最近、70年代の昭和歌謡にどっぷりハマってしまっている(笑)。僕は本来80年代の音楽を一番リアルタイムで浴びた世代なので、70年代は完全にリアルタイムというわけではないかもしれないが、それでも小学生だった70年代後半は、ピンクレディーの大ファンだったし、初めて親に買って貰ったレコードもピンクレディーの『ジパング』だったので、70年代後半は結構記憶に残っている。この頃山口百恵も大好きだった。でもまだ小学生ということもあり、それ以外はあまり幅広く当時聴き込んだという印象は無いかもしれない。
70年代に人気があった女性アイドルとして、キャンディーズ、麻丘めぐみ、太田裕美、そして石川ひとみなどがいた。僕ものちに大人になってから聴いたことも多かった彼女たちだが、最近自分の中で70年代の昭和歌謡がちょっとしたマイブームになっている為、特に麻丘めぐみ、太田裕美、石川ひとみの3人にどっぷりハマってしまった。今回この3人それぞれのお気に入り曲について少し語ってみたい。
1) 麻丘めぐみ 『わたしの彼は左きき』
当時の麻丘めぐみは本当に可愛い。今写真を見てもうっとりしてしまう可愛らしさで、当時の男性たちはみんな虜になったことも想像に難くない。麻丘めぐみのシングル曲の中で一番のヒットは、やはり1973年にリリースされた『わたしの彼は左きき』だろう。僕もこの曲はリアルタイムではないが、後に聴いてとても気に入っていた曲なので、最近、懐かしのシングル(EP)レコードを購入した。曲と歌詞がなんともキュートで、今聴いても思わず萌えてしまう(笑)。そして曲と歌詞の素晴らしさもさもさることながら、このシングルジャケットの麻丘めぐみの写真がまた何とも可愛いのだ。まさに当時一世を風靡したトップアイドルの一人であったことは間違いない。この曲は、作詞:千家和也、作曲:筒美京平。それまでの“左利き”に対する世の中の偏見を一気に変え、むしろ左利きであることで人気者になってしまうほどの社会現象・影響力をもたらした曲としても特筆すべき可愛い名曲である。僕も左利きなので、この曲は個人的に大好きな曲である。
2) 太田裕美 『木綿のハンカチーフ』
やっぱり70年代の名曲として外せないのは、1975年にリリースされた太田裕美の『木綿のハンカチーフ』だろう。作詞:松本隆、作曲:筒美京平という黄金コンビによる大ヒット曲だが、今でも昭和歌謡を代表する名曲として極めて評価と人気が高い1曲だ。都会に出て少しずつすれ違いながら、最後は自分の元から離れていく恋人を歌った曲だが、当時は地方から東京や大阪に仕事で出て、スマホも無い時代に地元に残った恋人との遠距離恋愛みたいなシチュエーションも多かったのではないかと想像できるので、そんな中で多くの人が感情移入し、心に歌詞が刺さったのだろう。明るい曲調で始まり、男女2人が交互に会話していく形式で歌詞が進行していくが、別れることになってしまう2人の物語が、今聴いても本当に切ないし、まさに木綿のハンカチーフが必要になるような感動の余韻が残る。当時の太田裕美がまた何ともキュート。愛くるしいルックスは永遠なのだ。そして声もまた可愛いくて癒されてしまう。
3) 石川ひとみ 『まちぶせ』
石川ひとみは1978年デビューなので3人の中では一番若く、また僕の好きな名曲の『まちぶせ』も1981年のリリースなので80年代だが、やはり70年代後半を彩ったアイドルの一人として記憶に刻まれたアイドルだろう。石川ひとみも今見るととても大人びた美人タイプである。日本の男性が惚れてしまう一つのステレオタイプである、元気で活発な美女というイメージだ。NHKの歌番組である『レッツゴーヤング』で太川陽介と一緒に司会を務めたことでも有名だが、やはり彼女最大のヒット曲で、今でもファンの多い曲と言えば『まちぶせ』である。これは明るい曲調で始まるものの、何とかあなたを振り向かせようとする女性の切ない心情を歌った曲だ。作詞・作曲:荒井由実、編曲:松任谷正隆なので、ユーミンの名曲としても名高い。この曲が最高なのが、何度か繰り返すサビの一番最後、“好きだったのよあなた、胸の奥でずっと~♪”と歌う部分で、最後石川ひとみの声がちょっとだけかすれるのが最高で、何度聴いてもグッときてしまうのだ。
それにしてもこの3曲、そしてこの3人の美しき70年代アイドルは2024年の今聴いても、本当に素晴らしいし、色褪せない。そして、80年代に松田聖子の勝ちパターンを作った松本隆xユーミンという構図も、この70年代を彩った曲たちで実証している点も見逃せない。70年代の日本の歌謡曲も改めて振り返るとキラキラした魅力に満ちていたことが良くわかる3曲である。改めて70年代の素晴らしさを再認識してしまった。