東京都庭園美術館
2010年9月18日~11月28日
「香水(perfume)」の語源をひもとくと「煙によって」とあるように、当初は芳しい薫香を神に捧げ、願いをその煙に託すものでした。その後、王侯貴 族が貴重品であった香水や練香を愛用しました。香りを納めた豪華な香水瓶は上流階級の人々にとって、いかに香水というものが重要であったかを示していま す。香水じたいが芸術的な創造物であり、入れる器にも上質な美が求められたのです。香水瓶もまた時代ごとのさまざまな装飾が施された芸術作品であるといえ るでしょう。
本展では古代の石材やガラス製の香油瓶から、セーブル、マイセン、チェルシーの磁器、バカラ、ラリックのガラス、そしてディオールなどの服飾メゾンの香水 瓶までを、海の見える杜美術館(広島)所蔵の作品から厳選した約280点で構成いたします。また海外からの特別出品としてファベルジェやブシュロンの香水 瓶も出品いたします。パリ市立プティ・パレ美術館などからの版画、絵画等も加え、総計約350点により、香りの文化と歴史をご紹介いたします。
香りの歴史をたどると紀元前2000年に遡ります。 人々が火を焚き、神に祈りを捧げていた頃、人々と神を結ぶものは煙であり、香りでした。香水はいかにして現代の私たちに伝わったのでしょうか。 長い歴史を紐解きながら、香りの歴史をご紹介いたします。
香りがもたらす効果は様々ですが、その中の一つには男女を結びつける効果があるといわれています。いつの時代も恋愛においてドラマッチックな目論みを実行 するシーンには香水瓶がありました。女性が香りを巧に使い、気に入った男性を振り向かせようとするのは今も昔も変わりはありません。恋愛と密接な関係にあ る香水。時代を象徴する香りから恋愛上手に近付けるテクニックが学べるかもしれません。
香水と宝石の見事なマッチングは必見! 当時の大貴族達が宝飾細工師に特別につくらせた貴重な香水瓶をご紹介します。
シャネルの《No.5》、ゲランの《ミツコ》、ディオールの《ジャドール》など 繰り返されるファッションの歴史の中で、香水はいつの時代も年令を問わず長く愛され続けています。現在もクロエ、マーク・ジェイコブスなど人気ファッショ ンブランドが創り出す香水は多くの女性の関心を集めています。今でこそ定番となったファッションブランドの香水。その先駆けとなったのは20世紀ファッ ションの革命児、ポール・ポワレによるものでした。 香水瓶には各時代の女性のライフスタイルが反映されています。宝石のように大切にされてきた香水瓶はいつの時代も女性の憧れなのです。
煙からはじまった「香り」はやがて花や草木の香りを絞って採取され、動物性の油脂に匂いを吸着させるなどして、液体や軟膏といった形で使われるようになり ます。そこでようやく貯蔵するための「容器」が必要とされ、「香油壷」「軟膏壷」といったものが誕生します。それらには大理石などの石材を削りだしたもの や、土器などが用いられていました。紀元前15世紀頃、当時の技術と美学の粋を集大成させた「コアガラス製法」*が生まれます。これは、形状そのものを加 工した装飾が施されるようになります。その後、現代のガラスの基礎となるガラス製法が発明されたことで装飾性と密閉性、また無臭性を可能にし、香りを保存 するのに適した容器が誕生しました。
*「コアガラス製法」:粘度や獣糞を芯(コア)にしてパテ状のガラスを巻き付けて冷まし、芯を掻き出して形成するガラス製法
私たちのイメージする、いわゆる香水瓶が誕生するのは18世紀になってからのこと。
古代のエジプトから時代は下り、西欧では新たな香りの文化が発足します。14世紀頃、ペストの流行による疫病や悪霊を払うとされ、「香り」が「魔除け」の 役割を果たすようになります。「ポマンダー」と呼ばれる金銀細工により作られた首からさげる小さな形体の内部には「練香」が入れられ、香りが「持ち運ばれ る」ようになります。次第に、常に香りを身に付けられるようになったことから「魔除け」の役割から香りそのものを楽しむようになりました。
