たんぽぽ日和

吠えます。
噛みます。
そんな遠吠え日記。

見える人には見えて見えない人には見えない

2007年07月30日 00時00分17秒 | 遊び?お出かけ?放浪生活

秘湯めぐりに地獄谷へ 最初にむかえてくれたのはとかげ。

  けむりでてます

さるたちがおでむかえ

ねてます。本気で寝てます

彼自らの意思です。

 温泉でほんとに毛づくろい

こざるもいます

さると私

母・子

で・・むちゃびっくりなんだけど・・人間さまが入る温泉が

全く持って混浴の上に丸見えという・・・

さるか!さるなんか!という状態の秘湯。ココです↓

勇者が二人(たぶんアベックあれは昭和のアベック)が入湯してました。

うちらはあきらめ。

温泉なんてまったくなめてたらいかんぜよ。

秘湯にヒールは致命的。たまたまあったわらじを借りる。これでなんとかこの登山のような秘湯への道がひらけた・・

次の温泉へ行く途中寄り道。むかえてくれたのは牛さん

牛と私

このうしさんたちの近くにあったキッチンコンパスでお昼。

これがほんとにほんとにおいしかった!おいしすぎた!!近くに行った際にはまじでおすすめです!カレーもピザも煮込みも・・・どんだけ食うんだって感じだがほんとおいしい!写真撮り忘れるくらい。。

目的の秘湯五色温泉

女湯です。時間が経ったら3分の1くらいが乳白色。残り3分の2くらいが緑白色みたいに変わった!内湯は完全に緑だった。

混浴のほう

勇気ある女性が普通に男性数名の中、入湯してました。

秘湯には混浴多し。

帰りに近く「雷滝」にいったけどすごい!マイナスイオンでまくりで

すごく癒された・・というより身の危険を感じながら滝の下へもぐりました。

先日、絵本作家のいわむらかずおさんの講演をききました。

いわむらさんは絵本を書くために東京から自然がたくさんある場所に引っ越した。

そこで見て感じて自然と一緒に過ごして生きたいと。。

そして1枚のなんでもない池の写真を見せて

「見えるひとには見えて、見えない人には見えないただの池です」と言いました。

その小さな池で繰り広げられる世界を見ようとしてる人には貴重な玉手箱のような池だと。見ようとしてない人にはただの1枚の池の写真だと。。。

 

私は、自然の中に自分の身をおいてもどれだけ見えているんだろう。

その偉大さも意味も何も分かってないのかも。

こんなに近くにたくさんの自然があるというのに見ようともしてこなかった。

ただ、いまは体でそのすごさを感じることしかできなかったけど。

これからでも見えるようになるかな。

 

 

 

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いく?

2007年07月29日 00時56分04秒 | つぶやき・・ほとんど毒
いく?
わたしいく。
今回はいく。
今回ばかりはいく。


いままで10年間統計打率3割くらいだったけど、
今回からまちがいなくいく。

いままでも~むすの脱退入会くらい興味なかったけど
今回はいろいろ調べちゃってるくらい興味シンシン

たかが1票
されど1票
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少年老いやすく・・・すぐ年とっちゃう

2007年07月26日 23時18分38秒 | つぶやき・・ほとんど毒
平成のこの世にはもうブルマが存在しないってほんとですか?

存在しないことはないけど一部をのぞいてあんまり使用されてないってほんとですか?



先日幼稚園でおトイレ失敗してしまった子にカバーパンツ(パンツの上にはかせるもの)をはかせていたら、紺のカバーパンツなのでもう「ブルマ」にしかみえなかった私は職員室で「カバーパンツってブルマみたいですよね」という話をしたら

中学生を子に持つ先生から、どうも最近の小中学校もちろん高校ではブルマははかないらしいという情報を耳にした。

え?ブルマをはかない??
あの、たんなる「大きいパンツ」みたいのをはかされることはないの?
もっとも多感な小中学校時代にブルマをはかさせることに全く疑問も持たずあんなはずかしめを受けることはないの?
そんで、1000メートルとか走らされ、走ってる最中にはみパンして友達から「はみぱん中、即なおせ」なるサインとか送られたりしないの?
そんで、1000メートルも走らされてるだけだって尋常じゃない苦しさなのに、
その状態ではみパンをぎゅっつっぎゅってしなきゃなんないこともないの?

つうか、はみぱんって知ってる?

ブルマからパンツがはみでるあれだよ。

「あやぱん」ときくたびに「はみパン」にしか聞こえないとかそんな聞き間違いをしないって?


不平等だ!!
不平等すぎる!!



私の「ブルマと過ごした濃厚な青春時代」をことこまかく平成産まれどもに言ってやろうか?
あ~そうしよう。
「よくきけ、いいかブルマっつのはほとんどパンツみたいでなんであれをはいて体育とかしなきゃなんないかとかなんであんな形なのかとか今だったらもしかしたらはみでないかもしれないけど中学時代はくようなでかいパンツとほとんどおんなじなんだからはみ出るだろ普通に、考えたらわかることだろなんて疑問まったくもてないくらい昭和生まれの生活にはおなじみだったあれのことだ。ネットで調べろ」


と言ってやりたい。
ほんとにはかないの?
ていうかはいてたのは私の地域だけで実はもうずっと昔からブルマは存在してないとか。。。
しかも、なんでなくなったの?なんの理由?

そもそもあれ考えたのだれ?
続けられないなら最初からやめちまえ!!
誰か「最近のブルマ事情」に詳しい方がいましたらご一報ください。


そんで、ブルマにもびっくりだけど、今日25歳の同僚と「ねるとん」について「あれはいつごろ?」とか話してたら

22歳の新人さんが

「『ねるとん』ってなんですか?」っていうから
「え~~そっか『ねるとん』知らないんだ!」っていったら

その新人さん

夜ふとんにねることですか?」って言った。

まちがいなく言った。
25歳の子と
「どひゃ~~~(昭和)」ってひっくりかえりそうになったんだから
まちがいなく言った。


私が「え!『ごめんなさい!』とか『よろしくお願いします』とかそんなこというのもしらない?」って聞いたら

なんのご挨拶?って顔してた。

そっか。。。そういう年なんだ。


そら20歳の子の前で「ウィンク」の話してて
「あ。おれ得意ですよ」って片目つむるわな。
ウィンクっつたら「はろ~うぇ~」でしょ。

そらあんだけかわいく私の心をわしづかみにした「フルハウス」のミシェルが
超セレブないけすかないレデ~になってお店とかだしちゃうわな。
ミシェルっていったら「おいたん」でしょ。





時が経つということは残酷なり。

さぁて今日もそろそろねるとんの時間だ
おやすみなさい。








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物欲

2007年07月23日 22時46分46秒 | 遊び?お出かけ?放浪生活

今週末も東京でした。美術館めぐりが大好きなので今回はマヤ・インカ・アステカ展
にいって来ました。込みこみで・・・おまいらどんだけインカ好きなんか?とどんだけマヤに興味があるのか?とアステカってそもそもどこにあんのかしってんのか?と問いたい小一時間問いただしたいくらいの人・・・人・・・・・人・・・

かくいう私も全くのミーハー心。。
インカっていつころ?とか疲れたとか眠くなったとかさんざ言ってほんとにどんだけなんだ・・・

さんざ美術館めぐりで疲れたというのに、いくらおなかいっぱいでも甘いものが入る不思議なおなかみたいに、どんだけつかれても買い物になると動ける。

しかも、セールセールのオンパレードでどんだけ我慢しても我慢しきれなくて
購入してしまう。。そして・・・後悔。

しかも、急いでたり焦ってたりするとろくなものを手にしない。
あとで「なにこれ?」というのがよくある。

今回も銀座で「70パーオフセール」の上に「閉店1時間前」という焦りから





30分で6着購入。
誰がお金払うんだろうか。。
もしくは私は急にお金持ちにでもなったんだろうか。




「安物買いの銭失い」とはまさに私のことだと思う今日この頃ですがみなさんいかがお過ごしですか?
あ。宝くじは購入しました・・・



しかし、そんな物欲まみれの私でもにっぽんじゅうがいやいや世界中がそうだけど、特に東京に行って思うのはどこ見渡しても「これって必要?」というものたち・・・


デパートに並ぶ絶対作りすぎの服たち
昼間なのに電飾で飾られた装飾
必要以上の食べもの
渋滞してる車
オサレな町並み
色気づいた看板
3分後に来る電車を待てず駆け込む人々
一攫千金を求めるパチンコや

