マッケンローに影響され、自分も良く友人とテニスをしていたが、彼が愛用していたラケット、Dunlop Max 200G (写真)を2本も買って、マッケンローが契約して試合で履いていた、Nikeの超カッコいいクロストレーニングシューズ「Nike Air Trainer Hi」(写真)も発売日前から予約して購入し、Nikeの黒と紺のチェック柄をベースにしていたマッケンローシリーズのテニスウェアなども買い揃えたものだ。ここまで来ると、完全なマッケンローフリークである。今を思えば、僕がNikeフリークになったのも、マッケンローがきっかけだ。
マッケンロー好きが講じて、僕は当時彼をモデルにしたキャラクターも多く作成していた。これも彼のウェアなどにあわせて描いたり、他の選手の似顔絵をベースにしたキャラクターをシリーズ化していたが、最近20年ぶりに当時のことを思い出して、下記の通りマッケンローを描いてみた。
実際に見に行った試合で一番印象に残っていて悔しい思いをしたのは、1985年の全米オープンテニスの決勝だった。その前年の1984年、マッケンローはレンドルを全米オープンの決勝でストレートにて撃破し、まさにマッケンロー全盛時代に突入していたが、同じ顔合わせとなった1985年の決勝は、大方の予想に反して、マッケンローのストレート負け(7-6, 6-3, 6-4)に終わってしまい、僕は、かなり機嫌悪く会場を後にしたのを良く覚えている。この決勝での敗戦を機に、テニス界はレンドルの黄金時代に突入した (レンドルはその後1986, 1987年と3年連続で全米オープンを優勝)。
マッケンローは1992年、33歳で現役を引退したが、最近では4大大会での解説者や、シニアテニスツアーでその勇姿を見ることが出来る。すっかり歳をとり、ボサボサ頭も白髪になったが、その件p的なボレータッチは今でも健在なのがファンにはたまらない。2001年、サンノゼに駐在していた時に、マッケンローの母校であるスタンフォード大学で行われたシニアツアーのエキシビション大会を見に行ったが、久々にマッケンローの試合を生で見て感動したものだ。もう1つ思い出に残っているのが、2003年にNY出張時に全米オープン観戦をした際、解説をしていたマッケンローと会場近くの売店付近ですれ違ったことだ。まさに”生マッケンロー”を超至近距離で見ることが出来たのだったが、こんなに近くで見たのは恐らく最初で最後だろうか。
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antenna88
克憲
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