む。
欲張って田圃を広げようとすると、水路を壊して田圃を台無しにすることがある。
田圃を広げなくても、やり方次第で、収穫は殖えもするし、味がよくなったりもする。
7.樹を診る者は葉を観、国を診る者は民を観る。
葉や観に現れる病は、樹に原因があるのではないか。
国民に現れる病や犯罪は、国家が患っているからではないか。
樹が病んでいるなら、いくら葉を刈り、薬をやっても効果はあるまい。
「湯曰く、予、言へる有り。人、水を視て形を見、民を視て治不を知る、と。伊曰く、明らかなる哉。言能く聴かれ、道すなわち進む。国に君とし民を子とせよ。善を為す者、皆王官に在れ。勉めよや勉めよや、と。湯曰く、汝、命を敬むこと能はずんば、予大いに之を罰し、赦す所有ること無からん、と(史記/第3巻)
8.水や空気や土が汚染されると、いくら枝葉や幹を大切にしても、樹は害されてしまう。
宗教や風俗や倫理が損なわれると、いくら大切にしても、国民の心は病んでしまう。
草木を守り育てるならば、環境を一番最初に守らねばならない。
生命だの財産だの権利だのを守っても、健全な環境を守らねば、国が滅びるのは避けられない。
「先王、大務有り、其の之を害する者を去る。故に欲する所、以て必ず得、憎む所、以て必ず除く。此れ功業の成る所以也。俗主は然らず。大務有って、而も其の之を害する者を去ること能はず。此れ能く成ること無き所以也。夫れ務を害する者を去ると、去ること能はざるとは、此れ賢不肖の分かるる所以也(呂氏春秋/第24巻)」
9.収穫を増やすために山林を削って農地を拡大すると、獣が田畑を荒らすようになる。
仕事を増やすために倫理を削って欲望を解放すると、ならず者が世にのさばることになる。
人間の都合で山林を削っておいて、獣を田畑から追うのは理不尽というべきではないか。
欲望を制限し、倫理を侵さないことが、自分たちの働きの実りを守ることになる。
「曹参、其の後相に嘱して曰く、齋の獄市を以て寄と為す。慎みて擾すこと勿れ、と。後相曰く、治には此れよりも大なるは無きか、と。参曰く、然らず。夫れ獄市は、併せ容るる所以也。今君之を擾らば、姦人焉んぞ容るる所有らんや。吾是を以て之を先にす、と(史記/第54巻)」
10.穀物は脱穀されてはじめて、人の口に入る糧となる。
志士は私欲を捨ててはじめて、国に役立つ人物となる。
非常に似ているが、苗を育てるなら、雑草は刈り取らねばならない。
あまりにもよく似ているが、義士を育てるならば弁士は駆逐しなければならない。
「神の道のために財産を費やす人々を譬えれば、それぞれ百の穀粒をつけた、七つの穂を出す一個の穀物のようである。神は欲し給う者には数倍にしてお返しになる。神は広大無辺にして、全てを知り給う(コーラン2:261)」
けちな金持ちの家よりも、執着のない質素な家の方が、優れた人間を輩出する。
よい土地に植えても、よく手入れをしなければ、薄くて酸っぱい葡萄になる。
子供を害虫や雑草から守り、剪定できる者だけが将来美味い酒を飲むことができる。
「夫れ痩地の民に心有る者多きは、労すれば也。沃地の民に不才なる者多きは、怠なれば也(淮南子/第19巻)
2.雑草を刈り取ってからでなければ、野菜や花の種は蒔けない。
劣悪な風俗を一掃してからでなければ、文化の種は蒔けない。
雑草も、確かに植物だが、花とは言わない。
娯楽も、確かに風俗だが、文化とは言わない。
「悪者どもが青草のように生え出でようと
不法を行う者共がみな栄えようと
それらは彼らが永遠に滅ぼされるためです(詩篇92:7)」
3.他の植物を害さなくても、地面を占めてしまうから雑草は刈り取られる。
他の文化を攻撃しなくても、民の心を奪ってしまうから低俗なものは排除されるのだ。
いくら良い種を蒔いても、それの世話をしなかったり、雑草や害虫を除かないなら収穫もない。
