【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

「人間は何処に…」新・人類進化の道 =B10=

2020-03-09 05:58:34 | 浪漫紀行・漫遊之譜

DNAを分析すると 生物の進化の歴史を辿れる 人間でも同じこと

人間の細胞にある「ミトコンドリアDNA」というモノを扱って

ミイラや古い人骨などからそのルーツを解明、「人間とは何か」を問う

国立科学博物館人類研究部研究グループ長 / 篠田 謙一

【この企画はWebナショジオ_【研究室】「研究室」に行ってみた を基調に編纂】

(文=川端裕人/写真=藤谷清美、& イラスト・史料編纂=涯 如水)

  ヒトの進化はアフリカ限定だった! =2/3= ◆◇

現生人類であるホモ・サピエンスの祖先「ミトコンドリア・イヴ集団」はまだアフリカに留まっていたというのがポイント。これはほかの研究からも支持される。

「アフリカ人以外のミトコンドリアDNAで同じ系統樹を書くと、6万年とか7万年前に共通祖先がいることになるんです。とすると、現生人類の祖先というのはずっとアフリカにいて、わりと最近、ポンとごく少数が飛び出していって、残りの世界の人たちになったんだということが、シナリオとしてわかるわけです」

 つまり、「アフリカ人以外のミトコンドリア・イヴ集団」みたいな共通祖先グループが想定でき、それは6、7万年前に起源があるということだ。言葉を換えれば、この時期に少数のグループが「出アフリカ」を果たし、その後、世界中に広がった、というのが篠田さんのいう「シナリオ」である。

 こういったことを、世界各地で調べることで、もっとスケールの大きな現生人類の拡散「シナリオ」が描ける。それについては、正直、ここで詳述するのは難しい。いかに「紙幅」を気にする必要がないウェブとはいえ、込み入りすぎている。興味のある方は、篠田さんの著書、『日本人になった祖先たち──DNAから解明するその多元的構造』(NHKブックス)をぜひ読んでいただきたい(タイトルから分かるように、人類拡散のシナリオだけでなく、特に日本人の起源について詳しく描かれている)。

 その上で、「現生人類拡散のシナリオ」の中で、ひとつ強調しておきたいのは、「アフリカが特別である」ということだ。

 ミトコンドリアDNAで分類すると、現生人類は大きく4つの集団に分けることができるという。そのうち、3つまでは、アフリカ人のみの集団だ。そして、残る1つの集団に、一部のアフリカ人、すべてのアジア人、ヨーロッパ人、南北アメリカ人、オーストラリアのアボリジニや、太平洋の島々の人々が含まれる。

 つまり、現生人類の中にある「変異」のほとんどがアフリカ大陸内で、ぼくらが肌の黒い人「似たような人たち」と認識しているアフリカ人の中にあるのだという。

「普通、現生人類がいくつかのグループに分かれるというと、アジア人とヨーロッパ人、アフリカの黒人といったふうになるんじゃないかと思います。いわゆる「人種」と対応してるんだろうと。それが、実は全然対応していなかったわけです。黒人とくくられてきた人たちの中に、ものすごい多様性があり、それ以外の人たちは非常にちっちゃなところでまとまっていて、そのちっちゃな部分の一部にもやはり黒人が入っているというような、非常に不思議な絵が描けたんです」

 いや、本当に不思議な「絵」だ。ぼくは、とても驚いたわけだが、よくよく考えると、アフリカにはケニアのマサイのように背が高いすらりとした人たちから、背が低く肌の色の質感も違うピグミーのような人たちまでいるわけで、たしかに、非常に多彩な特徴を持っている。それはそれで納得できる。

 篠田さんは、さらに語る。

「この「絵」というのは、実は人類の進化をなぞった形でできたものなわけですね。アフリカ人に変異が多いのは、現生人類が15万とか20万年前ぐらいからずっとそこに住んでいるから。それ以外に変異が少ないのは、みんな6、7万年前に飛び出した少人数の人たちの子孫だからなんだと結論できるわけです。もっと言うと、アフリカだけで人類(ホミノイド)が進化しているんですよね。それで、アフリカを出てアジアに来たジャワの原人などは、100万年間ぐらいあんまり形が変わらなかったんですよ。ところがアフリカでは、どんどん変わっていって、しまいには解剖学的に現代人と変わらないやつも生まれてくる。

・・・・・・明日に続く・・・・・・

◇ 遺伝子から見る日本人のルーツ…Y染色体・ミトコンドリアDNAハプログループとは?

・・・https://youtu.be/WuezDMlGAKM・・・

動画再生不能の時は上記URL(⇑)をクリックしてください

//////参考資料///////

■□ 参考資料: DNAで読み解く日本の古代史(5/6) □■

第7章 古人骨の語るもの

 現在では、考古学もおおむね二重構造論を認めていますが、縄文人と渡来した弥生人の比率をどの程度見積もるかは、人類学者と考古学者で意見は異なります。人類学者は比較的多くの移民を仮定します。現在の私達のもつ形質が縄文人より渡来系弥生人に圧倒的に近いからです。

 これに対し考古学では、縄文・弥生移行期の遺物の研究から、少数の移民の持ち込んだものを多くの在来の人たちが受容したと考えています。

第8章 日本人になった祖先たち

 縄文・弥生人とともに相同なタイプを多く共有するのは本土日本人でしたが、それ以外では朝鮮、中国遼寧省山東省といった人々と一致が多いです。このなかで注目されるのは、朝鮮半島の人たちのなかにも縄文人と同じDNA配列を持つ人がかなりいることです。

 考古学的な証拠からも、縄文時代の半島と日本の交流が示されています。渡来系弥生人の形質は縄文人と幾つもの点で大きく異なっていますが多量の渡来人の流入を仮定しなくても、弥生時代の開始期に渡来してきた弥生人が数を増やしていき、その過程で周辺の在来系の人々を徐々に取り込んでいく状態がつづいたと考えると話が合います。

 この縄文・弥生期の以降は日本人の成立を考える上で非常に重要なものです。

第9章 父系でたどる人類の軌跡--Y染色体を追う

  Y染色体ミトコンドリアDNA同様、組み換えによる変化を期待せずに子孫に伝えられます。このような理由でY染色体のDNAも系統を追求する研究に適しています。日本人のY染色体のハプログループではC、D、Oと呼ばれる三つの系統が人口の90パーセントを占めています。

 ハプログループOは日本人男性人口の約半数を占める最大のグループです。日本列島に分布するのはO2bとO3と呼ばれる系統です。O2bは朝鮮半島や華北地域に分布しているのに対し、O3は華北から華南にかけて広がっているようです。

 Cはサンプルが少ないので比較データとして使うのは難しいです。ハプログループDは日本で多数の人口を占めていて、私達が持つのはD2と呼ばれるサブグループです。地域で多少のばらつきがありますが30~40%がこのハプログループを持っています。

明日に続く・・・・・

  • 日本人はどこから来た?② 

・・・https://youtu.be/z2dkRcj6goc?list=PLlC3I1HrmA24u1ygVh9lnZbzeURQ5zAZk・・・

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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