アルビレックス新潟トップチームからガンバ大阪へと移籍してしまった東口順昭(まさあき)に関する例の記事を読んだ瞬間は、みなさんもでしょうが、絶句しました。
読み間違いかと、5度6度、あの文章を繰り返し読んではみたものの、書かれている文字は確かに<新潟の提示した条件は大阪と同等以上>。
G大阪の年俸が新潟のそれを上回るのであれば、悔しくて仕方ないけども“しょうがない、こればっかりは”と諦めをつけられます。
でも、そうじゃなかった。
アルビレックス新潟の〝泣きどころ〟である人件費の低さが、東口の慰留失敗に結びついたのではないと知ったときは、却って強い衝撃を受けて。
この事実を筆者は上手く〝消化〟することが出来ず、こうして気持ちを綴るまで時間を要してしまい。
現在は、東口の気持ちがなんとなく、いえ、十分に理解できるまでに持ち直しています。
有名な新潟サポーターさんが、東口へのガ大阪からの獲得申し出の新聞記事が出る度、ブログやツイッターで“ジュニアユースからユースへと昇格させたなかったガンバ大阪に、東口が戻りたがるわけないだろ”という主張を書かれてましたが、そうだよなと思う反面、その見方に違和感も覚えてました。
違和感の正体は分からなかったけど。
でも、あの記事を読んで腑に落ちましたわ。
清原和博、元プロ野球選手。
彼は高校卒業を控えてのドラフト会議前、読売ジャイアンツに入団したい旨を強く訴えていて、読売側も高校野球界のスーパースターを指名するような素振りを見せたのに、実際に1位指名したのは、同じPL学園高校の桑田真澄。
〝振られた〟清原は埼玉西武ライオンズに入団し、後年、プロ野球日本選手権シリーズで読売と対戦。
そして、あとアウト1つ取れば日本一という瞬間、守っていた一塁で涙を流した。
それだけ、自分を袖にした読売が憎くて、見返してやろうという気持ちが募っていたということ。
が、清原はフリーエージェントの権利を行使して、ライオンズからジャイアンツに移籍。
自分の気持ちを知っていながらドラフト指名してくれなかった球団であっても、憧れは憧れで変わらなかった、ということ。
中村俊輔、2013Jリーグ最優秀選手。
横浜マリノスジュニアユースから横浜マリノスユースへの昇格は、その身体の小ささから叶えてもらえなかった。
ジュニアユース時代は、中心選手として大活躍して、全国優勝という結果を残したにも拘わらず。
でも、高校3年生のときに“是非うちへ”と横浜マリノスに勧誘されて入団。
俺のこと、昇格させなかったくせに、と拒否することはなかった。
そして欧州クラブから日本に復帰するときも、横浜F・マリノスを第一に考えて契約を締結。
自分のことを〝要りません〟と言った団体に、普通なら良い感情を抱き続けられないもの。
自然、見返してやろうという気持ちが芽生えるけども、その見返し方は-
①相手の方から是非とも来てくださいと頭を下げさせる
②競合する団体の立場から、自分を振った団体に煮え湯を飲ませ、あのとき取っていたらと思わせ続ける
-という2種類あると思うんです。
東口にとっては、①だったんですよ。
清原や俊輔のように。
しかし、とかく人間は②が〝ありがち〟だと思ってしまう。
でも実は、①の感情は決して珍しいことではないんでしょう。
Jクラブのユースからプロチームに昇格させてもらえず、大学に進学してそして出身のJクラブに加入するサッカー選手が、ざらにいます。
東口のは、これのより紆余曲折版、みたいなものなんでしょうな。
東口がアルビレックス新潟に、新潟経営大学に、新潟という土地に恩義と愛着を感じているのは事実。
でもそれを凌駕するガ大阪への憧れが、愛憎が、彼の中に消えずに残っていたと。
移籍金1億円を残して、早々に新潟を去る決断を下したのは、せめてもの新潟への謝辞と義理ということ。
週刊サッカーダイジェストの記事は、脳天を一撃する衝撃をもたらしたけど、東口の気持ちが、なんとはなしに推理できて、読んで良かったです。
でもだからって、東口の移籍、自分のわだかまりは消えませんけどね。
そうはいっても、残ってほしかった。
読み間違いかと、5度6度、あの文章を繰り返し読んではみたものの、書かれている文字は確かに<新潟の提示した条件は大阪と同等以上>。
G大阪の年俸が新潟のそれを上回るのであれば、悔しくて仕方ないけども“しょうがない、こればっかりは”と諦めをつけられます。
でも、そうじゃなかった。
アルビレックス新潟の〝泣きどころ〟である人件費の低さが、東口の慰留失敗に結びついたのではないと知ったときは、却って強い衝撃を受けて。
この事実を筆者は上手く〝消化〟することが出来ず、こうして気持ちを綴るまで時間を要してしまい。
現在は、東口の気持ちがなんとなく、いえ、十分に理解できるまでに持ち直しています。
有名な新潟サポーターさんが、東口へのガ大阪からの獲得申し出の新聞記事が出る度、ブログやツイッターで“ジュニアユースからユースへと昇格させたなかったガンバ大阪に、東口が戻りたがるわけないだろ”という主張を書かれてましたが、そうだよなと思う反面、その見方に違和感も覚えてました。
違和感の正体は分からなかったけど。
でも、あの記事を読んで腑に落ちましたわ。
清原和博、元プロ野球選手。
彼は高校卒業を控えてのドラフト会議前、読売ジャイアンツに入団したい旨を強く訴えていて、読売側も高校野球界のスーパースターを指名するような素振りを見せたのに、実際に1位指名したのは、同じPL学園高校の桑田真澄。
〝振られた〟清原は埼玉西武ライオンズに入団し、後年、プロ野球日本選手権シリーズで読売と対戦。
そして、あとアウト1つ取れば日本一という瞬間、守っていた一塁で涙を流した。
それだけ、自分を袖にした読売が憎くて、見返してやろうという気持ちが募っていたということ。
が、清原はフリーエージェントの権利を行使して、ライオンズからジャイアンツに移籍。
自分の気持ちを知っていながらドラフト指名してくれなかった球団であっても、憧れは憧れで変わらなかった、ということ。
中村俊輔、2013Jリーグ最優秀選手。
横浜マリノスジュニアユースから横浜マリノスユースへの昇格は、その身体の小ささから叶えてもらえなかった。
ジュニアユース時代は、中心選手として大活躍して、全国優勝という結果を残したにも拘わらず。
でも、高校3年生のときに“是非うちへ”と横浜マリノスに勧誘されて入団。
俺のこと、昇格させなかったくせに、と拒否することはなかった。
そして欧州クラブから日本に復帰するときも、横浜F・マリノスを第一に考えて契約を締結。
自分のことを〝要りません〟と言った団体に、普通なら良い感情を抱き続けられないもの。
自然、見返してやろうという気持ちが芽生えるけども、その見返し方は-
①相手の方から是非とも来てくださいと頭を下げさせる
②競合する団体の立場から、自分を振った団体に煮え湯を飲ませ、あのとき取っていたらと思わせ続ける
-という2種類あると思うんです。
東口にとっては、①だったんですよ。
清原や俊輔のように。
しかし、とかく人間は②が〝ありがち〟だと思ってしまう。
でも実は、①の感情は決して珍しいことではないんでしょう。
Jクラブのユースからプロチームに昇格させてもらえず、大学に進学してそして出身のJクラブに加入するサッカー選手が、ざらにいます。
東口のは、これのより紆余曲折版、みたいなものなんでしょうな。
東口がアルビレックス新潟に、新潟経営大学に、新潟という土地に恩義と愛着を感じているのは事実。
でもそれを凌駕するガ大阪への憧れが、愛憎が、彼の中に消えずに残っていたと。
移籍金1億円を残して、早々に新潟を去る決断を下したのは、せめてもの新潟への謝辞と義理ということ。
週刊サッカーダイジェストの記事は、脳天を一撃する衝撃をもたらしたけど、東口の気持ちが、なんとはなしに推理できて、読んで良かったです。
でもだからって、東口の移籍、自分のわだかまりは消えませんけどね。
そうはいっても、残ってほしかった。