もうけっこう前の話題だけど、「村上春樹」の「ノルウェイの森」が映画化される。
これがちまたでよく聞く「遺憾の意」なんだと痛感した。
ここで使わせていただく。
完全に遺憾の意を述べたいし、はっきりいったら「反対運動」起こしちゃいたい気分だ。
私の周りのハルキスト3名にもその情報をいじわる根性ですぐにお伝え申し上げると、3者が同様な反応だった(
ハルキスト
ようは「やめてくれ」ということだ。
ハルキスト1(コズエ彼のTる)は「何でフランス人監督なんだろう」
ハルキスト2(悪友Tかおみ)「やめたほうがいいよな」
ハルキスト3(アクト仲間H田J平)「え!!ホントの話ですか??ほんとなんですか??絶対いやです!」
というようなもの。
そもそも、こんだけ売れてる作家だけどあんまり映画化してこないというのはそれなりに訳があると思う(調べてみたら過去に何作品化は映画化せれてるらしい。がっかり)
きっと、この日本の映画界は「村上春樹は映画化すべきでない」という考えがあるのと、あの世界観を映画化するのは非常に難しいのとで「映画化しない」という暗黙の了解があったんだと思ってた。。勝手に信じてた。
「日本映画会のみなみなさまわかっとるがな!」と尊敬さえしてた。
映画になったら絶対、陳腐なものになる。まちがない。
どうやってあれを映像化しようとするんだろう?
ただのポルノ映画になるような気がしててんで心配だ。
現にそのおフランスの監督の方は「官能的な部分が」どうのこうのとほざいてた。
おい!!ちがうだろ。
個人的には村上作の中で「ノルウィ」はあまり好きなほうではないけど、映画化されるとなるとやはり話は別。「遺憾の意」を表したい。
私の勝手な見解だけど、村上作品は、その本を読むことでその人の頭の中では完全に映画化されていると思う。
私も、「ノルウェイ」だけでなく全ての作品が自分の頭の中で「映画化」されている。主人公僕はあんな感じの人、あの場所に住み、あの事件がこうやっておこってああなる。
その全てが頭で映像化されてるんだ。
個人個人それは絶対にちがう。
100人いたら100通りの映画が出来上がってるはずだ。
だからいいんだと思う。
それをどこの馬の骨とも分からんおフランスの人間が勝手な考えで「映像化」する権利はないと思う。人権侵害だ!
私たちの頭の中の映像だけでいいんだと思う。
もし、私たちのように映画化された「ノルウェイの森」を見たくないと思っている人間でも、どこかでその画をみちゃったり、CMなどでその勝手に作られた映像を見せられたりするとせっかく、いままで描き続けてきた「自分の中の村上映画」が壊れてしまうようなきがするんだ。。
でも、一番心配してるのはせっかくこれから村上春樹を読むだろう若い人たちや、村上春樹を知らないけど初めて読んでみるという「村上ビギナー」が万が一その、
フランス野郎(すみません。。)が勝手に考えた映像を頭で浮かべながら「ノルウェイの森」を読む事になるんだとしたら。。
がまんできない!
そんなの、ディズニーランドに行って入り口でディズニー映画を見させられて満足しちゃうのと同じくらいの罪の深さだ。
その奥にはものすごい楽しい世界が待っているというのに。。
決めつけられた映像だけで判断してしまうようなもんだ。。
しかも、きっと、映像から先に入ったらどんなに頑張ってもイマジネーションは浮かばない。その映像で物語は進んでいく。せっかく自分だけでの映画がみれるのに・・なんていうことだ。
チェリーボーイがAV見過ぎて全く想像力がなくなってしまうのと一緒だ。
全てを映像で見尽くした後、想像する楽しさもないまま、はじめてを向かえるその何たる悲劇よ。昔のように何がなんだかわからなくて苦労して迎えるはじめてはきっと何十倍もの感動があったはずだ。「人間ってすげ~」と思ってたはずだ。
それがどうだ。今の時代は大体の人間が詳しいことまで見ている。
「聞いたり」「読んだり」したのではなく「見ている」ということが、その「想像力」を欠如させてしまってると思う。
想像することの楽しみは人間にしか与えてもらってない。せっかくその頂き物を最大に活用させてもらえるんだから、使おうよ「想像力」。いろんな事で「経験」より「情報」が先で想像力の欠如につながってるんだから。せめてその危害にあってない分野はそのままにしておいてほしいよ。
村上春樹作品読んで100通りの映画をつくろうよ。
という以上の見解を通して「村上春樹ノルウェイの森」映画化を強く反対する。