JR大阪駅から少し南にくだると「梅田新道(うめだしんみち)」があります。
ここは国道1号線と2号線が切り替わる分岐点。
1号線と2号線だけではなく、176号線(通称イナロク)と、25号線が切り替わる分岐点でもあります。
ようするに5つの国道の分岐点、それが梅田新道です。通称「梅新(うめしん)」と呼ばれています。
えっ? 5つの国道じゃなくて4つだろ?
ですね。でも25号線には165号線も含まれています。隠れているのです。
165号線は、25号線と22.4kmも重複区間となっていて、地図上で165号線と出てくるのは大阪府柏原市(かしわらし)国分〈近鉄大阪線「河内国分駅」付近〉からです。
梅田新道の南側は国道25号・165号・御堂筋と、3つの顔を持つ国道ということになります。
正直に告白しますと、25号線と165号線が重複していることは今回、梅田新道を調べてわかったことで、今日の今日まで知りませんでした。
↑梅田新道(うめだしんみち)【マウスポンタオンでスライド再生】
御堂筋と呼ばれる道路は、この梅田新道から難波までの約4キロ区間で、南行き一方通行です。
↑表画像は、道路元標(どうろ げんぴょう)
裏画像は、大阪市を起点・終点とする一般国道が書かれたプレートです。
この道路元標は、梅田新道の西北角、大阪駅前第3ビルの前にありました。
辞書によれば、
どうろげんぴょう【道路元標】
『道路の起点・終点などを示す標識。
《参考》道路法により、各市町村に設置することが義務づけられている。東京都は日本橋の中央にある』らしいのですが、東京の方、ご存じですか?写真で見ると、大阪の道路元標と違って道のタイルに埋め込まれているようです。
梅田新道が、道路元標の設置場所であることは今回初めて知りました。
大阪市の国道の基幹ともいうべき場所だったのですね。
道路元標、これを見た時、私は「もとひょう」と読むのかと思いました。 「げんぴょう」と読むことを辞書で知りました。
裏画像の大阪市を起点・終点とする国道を見ると、
分岐点の梅田新道では、1号線の終点から2号線が始まりますが、176号線と25号線はともに終点なんですね。しかし、隠れている165号線は起点となっています。なるほど~。
ちなみに、26号線の起点は浪速区大国町。25号線はこの大国町から東に向きを変えて阿倍野方面へ。
163号線の起点は旭区関目、1号線から別れて東へ。
いずれの国道も梅田新道から流れる国道とつながっているということですね。
【追加訂正】上記のキャプションで「大阪市を起点・終点とする一般国道」と書きましたが、これは間違いで「梅田新道を起点・終点とする一般国道名」です。
また26号線・163号線の起点も間違っています。全て梅田新道でした。
詳しくは5月11日の「分岐点の訂正及び追加」に書きましたのでお読みください。申し訳ありませんでした。
↑表画像は、道路元標の脇にあった経過説明のプレート
裏画像は、文字の一部アップです。
読めませんね。書きます。
『大阪市道路元標は、旧道路法(大正8年)の制定により、大正11年中之島の大阪市庁舎前に設置されたのがはじまりで、それ以前は明治9年高麗橋東詰に建てられた■程元標が、その役目を果たしていた。
その後、新道路法(昭和27年)が制定され市内を通る国道の起終点が、梅田新道に定められたのに伴い、昭和28年道路元標もこの地に設置された。
道路元標を新しく築造したが黒御影石の銘は、昭和28年当時のものをそのまま用いた。
昭和57年4月 建設省近畿地方建設局 大阪市』
です。この中で高麗橋東詰に建てられていたという「程元標」の前の文字が潰れていて読めないので■にしましたが、どなた読める方はいらっしゃらないでしょうか?
裏画像に潰れた文字をアップしました。「塁」にも見えますが・・・。
【追加】
■の文字が分かりました。「里」でした。「里程元標」だったのです。
明治9年に高麗橋に里程元標が建てられたということは、その頃は、船場が大阪の中心だったということになりますね。
polo181さん、スイポテさん、横浜のおーちゃん始め、教えてくださった皆さま、ありがとうございました。
↑梅田新道の西南角(御堂筋側)にあった昭和15年の梅田新道です。
裏画像は、プレート横にあったスミレとハルジオン(ヒメジョオン?)の花壇
【訂正】花はビオラとノースポールでした。スイポテさんありがとうございました。
説明文字は読みにくいですね。
御堂筋のストーリープレートには、ボタンを押せばスピーカーでそれぞれ4カ国語で流れますが、画像のボタンを押しても音は流れませんので(当たり前やがな)、書きます。↓
『この辺りは、古くは淀川とその支流に囲まれた砂州で、水辺に突き出たところ「さき」でした。石ころだらけの荒地であったため、やせた土地や岩の丘をいう「そね」から転じ「曽根崎」と呼ばれるようになったそうです。
15世紀頃から農村へと開発され、江戸時代のはじめ頃は菜の花見物で賑わうのどかな村だったそうです。』
曽根崎心中で有名なお初天神(露天神社)がすぐ近くにありますが、心中事件の起きた江戸時代、このあたりは草ぼうぼうの田舎だったと書かれていたのを思い出しました。
今回、ご紹介した梅田新道が、国道の分岐点であることを意外にも大阪人の中でも知らない人が多いようでしたので、いろいろと調べました。
大阪市の道路元標のある所であり、また隠れていた165号線の起点でもあることを知ったことは、貴重な成果でした。
長い文と画像をご覧くださった方々ありがとうございました。
ここは国道1号線と2号線が切り替わる分岐点。
1号線と2号線だけではなく、176号線(通称イナロク)と、25号線が切り替わる分岐点でもあります。
ようするに5つの国道の分岐点、それが梅田新道です。通称「梅新(うめしん)」と呼ばれています。
えっ? 5つの国道じゃなくて4つだろ?
ですね。でも25号線には165号線も含まれています。隠れているのです。
165号線は、25号線と22.4kmも重複区間となっていて、地図上で165号線と出てくるのは大阪府柏原市(かしわらし)国分〈近鉄大阪線「河内国分駅」付近〉からです。
梅田新道の南側は国道25号・165号・御堂筋と、3つの顔を持つ国道ということになります。
正直に告白しますと、25号線と165号線が重複していることは今回、梅田新道を調べてわかったことで、今日の今日まで知りませんでした。
↑梅田新道(うめだしんみち)【マウスポンタオンでスライド再生】
↑表画像は、道路元標(どうろ げんぴょう)
裏画像は、大阪市を起点・終点とする一般国道が書かれたプレートです。
辞書によれば、
どうろげんぴょう【道路元標】
『道路の起点・終点などを示す標識。
《参考》道路法により、各市町村に設置することが義務づけられている。東京都は日本橋の中央にある』らしいのですが、東京の方、ご存じですか?写真で見ると、大阪の道路元標と違って道のタイルに埋め込まれているようです。
梅田新道が、道路元標の設置場所であることは今回初めて知りました。
大阪市の国道の基幹ともいうべき場所だったのですね。
道路元標、これを見た時、私は「もとひょう」と読むのかと思いました。 「げんぴょう」と読むことを辞書で知りました。
裏画像の大阪市を起点・終点とする国道を見ると、
分岐点の梅田新道では、1号線の終点から2号線が始まりますが、176号線と25号線はともに終点なんですね。しかし、隠れている165号線は起点となっています。なるほど~。
ちなみに、26号線の起点は浪速区大国町。25号線はこの大国町から東に向きを変えて阿倍野方面へ。
163号線の起点は旭区関目、1号線から別れて東へ。
いずれの国道も梅田新道から流れる国道とつながっているということですね。
【追加訂正】上記のキャプションで「大阪市を起点・終点とする一般国道」と書きましたが、これは間違いで「梅田新道を起点・終点とする一般国道名」です。
また26号線・163号線の起点も間違っています。全て梅田新道でした。
詳しくは5月11日の「分岐点の訂正及び追加」に書きましたのでお読みください。申し訳ありませんでした。
↑表画像は、道路元標の脇にあった経過説明のプレート
裏画像は、文字の一部アップです。
『大阪市道路元標は、旧道路法(大正8年)の制定により、大正11年中之島の大阪市庁舎前に設置されたのがはじまりで、それ以前は明治9年高麗橋東詰に建てられた■程元標が、その役目を果たしていた。
その後、新道路法(昭和27年)が制定され市内を通る国道の起終点が、梅田新道に定められたのに伴い、昭和28年道路元標もこの地に設置された。
道路元標を新しく築造したが黒御影石の銘は、昭和28年当時のものをそのまま用いた。
昭和57年4月 建設省近畿地方建設局 大阪市』
です。この中で高麗橋東詰に建てられていたという「程元標」の前の文字が潰れていて読めないので■にしましたが、どなた読める方はいらっしゃらないでしょうか?
裏画像に潰れた文字をアップしました。「塁」にも見えますが・・・。
【追加】
■の文字が分かりました。「里」でした。「里程元標」だったのです。
明治9年に高麗橋に里程元標が建てられたということは、その頃は、船場が大阪の中心だったということになりますね。
polo181さん、スイポテさん、横浜のおーちゃん始め、教えてくださった皆さま、ありがとうございました。
↑梅田新道の西南角(御堂筋側)にあった昭和15年の梅田新道です。
裏画像は、プレート横にあったスミレとハルジオン(ヒメジョオン?)の花壇
【訂正】花はビオラとノースポールでした。スイポテさんありがとうございました。
御堂筋のストーリープレートには、ボタンを押せばスピーカーでそれぞれ4カ国語で流れますが、画像のボタンを押しても音は流れませんので(当たり前やがな)、書きます。↓
『この辺りは、古くは淀川とその支流に囲まれた砂州で、水辺に突き出たところ「さき」でした。石ころだらけの荒地であったため、やせた土地や岩の丘をいう「そね」から転じ「曽根崎」と呼ばれるようになったそうです。
15世紀頃から農村へと開発され、江戸時代のはじめ頃は菜の花見物で賑わうのどかな村だったそうです。』
曽根崎心中で有名なお初天神(露天神社)がすぐ近くにありますが、心中事件の起きた江戸時代、このあたりは草ぼうぼうの田舎だったと書かれていたのを思い出しました。
今回、ご紹介した梅田新道が、国道の分岐点であることを意外にも大阪人の中でも知らない人が多いようでしたので、いろいろと調べました。
大阪市の道路元標のある所であり、また隠れていた165号線の起点でもあることを知ったことは、貴重な成果でした。
長い文と画像をご覧くださった方々ありがとうございました。
私が応えたのは43号線のことで国道名を間違っていました。
私にとって43号線のほうが馴染みがあるので、てっきりそうだと思いこんでいました。
調べてわかりましたが、42号線は、紀伊半島の海岸沿いをグルッと回っている国道ですね。
和歌山市から26号線と合流し、地図上ではそこから上は26号線としか表記されていません。26号線は訂正記事にも載せましたが起点は梅田新道です。
本当かどうか知りませんが、私もそうなんだと思っていました。
記事中、誤りがありましたので、追加記事も書きましたので、よろしかったらお読みください。ちょっと長くて申し訳ないのですけど。
大阪駅が無かった頃の梅田辺りは田んぼばかりだったそうですね~。田を埋めたところから埋田(うめた)と云われていたのが梅田になったとか(笑)
あまもりさんのように詳しく調べていないのでほんまかどうか分かりませんが・・・(^^ゞ
ビオラ、なるほど小さ目の花でしたからビオラかもしれません。
ビオラとノースポールの花壇に間違いないようです。
再度おおきにでした。
たまたま気になるところを写真に撮って、調べると次から次へと知らないことが出てくるというわけです。
身近な大阪もいろいろと面白いところがいっぱいあるなぁと最近思っているんですよ。
城北公園のハナミズキは友達の輪!だったんですね。
輪っ子という表現は面白いですね。この輪っ子状態のハナミズキが意外と気付かれないんですね。調査おおきにでした。
私は個人的にはパンジーよりこっちの小型のビオラが好みです。
謹んで訂正致します。
すごいですね。よく調べましたね。陸橋の上から写真を撮られたのですか?
「初めて」「何、これ?」「どうして?」「な~んだ!」・・・などなどの言葉が聞こえてきそうです。何も感じないで素通りしていてはいけないな、と思いました。
今日、城北公園にいきました。まだ咲いていたハナミズキをよく観察しました。
あまもりさんの画像のように「輪っ子」をつくっていました。いかによく見ていなかったかと思いました。今日も梅田新道のこともそうですね。反省!
漠然と梅田新道が境のはずと思ってたので、今回徹底的に調べました。成果ありでした。
おお、はっちゃんが出演!
