中学卒業から35年経ち、50歳の節目に大同窓会を開催するとの案内が届いた事から、故郷である鹿児島県南九州市知覧町に帰省した。当時は川辺郡知覧町であったが、平成の大合併で隣町の川辺町と頴娃町と一緒になった。我が故郷は薩摩の小京都と称される武家屋敷郡の他、薩摩富士(開聞岳)を望む事が出来る海岸線やお茶畑等が広がる風光明媚な場所もあるが、平和の尊さを伝える場所もある。知覧町は太平洋戦争中に海軍飛行隊が設置されていた場所で、現在その歴史を後世に残すべき資料館がある。中には両親や家族に宛てた手紙や遺品等が展示されており、涙なくしてはいられない神聖な場所である。全国から沢山の人達が訪れるこの場所は、日本人なら一度は訪れるべき場所である。
番所鼻海岸から望む薩摩富士(開聞岳)
冬の風物詩
冬の風物詩の正体(寒ざらしの大根)
知覧特攻平和会館
おまけのセグロセキレイ
おまけのセグロセキレイ
番所鼻海岸から望む薩摩富士(開聞岳)
冬の風物詩
冬の風物詩の正体(寒ざらしの大根)
知覧特攻平和会館
おまけのセグロセキレイ
おまけのセグロセキレイ
実は私・知覧には二度行っております。
勤務していたタイル会社が博多に営業所を
設立、昭和44年4月~昭和47年3月まで
家族とともに転勤。父がいた大分宇佐の
特攻基地と同じ知覧へは家族で夏休みに
行きました。知覧は忘れなれないまちです。
またまた書き込みありがとうございました。
知覧に行かれた事があるんですね。
私が学生だった頃は今のような立派な平和資料館はありませんでした。竹下内閣の時に”ふるさと創生?”の取り組みで整備されたように記憶しております。
帰省すると必ず訪れる場所です。
出撃前夜に家族に宛てた手紙を読んでいると涙が止まりません。
ブログにも書いてありますが、日本人なら是非一度は訪れて欲しい場所です。
戦争の悲惨さ、平和のありがたみが実感されると思います。