また、香料は大変貴重なものであったことから、香料を所有できる特権階級であることを他者へ示すことが貴族階級の流行になりました。
18世紀、貴族階級の間では夜毎に舞踏会が催され、男女ともに恋の駆け引きに夢中になりました。当時の女性たちは気に入った男性を落とすため、過剰なまで にウエストをきつく締め、失神して可憐さをアピールするなど、驚くべき恋愛テクニックをもっていました。そんな女性の必需品であったのが化粧ケース一式で した。
(気分が悪くなったときに嗅ぐための)酢に塩を混ぜた気付け薬の瓶、毛抜き、小さなハサミや爪やすり、舌みがきの器具がセットになっています。現代におき かえると化粧ポーチといったところでしょうか。きれいになって想いを寄せる男性を振りむかせたい想いはいつの時代も共通の関心ごとなのです。
ガラス製の香水瓶が一般化する以前、ヨーロッパ各地で徐々に香水作りが広がり始めた頃、豪華な水晶を削ったものや宝飾が施されたものなどが現れました。や がて、マイセン窯やチェルシー窯などでつくられる陶磁器製の香水瓶が流行。「自然回帰」が叫ばれた18世紀、当時の気運が反映され、自然の中で男女が愛を 語り合う牧歌的な風景や愛を象徴するキューピッドなどをモチーフにした香水瓶が人気でした。また、貴族や上流階級御用達の宝飾細工師により、七宝細工の香 水瓶など豪華な宝飾香水瓶が登場しました。
香水をつくる技術が飛躍的に進歩し、香りの長期保存が可能になったことで、 18世紀末にようやく香水店の基となる専門店が登場します。 経済力のあるブルジョワジーと呼ばれる富裕層が誕生したことも香水産業の発展に大きな影響を与えました。香水が以前に比べて入手しやすくなると、香水は模 倣され、ヨーロッパ全土に流通しました。パリだけで200を越える香水店が存在していたことからも、その熱狂ぶりがうかがえます。
香水は簡素な透明ガラス瓶にいれて販売され、そのあとで人々は職人に作らせた豪華な瓶に移し替えて使用していました。
香水の流行により、大貴族などの身分の高い人々は特別な装飾が施された香水瓶を持ちたいと願うようになりました。大貴族に瓶の製作を依頼された宝飾細工師たちは、その依頼に創造力を触発され豪華な香水瓶をつくりだしました。
20世紀に入るとファッション界が時代の流行をリードします。
ファッションに付きものの香水はファッションデザイナー自身がデザインした香水瓶とともに発売されるようになります。20世紀初頭、 「ファッションと香水は一体が必要」という考えから、自ら香水ブランドを立ち上げ、ファッションと香水の新たな関係性を確立させたのがファッションの革命 児、ポール・ポワレです。ポワレによる斬新なアイディアは彼を追随するファッションデザイナーに大きな影響を与え、ココ・シャネル、エルザ・スキャパレ リ、クリスチャン・ディオールなどが続々と香水部門を設け、個性豊かなボトルデザインを発表しました。
そして、今日、ファッションブランドにとって香水は無くてはならないものになっています。
古代より人々に愛され続けている香りの女王・薔薇。
今回はバラをモチーフにした服やアクセサリーを身に付けてご来館されたお客様は、展覧会入場料より100円をお引きいたします。 ぜひバラのモチーフを装いの華に、香水瓶の世界をお楽しみ下さい。
※他の割引との併用はいたしません。
※生花は作品保護上、展示室にはお持込いただけませんのでご注意ください。
http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/perfume/index.html#midokoro
よりお借りしました。m(__)m
すごく良かったんですけど、もう終わっています。
またあれば、ゆっくりと観に行きたいです。
けっこう混んでいたので、サラーッと流して観てしまったので・・・
でもゲランやパコラバンヌやディオールなどの歴史を感じます。
特にゲランは、いまだに同じ瓶です。それでも新鮮なのは不思議です。
次が
そして外は、すっかり色づいていました。
ショップにて