偏平足

里山の石神・石仏探訪

里山の石神端書4 卵塔(茨城・大子町)

2021年10月15日 | 里山石神端書

茨城県大子町大生瀬、富ノ草の国神神社


 大生瀬神社の賽銭泥棒の件でお巡りさんに説明していた男性から、近くに昔からある古い神社があるという情報を得て出かけました。そこは国神神社といい、杉の巨木に下に新しい石祠が祀られていました。杉の根本には昔の壊れた石祠が三つほど点在する場所でした。

 お巡りさんへの対応が終わったらしく、男性が駆けつけて来て国神神社の謂れを説明してくれました。なんでも佐竹の時代から数軒の同族で祀ってきたそうです。志田諄一氏は『常陸五山の山岳信仰』で、国神は大奈母知(大己貴命・大国主神)を祀ったものとし、大洗、酒列の各磯前神社から常陸の国神社のルーツを説いています。男性の話では、さらに山の中に塚があり、卵塔があるというので案内しいただきました。塚は土を盛った祀り場で、墓のこともあります。茨城にこの塚が多いことで知られています。

 国神神社からさらに奥へ分け入ると、確かに塚状の上に卵塔がありました。卵塔は僧侶の墓です。ここでは種字アに法印とありますから、行者の墓なのでしょう。佐竹の時代の北茨城は天台系の行者がたくさん住み着いたところです。江戸期なると幕府は佐竹を秋田に転封し、その後に入った水戸家は宗教改革を行って寺社の統合、とくに寺院の削減をしています。なかでも天台系の修験や行者を取り締まっています。そこから逃れるため土地に定住した行者も多くいたようで、案内された卵塔もそのような家系の行者の墓だったようにみえました。
(集落名は国土地理地図による)


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