2008年12月29日、国立霞ヶ丘競技場(旧・国立競技場)で催された「高円宮杯第20回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会(現・高円宮杯JFA全日本U-15サッカー選手権大会)」決勝。
早川史哉や斎藤恭志たちのアルビレックス新潟ジュニアユース(現・アルビレックス新潟U-15)がこの舞台に立ち、橋本拳人らを擁するFC東京U-15と日本一の座を争って激突。
結果は、0対1、戴冠したのは東京でした。
2011年8月12日、J-GREEN堺で催された「第16回全日本女子ユース(U-15)サッカー選手権大会(現・高円宮妃杯JFA全日本U-15女子サッカー選手権大会)」決勝。
瀧澤莉央・瀬倉春陽・池田玲奈・千野七海、そして高橋智子たちのアルビレックス新潟レディースU-15が勝ち進み、塩越柚歩・南萌華・木崎あおい・長野風花らを擁する浦和レッドダイヤモンズレディースジュニアユースと決戦。
結果は、0対0、PK方式3対4、栄冠は浦和に。
2008シーズンのアルビレックス新潟は開幕当時から低迷し、残留か降格かの綱渡り飛行。
最終節の対G大阪戦、内田潤のサヨナラゴールで劇的に残留を手繰り寄せた、そんなシーズンでした。
そんなシーズンに、アルビレックス新潟ジュニアユースが国立で全国ファイナル。
自然と「アルビレックス新潟も天皇杯全日本選手権か、Jリーグヤマザキナビスコカップの決勝に駒を進めて、同じ国立で!」という思いがもたげましたが、そのシーズンの体たらくを見るにつけ、その願いは夢物語としか感じられなかったのも、また事実。
2011シーズンのアルビレックス新潟はシーズン半ば迄は良かったものの、失速。
天皇杯全日本選手権では、“格下”も“格下”の松本山雅FCに、デンカビッグスワンスタジアムで黒星。
「アルビレックス新潟ジュニアユースに続いて、アルビレックス新潟レディースU-15も決勝に行ったんだ、アルビレックス新潟もタイトル行ける」と高まった意欲は、3か月もしないうちに急低下。
口では、或いは指先では「アルビレックス新潟 タイトルを!」とぶち上げながらも、生きているうちはタイトルどころか決勝も無理だろう、と内心は観念していたのが偽らざる本音。
きっと新潟応援者の全員が、表立っては「タイトルを」と標榜しながらも、現実味のある目標だとは自身に落とし込めなかったのではあるまいか。
J2リーグに降格し、すぐには再昇格を果たせなかったから猶更。
けれどもジュニアユースとレディースU-15が全国決勝を経験して10年以上が過ぎて、紆余曲折、上昇下降を経て、ようやくのタイトル獲得まであと一歩のところまで。
長かった、実に長かった。
早川史哉や斎藤恭志たちのアルビレックス新潟ジュニアユース(現・アルビレックス新潟U-15)がこの舞台に立ち、橋本拳人らを擁するFC東京U-15と日本一の座を争って激突。
結果は、0対1、戴冠したのは東京でした。
2011年8月12日、J-GREEN堺で催された「第16回全日本女子ユース(U-15)サッカー選手権大会(現・高円宮妃杯JFA全日本U-15女子サッカー選手権大会)」決勝。
瀧澤莉央・瀬倉春陽・池田玲奈・千野七海、そして高橋智子たちのアルビレックス新潟レディースU-15が勝ち進み、塩越柚歩・南萌華・木崎あおい・長野風花らを擁する浦和レッドダイヤモンズレディースジュニアユースと決戦。
結果は、0対0、PK方式3対4、栄冠は浦和に。
2008シーズンのアルビレックス新潟は開幕当時から低迷し、残留か降格かの綱渡り飛行。
最終節の対G大阪戦、内田潤のサヨナラゴールで劇的に残留を手繰り寄せた、そんなシーズンでした。
そんなシーズンに、アルビレックス新潟ジュニアユースが国立で全国ファイナル。
自然と「アルビレックス新潟も天皇杯全日本選手権か、Jリーグヤマザキナビスコカップの決勝に駒を進めて、同じ国立で!」という思いがもたげましたが、そのシーズンの体たらくを見るにつけ、その願いは夢物語としか感じられなかったのも、また事実。
2011シーズンのアルビレックス新潟はシーズン半ば迄は良かったものの、失速。
天皇杯全日本選手権では、“格下”も“格下”の松本山雅FCに、デンカビッグスワンスタジアムで黒星。
「アルビレックス新潟ジュニアユースに続いて、アルビレックス新潟レディースU-15も決勝に行ったんだ、アルビレックス新潟もタイトル行ける」と高まった意欲は、3か月もしないうちに急低下。
口では、或いは指先では「アルビレックス新潟 タイトルを!」とぶち上げながらも、生きているうちはタイトルどころか決勝も無理だろう、と内心は観念していたのが偽らざる本音。
きっと新潟応援者の全員が、表立っては「タイトルを」と標榜しながらも、現実味のある目標だとは自身に落とし込めなかったのではあるまいか。
J2リーグに降格し、すぐには再昇格を果たせなかったから猶更。
けれどもジュニアユースとレディースU-15が全国決勝を経験して10年以上が過ぎて、紆余曲折、上昇下降を経て、ようやくのタイトル獲得まであと一歩のところまで。
長かった、実に長かった。