Let Nature Take Its Course

やっぱり自然体が一番。

昨夜の件について

2009年01月18日 08時53分03秒 | 日記
注!
これはとある会話で発生した議論、というか意見交換の続きなので、
「突然何言ってんの?」的な文章です。
また同時に、これはただの私見であり、私個人の、特定の状況下で
の理想モデルであり、具体案、実現の可否は考えないものとしています。
無論、これが最良だと謳うものでもありません。


さて、低年齢からの英語学習のについてですが、私は程度さえ考え
ればさほどの問題が起こるとは思いづらい訳です。

生まれたての子供に言語の壁は無く、どこのどんな言葉でも所謂「
母国語」として受け入れる準備ができている。
その開かれた門が成長するにつれ狭くなり、ついには一番身近に、
常に存在している言語しか通れなくなるというわけだ。
一番顕著なのは耳で、3~5歳の時期を過ぎると耳で聞いたままに
言葉を発するという能力が減じられてしまう。(*1)
また、物心が付く頃には知識として英語を「外国語」として認識で
きるようになるし、それをただ別世界の言葉と認識するままに中学
校で唐突に文法と和訳から始まったのでは、好き嫌いが強く分かれ、
また抵抗や気恥ずかしさ、そんなものが生じるのは自明の理と言う
もの。何らかの影響で英語が好きだと言う児童には全く問題が無い
訳だが、中学の三年間で英語が致命的に嫌い、苦手になる学生も
存在するのだから、英「会話」能力、文章を作る能力を重視した授業
はまず、その抵抗を払拭する作業から始めなければ何の意味も無い。
そこで、初めからその抵抗を作らせない様にするのが幼児期からの
学習なわけだが、正確には「学習」という言葉は使いたくない。
ただ、記述の都合上あえて使う事とする。

とある幼稚園では一日に30分程、英語を学ぶ時間がある。その時の
教師は完全なネイティブの外国人教師で、一切日本語は通じない。
その教師と何も知らない園児が何をするのかと言えば、紙芝居を聞
いたり、一緒に本を音読したり、歌を歌ったりと多彩。無論言語は英
語のみだ。
簡単な指示語は身振り手振りと反復だけで伝わるものだし、前述の
通りその年の子供には耳で聴いたままを、躊躇いも羞恥心も無く口
に出して話す事が出来る。例え子供の発音が多少間違っていたとこ
ろで教師はそれを指摘して正す事はしないし、単語についても綴り
を教えるものではない。(*2)
ただ純粋に、英語で接するだけの教師が存在し、園児はそれを別段
変った事とは思わないという事だ。
英語への抵抗を起こさせないというだけなら、何も"apple"の綴りを
教え込む必要はない。理解するか否かに拘わらず、日常にただ馴染
む、それだけの存在でありさえすれば十分なのである。

幼児期からの英語教育が問題視される理由は大きく分けて二つある。
(この場合の「英語教育」は、幼稚園からインターナショナルスク
ールへ入れるなど、本人の意思が固まらない内に完全に英語圏の学
習へ投入してしまう事に限定する事とする。)
まず一つ目に挙げられる問題は、日本語の学習の遅延だろう。生徒
同士では日本語で会話する事もあるとは言え、インターナショナル
スクールでは日本語が「外国語」なわけで、学習のレベル、優先順
位としては二次、三次的なものになってしまう。
その結果、両親は自宅で自主的に日本語を教えなければならないと
いう事になり、それを日本の教育の中で徐々に培われるレベルまで
引き上げるのはかなりの負担となってしまうのだ。子供にしても、
幼稚園ではただ楽しく遊ぶだけなのに、家に帰れば一転、日本語の
「勉強」をしなくてはならず、果たしてそれが子供にとって理想的であ
るかどうかを問うた場合一概に頷けるものではないだろう。
二つ目の問題は、学習プロセスの違いである。
それぞれの国には独自の教育制度があり、算数にしても理科にして
も、教える順序、事柄等に大なり小なり違いがある。また、根本的な
要素として、用語その物が違うわけだから、「1/3」を「さんぶんのい
ち」と読むか、「one over three」と読むか、それだけでも大分差異を
感じる事が出来るだろう。
この問題の致命的な部分は、高校、大学など、義務教育を離れた時
に露見する。インターナショナルスクールなど英語圏の学習機関を離
れた時、突然日本の学習環境へ変える事はそう容易ではないのだ。
例えば、日本史に関しては全く知識が無いのと同様になってしまうし、
数学は学習する順序、手法が大きく異なる為過不足が目立つだろう。
アメリカと日本、両方の教育を子供に施すのは、子供にとって、そし
て親にとっても多大な過重となる為、進路上で立ち往生してしまう可
能性も否めない。
問題は他にも挙げられるが、学習する本人に直接かかわる問題はこ
の二点と思われる。いずれにせよ、将来的な結果に大きなギャップが
生まれる事やそれに伴う負担が、問題視される所以だろう。

以上の点を踏まえて、私が理想と思う幼少期からの英語学習は、英
語を異物と感じさせない、思わせない環境の形成だ。何気なく手にし
た絵本が英語だったり、毎朝顔を合わせる先生が"Good morning."
と挨拶をする。それだけで英語へのコンプレックスは緩和されると、
私は思うのである。


*1:メディアを通して得た知識です。出典無し。
*2:後期には自分の名前をアルファベットで書く程度の学習があります。


とりあえずこの辺が私の知ってるところと意見かな。
あんまり掘り下げ過ぎると文章がこれ以上無く支離滅裂に
なるのでやめときます。
とは言え、根本から作り直すのは手間ヒマとお金がかかるし、
かと言っていきなり茨の道へ突き落すのは現在英語が嫌いで
仕方無いという生徒には酷である、ていう話ね。
けど、変革を与えるのであればどこかの時点で誰かが苦労しなければ
何も始まらない、って事なんだろうねぇ。
その被害を被るのは果たして子供か、親か、教員か、各界のお歴々か。
と、偉そうに言ってみてこの無駄に長い日記の終わりとします。

長文読んで下さった方、ありがとうございました。ぺこり。

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