オッペンハイマー
Oppenheimer
アカデミー賞 作品賞
モノクロの聴聞会シーンから始まる。
主人公オッペンハイマーが窮地に立ってる様子
この聴聞会を画策したのが靴屋さんから政治家?に成り上がったルイス・ストローズ、役は ロバート・ダウニー・Jr
( ずいぶんな爺さんになっていて、かつてDCヒーローだったとは.┐(´д`)┌
この映画はオッペンハイマー(研究者)と、このストローズ(米原子力委員会の委員)、加えてマットディモンの准将の三本軸で見ていったらいいのではと思う。
回顧シーン
ハーバード大学を出てイギリス、ドイツの大学に留学、その後カリフォルニア大で教鞭
同僚の学者にアーネスト・ローレンス役が、 ジョシュ・ハートネット
あの美青年がすっかりおっさんですわ(T_T)。
第二次大戦中の1942年 軍から「ドイツをやっつけられる驚異的な兵器を開発せよ」との依頼を受ける。
3年後原子爆弾が完成。どこれくらいの威力があるのか、どこかに落としてみたくて仕方がない様子で、1945年ドイツがすでに降伏していたので日本に投下(怒!。
「原爆の父」の名誉を受けるが「これ以上はダメだと水爆開発に反対」
トルーマン大統領(ゲイリーオールドマン)に「泣き虫(弱虫)」とののしられる。
研究所の同僚が「水爆の父」となる。
いろんな学者がわんさか出るし、セリフが長くて回りくどかったりするけど、
重要な4~5人を抑えとけば、まあだいたいのところはわかる(苦笑
しかも長い、180分(真ん中にインターミッション(intermission)休憩なし)
だけど、こいつらが日本に二度も原爆を落としたかと思うと、
怒りを携えて見続けられた。
アメリカの先住民の土地での実験、開発技術者たち全員、被ばくしてしまえばいいと思った。
オッペンハイマーは62歳 ガンでなくなっているけど、水爆の父と呼ばれる奴などは90過ぎ2002年まで存命だったらしい。
アイマックス映画というのを初めて見たけど(大昔にパシフィックリムという3D映画は大したことなかった)、
とんでもなく「大音響」正直うるさい、席が振動したみたい。
2600円もしたので、寝落ちしなくて良かった。
まあVFXというのか映像は大したもんです。
でも視覚効果賞は山崎貴監督「ゴジラ-1.0」だけどね(<(`^´)>エッヘン
もっと反核、世界平和を訴えたり、広島長崎の映像も入れて欲しかったですが、
アメリカ人でそんな意識をお持ちの方は、とんでもなく少数派なんだろうなと。
監督 クリストファー・ノーラン
脚本 クリストファー・ノーラン
原作
カイ・バード(英語版)
マーティン・J・シャーウィン
『オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇(英語版)』
(American Prometheus: The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer)
製作
エマ・トーマス
チャールズ・ローヴェン
クリストファー・ノーラン
出演者
キリアン・マーフィー
エミリー・ブラント妻
マット・デイモン 准将
ロバート・ダウニー・Jr.
