熊 今日はどこに出没!!

今日はどこへ行こうかな 

シルクロード・敦煌から西安へ

2016年10月29日 | 旅行

7:30起床、8時から朝食。強行軍に備えて沢山頂きます。

深夜便移動に変更されたため、11:30までフリータイム。

   

デパート内のスーパー等で土産品物色。

11:30にホテルを出発。

快適なホテルと連日の快晴に感謝。

【10/17、ホテル-玉門関-漢代長城-西千仏洞-白馬塔-敦煌空港-西安空港-ホテル】

葡萄の葉が艶やかなレストランで昼食。

  

玉門関に向かいます。街灯は天女の姿です。

  

郊外のゴビ砂漠を走行。

観光エリアの門でチェックを受けます。

  

世界遺産・玉門関に14:20到着。

玉門関(ぎょくもんかん)は甘粛省敦煌市の北西約90kmにある、かつて建設されたシルクロードの重要
な堅固な関所の1つ。漢と唐2度に渡り建立された。現存する玉門関遺跡は唐代のもので、俗称は小方盤城。
元来は漢代に武帝が河西回廊を防衛する目的で、長城をこの地域に建設し紀元前108年から107年にその
最西端に建造されたとされる。その後、六朝時代には交通の要綱として栄え、唐代に再建された際は安西
の東側に建設された。同じく南西に設置された陽関とともに、西域交通で北ルートを通ると玉門関、南
ルートでは陽関を通過していた。宋代になって西域交通が衰え衰退した。古代より文化人が辺境の地での
戦いや孤独な生活を思い詠嘆する地で、2014年にシルクロード:長安-天山回廊の交易路網の構成資産と
てユネスコの世界遺産リスト登録物件に含まれた。

   

かってのシルクロード跡。

   

周辺にあった関所の長城類は消失しています。

四角い土塁を一回りして当時を偲びます。

漢代長城に10分程で移動。

玉門関の西から疏勒河の南岸に沿い、安西縣北湖、金塔縣まで延々と築かれた漢代の長城。2000年に
わたって風触されたため現在残された部分は少なく、玉門関付近が最も保存状態がよい。植物に砂を挟
んで積み上げたもので、最も高いところで4m程。紀元前121年、酒泉郡が設けられた後に、漢武帝は
令居(今の永登)の以西の亭、障、塞を建てはじめた。塞は長城、烽火台で大きいのは障、小さいのは
亭と呼ばれる。候官と候長から兵士を率いて守備し、
開墾することと辺境を守る二重の任務を負った。

  

烽火台まで歩いて見学。

   

砂と葦や紅柳、胡柳を層にして固めた長城、間に烽火台がつくられています。

敦煌に戻りながら西千仏洞を見学。

一時間程で西千仏洞に到着。窟内撮影禁止。

敦煌市から西南に約35kmの、党河の流れる断崖上にある石窟で、莫高窟の西にあることから西千仏洞と
呼ばれる。現存する石窟は合計19ヶ所で、莫高窟と同系列の様式の北魏と唐の壁画は
大半が破損している。

   

施錠された06~09窟の仏像、壁画を見学。

   

党河の流れる断崖。

   

党河と砂漠の山並み。

   

敦煌近くの白馬塔に向かいます。

   

映画・敦煌で作られた敦煌古城。

17:40に白馬塔に到着。

白馬塔は386年に建てられ、敦煌市の西に2km程の七里鎮白馬塔村にある。甘粛省の重点文物保護地に
指定され、4世紀末頃、亀茲国出身の高僧-鳩摩羅什(クマラジーヴァ)が敦煌を訪れた
際、経典を積んで
いた白馬が死んでしまったことを悼み建立されたといわれている。

   

帰りかけた土産店の叔母ちゃん達が慌てて店を広げました。

白馬塔を一周し、せっかくなので叔母ちゃん達から影絵等を購入。

川沿いのビューポイントで撮影タイム。

  

静かな川面に映える塔。

敦煌最後の夕日を鑑賞しました。

ホテルに戻って18:30から夕食。

深夜までお腹が空かないようしっかりと頂きます。

しばし出発までフリータイム。

   

深夜便変更のお影でたっぷりと滞在できました。21:30に敦煌空港へ移動。

22時に敦煌空港に到着。

    

23:20発の西安行きに搭乗します。

   

予定時刻に離陸できて一安心。

西安まで所要時間2時間25分です。


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