本日、52回目の祖母の命日でした。
あの日も今日と同じ透き通るような青空を、病院の外階段で見つめていました。
明治25年生まれの祖母は、神田三崎町の女医産婆学校を卒業(本ブログ内祖母の卒業アルバムにフォトあり)し、大学病院へ勤務したのち、千駄木の薬種屋へ嫁いだ後も産婆をしており、真に数奇な運命をたどった人でした。
どのような数奇な運命かは、参加している同人誌に追々綴っていこうと考えています。
他人が聞いたら『絶対に嘘だ!』と、きっと言うでしょう。
祖母は谷中の墓地に、蟷螂の親父と一緒に永い眠りについています。
あの墓地も、蟷螂兄弟がこの世を去ったら、きっと無縁になるのでしょう。
なにしろ同居人は、両国のマンション寺に入る気満々なのですから、そうなるとアンポンタン大バカ間抜け倅は『ボクも両国に入る』と言い出しかねません。
蟷螂夫妻亡きあとは別居ということになるのでしょう。
今日は谷中の寺は若住職が出てきました。
『いったいいつまでこのコロナ騒ぎが続くんでしょうね』
『いっときはよかったんですけれどねぇ』
『若い人たちは大変ですよね』
間仕切りならぬ、暖簾越しに少し会話しました。
墓へ赴くとあとからカツカツと靴音が。
命日が同じ人がいる。
帰りに寺の敷地にバカでかい四駆が頭から突っ込んでいて、邪魔くさいったらありゃしない。
きっと蟷螂のクルマが停まっていたので仕方なく寺の敷地に乗り入れたのでしょう。
もし、蟷螂のクルマが乗り入れていたら、外に停めなければならず、そうなると通行妨害になるくらいの大型車です。
尻から出るときは苦労するだろうなぁ。
10回くらい切り返しかな。
喉はまだ時々痛く、『のどぬーるスプレーEXクール』でしのいでいます。
今朝は熱が少し高めの36.7度。
来月の親父の祥月命日までに体調は整えておかないと。