フローレンス・ピュー
ジョシュ・ハートネット
ケイシー・アフレック
ラミ・マレック(ボヘミアン・・)
ケネス・ブラナー
音楽 ルドウィグ・ゴランソン
撮影 ホイテ・ヴァン・ホイテマ
編集 ジェニファー・レイム(英語版)
製作会社
シンコピー・フィルムズ
アトラス・エンターテインメント
配給
アメリカ合衆国の旗 ユニバーサル・ピクチャーズ
日本の旗 ビターズ・エンド
=ユニバーサル映画
公開
アメリカ合衆国の旗 2023年7月21日
日本の旗 2024年3月29日[1]
上映時間 180分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 $100,000,000(約150億円てこと?(-_-;) 単位がよくわからない・・・💦
ネットにあったこと丸っとコピペ
モノクロの場面の詳細がこのサイトでよくわかった。
世界はスティムソンが構想したように、核兵器廃絶・核兵器不拡散からスタートしたのではなく、核兵器独占・核兵器軍拡競争からスタートしたのである。
しかし、今考えてみれば、広島・長崎へ原爆を投下した時点で、核兵器独占・核兵器軍拡競争から世界がスタートすることは運命づけられていた、という見方もできる。
「アメリカが唯一の原爆保有国であって、しかも現実にそれを使用した場合、それをアメリカが進んで廃棄しようという話を、たとえ同盟国ですら信じるのはかなり難しいことになるでしょう。」―フランク・レポート―1945年7月)
ストロースは、(こうしたリリエンタールらの考え方に対して)水素爆弾の製造による「クラッシュ計画」を鋭く主張した。
「今やわれわれの計画の質的飛躍の時がきた。超爆弾の方向へ向けてわれわれの努力を大きく傾けるべきである。」
(※ ここで超爆弾というのは、熱融合爆弾のこと、すなわち水素爆弾のことである。ウランやプルトニウムの核分裂を利用した原子爆弾は、1発の破壊力がTNT火薬換算で精々数十万トンなのに対して、水素爆弾はメガトン級、すなわち数百万トンから数千万トンであることから、当時超爆弾―Super Bomb―と呼ばれた。といってこのことは別にソ連の原爆保有時代になって登場した新知見というわけではない。広島・長崎への原爆投下前から、核兵器開発のステップはそうなることは分かっていた。
「オッペンハイマー博士: これら数段階における爆発力の規模について概観した。最初の段階では、爆弾1個あたりTNT換算で2000トンから2万トン。しかし実際の精確な威力については、実験をしてみるまで分からない。第二段階では威力はNTN換算で5万トンから10万トン。第三段階では爆発力はNTN換算で1000万トンから1億トンの爆弾を製造できるようになると考えられる。」―1945年5月31日開催の暫定委員会議事録よりーhttp://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Interim%20Committee1945_531.htm )
結局ストロースの主張が勝った。1950年、トルーマン大統領は超爆弾製造の「クラッシュ計画」を公式に発表するのである。
(※ こう記述されると、なにかトルーマンが意志決定したように考えがちだが、私は結局トルーマンは原爆についても水爆についても、政治的に決定的な軍事兵器、と言う以上の理解はしていなかったと考えている。トルーマンは「なにも分かっていなかった。」
現実には当時すでに支配的になっていた軍産複合体制が判断し意志決定し政治を動かしていたのである。ジョージ・マーシャルは、原爆投下時の陸軍参謀総長だが、のちにトルーマン政権下で国務長官に就任する。ある下院議員がマーシャルに対して質問をした。1951年の5月のことだそうである。この質問は、国務省と国防総省―ペンタゴンーの間に論争が起こった場合、トルーマン大統領はどちらの側につくかという質問だったそうだ。これにジョージ・マーシャルはこう答えている。
「トルーマン大統領が、国防省との関係に置いて統合参謀本部や国防長官の意志に反して行動したようなケースをわたくしは思い出すことができない。」―シドニー・レンズ著「軍産複合体制」岩波新書 小原敬士訳 53P―なおこの話は1951年5月9日付けのニューヨーク・タイムズに掲載されているそうだ。)
