【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

今日(狂)の狂言 : 11月15日(金曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-11-15 05:10:53 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◇ 3歳、5歳、7歳のこどもに神道の怪しげな儀式を行う日。買い物するってレベルじゃねぇぞなくらいの超インフレに対し、ドイツ政府が1兆マルクを1マルクにする荒業を繰り出すことに(1923年)。 ◇ 日本社会党が一つにまとまって支持を伸ばすのに恐れをなした保守が、美国政府の援助で統一の国政与党を樹立(1955年)。冷戦が終わった直後(1993年)とリーマンショックの直後(2009年)に一時的に下野するも、ほぼ永続的に一強体制を保持。 ◇ この日は何故か拉致や誘拐がよく起こる。下校途中の少女(1977年)とか、冷凍船(1983年)とか、三井物産の支店長(1986年)とか・・・・・・。

◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第 22回= ◎ ◎

1956- « ”類人猿ガールズ”誕生秘話 (1/2) »

= Webナショジオ そうだったのか! 『ナショナル ジオグラフィック』 =

……National Geographic Journal Japan 〉/ 2012年12月5日 / (Web編集部) ……

前回の「人類学をみんなに広めたルイス・リーキーの大発見」で、“リーキーズ・エンジェル(Leaky’s Angels)”についてちょっとだけ書きました。簡単に言うと、「最初のヒト」について理解を深めるには、化石だけでなく、類人猿の研究が役に立つと考えたリーキーが研究をやらせた3人の女性研究者です。研究の進め方から資金の確保まで、リーキーは全面的に彼女たちを指導、支援していました。今回はその話をしたいと思います。

“リーキーズ・エンジェル”と言われてもほとんどの人はご存じないでしょうね。まず、この呼び方自体、日本では滅多に使われません。

 英語はLeaky’s Angelsと複数形ですが、モチーフの『チャーリーズ・エンジェル(Charlie’s Angels)』に合わせて、あえて単数形にしてみました。以前は「類人猿レディ」や「類人猿ウーマン」と言われていたようです。「リーキーの3姉妹」と呼ばれることもあります。3人組ですから、今の日本ならさしずめ「類人猿ガールズ」とか「類人猿パフューム」あたりかと中の人は思うのですが、いかがなものでしょう。って臭そう!?

 余談はさておき、“リーキーズ・エンジェル”のメンバーを紹介すると、それぞれチンパンジー、ゴリラ、オランウータンを研究したジェーン・グドール(Jane Goodall)、ダイアン・フォッシー(Dian Fossey)、ビルーテ・ガルディカス(Birute Galdikas)の3人です。

※ ジェーン・グドール(Jane Goodall) : ジェーン・グドール(Dame Jane Morris Goodall,DBE, 1934年4月3日 - )は、動物行動学者、国連平和大使である。チンパンジーの野生下での行動や社会性を長期にわたって観察し、人間とチンパンジーの共通点や相違点を明らかにした。また、動物や自然の保護活動にも積極的に取り組んでいる。

アップランズ・プライベートスクール卒業後、オックスフォード大学で秘書業務に就く。また、アフリカへ向う資金作りのため、ドキュメンタリー制作会社にも勤務する。ケニアで農場を経営する友人宅を訪問したときに人類学の世界的権威であるルイス・リーキー博士と出会い、リーキーの下で働けるよう志願する。リーキーは霊長類学研究、特にチンパンジーの研究に興味を抱いており、グドールを秘書として採用した。

リーキーの薦めでタンザニアのゴンベのジャングルでチンパンジーの研究を始める。 リーキーとグドールは世界で初めてチンパンジーが草の茎を使いアリを捕る行動を報告し、人類固有とされてきた道具を使う能力がチンパンジーにも存在することを証明した。また、草食動物であると考えられていたチンパンジーが雑食であること、チンパンジーの性格に個体差があることを証明し、目覚しい研究成果を上げた。

※ ダイアン・フォッシー(Dian Fossey) : ダイアン・フォッシー(英: Dian Fossey, 1932年1月16日 - 1985年12月26日)は、アメリカの霊長類学者、動物学者、動物行動学者、生物学者。チンパンジーを研究したジェーン・グドールやオランウータンを研究したビルーテ・ガルディカスと並んで著名な霊長類学者の3人のうちに数えられる。

ルワンダの森林(火山国立公園)にて古生物学者のルイス・リーキーと共に18年にも及ぶマウンテンゴリラの生態調査を行ったが、1985年12月、何者かに殺害された。事件は未解決となっている。フォッシーが1983年に出版した著書『霧のなかのゴリラ―マウンテンゴリラとの13年』には、マウンテンゴリラ研究と彼女自身の人生が語られている。本書は1988年に、シガニー・ウィーバー主演で映画化された。

※ ビルーテ・ガルディカス(Birute Galdikas) = 1971年から中部カリマンタン州のタンジュン・プティン保護区でオランウータン研究を行っていたビルーテ・ガルディカスは、1985年まで14年にわたり、不正に捕獲されたオランウータン90頭を保護区に放した。その後の遺伝子調査により、このうち2頭はこの地域の出身ではなく、地元種との交雑が繰り返された結果、少なくとも22頭の交雑種が生まれていることが判明した。これは交雑種が非交雑種に比べて低適応となる「外交弱勢」を引き起こし、オランウータンの減少につながるおそれがあると懸念されている。【オランウータンに捧げた人生】 =

 ジェーン・グドールは日本のメディアにもよく登場しましたし、ダイアン・フォッシーはシガニー・ウィーバーが主演した映画『愛は霧のかなたに』のモデルなので、ご存じの方もいるでしょう。そういえば、Webナショジオ「研究室に行ってみた。」でもフォッシーが作ったカリソケ研究所を紹介しています。一方、ビルーテ・ガルディカスが日本のマスコミに取りあげられたことはごくわずか。でも、前の2人同様、研究の世界では第一人者として広く知られています。この3人は大型類人猿の研究を開拓したトップ3といっても過言ではありません。

 長期にわたる協会の支援も手伝って、3人は輝かしい業績をあげました。“リーキーズ・エンジェル”というニックネームがつくほどの存在になったのは、もちろんその業績によるところが大きいのですが、同時に文字通り、大型類人猿の研究で画期的な成果をあげたのが揃いも揃ってリーキーの女性研究者だったことも当然関係あります。いや、むしろ彼女たちしか成果をあげられなかったというべきかもしれません。それ以前にも大型類人猿をテーマにした研究者は何人もいましたから。

 しかも、3人には驚くべき共通点がありました。それまでグドールは秘書、フォッシーはセラピストとして働いており、ガルディカスは大学院の学生だったものの、学科は人類学で生物の野外研究の経験はゼロ。つまりはみんなまったくの素人だったのです。  それでもなぜリーキーは彼女たちを選んだのか。

・・・・・・・・明日に続く・・・・・ 

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次回は “ « “類人猿ガールズ”誕生秘話 » “ を記載、続きます・・・・・

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