蟷螂の独白

世に背を向けた蟷螂です。喜怒哀楽を綴って18年、モットーは是々非々の団塊世代です。

ふぐ

2016-05-25 01:32:19 | この世の矛盾
蟷螂が中学から高校にかけての時期に、父親はふぐ料理店を営んでいた。もちろん父親がふぐ調理師の免許を持っているわけはなく、知人と一緒に食べたふぐが美味だったからと言う理由だけで、自宅をふぐ屋に改装した。学生だった蟷螂は、直前までは日本蕎麦屋だった自宅の変貌ぶりに驚いた。まず、営業は11月から3月まで。毎年秋になると母親が得意先に葉書を書いていたことを思い出す。あれは蟷螂がまだ中学生の頃、蟷螂がクラブ活動を終えて店に帰ると、カウンター席に親父が陣取り、何かをなめるようにしていた。
『ちょっと、ピリッと来るな』
『マスター、そこがなんとも言えない味でして』
板前は高給で雇った関西人だった。蟷螂は幼いながらもピント来た。ふぐには毒があることはさんざん聞かされていた。毒性は青酸カリの何百倍も強い。そんなものを食べたらイチコロのはずだったが、オヤジはピンピンしていた。その頃の蟷螂の食事は冬はふぐちり夏はボンカレーのローテーションになっていて、友人などはふぐは初めてと言うものもかなりいた。3年前に金沢へ仕事で出掛けたさいに宿泊先のホテルの朝食バイキングに、糠漬けねふぐの肝が出ていた。瞬時にふぐ屋時代が脳裏を駆け巡った蟷螂は、その日仕事に影響が出ることを懸念して食さなかったが、今思うと一口でも食べておけばよかったと、後悔している。ふぐ毒で有名なのは、歌舞伎役者が当たって死んだことだ。また、九州場所で相撲取りが何人も当たって死んだことが過去にあった。今回大阪で、会員制のふぐ料理屋で肝を食べさせていた事件に接して、ふぐ屋時代の蟷螂の生活を思い出した。もちろん蟷螂は臆病なので肝は絶対に食べない。会員制のふぐ屋の客に中毒患者がでなかったのは、ラッキーの一言だろう。或いは特別な養殖法で育てられた、無毒をうたう佐賀のふぐの肝だったのかもしれない。
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