先日松田聖子のライブに行ってから、またまた久しぶりに松田聖子にどっぷりハマっている(笑)。彼女のベスト盤などを聴きまくりながら、多感な小学生・中学生時代を過ごしていた80年代当時を思い出していた。
そしてそんな中、松田聖子に関する何とも刺激的な本が新たに出版された。新潮新書からの新刊、『松田聖子の誕生』というタイトルの本である。なんと、松田聖子を発掘・プロデュースし、トップアイドルに育て上げた若松宗雄氏による著書。一体どのようなことが語られているのか大変気になってしまい、思わず本を購入した(新潮新書には、このような面白いテーマの本がとても多いので、いつも刺激を受けている)。
本書は、若松氏が福岡でのオーディションを収めたカセットテープから、松田聖子の歌声に、トップアイドルを見出すまでのエピソードなどが語られているのだが、本のキャッチを引用すると下記の通り。
「すごい声を見つけてしまった」。一本のカセットテープから流れる歌声が、松田聖子の始まりだった。芸能界入りに強く反対する父親、難航するプロダクション探しと決まらないデビューなど、相次ぐハードルを独特の魅力を武器に鮮やかにとび越えていく。地方オーディションに夢を託した、「他の誰にも似ていない」16歳の少女の存在がやがて社会現象になるまで、間近で支え続けた伝説のプロデューサーが初めて明かす。
1980年の松田聖子のデビューは、一人の松田聖子ファンとして、小学生当時リアルタイムで体験していた。しかし、そのデビューまでの経緯はあまり知らなかったので、この本は本当に新たな情報ばかりで、かなりのめり込んで一気に読み切ってしまった。
久留米に住んでいた16歳の松田聖子(当時はまだ蒲池法子)は、1978年の4月に『ミスセブンティーンコンテスト』の九州大会に出場し、ここで見事優勝している。その後、各地方の大会から優勝者が東京での決勝大会に進むのだが、松田聖子は決勝大会を辞退してしまう。しかし、偶然にもこの九州大会でのデモテープを聴いたCBSソニーの若松氏が、松田聖子の声に惚れ込んでしまい、なぜ決勝大会を辞退したのか気になると同時に、一度直接会って話してみようというところから始まる。直感的に、“この子は絶対ブレイクする”と感じたわけだが、まだまわりはそのことには気付いていなかったのだ。
その意味で、この本は松田聖子について語った本ながら、若松氏自身の自伝的著書でもある。あくまでも若松氏の視点でその時はまだ原石でしかなかった松田聖子という存在を見つけ、その時どう感じていたのか。そして当時若松氏が新たな逸材を探してデビューさせないといけないという大きなプレッシャーの中で、松田聖子に出会ったのは偶然ながら、どこか必然でもあったことを強く感じた。
松田聖子が決勝大会を辞退したのは、父の強い反対があったからである。蒲池家はとてもコンサバでしっかりした家柄であったようで、芸能界に出て歌を歌うなどとんでもないということで、父親の強い反対にあったのだ。若松氏は何度も福岡に飛び、父親の説得を試みた。しかし結局16歳で見出したものの、松田聖子がデビューするのがその2年後の1980年。実に2年間父の説得に要した。普通のプロデューサーであれば、早くから諦めていたかもしれない。しかし若松氏は何とか粘り続けて最後には父親の了解を取り付けることに成功するのだった。若松氏の粘りと信念が如何に強かったのかも著書を読んで良くわかるのがとても勉強になったが、それに勝るとも劣らず、松田聖子自身も“絶対歌手になりたい”という強い思いから、“父親を何が何でも説得する!”、“説得するまで諦めない!”という強い心を持っていたこと、そしてそんな松田聖子に若松氏が粘り強く寄り添いながら、2人三脚で挑んだことが最大の勝因であった。
松田聖子はこのデビューまでの2年間の間に6通の手紙を若松氏に出しており、この6通を今でも大切に保管していた。歌手への思いが詰まった松田聖子の手書きの手紙など、捨てられる筈はない。今回本書にも実物の写真が載っていたが、結構丸くて可愛い字体が印象的であった。インターネットでメールを送れる環境にも無かった当時は、電話と手紙が如何に重要な意味を持っていたかを改めて思い出してしまう。
更に本書で面白かったのは、松田聖子のデビューが決まってからも、事務所がなかなか決まらなかった過程、そして最終的にあの有名な相澤社長のサン・ミュージックに決まるエピソードも興味深かった。そして事務所が決まった後も、ファーストシングル『裸足の季節』でデビューするまでの関係者の奮闘や、CMなどが決まったりすることで、松田聖子の持つ強運などにも驚かされるエピソードばかりであった。
松田聖子の1980年代後半までの全ヒット曲・全アルバム・全シングルは、若松氏がプロデュースしていたらしいが、曲のタイトルや、財津和夫、松本隆、ユーミン、細野晴臣などの豪華な作詞作曲陣を如何に依頼していったのか、アルバムコンセプトやアルバムジャケットの写真選定に至るまで、プロモーションの全てを通じて如何に松田聖子を売り出していったか等のプロセスが、実に臨場感たっぷりに語られているのが何とも面白いし、様々な秘密を知ってしまったようで思わず興奮してしまった。中でも、僕も大好きな曲『チェリーブラッサム』で、それまでの曲風から少しロック調に意図的にコンセプトを変えたことや、当初それに松田聖子が違和感を持ったものの、最終的には納得し、今では完全にライブでの代表曲となっていることなど、知られざるエピソードの数々に興奮せずにはいられないのだ。
それにしても、今回最高の松田聖子に関する著書を読むことが出来た。繰り返し読みたくなる、そんな本であった。山口百恵が引退し、1980年の幕開けと共に日本の音楽業界が大きく変化していった。昭和の活気と熱気が満ちたアイドル全盛期であった1980年代に、先見の明で如何に若松氏が松田聖子のポテンシャルを見抜いて、それを信じて突っ走ったかを知り、とても胸が熱くなってしまった。当時の熱気と、松田聖子というおそるべき才能に触れてみたい方はぜひご一読を!