第142回芥川、直木賞が発表された。かつて若い頃は、『ぜったい芥川賞』などと畏れ多い野望を持ち、襍文にも至らない駄文を書いていたが、書ききれず、それでもなんとか物になる雑文を書き上げ、新人賞に応募したのはもう30歳を過ぎてからだった。最初の応募で二次予選を通過し、作家になったつもりで有頂天になり、次の駄文で一次予選を通過するも、次の雑文でついに名前が消え、断念した経緯がある。
今回、直木賞を受賞した佐々木譲氏の作品は、私と年齢も近い上に、作風も緻密で、私があまり他人の小説を読まなくなってもう20年になるが、佐々木譲氏の作品は縁あってかなり読み込んだ。
氏の作品は映像にするよりも、情景を読者の想像力に委ねている点に好感が持てる。
氏の作品は浅田次郎の偶然性よりも、遥かに必然性の強い作品群だ。
その氏がまだ直木賞を受賞していないと知って、『え゛っ』と思った。
顧みれば文壇の早稲田重視が思い当たる。早稲田出身ならざれば物を書く資格なしとでも言うような風潮が文学界に満ちていて、それが文学の衰退させている。特に大衆文学の分野においては有望な新人の排出が滞っている。身近な、明日の己の姿を投影させるような作品を綴る作家の出現を待ちたい。
佐々木譲氏の受賞は遅きに失した感があり、氏が早稲田偏重の文壇からいかに爪弾きされていたということが、はっきりした。
これは、文壇の早稲田閥を改める意味でも大きな受賞だ。
今回、直木賞を受賞した佐々木譲氏の作品は、私と年齢も近い上に、作風も緻密で、私があまり他人の小説を読まなくなってもう20年になるが、佐々木譲氏の作品は縁あってかなり読み込んだ。
氏の作品は映像にするよりも、情景を読者の想像力に委ねている点に好感が持てる。
氏の作品は浅田次郎の偶然性よりも、遥かに必然性の強い作品群だ。
その氏がまだ直木賞を受賞していないと知って、『え゛っ』と思った。
顧みれば文壇の早稲田重視が思い当たる。早稲田出身ならざれば物を書く資格なしとでも言うような風潮が文学界に満ちていて、それが文学の衰退させている。特に大衆文学の分野においては有望な新人の排出が滞っている。身近な、明日の己の姿を投影させるような作品を綴る作家の出現を待ちたい。
佐々木譲氏の受賞は遅きに失した感があり、氏が早稲田偏重の文壇からいかに爪弾きされていたということが、はっきりした。
これは、文壇の早稲田閥を改める意味でも大きな受賞だ。