1.音楽を本当に知っている者なら、雑音に価値を認めたりはしない。
政治を本当に知っている者なら、俗言に権利を認めたりはしない。
どれだけ美しい小鳥の鳴き声も、無調律の音は決して音楽とは認められない。
どれだけ尤もらしい意見も、学問を修めていないなら、政治の世界では通用しない。
「学問は国家を治むる曲尺也。聡明に生まれ得たる者にても、無学にては我流と謂ふものになり、差し支え多く治まり難きもの也。実意の学問、良き師匠を選び怠りなく致すこと也(池田光政日記)」
2.不協和音が鳴っていると、素人にはどっちの音が外れているか識別できない。
不和が生じていても、賢者でなければ、どちらの言い分が間違っているか判別できない。
楽音と雑音の、協和音と不協和音の区別がつかない者に合奏指導はできない。
是論と雑論の、協調と強制の区別がつかない者に共同体の指導はできない。
「神は真理でお裁きになるが、神を差し置いて彼らが崇拝するものは、何も裁くことなどできはしない。まことに神は遍く聞き給うお方、よく通暁し給うお方である(コーラン40:20)」
3.雑音を排除しなければ音楽にならない。俗言を排除しなければ公共体にはならない。
下手な奏者や、雑音が増えてくると、誰が上手なのか聞き取れなくなる。
大衆や商売人の意見が堂々と語られるようになると、正しい意見がわからなくなる。
演奏中に雑音を出すな。会議の場で自分たちの利益のことなど口にするな。
「後世は庶士より公卿に至るまで日に尊栄を志し、農工商、日に富侈を志す。億兆の心、交々利に馳せ、天下紛然たり。之を如何ぞ其れ一つにすべけんや。其れ乱れざるを欲するも難し(近思録/第8巻)」
4.雑音はいくら集まっても、楽音と同じようには扱わない。
個人の利益はどれだけ集まっても、公共の利益とは言わない。
町中では、どんな音も雑音と同じように聞こえる。
信教と言論の自由を認める共同体では、正しい意見も愚痴と同等に扱われる。
「凡そ音は人の心に生ずるもの也。楽は倫理に通ずるもの也。是の故に声を知りて音を知らざる者は禽獣是也。音を知りて楽を知らざる者は衆庶是也。唯君子のみ能く楽を知ると為す。是の故に、声を審らかにして以て音を知り、音を審らかにして以て楽を知り、楽を審らかにして以て政を知る、而して治道備はる。是の故に声を知らざる者は、共に音を言ふべからず。音を知らざる者は、共に楽を言ふべからず。楽を知ればすなわち礼に近し。礼楽皆得、之を有徳と謂ふ(礼記/第19章)」
5.拍子もなく、雑音も楽音も区別しない無調音楽は、楽調のうちに数えられない。
善悪正誤も、私利と公益も分別しない自由主義は、国家体制のうちに数えられない。
いくら転調を繰り返しても、調性が保たれているなら、元の調に戻ることはできる。
一度自由主義を受け入れた国家は、どうやっても、正しい律令体制に戻ることはできない。
6.音痴の人を笑ってはいけない。努力しても治らないことがあるから。
愚昧な人を笑ってはいけない。勉強しても賢くならないことがあるから。
音を外すのは赦してもよいが、雑音を出す者は赦し難い。
間違ったことを言うくらいなら赦せるが、私利私欲で語る者は罰しなければならない。
「なおまた、無知故に悪を行ったが、後になって悔い改め、行いを正した者には、汝の主は、それからは寛容にして慈悲深いお方である(コーラン16:119)」
7.音痴でも歌わなければ誰にも気づかれない。無知でも喋らなければ恥を被ることはない。
大声で歌っている者のすべてが上手なわけではない。ゆく喋る人の全てが正しいわけではない。
一人一人歌わせてみると、実は下手な者がたくさん紛れ込んでいる。
世の中には目も耳も聞こえない学者が紛れ込んでいる。
「人寝てはすなわち盲者も知られず、皆黙してはすなわち唖者も知られず。覚めて之をして視しめ、問ふて之をして答へしめば、すなわち盲唖の者窮せん。其の言を聴かずば、すなわち無術の者知られず、其の身を任ぜずば、すなわち不肖の者知られざらん。其の言を聴きて其の当を求め、其の身を任じて其の功を責むるときは、すなわち無術不肖の者窮せん(韓非子/第46章)
8.一つの外れた音が是認されると、それに伴って他の音も音程から外れることになる。
一つの破戒行為が合法とされると、それにつられてあらゆるところで破戒が発生する。
音律を正すなら、一つだけではなく、すべてを精密に正さねばならない。
