【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

「人間は何処に…」新・人類進化の道 =A05=

2020-02-14 06:06:37 | 浪漫紀行・漫遊之譜

世界の人口は2050年までに90億人に達する

宇宙生物として火星移住を非望する人・「地球永住計画」を真意に考える人

霊長類【化石人類】を起点に現生人類が出現して唯一の残存種となる進化と絶滅の経緯

“地球に生き続けることを考える”について人類の研究史や関連事象について言及する

【この企画はWebナショジオ_「新・人類進化の道」を基調に編纂】

(文=ジェームズ・シュリーブ・ライター・ライター、編集者  イラスト・史料編纂=涯 如水)

 人類の祖先「アルディ」が暮らしたエチオピア =5/7= ◆◇

420万年前 アナメンシス猿人

 徒歩の旅の2日目は、広大な荒れ地を南西に向かって歩いた。ここには、「中央アワシュ複合岩体(CAC)」と呼ばれる複雑な構造の地層群が分布している。このCACの中心部に、アルディが発見された地点、アラミスがある。

 ウォルディゲブリエルらの研究によれば、この一帯は、520万年前に玄武岩の溶岩流にのみ込まれたという。その後も火山活動は続き、長い年月をかけて、土砂や薄い火山灰の地層が溶岩を覆った。ケーキにたとえれば、スポンジ(土砂)とクリーム(火山灰)が何層にも交互に重なった状態だ。

 その後、地層の“ケーキ”がマグマの上昇や地殻変動で傾いたり分断されたりして、一帯の地層は入り組んだ構造となった。だが、火山灰が固まってできた凝灰(ぎょうかい)岩の層から年代を知ることができる。私たちは、CACの地層の上から下に向かって歩き、アルディが発掘された地点をめざした。

 斜面を下り始めたとき、ウォルディゲブリエルが足を止めて、ルバカ層と呼ばれる凝灰岩層をハンマーで削りとった(ミドルアワシュの凝灰岩層にはアファール語で動物の名前がつけられていて、ルバカは「ライオン」の意)。ルバカ層には放射年代測定に使える鉱物はないが、そのすぐ下の地層に年代を推定する手がかりがある。地球の磁極は過去に何度も南北が逆転しているが、418万年前に起きた磁極の逆転の跡がこの地層に残されているのだ。

 そのすぐ下の地層が、最初の目的地だ。1994年にあごの骨の化石が発見された場所である。この化石は、ケニアの大地溝帯で発見されたアウストラロピテクス・アナメンシス(アナメンシス猿人)の化石と非常によく似ていることがわかった。その後、あごの骨の発見場所から約10キロ離れたアサ・イシでも、同様の化石が見つかった。

 これらの化石はすべて、アファール猿人よりも年代が少し古く、より原始的な特徴をもつ。しかし、ケニアで見つかった脛骨(けいこつ)と、アサ・イシで出土した大腿骨から、アナメンシス猿人も二足歩行をしていたと考えられている。実際、アファール猿人とアナメンシス猿人はひと続きの進化系統にあり、後者の年代が古いという以外に、両者を明確に区別することはできない。

 アナメンシス猿人の化石が出た地層の下には、ミドルアワシュにおける人類の進化史が記録されていない層がある。CACの一部に火山湖ができた440万年から430万年前の粘土層で、魚の化石しか出土しない。だが、その下の地層には、貴重な宝物が眠っていた。

440万年前 ラミダス猿人“アルディ”

 強烈な日差しのなか、小石だらけの窪地を歩いていくと、石を並べた目印があった。1992年12月17日、東京大学の古人類学者、諏訪元(げん)(152ページ「人物ファイル」参照)が謎の人類の臼歯を発見した場所だ。2日後、その近くで、化石ハンターのアレマイユ・アスフォーが、第一乳臼歯がついた子供のあごの骨の破片を見つけた。

 ホワイトは当時の様子をこう語る。「あらゆる人類の子供の臼歯化石を見てきたが、あの乳臼歯は、それまでに見てきたものとはまったく違っていた。ゲンと顔を見合わせたよ。何も言う必要はなかった。これはかなり原始的な化石だと、二人ともすぐにわかったんだ」

 調査チームはその一帯をくまなく調べ、化石が見つかった地層が、ガアラ(ラクダ)とダマアトゥ(ヒヒ)と呼ばれる2層の凝灰岩層の間にはさまれていることを突き止めた。年代測定の結果、いずれも440万年前のものとわかった。この2層は、年代測定では区別できないほど短い間隔(もしかしたら1000年くらいの間隔)をおいて形成されたのだろう。