水素爆弾を巡る争いは、「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーとの間に緊張関係も生んだ。ストロースはアイゼンハワー大統領に、もしオッペンハイマーが原子力委員会に置いていかなるアドバイスもしないと言う条件でのみ、原子力委員会の委員長のポジションを受け入れると通告した。そして、オッペンハイマーが一貫して水素爆弾に反対の立場をとり続けていることも理由として、オッペンハイマーを信用していないからだと説明した。
1953年7月、ストロースは原子力委員会に君臨することになり、それから数日の間に、オッペンハイマーの事務室から原子力委員会で「秘密」とされている書類をすべて引き上げさせた。その年の終わりまでには、オッペンハイマーは原子力委員会に出入り禁止となった。
数年の間に、ストロースの傲慢と主張の執拗さで、彼は米議会で不人気となった。
1959年、身も心もくたくたになるような2ヶ月にも及ぶ公聴会ののち、上院はストロースの商務長官指名を拒否した。
(※ ここは説明不足だが、ストロースは1958年、原子力委員会をやめ、アイゼンハワー政権の商務長官代行に就任する。この公聴会は、ストロースの正式長官就任を認めるかどうかが課題だった。つまりストロースは議会の嫌われ者になったわけだ。)
この公聴会、特に宣誓の下で偽証したとされた後は、ストロースは満天下に恥をさらすことになった。以降この金融業者は永久に公職に就くことはなかった。
Oppenheimer
アカデミー賞 作品賞
モノクロの聴聞会シーンから始まる。
主人公オッペンハイマーが窮地に立ってる様子
この聴聞会を画策したのが靴屋さんから政治家?に成り上がったルイス・ストローズ、役は ロバート・ダウニー・Jr
( ずいぶんな爺さんになっていて、かつてDCヒーローだったとは.┐(´д`)┌
この映画はオッペンハイマー(研究者)と、このストローズ(米原子力委員会の委員)、加えてマットディモンの准将の三本軸で見ていったらいいのではと思う。
回顧シーン
ハーバード大学を出てイギリス、ドイツの大学に留学、その後カリフォルニア大で教鞭
同僚の学者にアーネスト・ローレンス役が、 ジョシュ・ハートネット
あの美青年がすっかりおっさんですわ(T_T)。
第二次大戦中の1942年 軍から「ドイツをやっつけられる驚異的な兵器を開発せよ」との依頼を受ける。
3年後原子爆弾が完成。どこれくらいの威力があるのか、どこかに落としてみたくて仕方がない様子で、1945年ドイツがすでに降伏していたので日本に投下(怒!。
「原爆の父」の名誉を受けるが「これ以上はダメだと水爆開発に反対」
トルーマン大統領(ゲイリーオールドマン)に「泣き虫(弱虫)」とののしられる。
研究所の同僚が「水爆の父」となる。
いろんな学者がわんさか出るし、セリフが長くて回りくどかったりするけど、
重要な4~5人を抑えとけば、まあだいたいのところはわかる(苦笑
しかも長い、180分(真ん中にインターミッション(intermission)休憩なし)
だけど、こいつらが日本に二度も原爆を落としたかと思うと、
怒りを携えて見続けられた。
アメリカの先住民の土地での実験、開発技術者たち全員、被ばくしてしまえばいいと思った。
オッペンハイマーは62歳 ガンでなくなっているけど、水爆の父と呼ばれる奴などは90過ぎ2002年まで存命だったらしい。
アイマックス映画というのを初めて見たけど(大昔にパシフィックリムという3D映画は大したことなかった)、
とんでもなく「大音響」正直うるさい、席が振動したみたい。
2600円もしたので、寝落ちしなくて良かった。
まあVFXというのか映像は大したもんです。
でも視覚効果賞は山崎貴監督「ゴジラ-1.0」だけどね(<(`^´)>エッヘン
もっと反核、世界平和を訴えたり、広島長崎の映像も入れて欲しかったですが、
アメリカ人でそんな意識をお持ちの方は、とんでもなく少数派なんだろうなと。
監督 クリストファー・ノーラン
脚本 クリストファー・ノーラン
原作
カイ・バード(英語版)
マーティン・J・シャーウィン
『オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇(英語版)』
(American Prometheus: The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer)
製作
エマ・トーマス
チャールズ・ローヴェン
クリストファー・ノーラン
出演者
キリアン・マーフィー
エミリー・ブラント妻
マット・デイモン 准将
ロバート・ダウニー・Jr.
