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Sunset hills

byサントス

引き続き・・・

2013-08-18 22:44:02 | old times

木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)

奥に見えるのが三柱鳥居、

ミステリアスな鳥居である。

その昔、秦氏が蚕から絹を作ったのだろうと思う。

三柱鳥居は1831年に再興されたものとなっている。

佐伯博士が日ユ同祖論が明治41年(1908年)

それよりも古く存在したのは事実である。

神社や寺には縁起が文献として残されていることが多い。

日本人は元来勤勉であり、寛容であったと思う。

異国の文化を好んで取り入れている。

一方で江戸時代には鎖国政策やキリスト教弾圧を行ったり、

廃仏毀釈(1868~1870)行ったりしている。

1300年近くの歴史のある史跡、

色々と記録が残っていてもおかしくないと思うのだが・・・。

 

広隆寺、ここも秦氏とかかわりが深い。

 

仏教の十善戒とモーセの十戒が似ているといわれる。

確かに似ている部分もある。

  • わたしのほかに神があってはならない。
  • あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
  • 主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
  • あなたの父母を敬え。
  • 殺してはならない。
  • 姦淫してはならない。
  • 盗んではならない。
  • 隣人に関して偽証してはならない。
  • 隣人の妻を欲してはならない。
  • 隣人の財産を欲してはならない。

                                  wikiより引用

ただ、仏教では念仏を唱えたりする。

インドでは口承文化、つまり口伝で伝わったものが

後に経典としてまとめられている。

人に伝わるのにポイントを3つにまとめるとか、5つにまとめるとか、

仏教では要点を伝える工夫があった。

一、二、三、・・・・十、

身口意の三業とか八正道、六波羅蜜、十二因縁とか数々ある。

2500年と3000年、時期の早い遅いはあれど

両手で十を示して教えを覚える。

釈尊の時代のインドにも文字はあったと聞くが、

やはり口承が主だった時代である。

洋の東西を問わず同じことが起きてもおかしくないが、

内容は全く別物である。

 

景教というのも時代とともに意味合いを変えている。

単純に中国から見て今でいう西洋の思想をさしたり、

キリスト教の一派をさしたり、

キリスト教全体をさしたりもする。

その辺もはっきりとしない意見が多い。

いろんな意見が入り乱れている。

 

キリスト教だとバラやユリ、仏教では蓮の花がよく描かれている。

蓮はインド原産の花である。

昔から洋の東西互いに何らかの影響を受けていたというのならわかるが、

自分たちが上でその他は下と言わんばかりの内容には賛同出来ないでいる。

日本で文字文献が残せる時代よりはるか前に、

大陸から人が来て色んなことを教え広めたことは

十分に理解しているつもりである。

同祖というのが700万年前にたどり着く話ならば

素直に認めることができる。

 

縄文・弥生時代のことですら正確なことはわからない。

石ころひとつの発見で変わってしまうもの。

奥が深いのか答えが別のところにあるのか。

そこに面白さがあるのかもしれないですね。


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