 2層の凝灰岩層にはさまれた化石層は、約9キロにわたって地表に露出している。そこからは、サル、アンテロープ、サイ、クマ、鳥、昆虫、植物の化石のほか、甲虫が卵を産みつけるために丸めた糞(ふん)の化石まで見つかった。この地点は、付近のアファール語の地名にちなんで、アラミスと呼ばれることになった。

 翌年、アラミスの化石層の調査を約1キロ西まで進め、初期人類の化石をさらに発見した。すり減っていない上あごの犬歯、真珠色の臼歯などいくつかの歯、そして腕の骨も出てきた。それだけでなく、当時の人類が生活していた環境を示す決定的な証拠も得られた。

 ほぼ1世紀もの間、学者たちは次のようなシナリオを想定していた。人類の祖先はもともと、チンパンジーのように森で暮らしていたが、森を出て草原で暮らすようになって、効率的に長距離を移動できるよう二足歩行を始めたというものだ。ところが、アラミスで出土した動物の骨の大多数は、森にすむサルとアンテロープの骨だった。見つかった人類の歯のすり減り具合と、エナメル質の同位体の分析からは、果実や木の実など森の恵みを食べていたと推測された。

・・・・・明日に続く・・・・

◇ 【人類誕生CG】240万年前の人類のライバルはハイエナ!?

・・・https://youtu.be/_RauDD0mQS4?list=PLDPHugbMl1vGDdL_2Acex8iT6hEBYaDnN・・・

動画再生不能の時は上記URL(⇑)をクリックしてください

//////参考資料/////// 

■□ 参考資料: 人類の進化 =後節= (5/7) □■

サル目の特徴

霊長類(=サル目)は、次のような特徴を持つ。5本の指をもち、親指が他の4本と多少とも対向しているため、物をつかむことができる。前肢と後肢の指の爪は、ヒトを含めた狭鼻下目のすべての種ではすべての指の爪が平爪である。曲鼻猿亜目広鼻下目の一部では平爪のほかに鉤爪をそなえる種もある。両目が顔の正面に位置しており、遠近感をとらえる立体視の能力に優れている。

これらの特徴は、樹上生活において、正確に枝から枝に飛び移るために不可欠な能力である。多くの樹上性の哺乳類では、鉤爪を引っかけて木登りをするが、サル類の平爪はこれをあきらめ、代わりに指で捕まるか引っかかるかする方向を選んだものである。また、それが指先の器用さにつながることとなる。

直鼻猿亜目と曲鼻猿亜目の分岐

新生代に入り暁新世になるとアダピス類オモミス類が繁栄した。いずれもまだ原始的な種類で、アダピス類はのちの曲鼻猿類に、オモミス類はのちの直鼻猿類に進化したと考えられる。アダピス類とオモミス類はヨーロッパと北アメリカに分布したが、北アメリカの霊長類は寒冷化による森林の減少で絶滅し、旧世界を舞台に霊長類の進化は進んだ。

曲鼻猿類の一部は海によって他の大陸から隔絶されていたマダガスカル島にアフリカから進出し(恐らくは流木等に掴まっての漂着)、キツネザル類に進化していった。

霊長類でL-グロノラクトンオキシダーゼの活性が失われたのは約6300万年前であり、サル目が直鼻猿亜目(酵素活性なし)と曲鼻猿亜目(酵素活性あり)との分岐が起こったのとほぼ同時である。ビタミンC合成能力を失った直鼻猿亜目にはメガネザル下目真猿下目サル類人猿ヒト)を含んでいる。

ビタミンC合成能力を有する曲鼻猿亜目には、キツネザルなどが含まれる[13]。なお、ビタミンC合成能力を失った動物は、ビタミンCを摂取しないとコラーゲンを合成できなくなり壊血病を発症して生存を維持できなくなる。直鼻猿亜目が遺伝子変異によりビタミンC合成能力を失ったにもかかわらず継続的に生存し得た最大の理由は、直鼻猿亜目が樹上生活で果物等のビタミンCを豊富に含む食餌を日常的に得られる環境にあったためである。

明日に続く・・・・・

  • 地球大進化「第05集 大陸大分裂」 

・・・https://youtu.be/pDDfMa-FxOQ?list=PLfXD0Z1sfP2WLluOyetTuWEQhVdt3sBTR・・・

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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