たんぽぽ日和

吠えます。
噛みます。
そんな遠吠え日記。

100万回いきた猫

2007年11月28日 22時48分45秒 | つぶやき・・ほとんど毒

幼稚園に勤めていてすごくよかったと思うことがある。
絵本がいっぱいあることだ。

私は絵本が大好きでいろんな絵本に出会えることが楽しみでもある。
絵本には人生のすべてがつまってる。
絵本には大切なことがたくさんつまってる。

そう思います。

大好きな絵本の中で「100万回生きた猫」という本がある。
この間、熱田のつーやんことTじくんがこの絵本のことに触れていたのを見て
久々に、幼稚園にある「100万回生きた猫」を読んでみた。

何度読んでも、そのたび感じ方がちがう。
ほんとに不思議な絵本だ。

絵本の中で「死ぬ」とか「嫌い」とかいう言葉が頻繁にでてくる。あまり、そういう絵本はめずらしい。。
この絵本にはその意味が読み手によってちがってくるようにきっとできているんじゃないだろうか。

猫は100万回も愛され、100万回も生き返った。
自分が大好きで何度も生き返れる自分が誇りだった。飼い主からも愛されてた。どんなことも怖くないその猫は、いろんな飼い主のねこになり悲惨な形で死を迎えた。でも、猫には関係なかった。また、生き返れるから。

でも、猫はいつも飼い主が嫌い。
そして、興味がなかった。

最後に猫は野良猫になる。
自分自身が大好きで、多少見かけもよかったらしいその猫は自信たっぷりの野良猫生活を送る中でいろいろなメス猫から求婚される。

でも、そんなこと興味がない。
だって100万回も愛され、100万回も死んで100万回も生き返った猫にとって
そのメス猫たちがどんなにすごいと思うことをしても関係ない。
自分以外興味がなかったんだ。

でも、そんな世界一すごいはずのその猫に全く興味を示さない白い猫がいた。
なんでこんなにすごい自分に興味がないんだ!と
猫は自慢話を沢山した。100万回生きたこと、どんな経験もしてきたこと、自分が一番にちがいないということ。。。


でも、その白い猫は全く興味がなかった。
猫はどうしようもなかった。。


そして、最後に言った


「そばにいてもいいかい?」

そして、その野良猫と白い猫は結婚し幸せだった。
白い猫が先に死んだ。

野良猫は今まで一度たりとも流したことのない涙を流し、
そして、どうしようもなく悲しんだ。
涙がおさまることはなかった。


そして、涙が止まったときその猫は死んだ。
そして二度と生き返ることはなかった。


どんな見かけや財産や経験もその白い猫は興味がなく
ただ、その猫のたった一言「そばにいてもいいかい?」という心の声を聞いて
一緒になった。
ほんとうの愛はそういうことなんだと思う。

この本はむずかしい。
宗教的な部分や、哲学的なところや、うんちくをならべたらきっときりがないと思う。

でも、感じたままに受け取ればいいように思う。
その猫は白い猫に会うまで生きる意味を知るのに100万回必要だったのかもしれない。
初めて、人を大切に思えたことで気がついたことがあるように
人生も100万回繰り返してやっと気がつくことがあるんだろうか。


絵本は深いな~





著者である佐野洋子さんが、谷川俊太郎の元妻というのも驚いた。
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おのぼりツアー

2007年11月25日 23時09分45秒 | 遊び?お出かけ?放浪生活
3連休は東京・横浜へ。
まず、「ソロモン流」で見た、6本木ミッドタウンにあるという「HIらまつ」とかなんとかのシェフの店に行こうとした。ずっとずっと行きたくて今度東京に行くときは行こうと思ってたのしみにしてた。
ネットで調べたし間違いないと思って、2時間待ったけどなんかテレビとちがうな~と思ってたら、そこは全く別のレストランここだった。

大間違い。しかし、そんなことぜんぜん食べ終わるまできがつかなかった・・
そんなもんだ。しかも、鴨肉嫌いなのにまちがって鴨肉頼んじゃって、おいしくなかった。

でも、そんなことちっともきにならないくらい。
いい雰囲気のお店だった。。
夜来てみたいものだ。。



そんで、「だんきちなおみのおまけコーナー」でおなじみのナオミさんのフィアンセ今うわさの「はみだし王子」の店に行こうとした。
しかし、どんなに探してもない。なくてなくて諦めていいや、もう六本木ヒルズに行こうということになりヒルズでぶらぶらして、もう一度、ミッドタウンに戻ったら、きっとわたし達が4往復ぐらいしていたと思われるそのまん前に「はみだし王子」の店はあった。はみだし王子は残念ながらちょっと前に帰られたとのこと・・

王子の店

そんで、今回の目的「Tぱぱの弟に会いに」ということで
神田に行こうとしたら、Tぱぱから℡。Tぱぱの弟のお店がまさかの3連休だというので諦めてそのまま、六本木でぶらぶら。

東京たわーが綺麗でした。
2016年って書かれてたけど何があるの??オリンピックかな??

次の日は、横浜の幼稚園時代の先生たちと会いました。
ほんと久々でうれしかった。。

どんだけ笑ったか分かりません。
「国なかRYOこ」であんなにわらうとは・・・

そして、「その人の話をしていたり、うわさをしていたりすると、その人物に会うことが多い」という
「引き合わせの法則」について語っていたら・・それを実感。
ぼじょれい ぬうぼう的なワインを飲む。
おいしさわからず。


3日目は、川崎へ。
どんだけ食うのかと思うけど
有名な「すみれ」へ
川崎に来てたなんて知らなかった。

以前、北海道まで行って2時間くらいまって食べたのを思い出した。




そんで、また、食べ物だけど
これまた「くわずぎらい」で紹介されたということすら知らなかったのに
それを聞いて飛びついた

堂島ロール
並んで購入。

300個限定
に飛びついて購入。



「限定」「有名」「NEW」などの言葉にいかに弱いかというのを実感。

おばちゃんだ。まちがいなくおばちゃんだ。オーバー30のおばさんだ。

あんまり買い物はしなかったけど、散々悩んで悩んで3日間探し続けてやっと買ったマフラーを浮かれ気分でしながら極寒の長野に帰って来ると母が
「なのそれ?買ってきたの?980円?」・・・・・


一気に現実へ。
さてとためてた仕事しよ。

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また母。

2007年11月22日 21時58分24秒 | 奇想天外な家族のなかで
母です。母の話です。私の生活は母で占めてます。

母は先週末は職員旅行もかねて妹のところへ行った。
職員旅行は日帰りだけど
せっかく東京行くから妹のところに泊まるとのこと。
・・・・せっかくっていっても月1回は行ってるような・・・

とりあえずはっきりいって前日からひどい。

母「ね~kyananこの服とこの服とどっちがいい?」
と。大騒ぎ。私が「こっちがいい」というと「そう?でもこっちにするわ」と
「じゃー聞くなよ」というようなことを繰り返したあと、
私が「おなかが出て見えるよ」よいうと
母「あらやだ!何いってるの?おっぱいがでてるっていってくれない?」
・・・・

たしかにあなたは巨にうですが、おなかもでてるよ。

「この帽子とこの帽子は?」とどこがちがうんだか分からないウォリーをさがすより難しい難問を私にたたきつける母。

いちお「このやや黒いほうがいいかも」とどうでもいいが答えてみた。
とにかく上京するとなると大騒ぎ。
彼女の目標は「田舎からでてきたおばさんと思われないこと」

ゆっくり休めるはずの唯一の休日の朝7時に駅まで送るはめになった私に
朝7時の段階でテンションマックス母。

母「でもねでもね、この間ね。東京でね道聞かれちゃったの道!うれしかったわ~」
私「よかったね」
母「やっぱ、あっちの帽子がよかったかしら?どうかしら?」
私「そっちでいいよ(どちらもかわらない)」

