7:30起床、8時から朝食。強行軍に備えて沢山頂きます。
深夜便移動に変更されたため、11:30までフリータイム。
デパート内のスーパー等で土産品物色。
11:30にホテルを出発。
快適なホテルと連日の快晴に感謝。
【10/17、ホテル-玉門関-漢代長城-西千仏洞-白馬塔-敦煌空港-西安空港-ホテル】
葡萄の葉が艶やかなレストランで昼食。
玉門関に向かいます。街灯は天女の姿です。
郊外のゴビ砂漠を走行。
観光エリアの門でチェックを受けます。
世界遺産・玉門関に14:20到着。
玉門関(ぎょくもんかん)は甘粛省敦煌市の北西約90kmにある、かつて建設されたシルクロードの重要
な堅固な関所の1つ。漢と唐2度に渡り建立された。現存する玉門関遺跡は唐代のもので、俗称は小方盤城。
元来は漢代に武帝が河西回廊を防衛する目的で、長城をこの地域に建設し紀元前108年から107年にその
最西端に建造されたとされる。その後、六朝時代には交通の要綱として栄え、唐代に再建された際は安西
の東側に建設された。同じく南西に設置された陽関とともに、西域交通で北ルートを通ると玉門関、南
ルートでは陽関を通過していた。宋代になって西域交通が衰え衰退した。古代より文化人が辺境の地での
戦いや孤独な生活を思い詠嘆する地で、2014年にシルクロード:長安-天山回廊の交易路網の構成資産と
してユネスコの世界遺産リスト登録物件に含まれた。
かってのシルクロード跡。
周辺にあった関所の長城類は消失しています。
四角い土塁を一回りして当時を偲びます。
漢代長城に10分程で移動。
玉門関の西から疏勒河の南岸に沿い、安西縣北湖、金塔縣まで延々と築かれた漢代の長城。2000年に
わたって風触されたため現在残された部分は少なく、玉門関付近が最も保存状態がよい。植物に砂を挟
んで積み上げたもので、最も高いところで4m程。紀元前121年、酒泉郡が設けられた後に、漢武帝は
令居(今の永登)の以西の亭、障、塞を建てはじめた。塞は長城、烽火台で大きいのは障、小さいのは
亭と呼ばれる。候官と候長から兵士を率いて守備し、開墾することと辺境を守る二重の任務を負った。
烽火台まで歩いて見学。
砂と葦や紅柳、胡柳を層にして固めた長城、間に烽火台がつくられています。
敦煌に戻りながら西千仏洞を見学。
一時間程で西千仏洞に到着。窟内撮影禁止。
敦煌市から西南に約35kmの、党河の流れる断崖上にある石窟で、莫高窟の西にあることから西千仏洞と
呼ばれる。現存する石窟は合計19ヶ所で、莫高窟と同系列の様式の北魏と唐の壁画は大半が破損している。
施錠された06~09窟の仏像、壁画を見学。
党河の流れる断崖。
党河と砂漠の山並み。
敦煌近くの白馬塔に向かいます。
映画・敦煌で作られた敦煌古城。
17:40に白馬塔に到着。
白馬塔は386年に建てられ、敦煌市の西に2km程の七里鎮白馬塔村にある。甘粛省の重点文物保護地に
指定され、4世紀末頃、亀茲国出身の高僧-鳩摩羅什(クマラジーヴァ)が敦煌を訪れた際、経典を積んで
いた白馬が死んでしまったことを悼み建立されたといわれている。
帰りかけた土産店の叔母ちゃん達が慌てて店を広げました。
白馬塔を一周し、せっかくなので叔母ちゃん達から影絵等を購入。
川沿いのビューポイントで撮影タイム。
静かな川面に映える塔。
敦煌最後の夕日を鑑賞しました。
ホテルに戻って18:30から夕食。
深夜までお腹が空かないようしっかりと頂きます。
しばし出発までフリータイム。
深夜便変更のお影でたっぷりと滞在できました。21:30に敦煌空港へ移動。
22時に敦煌空港に到着。
23:20発の西安行きに搭乗します。
予定時刻に離陸できて一安心。
西安まで所要時間2時間25分です。
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