徒然なるままに修羅の旅路

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The Otherside of the Borderline 15

2014年10月13日 22時09分33秒 | Nosferatu Blood
 
   †
 
 顕界派遣執行冥官と呼ばれる神々がいる。
 現世において悪影響を及ぼす心霊や、堕ちた神・妖怪などを調査、あるいは浄化・処断する役目を負い、顕界で肉体を持って活動する神霊のことを指す。
 彼らは現神・冥人・御使いとも呼ばれ、人間から召し上げられ役職を与えられた元人間である。
 彼らは受肉して物質世界に常時降臨し、ある程度の裁量を持って行動出来る権限を与えられている。彼らに与えられた役割は悪神狩りなので、いちいちその都度地上に降臨するより常駐していたほうが都合がいいのだ。
 常に現世での活動を行い、場合によっては調査や対人折衝の必要性があるため選抜者は元人間に限られ、なおかつ実質的な対処手段を求められる場合がほとんどである。
 アルカードが桜からその話を聞いたとき『ずぼら神の使いっぱしりか』という実とか蓋とかオブラートとか遠回しとか、そういったものの欠片も無い感想をいだいたが、実はこれはおおむね正しい――人間から魂を召し上げられていない神々は時間の概念というものの持ち合わせが無いから、『あ、命令? ふーん。まーいいよ、明日でいいっしょ』的な思考をしてどんどん対処が遅れる場合が多い。
 これを防ぐために、人間だったときの思考や感覚を引き継いでいる、元人間の比較的若い神に顕界派遣執行冥官の役職が与えられるのだ。
 今現在、日本国内で活動している執行官は四人――そのうちのひとりが橘美音である。
 
