- 阿羅漢と認定されるための基礎基準の一つとしては、「心に透明感がある」ということが挙げられます。
- これは、別な言葉で言えば、「心の中に執着という名の引っ掛かりがない」ということです。
- たいていの人には心の中に引っ掛かりがあります。その人の心の姿を見たならば、ガン細胞のようなものが心のどこかに巣くっているのです。そして、暗い陰をつくっています。
- この「執着」という名のガン細胞は、極めて三次元的なこと、この世的なことに関して、思いがとどまっていることを示しています。
- 出世や金銭、異性に対する思い、あるいは、もっとマイナスのものになってくれば、積極的な憎しみ、愚痴、怒り、嫉妬、こういう思いが一点に止まっている状態を執着というのです。
- 執着のなかには、まれに自己実現的な執着もあります。ある意味で自分の向上を目指しているのだけれでも、現状が、向上への思いに、とても追いつくことがなく、それが執着になってしまっている気の毒な人も、世の中にはいます。
- いずれにせよ、阿羅漢となるためには、心のなかの、この手のしこりを取り除く必要があります。ガン細胞を切除しなければならないのです。
- そのいちばんよい方法は反省なのです。
- 『釈迦の本心』などにも書いておきましたが、反省は、心の曇りを、さまざまな尺度でもって除いていく方法です。
- たとえば、「八正道」においては、「正しく見る」「正しく思う」「正しく語る」「正しく行為をなす」「正しく生活する」「正しく道に精進する」「正しく念ずる」「正しく精神統一をする」という八つの基準が設けられています。
- 宗教者として当然守るべき、こういう基準をきっちりと守り、自分の心の針がずれた部分、揺れた部分を、天上界に向けてピンと戻しておくこと、これが反省の方法なのです。
- 人間の心は、一日のうちに、さまざまに揺れています。それは、ちょうど時計の針のようなものであり、よいことを思っていれば、上のほう、すなわち天上界の方を向いていますが、悪いことを思っていれば、下のほう、すなわち地獄のほうを指し示しているのです。ただ、たいていの場合は振り子のように揺れているのが実際の姿です。
- しかしながら、大きな執着を持っていると、そこで心の針がピタッと止まっていることが多いのです。その結果、針が天上界のほうを指すこともなく、天上界の人々から啓示を受けることもなくなってしまうわけです。
『幸福の科学とは何か』 第7章 阿羅漢を目指して