親不孝くらい、と思っていると、それが不忠や売国行為を生じさせる原因となる。
「あなたがたは、自分たちの言い伝えを守るために、よくも神の戒めを蔑ろにしたものです。モーゼは、『あなたの父と母を敬え』、また、『父や母を罵る者は、死刑に処せられる』と言っています(マルコ伝7:9)」
9.楽器や交響楽団の調律を正すならば、まず厳密に調整された調律笛をみなに渡す。
個人や公共体の行いを正すならば、決して揺るがされない戒律をみなに与える。
奏者が思い思いに鳴らした音から音律が生まれるなんて、聞いたことがない。
国民や代議士の口から出る言葉で法律ができるなんて、何のための法律なのか。
「孟子曰く、離婁の明、公輸子の巧も、規矩を以てせざれば、方円を成すこと能はず。師広の聡も、六律を持ってせざれば、五音を正すこと能はず。堯舜の道も礼・法を以てせざれば、天下を平治すること能はず。今仁心仁聞有りて、而も民其の沢を被らず、後世に則るべからざる者は、先王の道を行はざれば也。故に曰く、徒善は以て政を為すに足らず、徒法は以て自ら行はるること能はず、と。詩に曰く、誤らず忘れず、旧習に順ひ由る、と。先王の法に遵ひて過つ者は、今だ之有らざる也。聖人既に目の力を尽くし、之に継ぐに規矩準縄を以てす。以て方円平直を為すこと、用ふるに耐ふべからず。既に耳の力を尽くし、之に継ぐに六律を以てす。五音を正すこと、用ふるに耐ふべからず。既に心思を尽くし、之に継ぐに忍びざるの政を以てす。而して仁、天下を覆ふ。故に曰く、高きを為すには丘陵に拠り、低きを為すには必ず川沢に拠る、と。政を為すに先王の道に拠らずんば、智と謂ふべけんや(孟子/離婁章句上)」
10.管楽器は主管の変ロ音を調律すればそれで大抵の音が正される。
大半の国民は、良心の源泉となる一つの信仰を持たせれば、それで過ち無く生きてゆける。
基本であわせなければ効果がなく、基本が外れているとすべてが狂う。
神を信じる者の言行は大概正しいが、信じない者の言行はすべて見当はずれだ。
「主の御名は聖であり、畏れ多い。
主を畏れることは、知恵のはじめ。
これを行う人はみな、よい明察を得る。
主の誉れは永遠に堅く立つ(詩篇111:9)」
政治を本当に知っている者なら、俗言に権利を認めたりはしない。
どれだけ美しい小鳥の鳴き声も、無調律の音は決して音楽とは認められない。
どれだけ尤もらしい意見も、学問を修めていないなら、政治の世界では通用しない。
「学問は国家を治むる曲尺也。聡明に生まれ得たる者にても、無学にては我流と謂ふものになり、差し支え多く治まり難きもの也。実意の学問、良き師匠を選び怠りなく致すこと也(池田光政日記)」
2.不協和音が鳴っていると、素人にはどっちの音が外れているか識別できない。
不和が生じていても、賢者でなければ、どちらの言い分が間違っているか判別できない。
楽音と雑音の、協和音と不協和音の区別がつかない者に合奏指導はできない。
是論と雑論の、協調と強制の区別がつかない者に共同体の指導はできない。
「神は真理でお裁きになるが、神を差し置いて彼らが崇拝するものは、何も裁くことなどできはしない。まことに神は遍く聞き給うお方、よく通暁し給うお方である(コーラン40:20)」
3.雑音を排除しなければ音楽にならない。俗言を排除しなければ公共体にはならない。
下手な奏者や、雑音が増えてくると、誰が上手なのか聞き取れなくなる。
大衆や商売人の意見が堂々と語られるようになると、正しい意見がわからなくなる。
演奏中に雑音を出すな。会議の場で自分たちの利益のことなど口にするな。
「後世は庶士より公卿に至るまで日に尊栄を志し、農工商、日に富侈を志す。億兆の心、交々利に馳せ、天下紛然たり。之を如何ぞ其れ一つにすべけんや。其れ乱れざるを欲するも難し(近思録/第8巻)」
4.雑音はいくら集まっても、楽音と同じようには扱わない。
個人の利益はどれだけ集まっても、公共の利益とは言わない。
町中では、どんな音も雑音と同じように聞こえる。
信教と言論の自由を認める共同体では、正しい意見も愚痴と同等に扱われる。