そんで、私が「起きちゃったからコーヒー(ドト)を飲んでいくことにする」と言うと
母「あ。時間あるからつきあってあげてもいいわよ」

とついてきた
そして
「おごってあげるわよ。いくら?」
と。

・・・・ありがとう。180えん。。。。
そんでドトーる内でもハイテンション
そんで周りを考えずハイテンション


早く行ってくれ。集合場所に。

母「あ。集合時間だから行くわ。」とやっといなくなって・・じゃない
出発してくれたと思ったら、ものの3分で帰って来て

母「ちょっとちょっと!!バレバレ。。バレバレよ・・・」
と笑いながら戻る母。

母「コンビニの人に『行ってらっしゃいませ』って言われちゃったわ。あ~やっぱりおのぼりだってすぐわかるのね~~」と落胆。

私はたぶん、朝7時に駅のコンビニで買い物する全ての人に『いってらっしゃいませ』なんだと思ったけど、自分を自覚したほうが彼女のためと思い、否定しなかった。

そして、
母「あ。こんどこそ行くわ」と言って去ったのに。
またすぐ戻ってきて

母「あ!口紅貸して口紅!忘れた!」と騒ぎ立てるので
私の大切な大切なアナスイの口紅を



「なくさないでよ」と貸すと


母「なにこの ナス使えるの?」

・・・・じゃー貸さん!
と言ったら
母「それしかないんでしょ?いいわよそれで。じゃ!」

・・・・・・・・・・怒る間もなく母退散。

そして、次の日日曜日。お迎えに伺うお約束をしていた。
午後2時。お昼過ぎに母から興奮ぎみ電話
母「あ。KYANAN?今ここにいるんだけど、駅につくの8時半になる。あ!夕飯たべた?


・・・・・・・・
意味が分からん。。
無理やり訳すると
「今、私は妹と横浜におりますが、新幹線で帰りますと8時半に駅に着きます。お迎え大丈夫でしょうか?私は夕飯を食べて行きますが、そちらは夕飯どうする予定でしょうか?」

という内容らしい。
どんだけさっぴけば・・・

その同時期に週末を母のお世話役になってしまった妹からメール

件名:「00子(母の名)」
本文:「ママくたびれた 旅行(正月に行く) しんぱい」

と、もはや危篤電報状態のメールが届く

お気持ちお察しします。
でもね。あんたは月1回だからいいじゃん。
私はまいんち!まいんち!なんだから。。

そんで、8時半にお迎えに伺うと
母「あ~つかれた~つかれたわ~。でも、東京の人って綺麗ね~何食べてるのかしら?あなた、東京に嫁に行かない?ついてくから」

・・・・・
母「あ~長野はさむいわ~私老後はあったかいところに行きたいわ。大分なんていいわね。あ。東京から遠いからだめだわ。箱根か伊豆がいいわ~
あ。遊びに来てもいいわよ
・・・・・・遊びにね。。。

そして続く「あ~もう妹となんて買い物いくもんじゃないわ~アレも似合わないこれも似合わないって何も買ってこれなかったのよ!妹の好きなところばかり行かされて。あ~つまらないわ」

・・・・・・妹はきっと母のためを思ってのことでは・・散々付き合わされたあげく・・かわいそうな妹。

がんばれ。わたし達姉妹。
ガンガレ。。本気でガンガレ。


今日の一言
・うたばんで歌う、まつ田せい子を見て
母「あ~歳とってかわいこぶるのってみじめね~」
(実際かわいいじゃん。いいじゃん!)


・家に帰り、明日からの旅行?の準備をする私に突然
母「あなた。宗教だけはやめてね」
(・・・・どういう妄想になったかいまだ分からず)




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落ち込むに値しない

2007年11月18日 23時44分36秒 | つぶやき・・ほとんど毒
親友のこずえは、中学生活がほとんど病院でした。
重い病気で立つことも出来ず、ベットで1年寝たきり。
同じ病室の友だちがどんどん死んでいったという。そんな環境で3年間ほとんど学校にこれなかった。

しかも、自分が病気になる前、12のとき、14歳の兄を白血病で亡くした。
私なんかが想像できないくらいきっと苦しく辛い時間を過ごしてたはずだ。

だからなのかなんなのか、こずえはものすごく精神的に強い。

18のとき高校が卒業できると分かった瞬間に「じゃ!」と言って
なんのつても、なんのあてもないニューヨークに一人で行ってしまった。
まだ完全ではないはずの体で。

「私には時間が足りない」と
いつも言っていた。
ニューヨークで美容師になり、「ぜったい実力で掴み取る」といって
あえて、日系のサロンではなく、アジア人の一人もいないサロンで勤めさせてもらっていた。
同じ土俵に立ってる自分自身も磨き上げてる鮮麗されたアメリカ人と比べると、小さな子どものようなイエローのこずえを見た目で「no」というお客に
「とりあえず切らせてください。」と言い、絶対に引き下がらなかったと。
そして、ほんとに血が出るほど英語の勉強をして、英語が出来ないという第一ハードルを消したと。

今でもいう「もっともっと向上したい。技術を身につけたい。力をつけたい」と。



私はこずえによく言われる
「目を開け!よく見ろ。おまえには何も見えてない」
と、そして
「kyananはとりあえず、なんにも持たず明日から海外いって10年くらい帰ってくるな。そしたら見えるかもしれない」と。

