うさぎ病
2008-05-06 | 本
中村うさぎ著作の2冊の本を読んだ。
他の本もほぼ読んでいる。
講演会では
「気遣いでき(し過ぎかも)、常識があり(あり過ぎかも)まっとうすぎる自分をなんとか壊れてる人になろうと無理な努力をしているヒト」という印象だった。
年が近いことと、「どこまでオノレを壊し、どこへ行くのか」「暴走し続ける、びっくりニンゲン」を見届けようとする、
純然たる興味からだと思う。
心理学の本をあんまり読みすぎると、
自分も何かの精神障害が潜んでいるのでは・・・
と、やぶ蛇的な心配があるけれど、
読んでいくと、少なくとも、
「自分は精神に問題が起きるような「大層な」人間じゃない」と思える。
凡庸に病は巣食わない。
文明が進んで行くということは、誰もがどこかが病んでいると言い切れるようだ。
それをほとんどの人が社会通念を越えないように、セーブできてるだけのことだろうと思う。
大きなことを成し遂げられた人の幸福と不幸の差し引きと、
無事に生きてきただけで、何も残せない人との差し引きはたぶん同じだ。
扱われる数値の単位は違えども、差は同じ。
「セックス放浪記」では「なしてそこまで自分を追い詰めるのか」
痛々しくて、同情すらしてしまう。
発情期もなく、欲情もなく「ヤラねば」観念くらい難しいことはないと思う。
私が何も起こらない人生をやっているのは、セックスを含めて他人から何かを与えていただける場面に出くわさないないのと、
私から与えられるものでは迷惑だろうという気遣いと思いやり。
物欲も性欲もあるに決まっている。いろんな場面でこれは間違って求められ、相手の勘違いに素知らぬ振りで与える罪悪感に腰が(まさに (*^_^*)引けてしまうからだ。
あるいは、求めても与えられないことが当たり前に慣らされてきたからだ。
それを不運だと思ったこともあったけれど、最近はその分の面倒がない幸運、
その差は同じだと思えるようになってきてはいる。
(まだまだ、が本音だけどね)
淋しいヒトだねえ、という同情はアタシに失礼だ(笑)
「変」は団鬼六先生の「変態、紹介しまっせ」に笑ってしまった。
ただ、この本に書かれた人が何人か亡くなっていることがひっかかる。
「セックス放浪記」より前にこの本が出されているのに、今現在もまだ
ここで指摘され、分析されたことの先へと真っ向勝負をかけて邁進?している(症状を悪化させているのでは)と思えてしょうがない。
さらに自分を壊す方法を模索し続けている人生。
感服してしまうと同時に「普通のヒトならここで悟れるんだがなあ」
わざと悟らないように努力をし続けるところが「うさぎの病気で職業」なんだろう。
本売れてるしこうして買ってるし。┐( ̄ヘ ̄)┌ ヤレヤレ・・・
私はネット依存だ。てか、ほぼネット廃人ではないかと。
どれくらい重度かというと、仕事と食事と睡眠と最低限の家事と友達の誘いをのぞくと、残りは全部パソコンの前にいる。
GOO の簡単ブログを始めて3年目あたりからものずごい勢いで悪化した。
今もってひどくなるばかりだ。
それで、何かいいことがあったかと問われたら
┓(´_`)┏~~~????
依存するほどのネットが自分にどれだけ快感を与えているのか知らないけれど、
所詮、虫けら同然のニンゲンだから、私生活の全てを依存する事は物理的に不可能だ。
これが親の保護下にいるコドモだと、ことは深刻じゃないかと思う。
(貧乏というのは健全な生活をせざるを得ない幸福でもあるとも言えるかも・・・)
負け惜しみに決まっている。
などと連休中 小人閑居して痛感したのだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます