景信山のあまりの賑わいに、早々に小仏峠に下ります。
意外に荒れた急な山道をゆっくりと下ります。
歩きにくい嫌な下り道でした。12:50に小仏峠-548mに到着。
小仏峠(こぼとけとうげ)は東京都八王子市と神奈川県相模原市緑区の間にある峠。高尾山の北側山麓を貫き、
旧甲州街道(東京都道・神奈川県道516号浅川相模湖線)のルートに指定されている。1569年(永禄12年)に
武田信玄が関東地方へ遠征した際、別動隊の小山田信茂は甲斐国大月から八王子に向かった。これを迎え撃
つ滝山城の北条氏照は、当時一般的な経路だった奥多摩方面からの侵入を予想して戸倉城などに兵を派遣し
ている。しかし小山田隊は小仏峠を越えてきたため、不意をつかれた北条軍は滝山城に籠城することになった
(廿里の戦い)。その後、小仏峠は甲斐国と武蔵国を結ぶ要路となり、滝山城の機能は新設の八王子城に転換
し八王子の地名の由来となった。廃城の後は関所が置かれた。特に富士参詣の行者がここを越えることから、
富士関とも呼ばれていた。江戸時代には甲州街道のルートに指定されて交通の要所となり、小仏関が置かれた。
しかし勾配が急で車道化が困難であったため、1888年(明治21年)に当時の国道16号(現在の国道20号)は
大垂水峠を経由するルートへ変更された。これによって小仏峠を通る通行者は激減した。高尾山・陣馬山など
の周辺の山々を巡るハイキングコースの要衝となっており、訪れる観光客は多い。峠にはかつて茶店があった
が、営業休止中で廃屋と化している。
閑散とした小仏峠のタヌキ像に挨拶し、城山に登り返します。相模湖が左下に見えてきました。
ここで二組の捜索隊と遭遇。少年が行方不明とのことで高尾山各所で捜索が続いていました。
障害のある15歳が9月4日にケーブル駅で見掛けられた以降どうなりましたか、気になります。
13:15に城山-630mに出ました。名物のかき氷はパスして高尾山に向かいます。
城山の下りから木道階段が続きます。登山者としては嫌な道です。
13:30に一丁平展望台に到着。ハイカーや観光客に賑わっています。
一丁平園地でしょうか。居心地良さそうな緑地公園です。
木道階段を下った後、鞍部から高尾山に高低差140m程の登り返しになります。
ここも階段道が続き、疲れる縦走路です。
13:55にもみじ平-550mに到着して一息入れます。
更に高尾山まで階段道を登り詰めます。
14:00に高尾山-599mに到着。月曜日でも結構賑わっています。
高尾山(たかおさん)は、東京都八王子市にある標高599mの山。東京都心から近く、年間を通して多くの観光客
や登山者が訪れる。古くから修験道の霊山とされた。真言宗智山派大本山高尾山薬王院有喜寺の寺域となって
いる。高尾山という名前から真言密教の聖地の一つ・京都高雄山神護寺に見立てられたこともあり、天然の森林
が守られてきた。中世には、八王子城(慈護寺城)主北条氏康・北条氏照親子がこの山を保護し、氏照による
「本山の竹木の伐採を禁じる」という制札が薬王院に残されている。江戸時代にも幕府直轄領となり八王子代官・
大久保長安が山林保護政策をとり、その書状が同じく薬王院に残されている。その後も帝室御料林、国有林と
常に保護されてきた。明治以降、多くの研究者により高尾山が最初の発見地として新しい植物が発表された。
今日一日の展望は低い雲に覆われたままで富士山も見えず残念。
薬王院に立寄りながらゆっくりと下山します。
参拝者や観光客がゾロゾロと登ってきます。
やはり夕景のビヤガーデンや夜景観光目当てでしょうか。
お土産を抱えた外人グループも多く見受けられます。
最後の展望を確認して下山路に入ります。
14:40に琵琶滝経由の下山路に入りました。
すでに薄暗く荒れた登山道で、慎重に下ります。
整備が手抜きされたような印象の自然探求路です。
分岐点を右折して琵琶滝に立ち寄ります。
15:00に琵琶滝に出ました。大聖不動明王の水行道場です。
その先の岩屋大師に立ち寄ります。
15:10に自然研究路登山口に出ました。
舗装林道を下って高尾山ケーブルの清滝駅に向かいます。
これから高尾山に登る人達が乗ったケーブルカーを通過。
15:15に土産店通りの清滝駅に到着。しばし休憩して小腹を満たします。
ここからJR高尾駅まで国道を歩きます。
国道歩きを経て15:50に高尾駅-170mに帰着。
高低差690m、6.5時間、39000歩の近場の縦走ハイキングでした。
次は月例山行で菜畑山-今倉山に出掛けます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます