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最近読んだ小説レビュー Vol.27

2006年12月19日 | 小説レビュー
最近、読んでるには読んでるけど、あまり心に残らない作品ばかりに当たったので書けなかった。

で、今回はその究極。というか、なさすぎて書けるパターン。


公園/萩世いをら

<感想>


今年の文藝賞受賞作、萩世いをらの「公園」読みました。

正直、イマイチかなぁ。

最初は、「あ、これ面白いかも」という兆しが見えたんだけど、一定して冗長的で、中身があるようでなかった。

「で、」を多用する独特の作風がフィーチャーされていたけど、裏を返せばそこだけしか、ない。

ラストの一文をみんな押してるけど、あれはやっぱ作者本人にとっての「嬉しい過大解釈」なんじゃないかとも思う。

買わなくて正解だった。

これは純文がそんな好きじゃないから、とは違う。
僕は大衆小説は好きだけど、純文も同じくらい好き。純文の好きなところは、一つのテーマを全体的に主人公を通して描いてるから。

金原ひとみの小説は、訳がわからないなりにも、主人公を集中的に掘り下げて描いてるから、主人公がどういう人間か見える。考えてる事も赤裸々に見えるからそこが面白く感じるし、だから読める。

でも、「公園」の主人公はどこか浮いてる。

意図してあのようにしましたって言われても「で?」っていう気持ちになる。

「文藝」掲載のやつを読んだんだけど、作者の自己紹介みたいなところで、彼が「小説はさっと炒めたもやし炒めにしたい」と作り方にこだわりを見せてるけど、所詮「もやし炒め」に変わりはなく、「もやし炒め」だけで客は呼べるかって事になる。

審査員の人とかって、結構な評価をするけど、まず「じゃあ金出して買う?」って事を忘れてる気がする。

審査員クラスになったら、もう本屋に買いに行かなくてもタダでもらえたりして、タダで読める。勿論、選考作品は当たり前。だから、こんな中身の無い小説を賞にできたりするんじゃないかって思う。

作者本人も同じく。

「借りてでも読みたい小説」と「買ってでも読みたい小説」は大きく違う。

本屋に並ぶという事は商品として扱われるわけだから、それなりに読み手に何かを残してくれないと損した気分になる。

だから、モブノリオは嫌い。舐め切ってる姿勢を見せれば読者に必ず伝わるし、購買者の事を考えない作品は売れない。

審査する上でもまず「この人の小説は自腹切ってでも読みたい」を前提に選考してほしい。

審査員の人にとって「1000円」は安いかもしれないけど、読書離れしている現代に小説「1000円」はやっぱ高い。しかも何も残らないなら尚更。だから、前年と比べて本屋であまりフィーチャーされてなかったのかも、とも思える。


まあこれは一読者の意見という事で。

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