何かあるたび、泣いたり騒いだりしている私に
「もっと泣け、そして学べ」と。

そして、

「学べばいい、落ち込むに値しない」と言い放つ。

私も31年生きてきた。
同じ失敗も沢山繰り返したし、見えているのに見えないフリをして逃げたりもしてきた。

こずえが、強いのは人より早く多くの想像超える痛みを感じてきたからだ。
痛みは、人を強くする。

30歳になるまえ「いやだいやだ」と言ってる私に
「いやだといって迎える30と、どんなことが待ってるんだと期待で迎える30とどっちがいいかよく考えて言葉を発しろ」と言われた。

それを聞いて私はすごく楽しく、人に家族に感謝する気持ちで30になれた。
今でも、消してなげやりになっているのではなく、開き直ってるのでもなく
30代がたのしい。

最近、少々のことであまり騒がなくなった私に
「少しは学習したんだね」と、こずえ。

毒女だし、恋愛は火傷ばかりだし、パラサイトだし、人様に迷惑かけるようなこともしてきちゃったし、人も沢山傷つけてきちゃったし、けして褒められたもんでなく、反省は多々あるけど、


でもいま、すごく爽やかだ。爽快。

これから、何回また同じような失敗やまちがいや痛みを繰り返しても、
それが自分が選んだこと、歩んできた道、選択してきた人生なんだから

受け止めて学んで生きたい。
受け止めて感じて生きたい。
受け止めて幸せに生きたい。



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母と芸能人

2007年11月14日 23時04分46秒 | 奇想天外な家族のなかで
母は人の名前をほとんど正確に記憶できない。特に芸能人はひどい。
また、テレビに出てる人のことは全て熟知してると勘違いしてる面がある。

そんな母の発言~芸能人編~



・劇団ひとりをみて
母「この男最近でるわね。なんておとこ?」
私「劇団ひとりだよ」
母「・・・・・」
「ほんとの名前よ!ほんとの名前いいなさいよ。ふざけて。ほんとの名前はそうじゃないでしょ?」
私「ほんとだよ」

母「あらーいい名前ね」(豹変)
私「いい名前?『ひとり』だよ?」
母「一度で覚えられるじゃない。」
(やっぱり自分が名前覚えられないのわかってるんだね)


・もこみちを見て
母「最近この『速見きみまろ』ってのよくでるわね。」
(きみまろはあなたの心の友でしょ)

・母「大沢TAかおって実物のほうが素敵ね~~~」
 私「見たことあるの???(びっくりして)」
 母「ないわよ。なんであるわけないじゃない」
(・・・・・どうして?)

・ガリレオを見ていて
母「福YAま雅治って 顔のわりにいい人間よね」
私「顔のわりに??ちょっとどういうこと?」
母「あ。こっちの品川っておとこは頭いいのよね。顔は四角いけど
(・・・・・)

・母「へ~今年の紅白ってナカイとつるこうなんだ~」
私「つるこう??」
母「あの、メガネよ。つるこうっていうんじゃないの?」
(つるこうはこちら↓)




また、母は相変らず、おかしな返答やおかしな発言も多い。


・今日、ここにあるひもが邪魔だという話をしてて
私「切っていい?(ひもを)」
母「え!誰を?
(誰を??だれをってあんた・・)

・ニュースを見ててボソっと
母「・・・やまだようこ??。。。。。」
(よかった。変な質問が来なくて。もりやもりや)


冒頭の写真は
悪党の元会長、KさわKさく画伯による

ペンギン

おなかがよじれるくらい笑うというのはこのことか・・というくらい笑った。
本人曰く「やべ!足が長すぎた!」
とのこと。

あまりのあまりでやまこちゃんに即写メールすると

やまこ嬢「自画像のまちがいじゃない?」と。

私のまわりは天才だらけだ。
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幸せな時間

2007年11月11日 22時07分26秒 | 奇想天外な家族のなかで
おじいちゃんが念願のふるさとにあるホームへ入居しました。
いろいろ問題があり、ほんとに最後まで入れるか分からなかったけど
お父さんが駆けずり回り入居できるようになりました。

でも、ちょっと、心配なことはここへきておじいちゃんがちょっとぼけてきてしまったかもしれないということです。

自分であんなに望んでたはずのホームなのに時々「どこへいくんだ?」とか「お父さんが見つけてくれたところだ」(ほんとはおじいちゃんが見つけてここがいいといったけど)とか言い出してる。