関テレ、零時半やね。今から帰るからビールを飲んでゆっくり見ようっと。おおきに。
んでもって,お知らせ
本日深夜0:35~1:05 関西テレビ8chの「ほんじゃに!」に出演 見るべし(=゜ω゜)ノ
http://www.ktv.co.jp/b/honjani/index.html
でもこんなに重要な場所だったとは調べるまでわかりませんでした。
写真を撮った時間はお昼頃だったので、これでも車の量は少ないほうですよ。
特に神戸方面(西)は空いていますが、これが夕方になると渋滞します。
国道1号線は大阪から東京まで、ほぼ昔の東海道を踏襲しているらしいのでポージィさんの実家も横浜も通っていますよね。でも今は名神・東名と高速があるので1号線を通って東京まで行く人もいないかも。
私も静岡駅に降りた国道が1号線と知った時、この道は大阪へも通じてるんだとなんだか愛着を感じました(笑)
国道1号線は、単に1号線としか私は言わないんですが。他の国道は、171号線は「イナイチ」、176号線は「イナロク」と言うのに何でかなぁ。
横浜は「しんどう」と呼ぶんですか。
梅田新道の場合、大阪駅が作られた時に淀屋橋と繋ぐ道路を造ったのが始まりらしいです。明治時代ですよね。昔なので「しんみち」と読んだのかなぁなんてね。
ポージィさんの発想は大好きです。私好み(笑)
どんどん面白い発想してや。待ってまっせぇ。
里程、という言葉が浮かびませんでした。ガクが退化したあまもりです。
梅田新道が大阪市の道路元標であることは今回調べて分かりました。
いつも見ている所でも知らないことはいっぱいありますね。
昔は道路という呼び名じゃなく里程だったのですね。村々の道標も里程ですものね。
今回、あらかじめ調べてから行ったので見つけたぐらい。
スイポテさんも「里」なんですね。
「里程」という言葉がすぐに浮かんでこなくて、教えていただいて成る程と思いました。
白い花はノースポール!
今Web検索で調べてみたら、ほんまそうやね。
さすが花博士です。
スミレはパンジーやったんですか。小さい花なのでパンジーとは思わへんかった。タハッ
「里程」だったんですね。ああすっとしたぁ。
リンクしてくださったサイトに飛びました。
全国の道路元標が載っているんですね。昔の里程そのものというものも多いですね。でもなんだか嬉しくなるような道路元標たちです。
第二阪神国道と呼ばれる43号線も確かに大阪市西成区花園起点ですね。
(Wikipediaで調べました)
梅田新道にある道路元標に載ってませんね。
載っていないのは、この道路元標が作られた年にはまだ一般国道になってなかったからじゃないかと思ったのですが、43号線が一般国道に昇格したのは1965(昭和40年)とありました。
この道路元標が新しく作られた年は昭和57年(1982)ですね。
梅新から繋がる国道ではないからでしょうか。ちょっとわかりません。
御堂筋は8車線もある一方通行なのに車は多いですね。8車線もあるせいで右左折するのに骨の折れるところです。私はタクシーのそばにはできるだけ近づかないようにしています。
車多いですね…
私はちょっと車線数が増えると恐ろしくて運転できません(^^;)
国道1号線は、故郷愛知の町も通っていたし、今住んでる市内も
通っているしで、ちょっと愛着があります。
あまもりさんの住んでいらっしゃる大阪も通っている…繋がってますね(^^)
そうそう、国道1号線のことを、愛知の私の田舎辺りでは「こくいち」と
呼んでいたのが、こっちでは「いっこく」が通称になっているみたいです。
大阪ではどうですか?
それから、「新道」がつく道路がこちらにもあって(横浜新道)、
こっちでは「しんどう」って呼んでます。
すみません、ヘンなとこに注目してしまいました。
面白いですね。そして重要な場所ですね。
里程ですとコメントしようと思ったら↑で、ちゃんと適切にせつめいされました。記事にもあるように、明治時代は里程元標だったのですね。
あまもりさんらしいわぁ。
第3ビル行ってても、こんな目立つ道路元標やのに気にも止めなんだわ。
梅新の東西南北、こんな風な風景になっているんやね。
あの潰れた字、素直に「里」の字ちゃうやろか。
里程=ある場所から他の場所までの道の長さ。道のり。
それから…パンジーの奥に咲いてる白い花は
マーガレットをひとまわり小さくしたようなノースポールちゅう花やと思います。
花壇によく植えてあります。
大阪では、猛烈な数の車が走っていて、御堂筋などはちょっと恐怖をおぼえます。よくまあ、詳しく調べた物です。42号線はどうなっているの?