物欲、食欲、性欲、自己顕示欲、出世欲、支配欲、金銭欲、自己誇示欲、権威欲、私欲、利欲、我欲・・・・欲にまみれてる・・・

人は欲に支配されてるんだな。
欲がなくては明日も生きる意欲にもならないんだろうけど
満たされても更に次を求めるとめどない欲の連鎖。

終わりはないんだろうな。


はなさかじいさんだの、おむすびころりんだの「欲が深すぎるといい方向にいかない」って昔話にはそんな内容ばっかりだ。
そんな昔話が出来るというのは人間がずっと昔から欲深かったということだな。


まだ、人間が生きるか死ぬかの「生存欲」だけだったころのほうが幸せだったのかな?
それとも欲まみれでその欲が叶ったのに満たされず更に「もっともっと」と求められる今のほうが幸せなのかな?


そんなことを考えながら、宝くじに少々の期待をし、オサレな町並みが大好きで、6着目の服を着て「なんでこの服買ったんだろう?」とため息をつく私も欲まみれ・・・

おむすびをわざと落とし恩をきせ、「お礼に」とせっかく迎えてくれたねずみたちを脅して小判を盗ろうとしたとなりのおじいさんはひどい目にあった。


自分の欲を一つ満たしたら二つ我慢するようにしよう。そうしよう。
欲まみれの自分だからそうしよう。




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命日

2007年07月18日 23時17分23秒 | 奇想天外な家族のなかで
1年365日あるのにこの日にこんなに集中しなくても・・・と思うけど
7月18日は大切な人3人の命日です。
おばあちゃんとひいおじいちゃんと、親友のこずえのお兄ちゃんです。

3年前の今日、大好きなおばあちゃんが亡くなりました。

これを読んでくださってる方々の中にも大切な家族を亡くされた方もいらっしゃると思うけど、家族の死って本当につらい。

私も3年経った今でさえ、涙がでるし、「会いたいな」って心から思ってしまうし、いない寂しさをどうしようも出来ないときもあります。
特に、今日みたいな日にがんの「余命1ヶ月」みたいなテレビをやってると
思い出して途中から見るのやめた。

でも、ちょっと変な感覚かもしれないけど、おばあちゃんが死んだとき思ったのは、死んでしまったとしても逆に一緒にいられるだなって。

私はおばあちゃんが死んでからのほうが強くおばあちゃんを感じてる。
毎日何をしててもいつも心で話しかけてる
『おばあちゃん、どう思う?』『おばあちゃん、そらいけないよね』など。
顔向けできないような恋愛をしてたときは、ずっと後ろめたくてお仏壇の前に行けなかった。そして、怒ってるおばあちゃんの顔をいつも思い出してた。
うれしいことがあったとき一番におばあちゃんに喜びを伝える。



「元気をだして」とはいえないし、「大丈夫?」なんてことも言えない。
元気なんかだせないし、大丈夫なわけがない。
でも、同じ気持ちでいるから。


その人がココを読めるくらい落ち着いているとは思えないけど。
無理しないで。
同じ家族の死を経験してる人がまわりにたくさんいて同じ気持ちでいるから。



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危機管理

2007年07月17日 22時25分40秒 | つぶやき・・ほとんど毒
「天災の前にして人は無力だ」とほんとに思う。
今日、幼稚園に行き地震について「ゆらゆらしたねぇ」とか「じしんきたねぇ」と無邪気に話してる子ども達を見て

「私はこの子達を守れるんだろうか・・」とほんとに怖くなりました。
ここ最近の大きな地震はみんな、休日だったりみんなが家にいる時間におこっているので、大きな地震が起こった場合の教育機関での様子は分からない。

でも、いつ起こるかわからない地震。

今回の尋常じゃない揺れを経験すると今まで、想像しかしてなかった
「天災の恐怖」というのを痛感しました。

私は地震が起こった場合、この子たちの命を守るすべを知っていなくてはいけない。
考えていなくちゃいけない。
それがどんなくだらないことでも毎日していなくてはいけない。