その瞬間は一瞬で、すぐにいつものおじいちゃんにもどるんだけど
その瞬間はほんとに心配になる。

受け入れていかなければいけないのかもしれない。


でも、月曜日にホームへお引越しして今週末初めておじいちゃんに会いにいったんだけど、とてもいきいきしていた。
「目が輝いてる」と妹は言ってた。

そしてなにより、環境が抜群にいい!!
新しいというのはもちろんいい環境なんだけど

5人から8人くらいのグループごとに家にいるみたいに食事をして
ヘルパーさんたちも、とても元気で優しく入居者に接してくれている。

今までいたところはいいところだったけど、ほんとに「病院」という感じで、キャッシャーにのって運ばれてくる食事をドサっどさっ置いていって、冷めた番茶が配られる、それをみんな無言で食べてるというそんな印象だった。

でも、今度のところはヘルパーさんが一人ひとりお盆を持って「Tさん(おじいちゃんの苗字)今日はカレーの煮付けですよ!」とひとこと添えて食事を配ってくれていた。そして、熱いお茶が配られる。熱いお茶がなにより大好きなおじいちゃんなので喜んでいた。
しかも、おじいちゃんと同じグループ(れんげというらしい)におばあちゃんの友だちがいて「ま~K子さん(おばあちゃんの名)のご主人?」ということでいろいろ昔話や、おばあちゃんの話をしてるらしい。

おじいちゃんが食事をするところからは、おじいちゃんが生まれ育った家が見え、八ヶ岳が見え、自分の田んぼも見える。
自分の部屋からは浅間山と、その町の有名な?タワーが見える。
おじいちゃんは

「ここからの夕焼けがすごくいいだよ!」と言ってよろこんでいた。

ほんとにほんとにいいところ。
受付に行くと受付の人が「Tさん(おじいちゃん)帰ってきたんですね!最近、車で見かけないなと思ってたんだけど、えらい元気でなによりでやす」と言ってた。

このホームの理事がおじいちゃんの友だちで、平日はいろいろ話しているとか・・
そして、このホームの主になってる病院のお医者さんはおじいちゃんの教え子だとか・・

知り合いばかり・・・

おじいちゃんにとって「知り合い」がいることがどれだけいいか。。
なによりおじいちゃんが

「ここにいるから絶好調!」と言ってた。

わたし達は週に一回しかいけない。
でも、それよりもほんとにうつってよかった。
あんなにウレシそうなおじいちゃんならほんとによかった!

ピアノもあるから今度弾こうと思う。

おじいちゃんと、お父さんと、妹と、私と、お母さんとそのホームのグループ専用の場所みたいなところでテレビを見ていたら

まるで家にいるみたいだった。

ほんとに10数年前までこの地域に住んでて、当たり前だったその空間だった。
おばあちゃんはいないけど、きっと、ここに来ておじいちゃんと一緒にいるようなきがしちゃう。おじいちゃんと喧嘩しながら。。。

おじいちゃんがここに引っ越す前
「オラが一生暮らす部屋だだからな」と言ってた。


一生暮らす部屋。。。。
切ないけど、その残ってる時間がここで幸せな時間のままならよいのだけど。


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ハロウィンパーティー

2007年11月08日 22時29分06秒 | アクト~ご卒業~
ミクシーにアップしてすっかりこっちが出来ずじまいでしたが
11月3日~4日にハロウィンパーティーが行われました!

いや~楽しかった!!
心配してた人数も悪党含め50名近く。
ほんとにほんとにありがとう。。


特に、愛知から来てくれた熱田・一宮のみんな。
岐阜から来てくれた大垣西のみんな。


感謝感激あめあられでございます。

そして、当日は間に合わなかったけど、素敵なプレートを送ってくれた三重は名張のまっちゃん。ほんとにありがとう。来年から使わせていただきたいと現役メンバーが申してました。

2600のメンバーもいっぱい盛り上げてくれてほんと感謝です。

OGになり「でしゃばるな」と言われてから招待行事の準備から遠ざかってた私が言えることではないけど、悪党は大反省会必須のドタバタ招待行事になり
来てくださった方々が楽しんでいただけたか心配でした。

でも、みんなはすごい頑張って準備してました。
おおきな二個の手作りのかぼちゃ。
男だらけで作ったナイスセンスのかかし。
ハロウィン用のかぼちゃ調達に走り回る会長。
ゲームやBGMを寝る時間さいて考えるみんな。
何度も往復した菅平。


人数確保が出来ず開催危機をどうしようかみんなで考えた日々。
ほんとにお疲れ様。
お手伝いあまりせずにすみませんでした。

ハロウィンやっぱり好きです。
楽しかったです。
ありがとう。





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