◇ ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番『皇帝』が初演(1811年)。言っておくがフランスの山師に捧げた訳ではない!! ◇ 時の政府の肝煎りで、白人と富裕層専用の社交クラブ・鹿鳴館がオープン(1883年)。 ◇ フランキー・レインの「Rollin' rollin' rollin'」が全米の電波に乗り始め(1959年)、数年後にはそのテーマに乗る格好でサントリーウィスキーの売り上げが伸びる。
◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第 26回= ◎ ◎
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= Webナショジオ そうだったのか! 『ナショナル ジオグラフィック』 =
……National Geographic Journal Japan 〉/ 2013年2月20日 / (Web編集部) ……
4時間55分24秒後、さまざまな困難を見事に克服して、グレンはアメリカ人初の宇宙飛行に成功。祖国を代表してソ連に反撃ののろしをあげ、世界でいちばん強い国アメリカというイメージを取り戻します。彼にはさまざまな賞や名誉学位が贈られ、パレードでは行く先々で人の山ができ、感動のあまり涙した人も少なくなかったそうです。
また、ジョン・グレンはこの成功の後、いったん宇宙飛行士を退いて、1998の秋にスペースシャトルでふたたび宇宙に戻ります。
まあベテランパイロットという歳からしてもうあからさまなのですが、『ディープ・インパクト』のフィッシュ船長が自動操縦をマニュアルに切り替えて隕石に着陸するくだりなど、まさにジョン・グレンの偉業を彷彿とさせるシーンですよ。
もう彼以外には無理! 英雄かくあるべし! みたいな感じでたまりません(笑)なお、ジョン・グレンについては「77歳の飛行士、宇宙に再挑戦」という日本版の特集もあるので、よかったらご覧ください。このときは向井千秋さんが一緒に飛んだんですよね。
さて、マーキュリー計画のあと、ジェミニ計画、アポロ計画と続き、ケネディ大統領が1960年代に人類を月に送ると宣言したとおり、米国は人類初の足跡を月につけることに成功します。
ナショナル ジオグラフィック協会はマーキュリー計画の当初からNASAを支援していました。 資金だけでなく、パイロットや宇宙飛行士に写真の撮り方を教えたり、機材を提供したり、ときには管制センターの近くに暗室を作ってほかの報道機関にまで提供したりなど、ナショジオは写真については特別な支援を寄せていました。/span>
例によって素晴らしい写真とともに詳しいレポートを掲載できた裏にはそんな事情もありました。 ちなみに、ジョン・グレンは宇宙船にマーキュリー計画を支援していたナショナル ジオグラフィックの旗を持ち運んでいます。北極やエベレスト山頂のときのように。
マーキュリー計画がスタートした1959年からアポロ11号が月に着陸した1969年までは、米国の初期の有人宇宙開発における輝ける10年間であり、『ナショナル ジオグラフィック』の宇宙のレポートは大人気を博しました。テレビとコラボしながら、人類学、霊長類学、深海調査などのテーマを開拓してきた経緯をこれまで紹介してきたけれど、それでもやっぱり一番人気があったのは宇宙モノでした。そういう時代だったんです ね。
というわけで、次回はなかでもクライマックスの月着陸についてご紹介する予定です。 同時に中の人は以前に観た『ディープ・インパクト』という映画を思い出しました。
大量絶滅をもたらすほどの大きな彗星が地球に接近し、「メサイア(救世主)号」と名づけた宇宙船が彗星の軌道を変える作戦に出撃します。しかし、作戦は失敗。地球最後の日々を迎えるなか、人々はパニックに陥って……という内容。
結末は映画をご覧いただくとして、メサイア号は失敗しちゃうんだけど、“フィッシュ船長”がいい味出しててカッコいいんですよね。
ほかの乗組員の父親ぐらいの年長者。かつて月まで行ったベテラン宇宙飛行士で、世代間のギャップを乗り越えながら、チームをしっかりとまとめてゆく。いかにも古きよきアメリカのヒーローといった感じなんです。
実は、フィッシュ船長にはモデルとなった人物がいます。というより、実在した英雄のイメージを拝借したというほうが適切でしょう。 その人こそ米国「宇宙計画の最大の英雄」ジョン・グレンです。
ただし、ジョン・グレンは月には行っていません。それでも、月に人類の第1歩を刻んだアポロ11号のニール・アームストロング船長やエドウィン・オルドリンよりもアメリカではずっとヒーローとして格上なのです。
なぜ最初に月へ行ったアポロ11号の乗組員よりジョン・グレンなのか。 それは彼が「宇宙を飛行した最初のアメリカ人」だから。
正確に言えば、ぽんと打ち上げて落ちてくるだけの「弾道飛行」をした人はいたものの、それはすでに地球の周回飛行を成功させたロシアとのギャップを少しでも埋めるために行った急場しのぎ。技術的にはさほど意味のないものでした。
米国の宇宙船で地球を周回したのはジョン・グレンがはじめてでした。しかも、まるで「はやぶさ」の帰還のときのように、その飛行はギリギリのドラマに彩られていました。それが彼をよりいっそう偉大な英雄に仕立てあげます。
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次回は “ « いま見てもすごい! 人類初の月面着陸 » “ を記載、続きます・・・・・
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