大阪にある実家の家紋は、丸に揚羽蝶。
とっても気に入っています。
私の喪服にも、この家紋を入れてあります。
そこで少し調べましたら
※蝶 紋
蝶は、同種であっても羽化する時期で翔の形や斑紋まで違う。まさに造化の神秘。この蝶をもっともみごとに文様に採り入れたのが平家の公達であった。彼らは鎧や兜の裾金物や、直垂などに蝶の文様をつけた。「平家物語」や「源平盛衰記」などにさかんに出てくる。これらの文様が後に家紋に転化していった。ことに平清盛流の者が多用したので後世、蝶は清盛流の代表紋になった。しかし、その美しさで他の家も多く用いている。(丸に揚羽蝶)
【主な使用家】
平家の代表紋のようにされている。たしかに平家流の公家の西洞院、平松、交野の諸氏は揚羽蝶を家紋にしている。また戦国時代・江戸時代に平氏を称する家はほとんど蝶紋を用いている。しかし、清和源氏流の中川、池田、逸見、窪田の諸氏、宇多源氏の建部、間宮、喜多村の諸氏、ほかにも藤原氏流の諸家も蝶紋を用いている。平氏の子孫を称した織田氏も木瓜紋とともに蝶紋をしようしていた。
蝶
石持地抜き揚羽蝶
対い蝶
かげ大割揚羽蝶
変わり揚羽蝶
中かげ揚羽蝶
斜向い胡蝶
蝶の星
頭合せ三つ寄
・・・など
あんまし分からなかったけど、平家云々と言うのは、聞いたことがあるし、ご先祖様は、○万石かのお殿様だった。という様な話しも聞いたことがあります。
父は、滋賀県出身で私が生まれた時には、もうお祖父ちゃんは亡くなっていました。お祖母ちゃんは、父と母が結婚をする時にリュックをさげて母の身上調査をしたらしいです。(こわぁ~)
近所の人達に母の事を聞いてまわり、御礼にリュックに入っていた何かを手渡していたとか・・・
私が、その話しをいつ、誰に聞いたのかを覚えていないけれど、まんざらデタラメでも無さそうな話しです。
真意を確かめる事も無く、お祖母ちゃんは亡くなってしまいましたが、私はお祖母ちゃんに可愛がってもらったのをよく覚えています。
父は、七人兄弟の4番目か5番目です。
戦争で無くなった長兄の変わりに長兄のお嫁さんを貰ったのが、次男でした。
私が小学生くらいの時には、年に2回くらい『七人会』というのを作って兄弟の家族とお祖母ちゃんが集まっていました。幹事は、順番でした。
温泉に行ったり、美味しいものを食べに行ったりとしたもんです。
お祖母ちゃんは、私が20歳頃に亡くなったと思います。
お祖母ちゃんのお葬式は、いまだによく覚えています。
もちろん自宅で営み、大名行列のように皆が何かを持ってお寺さんまで行きます。
(後でこの行列の時の写真を見たら、雲がかかっているかのような筋があり、心霊写真というのは、こんなんだろうなと思いました。)
そして、お寺さんで棺おけに入れるんですが、座棺なんですよ。
時代劇で背中に座棺ようの棺おけを背負って、戦っているあの樽のようなものです。
体育座りのようになって、上から覗くとお祖母ちゃんの頭だけが見えました。
今は、そんな事も無いかと思いますが、焼却は、しないで、小高い所にある墓地に埋めに行きます。帰りは雨が降っていたのか、前日が雨だったのか、ぬかるんだ道を転ばないように帰ります。転ぶとその人も連れて行かれると言われ、必死になって丘を降りました。
お祖母ちゃんは、遠くに嫁に行った私をたまには見に来てくれているのでしょうか?
『お祖母ちゃん、私の息子と娘のこれからが、ステキになりますように導いてやってくださいね。お祖母ちゃんの曾孫ですよ。』
とっても気に入っています。
私の喪服にも、この家紋を入れてあります。
そこで少し調べましたら
※蝶 紋
蝶は、同種であっても羽化する時期で翔の形や斑紋まで違う。まさに造化の神秘。この蝶をもっともみごとに文様に採り入れたのが平家の公達であった。彼らは鎧や兜の裾金物や、直垂などに蝶の文様をつけた。「平家物語」や「源平盛衰記」などにさかんに出てくる。これらの文様が後に家紋に転化していった。ことに平清盛流の者が多用したので後世、蝶は清盛流の代表紋になった。しかし、その美しさで他の家も多く用いている。(丸に揚羽蝶)
【主な使用家】
平家の代表紋のようにされている。たしかに平家流の公家の西洞院、平松、交野の諸氏は揚羽蝶を家紋にしている。また戦国時代・江戸時代に平氏を称する家はほとんど蝶紋を用いている。しかし、清和源氏流の中川、池田、逸見、窪田の諸氏、宇多源氏の建部、間宮、喜多村の諸氏、ほかにも藤原氏流の諸家も蝶紋を用いている。平氏の子孫を称した織田氏も木瓜紋とともに蝶紋をしようしていた。
蝶
石持地抜き揚羽蝶
対い蝶
かげ大割揚羽蝶
変わり揚羽蝶
中かげ揚羽蝶
斜向い胡蝶
蝶の星
頭合せ三つ寄
・・・など
あんまし分からなかったけど、平家云々と言うのは、聞いたことがあるし、ご先祖様は、○万石かのお殿様だった。という様な話しも聞いたことがあります。
父は、滋賀県出身で私が生まれた時には、もうお祖父ちゃんは亡くなっていました。お祖母ちゃんは、父と母が結婚をする時にリュックをさげて母の身上調査をしたらしいです。(こわぁ~)
近所の人達に母の事を聞いてまわり、御礼にリュックに入っていた何かを手渡していたとか・・・
私が、その話しをいつ、誰に聞いたのかを覚えていないけれど、まんざらデタラメでも無さそうな話しです。
真意を確かめる事も無く、お祖母ちゃんは亡くなってしまいましたが、私はお祖母ちゃんに可愛がってもらったのをよく覚えています。
父は、七人兄弟の4番目か5番目です。
戦争で無くなった長兄の変わりに長兄のお嫁さんを貰ったのが、次男でした。
私が小学生くらいの時には、年に2回くらい『七人会』というのを作って兄弟の家族とお祖母ちゃんが集まっていました。幹事は、順番でした。
温泉に行ったり、美味しいものを食べに行ったりとしたもんです。
お祖母ちゃんは、私が20歳頃に亡くなったと思います。
お祖母ちゃんのお葬式は、いまだによく覚えています。
もちろん自宅で営み、大名行列のように皆が何かを持ってお寺さんまで行きます。
(後でこの行列の時の写真を見たら、雲がかかっているかのような筋があり、心霊写真というのは、こんなんだろうなと思いました。)
そして、お寺さんで棺おけに入れるんですが、座棺なんですよ。
時代劇で背中に座棺ようの棺おけを背負って、戦っているあの樽のようなものです。
体育座りのようになって、上から覗くとお祖母ちゃんの頭だけが見えました。
今は、そんな事も無いかと思いますが、焼却は、しないで、小高い所にある墓地に埋めに行きます。帰りは雨が降っていたのか、前日が雨だったのか、ぬかるんだ道を転ばないように帰ります。転ぶとその人も連れて行かれると言われ、必死になって丘を降りました。
お祖母ちゃんは、遠くに嫁に行った私をたまには見に来てくれているのでしょうか?
『お祖母ちゃん、私の息子と娘のこれからが、ステキになりますように導いてやってくださいね。お祖母ちゃんの曾孫ですよ。』