東京に住んでる友達が「いつか起きる地震で自分の居場所を知らせるために」と常にクビに笛をかけている。寝てるときもだ。

「何が起こるかわからないから」とお風呂・トイレまでも必ず少し隙間を空けておく人もいる。

「閉じ込められたらどうしようもない」とできるだけエレベーターを使わない人もいる。

毎日のことだからバカらしく思うときもあるだろうが「そのとき」きっと
その「危機管理」の差が大きくその後を変えるように思う。


「天災の前で人は無力」かもしれないけど、その無力なりに
「準備」はしておく必要があるなと思いました。

非常食・水などの用意などはもちろんだけど、家族との連絡の取り方、
日ごろできることなど・・・

大きな地震が起きるたび、わたし達は思い出してそのときは気をつける。
阪神淡路大震災であんなにもみんなが気をつけようと心がけてたのに
先日起こったばかりの能登の地震だって「ハッ」って思い出したはず。

でも、実際地震対策をした人はどのくらいいただろう。
私は全くしていなかった。
自分のことだけならまだしも、
幼稚園で地震が起こった場合についても全く深く考えてなかった。
人の命を預かってるのに。


人は痛みを忘れてしまう生き物だから続けることはむずかしいけど
こうやって尊い命を失うあまたの大きな地震で学ばせてもらっているのだから
無駄にしちゃいけないような気がします。

私はどこかで「くるぞ」「そろそろくるぞ」と言われてるようなきがしてしかたがない。

台風のさなか山に行ってる私が「危機管理」について四の五の言えないけど。
今まで経験したことないくらいの地震でものすっっごいゆれて怖かったのです。
「生きてる」って思ったのです。
「命を守ってる」という責任を感じたのです。

福山雅治が阪神淡路大震災から何年経ってもラジオの中で、「大震災を忘れずにいよう」という趣旨のコーナーを辞めずに続けていた。何年も何年も。。。ニュースで全く震災のことを報道しなくなっても毎週、そのことだけに時間を費やすコーナーがあった。
そういう事かもしれない。

今日から「天災の前に人は無力だけど、無力なりの努力を」していきたいと思います。


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松本キャンプ

2007年07月16日 22時05分11秒 | アクト~ご卒業~

3連休の前半松本キャンプが行われました。OBになってからの初参加。

おんなじ0Bなりたての伊那のN川さんも松本のYまちゃんもいてちょっと安心。

しかし、日本はそのとき台風直撃。

松本もしかり。

どんどん登っていく山道にがんがん降り続ける嵐のような雨。

携帯はつながらない所だし

「まじでいいんか?キャンプなんかしてて」と思ったけど、

現地に着いたら笑顔でみんながいたよ。

台風の中岐阜は大垣から来てくれた、えびちゃんとK村くん。

愛知から来てくれた、Eさきん。ほんとおつかれさま。

諏訪の面々の余興。

いろんなサプライズありの楽しい時間でした。

 

コテージに入ってからすぐに私は怪我。

はしご階段に腕をかけていた私の上に足を滑らせた大きなメンズが落ちてきて直撃したのです。

一瞬何が起こったかわからなかったけど、「折れたな」と思った。あまりの痛さに声にならずうごめいていると

現役ナースの東のあっこちゃんがすぐに診てくれて。。

女神。まさに女神。完全に折れたと思っているお先真っ暗の大げさな私に

あっこちゃん「大丈夫。腫れてこないし折れてはないと思うよ」と・・やさしく手当てしてくれたのです。

女神だ。ナイチンゲールだ。

寝る所も同じ部屋だったので

「看護婦さん。夜痛かったらナースコール押していいですか?」という私に

「僕もナースコール押していいですか?」という松本の某Y崎K一くん。

だめです。君はだめです。

 

その後、私のウィッグを使い女装をしだした面々。

諏訪のNちゃん。東のMるちゃん。愛知のEさきん。

メイクアップもして完全に「おねえ」へと・・・

一番ノリノリで写真撮影するMるちゃん

ちなみに服も私のをきてこの後、胸もつくりました。

不思議なものでメイクしたり、ウィッグをつけたりするとしぐさも女らしくなるメンズたち。

そうして、おねえたちの宴をそのままにして、わたし達女性陣は就寝。

この豪雨で土砂災害とか大丈夫かい?と不安の中眠りました。

朝、降りしきる雨音で起床。

「嵐になってきたので早めに朝ごはんです」というおふれがきて急いで準備しました。

朝ごはんを食べ解散になったけど、ほんとにみんな無事でよかったです。

地震と重なってたらもっとひどかったね。

天災の前には人は無力だね。

 

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悠悠自適

2007年07月12日 00時19分36秒 | 奇想天外な家族のなかで

最近の私の帰宅最初の言葉は
お父さん!今日ご飯なに?」

そうなんです。
ちっちゃな頃から悪がきで15で不良とは呼ばれたかどうかは不明だがとにかく触るものみな傷つけちゃうくらいに扱いづらい私のだディー。
休みといったらごろごろし。家にいるのに「おい。~持ってきてくれ」と携帯に電話。ちょっと外に出ると「グラタン買って来い」とまた電話。しかし、こちらの電話にはでんわ。みたいなこともいってみたくなっちゃうくらい自由奔放の我が父。

母とご飯に行こうと誘っても「だれが行くか」と言いながら妹に「あいつら俺を置いてご飯食べにいきやがった」くらいのことをいう困ったチャン。父の奇行

そんな父だったのに・・・
だったのに・・・


退職を機に
「あんただれ?」といいたくなるような豹変ぶり。

朝もはよから家の掃除。
そして2万5千歩の散歩。
いたる山々へハイキング。
その後、最近1ガンレフのいいカメラを買い趣味だったカメラで四季折々の田舎風景を撮影し(母は激怒)
週に何回かはへらぶなつり。
夕方5時には帰宅し、自分で夕飯(自分ののみ)の用意。

6時に食事をししばらくごろごろして就寝。
で。あさもはよから・・・(略)

というまったくもって仙人のような隠居生活。

そして、非常に穏やかになった。
機嫌がいいときは「おい。これ明日の弁当にもってけ」などいって私のお弁当のおかずをとっといてくれたり・・最近は私があまりにおなかをすかせて帰ってくるので、わたし達の分の夕飯も用意してくれている・・・・(ときもある。気分次第)

しかも、父はものすっごい料理がうまい。
めったにしなかったくせに。ものすっごいおいしいものばかりを手をかけてつくる。
今日のお味噌汁も大きな声では言えないが適当な母より完全においしい。もちろん。私なんかよりもずっとおいしい。

いつまで続くか・・・
それともこのままご機嫌で過ごしてくれるか・・・

父は現職のときけっこう苦労した。子どもが好きだけではやってられない教員の世界。子どもと関わることが少なくなってからのほうが辛そうだった。
そのまま、いろんな学校に行く選択もできたんだろうが「疲れたから休む」といって定年で辞めた。

いさぎいい。(ほんとにとことん嫌になったのかな?)
その後の自分をちゃんと見つけ歩き出してる。
しかも楽しんでる。
私とはちがう。

でも、そんな父の姿が気に入らない母は
「まったく、早くお父さんの身分になりたいわよ。あ。ね~ね~KYANANさ。お父さんに。保険入ってっていってくれない?お父さん病気したじゃない?もうどこもいれてくれないのよ。ここだけなのよ」と申込用紙とペンを握り締める母。

