蟷螂の独白

世に背を向けた蟷螂です。喜怒哀楽を綴って18年、モットーは是々非々の団塊世代です。

蕎麦が届いた

2024-07-06 16:03:14 | 徒然
ふるさと納税で取り寄せた蕎麦がことのほか美味だったので、同じ店からリピートしました。
蟷螂の蕎麦好きは親父譲り、親父は蕎麦好きが高じて田原町で蕎麦屋を営んだほどでした。
その後、フグを食べに行って『旨い』と感じて蕎麦屋をふぐ屋に改築と、いろいろありました。
そういう事情から、蟷螂は蕎麦好きふぐ好きになったのです。
ゼロ戦のパイロットだったオジキは終戦後銀座でテーラーを営んだのちに浅草へ出て来てすし屋を経営。
2番目のオジキはそのすし屋の並びで『カツとカレーの店』を経営。
どちらのオジキも蟷螂の親父が誘ったのでしょう。
食うや食わずの戦後の生活から、『食べ物屋が一番堅い』と踏んでいたのです。
まぁ、親父が最初に開いたミルクホールも六区の映画館通りに面していたから、映画全盛のころは客を断るのに苦心したほどはやり、従業員も二桁いたのです。
そして親父はスターリンショックの株価の大暴落時に、実父から『株を買いまくれ』と言われて大金を得、田原町の家を購入。
ま、究極の逆張り大成功ということです。
おかげで蟷螂の株の投資も逆張り一辺倒。
コロナショックではちょっと設けそこないましたが、あの時逆張りしていたら・・・マンションが買えた?
その田原町の家で営んでいた蕎麦屋は、近くの税務所への出前が多く、出前持ちのアンチャンも抱えて繁盛していました。
客の税務署員から女店員がもらった後楽園球場の巨人阪神戦のチケットで、初の野球観戦。
女店員は大の巨人ファン。
ところが座席は阪神ファンのど真ん中の席、身をつづめるようにして観戦していたことを思い出します。
そこで蟷螂は、漫画の長嶋茂雄物語や川上哲治物語を読みふけっていたにもかかわらず、阪神ファンの熱気に感激し、以来阪神ファンになったというわけです。
『巨人大鵬卵焼き』の時代でしたが、祖母は柏戸の大ファン。
かくて蟷螂は、Y新聞に奉職したH君には申し訳ないのですが、『阪神柏戸目玉焼き』をモットーとして、73歳の現在までその信念を貫いています。

今夜は蕎麦を啜って親父を偲ぶことにします。
もうすぐお盆だし!

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