「凡そ音は人の心に生ずるもの也。楽は倫理に通ずるもの也。是の故に声を知りて音を知らざる者は禽獣是也。音を知りて楽を知らざる者は衆庶是也。唯君子のみ能く楽を知ると為す。是の故に、声を審らかにして以て音を知り、音を審らかにして以て楽を知り、楽を審らかにして以て政を知る、而して治道備はる。是の故に声を知らざる者は、共に音を言ふべからず。音を知らざる者は、共に楽を言ふべからず。楽を知ればすなわち礼に近し。礼楽皆得、之を有徳と謂ふ(礼記/第19章)」
5.拍子もなく、雑音も楽音も区別しない無調音楽は、楽調のうちに数えられない。
善悪正誤も、私利と公益も分別しない自由主義は、国家体制のうちに数えられない。
いくら転調を繰り返しても、調性が保たれているなら、元の調に戻ることはできる。
一度自由主義を受け入れた国家は、どうやっても、正しい律令体制に戻ることはできない。
6.音痴の人を笑ってはいけない。努力しても治らないことがあるから。
愚昧な人を笑ってはいけない。勉強しても賢くならないことがあるから。
音を外すのは赦してもよいが、雑音を出す者は赦し難い。
間違ったことを言うくらいなら赦せるが、私利私欲で語る者は罰しなければならない。
「なおまた、無知故に悪を行ったが、後になって悔い改め、行いを正した者には、汝の主は、それからは寛容にして慈悲深いお方である(コーラン16:119)」
7.音痴でも歌わなければ誰にも気づかれない。無知でも喋らなければ恥を被ることはない。
大声で歌っている者のすべてが上手なわけではない。ゆく喋る人の全てが正しいわけではない。
一人一人歌わせてみると、実は下手な者がたくさん紛れ込んでいる。
世の中には目も耳も聞こえない学者が紛れ込んでいる。
「人寝てはすなわち盲者も知られず、皆黙してはすなわち唖者も知られず。覚めて之をして視しめ、問ふて之をして答へしめば、すなわち盲唖の者窮せん。其の言を聴かずば、すなわち無術の者知られず、其の身を任ぜずば、すなわち不肖の者知られざらん。其の言を聴きて其の当を求め、其の身を任じて其の功を責むるときは、すなわち無術不肖の者窮せん(韓非子/第46章)
8.一つの外れた音が是認されると、それに伴って他の音も音程から外れることになる。
一つの破戒行為が合法とされると、それにつられてあらゆるところで破戒が発生する。
音律を正すなら、一つだけではなく、すべてを精密に正さねばならない。
親不孝くらい、と思っていると、それが不忠や売国行為を生じさせる原因となる。
「あなたがたは、自分たちの言い伝えを守るために、よくも神の戒めを蔑ろにしたものです。モーゼは、『あなたの父と母を敬え』、また、『父や母を罵る者は、死刑に処せられる』と言っています(マルコ伝7:9)」
9.楽器や交響楽団の調律を正すならば、まず厳密に調整された調律笛をみなに渡す。
個人や公共体の行いを正すならば、決して揺るがされない戒律をみなに与える。
奏者が思い思いに鳴らした音から音律が生まれるなんて、聞いたことがない。
国民や代議士の口から出る言葉で法律ができるなんて、何のための法律なのか。
「孟子曰く、離婁の明、公輸子の巧も、規矩を以てせざれば、方円を成すこと能はず。師広の聡も、六律を持ってせざれば、五音を正すこと能はず。堯舜の道も礼・法を以てせざれば、天下を平治すること能はず。今仁心仁聞有りて、而も民其の沢を被らず、後世に則るべからざる者は、先王の道を行はざれば也。故に曰く、徒善は以て政を為すに足らず、徒法は以て自ら行はるること能はず、と。詩に曰く、誤らず忘れず、旧習に順ひ由る、と。先王の法に遵ひて過つ者は、今だ之有らざる也。聖人既に目の力を尽くし、之に継ぐに規矩準縄を以てす。以て方円平直を為すこと、用ふるに耐ふべからず。既に耳の力を尽くし、之に継ぐに六律を以てす。五音を正すこと、用ふるに耐ふべからず。既に心思を尽くし、之に継ぐに忍びざるの政を以てす。而して仁、天下を覆ふ。故に曰く、高きを為すには丘陵に拠り、低きを為すには必ず川沢に拠る、と。政を為すに先王の道に拠らずんば、智と謂ふべけんや(孟子/離婁章句上)」
10.管楽器は主管の変ロ音を調律すればそれで大抵の音が正される。
大半の国民は、良心の源泉となる一つの信仰を持たせれば、それで過ち無く生きてゆける。
基本であわせなければ効果がなく、基本が外れているとすべてが狂う。
神を信じる者の言行は大概正しいが、信じない者の言行はすべて見当はずれだ。
「主の御名は聖であり、畏れ多い。
主を畏れることは、知恵のはじめ。
これを行う人はみな、よい明察を得る。
主の誉れは永遠に堅く立つ(詩篇111:9)」