その相手はTという男で、この時からすればついこの間まで服役していた件の共犯者で、要するに恐喝事件だったのだが、このTという男が口を割った事がきっかけで私は起訴された、と思っている。
犯罪者を軽蔑する一般の人達からすれば、自業自得と一蹴される話ではあるのだが。
恐喝事件のあらましは、要するに私に被害者が口を荒げた事を言い掛かりにして、Tが怒り、お金にするから話を合わして下さい、悪い様にはしませんからと言うので、私はまさか捕まるとは思ってなかったので話を合わした。私は出て来てまだ2年位で真面目に働いていたが、何だかんだ不良で、Tは手首まで刺青を突いていて、額に大きな傷を負っていて顔面凶器なので、見た目で大丈夫だろうと思ってしまった。
もう一人、先輩がいた。
そしてその件では数十万恐喝し、私は三等分よりほんの少し多い金を受け取って終わったのだが、
その後私以外でTや先輩、その他がその被害者をカモにして、無茶苦茶やって、警察に走られた。
半年後、私達は事前に警察に走ったという話をキャッチしていて、逮捕間近という話もキャッチしていた。
その最中、Tは電話して来て、私の件は否認します。僕が全部被りますんで、すいませんでした、と言うので、私は、少なからず後から無茶苦茶やって警察に走られたのはお前達の責任だという思いもあったし、まあ否認すればいけるやろとも思っていたので、
そうか、悪いな、じゃあ頼むで、と言って、Tを信じる事にした。
そして逮捕された。
私はその時、デリヘルを経営していたので、かなりの痛手だったが、まあ20日で出れるやろという計算だった。
私とTが同じ警察署、もう一人の先輩が別の警察署に留置された。
取り調べが始まり、私は筋書き通り否認した。
しかし、二週間位たった辺りから取り調べの雲行きが怪しくなって来た。
まあ、警察のよくある手だろうとタカを括っていたが、
あくる日位に、Tが運動時間私と同室の奴と一緒になり、その同室の者が言伝てを持って帰って来た。
バットの件は無しで、すいません、と。
私は深く推察すると、一つの答えが頭を過った。罪を認めている。
可笑しい。
そんな筈は無い。
私の余裕の顔の表情はサッと消え、代わりに神妙な顔つきになった。
もし認めているとなれば、全てが終わる。
取り調べの時に、私は担当刑事に、私とTしか知らない事実を刑事が知っているかカマをかけてみた。
刑事はそれを言ってのけた。
考えたが、私の中の選択肢は2つだけだった。
このまま否認を押し通すか、それとも認めるか。
Tが認めていれば、否認しようが追認しようが、100%起訴、有罪になる。
その時、私が否認していたなら、より悪質と判断され、量刑は増えるだろう。
それよりも、Tが憎かった。
私は、前の服役から間が空いてなかったので、実刑は避けられない。
それなら一刻でも早く帰ってTを待ち受け、私のその時の屈辱感が消える位懲らしめてやりたい。
私は数分考え、娑婆での2年半を走馬灯の様に思い出し、真実を供述した。
勾留期間満了直前の出来事だったので、検事がわざわざ警察署を来訪し、調書を巻いた。
恐らく1年8ヵ月~位だろう。お店は諦めた。一応、小規模ながら経営者の端くれだったので、嫁は居ないので、親を介して被害者に詫びを入れた。謝罪文も手渡して貰い、受け取った金だけだが、弁償
した。出来る事なら店をもう一度したいと思っていたし、罪を認めたからには、出来る限り全力で被害者に謝罪するのが筋だと思っていた。
正味支払いを引いてしまったら、20万円も残らなかった。
借金は車のローン等含めて100万以上あった。
私はその時自分の価値は利益を生む事だけだと頑なに信じていて、その武器は人間性だとも思っていたので、誰からも無心出来なかったし、
真面目な黒服上がりだった。
反面、支払いは飛ばせばいいとも思っていた。
どうせまたお店やって、今度は捕まらずに稼いですぐに一括で返してやると思っていた。
この話は言ってみれば全部自業自得だが、悪の世界特有の掟で、警察で共犯者を裏切り自白する行為は、自殺行為に等しいという鉄則がある。
そんな人伝で、すいませんと一言言って許されるのものであれば、この青い服を来た人達はわざわざここには居ないだろうし、
お前が否認します、安心して下さいと言わなければ、身体躱して例えば被害届けを取り下げて貰う為に何か働きかけをする事が出来たり、例えばこういう事件だからこうすれば大丈夫だよとアドバイスをする事が出来たり、確実にその時よりはいい状況を生む事が出来てた筈だ。
そんなチマチマした事を言うつもりは無い。
お前もう悪は辞めろよ。俺が辞めるまで叩き直してやる。
その時決意を固めた。
そして私は前回の服役では懲罰12回だったのにも拘わらず、1年6月無事故で出所した。
一応、その時点では裁判中、被害者が私に対して嘆願書を書いてくれたり、友達や先輩も面会に来てくれたり、嘆願書を書いて集めて提出してくれたりしていた。
そして例の嫌がらせがあり、Tに対しては手付かずの状態が続いたが、
出所して2年後位、私が組で部屋住みをしていた時に、電話番号を仕入れ、早速呼び出した。
Tは車でホイホイやって来て、私は車に乗っかりすぐそこの人通りの少ない路地に止めさせた。
その時私は拳を畳を殴った事により骨折していたので、ギブスをつけた状態だったが、
Tごときにそんな事気にする頭は持って無かったので、
先行一番切り出した。
お前、あの時どういうつもりやねん。
コラ!われ!どういうつもりじゃ
言うとんのじゃ!
続け様に喝を連発したが、次第にTは反抗して来た。
本当ならこういう場面は複数で挑まなければならない。しかし、例の嫌がらせの一件以来、私は常に孤高だった。
あろう事かTは居直って来た。私は窮鼠猫を噛むということわざが頭を過ったが、咄嗟に折れてない左こぶしでTの顔をヒットさせた。Tは歯向かって来た。殴り合いになる。左手だけだが、私は殺す気なので、殴る事を止めない。Tは車のトランクを空け、バットを取り出し、再び襲って来た。雑魚なので威力は弱い。互角だった。
そのうち、Tは私の身体に巻きつき、ハアハア言わせながら、
もう止めませんか?と言って来た。
私は激昂した。もう埒があかんわい、組の者に電話して、応援を要請しようとした。
すると、Tは鼠の様に、そりゃ無いっすよと言い残し、
車に飛び乗り、勢い良くタイヤを鳴らしたかと思うと、どっかに消えて行った。
たちまち私は軽傷を負ったので、組に戻り、軟禁されていたので返しをさせて欲しいと訴えたが、
部屋住みを終えるまでは返しをするなという回答だった。
それではTが調子に乗る事が目に見えていたので、
叔父貴分とは押し問答になったが、考えは梃子でも動かない。その時はそれ以上言ったらしばかれるので、止めた。
その後Tは結婚し、会社を始めた様だった。
年月は過ぎ、話は飛ぶが、その5年後位に、友達が店長をやっているバーでばったり会った。女友達と来ている様だったが、
私は即座に話し掛け、お前わしの事分かってるよな、飲み来たんか?と言った。
すると、はい分かってます、飲みに来ましたと言った。
私はこのTがどれだけ私の事を舐めているのか知りたかったので、おう、じゃあ飲んで行けと言った。私はたまたま旧友と会って飲んでいた。すると、私のすぐ後ろで楽しく飲んだりカラオケをしているので、大体私も把握し、すぐさまに殴る様では行動が雑魚ですので、私はただ単に純粋な気持ちでそいつの事を大声で旧友に向かって避難し始めた。だってそうなるだろう。懲らしめてやると誓ったあのTが同じ空間にいる。1年6ヵ月間寒い日も暑い日も1日も忘れた事は無かった。しかし、予定が狂って金策に追われ、私は街全体に吊し上げられて行き、何とか経済が立ち直って来た矢先の出来事だった。生きている限りは、必ず有効打を与え、Tの人生を破壊してやるつもりだった。
そしてついに、Tの女がカラオケを歌っているのを私が下手だとつい酒の勢いで言ってしまった事がきっかけで、Tはいきなり私の顔を殴って来た。私はもうそれをするしか方法が無い位Tをこけにしていたかも知れないので、もしかしたらとは思っていたが、案の定彼はレッドカードを引いたので、私は彼に面と向かってわれコラと避難した。彼は多分殴って欲しかったのだろう。少し目を瞑っていた様に見えたが、私は既に行政書士の試験に一発で合格していたので、殴る訳にはいかなかったし、そんな事頭にも過らなかった。私の拳はこんなウスラバカを叩く為にあるものでは無い。徹底的に批判していたが、落とし処が無いし、また逃げられても困るので、店員に警察を呼ばせた。店に警察が入って来た後に、Tも同行し、警察署に行った。警察署では、Tは自分でトイレか隠れてか知らないが、殴ったのだろう、顔に傷を負っていたみたいだ。単細胞だから、容易に予想がつく。私に殴られたと主張していた様だった。要するに彼の主張はこうだ。私も殴ったが彼も殴った。だが、彼は気が狂って警察を呼んだ。店内には監視カメラは付いていた様だった。じゃあ安心ですね、全てが分かる。
警察官も、私が嘘を言って無い事は分かっている様だった。
その日は帰り、取り調べや証拠収集の上、被害届けを受理しますという流れだったが、後日、刑事から店員は一部始終を見て無い、監視カメラも丁度死界になっててこのままでは被害届けを受理出来ないと言う。
店員はすぐ目の前にいた。あれを見てないというのは変だ。
私は友達の店長に掛け合ったが、反対に出禁になった。
どうも腑に落ちないが、まあ仕方無い。中々重宝しているお店だったが、私の中の長い歴史に幕を閉じた。
結局殴られ損になり、一緒に壊れたクロムハーツの弁償代も無くなってしまったが、接着剤で止めたら治ったし、威力が小さすぎるので無傷だったし、散々喚き散らしてTの女友達にも暴言も吐いたりしていたので、ま、今回はいいかな、次は有効打を打てばいいかなという感覚で、結局何にもならないという事をTにはわざわざ告げずに放っておいた。
結論を言えば、この1ヵ月後か2ヵ月後位にTは死んだ。練炭自殺だそうだ。
私は1年後にこれを知った。
一応家にも行って、線香を上げ、Tの友達や父親の話を聞いた。それは盛大なお通夜だったそうだ。
ま、私の所よりも少し田舎の奴だったので、みんな仲良しだったのだろう。
なぜ口割り三平太と呼ばれながらも、彼は私に逆らったのかが意味不明だ。
心から詫びを入れれば、私はきっと許してやっただろう。
私はTとは違い、若い頃ヤンキー街道を突っ張しって来た自負があった。多分Tよりは何十倍も修羅の道を経験して来た筈だ。
しかし、叔父Oがいた為に、いつも私の取り巻きには表と裏の顔があった。Oが掟破りを犯した組次第では、いつ育んで来た友情がひっくり返るかも分からない危険を孕んでいたという事だ。
私は無邪気だった。