おそろしい。何だ・・何か・・よからぬことでも考えていそうで怖い母の発言。
「心配だ。母がすすめる 父の保険」@大丈夫だろうか。

明日も父のお味噌汁がたのしみだ。



あ。本文と全く関係ないけど今日のお誕生日おめでとう。















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腑抜け

2007年07月05日 00時00分03秒 | アクト~ご卒業~

なんだろうこの感覚。こういう自分は嫌いだ。

今まで経験したことないような

「虚無」だ。
まさに「腑抜け」だ。
生活は全く変わってない。
忙しい毎日なのに、心だけ穴があいたよう。

ラストスパートしすぎて疲れたか。

最終例会、次期役員紹介で、卒業する私だけが起立しないで座ってたとき、
なんともいえない疎外感でいっぱいだった。

指導者研修会のとき、次期の予定を見るたび
私には関係ないといわれてるような
そんな気持ちでいっぱいだった。

アクトが忙しいという言葉がうらやましいような感覚になった。

「またいつでも遊びにきて」と言われるたび
もうそこは自分の居場所じゃないと言われてるような
そんな気持ちでいっぱいだった。

「OBは現役に意見とか言わなければうざがられないし、たまには参加することがあってもいいと思うよ。」と言われ涙がでた。


そしていま、自分がアクトでしてきたことはなんだったのか
自問自答の日々。

自分の中では一生懸命やってきたと思ってたことは独りよがりにすぎないんじゃないか。




卒業ってこういうことかな。

禁煙したときも禁煙してからこんなにもタバコに依存してる自分に気がついたように。

想像はしてたけどやっぱり私はアクトが好きだったんだな。
アクトに支えられ、自分の居場所と感じてたんだな。

これからだってきっと、大切な存在には変わりない。
でも、別れた恋人??にはそうしょっちゅう会うわけにはいかない。

でも大好きだったはずが別れてからその元恋人に対して時々思うような、「無駄だった」とか「出会わなくても・・」とかは消して思わないってことはやっぱり、大好きな恋人??と未練を残したままと別れたとおんなじことかな。



なんだかよく分からない感覚だけどしばらく落ち込んでおこう。









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10年ひと昔

2007年07月01日 22時53分00秒 | つぶやき・・ほとんど毒

今週末は大学時代の友達Kの結婚式で東京に行ってきました。
その友だちKの旦那も友だち。

彼らが付き合いだしたのは10年前。ポケベル・ロンバケ・アムロ・たまごっち・・・そしてチョべりバそんな時代でした。

初々しい二人の当時の姿と全く変わらない(旦那は膨らんだけど)
初々しい二人がそこにいました。

ずっと見てきたこの二人が結婚することはほんとに感慨深いものでした。
大学時代みんなそれぞれ彼氏彼女がいて公認だったけど、
10年経っても同じパートナーでいるのはこの二人とS子とのりのりの夫婦だけ。

そんな唯一の相手を見つけ唯一の愛を形にした二人の姿は私にとってもすごくすごくうれしかったです。


でも、今回の結婚式は多少複雑な気持ちもありました。
私が7年付き合っていた彼と今回結婚した二人が同じジャズサークルにおり、私が大学時代いつもいたそのサークルの仲間達が集まってくるということ。


社会人になってもその関係は続いてたし、きっと今もみんなよく集まる仲間だろう。でも、私は、彼と別れたことで会えなくなった仲間たちだったので会うのはどんなもんかとドキドキしてたりもしたけど、私を見つけ「ひさしぶり~」「げんき?」と声をかけてくれたことにびっくりしてうれしかったりもしました。みんな気を使って?彼の話題は一切しなかったけど・・


もちろん、その彼は来ないから私は出席したわけなんだけど
その、仲間たちの顔を見た瞬間から、

いつもいたその空間の、音、におい、空気、感覚、声、色・・・・などが一瞬で戻ってきました

私はあの中にいて、そして大学時代のほとんどをそこで過ごした。
ジャズなんて全く興味もない私が、そこに普通にいたこと。
暑い日も寒い日も廃墟のような部室でその音を聞いてたこと。
彼らと一緒にいろいろ回り、多くの時間を一緒に過ごしたこと。
そのときは、それが普通でいつものことで、時間が過ぎれば同じ状態でいることはないってわかってるけど、そのときは、それが毎日だった。

でも、時間は過ぎてた。
知らない間に時間が過ぎてた。


忘れてたその感覚を思い出したことで
こんなにも昔のことになってたんだと、改めて感じました。

10年ひと昔。

きっと今、この瞬間もいつか昔になって「そういえばそんな時代もあったんだ」と思い返す10年後があるんだな。

10年後に感じる「今の時代」は自分にとってどんな時代だろう。
いい時代だったといえるといいな。

とりあえず結婚式2次会で他人が当てたビリーズブートキャンプ(写真)。
きっとこれもいい時代だ。当てたかった。。。
















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