フローレンス・ピュー
ジョシュ・ハートネット
ケイシー・アフレック
ラミ・マレック(ボヘミアン・・)
ケネス・ブラナー
音楽 ルドウィグ・ゴランソン
撮影 ホイテ・ヴァン・ホイテマ
編集 ジェニファー・レイム(英語版)
製作会社
シンコピー・フィルムズ
アトラス・エンターテインメント
配給
アメリカ合衆国の旗 ユニバーサル・ピクチャーズ
日本の旗 ビターズ・エンド
=ユニバーサル映画
公開
アメリカ合衆国の旗 2023年7月21日
日本の旗 2024年3月29日[1]
上映時間 180分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 $100,000,000(約150億円てこと?(-_-;) 単位がよくわからない・・・💦
ネットにあったこと丸っとコピペ
モノクロの場面の詳細がこのサイトでよくわかった。
世界はスティムソンが構想したように、核兵器廃絶・核兵器不拡散からスタートしたのではなく、核兵器独占・核兵器軍拡競争からスタートしたのである。
しかし、今考えてみれば、広島・長崎へ原爆を投下した時点で、核兵器独占・核兵器軍拡競争から世界がスタートすることは運命づけられていた、という見方もできる。
「アメリカが唯一の原爆保有国であって、しかも現実にそれを使用した場合、それをアメリカが進んで廃棄しようという話を、たとえ同盟国ですら信じるのはかなり難しいことになるでしょう。」―フランク・レポート―1945年7月)
ストロースは、(こうしたリリエンタールらの考え方に対して)水素爆弾の製造による「クラッシュ計画」を鋭く主張した。
「今やわれわれの計画の質的飛躍の時がきた。超爆弾の方向へ向けてわれわれの努力を大きく傾けるべきである。」
(※ ここで超爆弾というのは、熱融合爆弾のこと、すなわち水素爆弾のことである。ウランやプルトニウムの核分裂を利用した原子爆弾は、1発の破壊力がTNT火薬換算で精々数十万トンなのに対して、水素爆弾はメガトン級、すなわち数百万トンから数千万トンであることから、当時超爆弾―Super Bomb―と呼ばれた。といってこのことは別にソ連の原爆保有時代になって登場した新知見というわけではない。広島・長崎への原爆投下前から、核兵器開発のステップはそうなることは分かっていた。
「オッペンハイマー博士: これら数段階における爆発力の規模について概観した。最初の段階では、爆弾1個あたりTNT換算で2000トンから2万トン。しかし実際の精確な威力については、実験をしてみるまで分からない。第二段階では威力はNTN換算で5万トンから10万トン。第三段階では爆発力はNTN換算で1000万トンから1億トンの爆弾を製造できるようになると考えられる。」―1945年5月31日開催の暫定委員会議事録よりーhttp://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Interim%20Committee1945_531.htm )
結局ストロースの主張が勝った。1950年、トルーマン大統領は超爆弾製造の「クラッシュ計画」を公式に発表するのである。
(※ こう記述されると、なにかトルーマンが意志決定したように考えがちだが、私は結局トルーマンは原爆についても水爆についても、政治的に決定的な軍事兵器、と言う以上の理解はしていなかったと考えている。トルーマンは「なにも分かっていなかった。」
現実には当時すでに支配的になっていた軍産複合体制が判断し意志決定し政治を動かしていたのである。ジョージ・マーシャルは、原爆投下時の陸軍参謀総長だが、のちにトルーマン政権下で国務長官に就任する。ある下院議員がマーシャルに対して質問をした。1951年の5月のことだそうである。この質問は、国務省と国防総省―ペンタゴンーの間に論争が起こった場合、トルーマン大統領はどちらの側につくかという質問だったそうだ。これにジョージ・マーシャルはこう答えている。
「トルーマン大統領が、国防省との関係に置いて統合参謀本部や国防長官の意志に反して行動したようなケースをわたくしは思い出すことができない。」―シドニー・レンズ著「軍産複合体制」岩波新書 小原敬士訳 53P―なおこの話は1951年5月9日付けのニューヨーク・タイムズに掲載されているそうだ。)
水素爆弾を巡る争いは、「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーとの間に緊張関係も生んだ。ストロースはアイゼンハワー大統領に、もしオッペンハイマーが原子力委員会に置いていかなるアドバイスもしないと言う条件でのみ、原子力委員会の委員長のポジションを受け入れると通告した。そして、オッペンハイマーが一貫して水素爆弾に反対の立場をとり続けていることも理由として、オッペンハイマーを信用していないからだと説明した。
1953年7月、ストロースは原子力委員会に君臨することになり、それから数日の間に、オッペンハイマーの事務室から原子力委員会で「秘密」とされている書類をすべて引き上げさせた。その年の終わりまでには、オッペンハイマーは原子力委員会に出入り禁止となった。
数年の間に、ストロースの傲慢と主張の執拗さで、彼は米議会で不人気となった。
1959年、身も心もくたくたになるような2ヶ月にも及ぶ公聴会ののち、上院はストロースの商務長官指名を拒否した。
(※ ここは説明不足だが、ストロースは1958年、原子力委員会をやめ、アイゼンハワー政権の商務長官代行に就任する。この公聴会は、ストロースの正式長官就任を認めるかどうかが課題だった。つまりストロースは議会の嫌われ者になったわけだ。)
この公聴会、特に宣誓の下で偽証したとされた後は、ストロースは満天下に恥をさらすことになった。以降この金融業者は永久に公職に就くことはなかった。
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