どれだけ学問や芸術を推奨しても、猥褻物や賭博を放置しているなら、全く効果はない。
「耶律楚材常に言ふ、一利を興すは一害を除くに如かず、一事を生ずるは一事を減ずるに如かず、と(十八史略/第7巻)」
4.畑の本当の所有者は、地主ではなく、農夫でもなく、作物だ。
国の本当の支配者は、国王ではなく、民でもなく、文化だ。
誰の登記地で、誰が耕しているかではなく、何が植えられているかが問題なのだ。
領土や主権が保たれていても、外国の文化ばかり育っていれば、征服されているのと同じだ。
5.「オラん家の井戸水を使うんだから、オラの野菜の種を蒔くのが当然だ」と言って
荒れた他人の畑を耕作して、収穫を持ち去るのは、明らかな農地侵犯だ。
「わが国の税金を使うんだから、わが国の企業が受注するのは当然だ」と言って
途上国や戦災国の需要を消化して、市場を占拠するのは明らかな侵略行為だ。
6.田圃と田圃の間には苗を植えない畦や水路があるから、農夫たちは争わずに済む。
国境付近には誰も住まない森や川や山や海や砂漠があるから、一々紛争を起こさずに済む。
欲張って田圃を広げようとすると、水路を壊して田圃を台無しにすることがある。
田圃を広げなくても、やり方次第で、収穫は殖えもするし、味がよくなったりもする。
7.樹を診る者は葉を観、国を診る者は民を観る。
葉や観に現れる病は、樹に原因があるのではないか。
国民に現れる病や犯罪は、国家が患っているからではないか。
樹が病んでいるなら、いくら葉を刈り、薬をやっても効果はあるまい。
「湯曰く、予、言へる有り。人、水を視て形を見、民を視て治不を知る、と。伊曰く、明らかなる哉。言能く聴かれ、道すなわち進む。国に君とし民を子とせよ。善を為す者、皆王官に在れ。勉めよや勉めよや、と。湯曰く、汝、命を敬むこと能はずんば、予大いに之を罰し、赦す所有ること無からん、と(史記/第3巻)
8.水や空気や土が汚染されると、いくら枝葉や幹を大切にしても、樹は害されてしまう。
宗教や風俗や倫理が損なわれると、いくら大切にしても、国民の心は病んでしまう。
草木を守り育てるならば、環境を一番最初に守らねばならない。
生命だの財産だの権利だのを守っても、健全な環境を守らねば、国が滅びるのは避けられない。
「先王、大務有り、其の之を害する者を去る。故に欲する所、以て必ず得、憎む所、以て必ず除く。此れ功業の成る所以也。俗主は然らず。大務有って、而も其の之を害する者を去ること能はず。此れ能く成ること無き所以也。夫れ務を害する者を去ると、去ること能はざるとは、此れ賢不肖の分かるる所以也(呂氏春秋/第24巻)」
9.収穫を増やすために山林を削って農地を拡大すると、獣が田畑を荒らすようになる。
仕事を増やすために倫理を削って欲望を解放すると、ならず者が世にのさばることになる。
人間の都合で山林を削っておいて、獣を田畑から追うのは理不尽というべきではないか。
欲望を制限し、倫理を侵さないことが、自分たちの働きの実りを守ることになる。
「曹参、其の後相に嘱して曰く、齋の獄市を以て寄と為す。慎みて擾すこと勿れ、と。後相曰く、治には此れよりも大なるは無きか、と。参曰く、然らず。夫れ獄市は、併せ容るる所以也。今君之を擾らば、姦人焉んぞ容るる所有らんや。吾是を以て之を先にす、と(史記/第54巻)」
10.穀物は脱穀されてはじめて、人の口に入る糧となる。
志士は私欲を捨ててはじめて、国に役立つ人物となる。
非常に似ているが、苗を育てるなら、雑草は刈り取らねばならない。
あまりにもよく似ているが、義士を育てるならば弁士は駆逐しなければならない。
「神の道のために財産を費やす人々を譬えれば、それぞれ百の穀粒をつけた、七つの穂を出す一個の穀物のようである。神は欲し給う者には数倍にしてお返しになる。神は広大無辺にして、全てを知り給う(コーラン2:261)」