 十分程度走ったところでライトバンが減速し、道路沿いの空き地に入った。
 結界の外側一キロほどのところにある、広大な空き地だ――もともとはパチンコ店の敷地だったのだそうだが経営者が別の案件で摘発されたのを機に倒産し、今は梱包資材のメーカーの工場の建設予定地になっている。すでに近くには重機や鋼材などの資材が運び込まれており、おそらく数週間以内には建設作業が始まるだろう。
 だが、今ならまだ――
 ライトバンが完全に停止したところで、サイドドアが外から開けられた――残念ながらパワースライドドアなどはついていないので、手動である。
「兄さま」 敷地の中に停止していたトラックの荷台のコンテナから顔を出した環が、彼の呼び名を口にする――コンテナには地上から出入り出来る様にタラップが設置され、コンテナの扉は開放されていた。
 簡素な指揮所、というよりも作戦中に美音が待機、というかふらふら勝手にどこか行かない様に監視所として設営したものだ。
 陽響はああとうなずいて、
「例のものが届いたって?」
「ええ、空間転送で取り寄せました。今は中に置いてあります」
「ありがとう」 ポン、と小柄な少女の頭に手を置くと、陽響は彼女のかたわらを通り過ぎてトラックの荷台の中に入った。
 どうせいつもの様に真っ赤になってうつむいているのだろう。コンテナの横に立っていた太刀拵の日本刀を手にした黒髪の青年が、その様子を見て微笑ましげに笑いながらこちらに一瞬だけ黙礼を寄越した。
 コンテナの中でパイプ椅子に座っていた美音が、こちらの足音に反応して振り返る――あ、ひーちゃんだ、と破顔する少女に小さくうなずいて、コンテナの奥のほうに置かれた黒いバイオリンケースに歩み寄る。
 バイオリンケースを片手で開け、中に納められていた物体を目にして、陽響はゆっくりと笑った。
 内部に納められていたのは、剣だった――より正確に言うなら、剣の様な物体だった。
 全体的なシルエットは剣なのだが、刃にエッジがついていない。代わりに高強度イリジウムで造られた、まるで鮫の歯を思わせる微細な刃が、リンクで連結されてエッジの代わりに取りつけられている。全体が黒く塗装されているので、イリジウムの虹色の刃だけがトラック内部の照明を照り返してギラギラと輝いていた。
 これではまるで、剣の形をしたチェーンソーだ。
 柄元のスイッチを起動させる――ジェットエンジンの稼働音にも似た甲高い音とともに細かな刃が剣身の外周を走り始めた。あっという間に回転数が上がり、細かな刃のピースが複雑に光を反射して、まるでチェーンソーそのものが発光しているかの様に輝き始める。
 コンテナのハッチのところから、陽響より少し年上に見える青年がこちらを見ている――もっとも、少し年上に見える・・・だけだが。実際のところ、彼と陽響の年齢差は『少し』どころではない。
 革紐を巻きつけた平安時代風の拵の太刀を手にしたその青年は、短く刈り込んだ黒髪を手で掻き上げてから、簡易テーブルの上に置いてあった空のペットボトルを手に取った。
 中身の空になったコカコーラのペットボトルと彼の顔を、意図が掴めずに美音が見比べている。
 彼はそのまま、手にしたペットボトルを陽響に向かって放り投げた。放物線軌道を描くペットボトルが、突如としてふたつに分断されて弾かれた様に軌道を変え、コンテナの壁にぶつかって床に落下した。
 ぱらんぱらんと音を立てて床の上で跳ね回ってから静かになったペットボトルは半分くらいのところから分断されており、その断面は無数の回転する刃のピースに削り取られたためにギザギザになっていた。
 チェーンソーを強振し、壁に衝突する寸前で止めた姿勢から手元に引き戻して、陽響は口元をゆがめて笑った。
「なるほど……こいつはいいもんだ」 笑みを含んだ声でそうつぶやいて、陽響は手元のスイッチをオフにした。チェーンソーの発する高音がどんどん小さくなり、コンテナの中が静かになる。
 回転する刃の動きが止まるのを待って足元に置いてから、彼は壁に掛けられたハンガーに吊られていた白いコートを手に取った。それを手近な椅子の背もたれに引っ掛け、それまで着ていた黒いコートを脱いでハンガーに掛け替える。
 月之瀬とその下位個体ダンパイアたちによって、既に大量の噛まれ者ダンパイア喰屍鬼グールが出ている。
 月之瀬本人の排除はもちろんのこと、蘇生した吸血被害者をすべて処分する必要がある。
 今回の作戦では騎士団が掃討作戦を完了するまでの間、月之瀬がその妨害に向かえない様に彼の注意を惹きつけておく囮を、陽響が自ら行うことになっている。普段であれば暗闇に溶け込む様な服装を好む陽響だったが、今回に関しては闇夜で目立つ白い衣装を使うことに決めていた。
 もとより、彼が率いる騎士団の中では彼と、先ほどペットボトルを投げた男――今はチェーンソーの一撃で細切れになったペットボトルの砕片を箒と塵取で掃き集めているが――シンも含めた数人の遊撃騎士が最強戦力だ。
 ターゲットである月之瀬将也が霊体武装を持っている可能性があるため、彼に相対するのは陽響の役目だった。
 『灼の領域ラストエンパイア』――外部に放出された魔力を瞬時に減衰させる異能を持つ陽響は、効果範囲内にいる者の魔力戦技能を抑制することが出来る。
 自分の身体能力を魔力で補強するなど本人の体内で作用する魔力に対しては効果が無いものの、いったん魔力が霊体武装や魔術式の形で外部に放出されたが最後たちどころに喰い潰してしまう。
 すでに発動中の霊体武装を消滅させ、未発動の魔術式を完全に無効化キャンセルし、発動中の魔術式も異能の効果範囲に取り込まれるや否や作動しなくなる――すでに起こった物理現象の痕跡を元に戻すことこそ出来ないものの、術式そのものの発動は完全に停止されてしまう。
 そのため、空社陽響は霊体武装持ちや魔術師との相性がことのほか悪い――有利だという意味だが。彼の異能は魔力に依存した霊体武装や魔術を使う相手にとっては、致命的に厄介な能力なのだ。
 ただしその一方で、ある程度能力開発を行った上位の吸血鬼はたいてい自身の魔力の一部を使って肉体の機能を強化している。筋力や運動能力といった身体能力全般に加え、上位の吸血鬼であれば視力聴覚嗅覚味覚といった五感、それに加えて代謝機能もだ。
 もとより普通の人間をはるかに上回る身体能力を持った吸血鬼が、殊更に厄介なのはそこだった――もともと人間離れした能力を、魔力の励起によってさらに強化することが出来る。その意味では、魔術に長けたリッチなどの魔物よりも吸血鬼のほうがよほど厄介だ。
 そしてそういった魔力による能力の補強は、体内で作用するため『領域』では防げない。
 魔力に頼る相手ならば、半径四十キロに及ぶ効果範囲を持つ『領域』の内側では半分の力も発揮出来ない。だが、『領域』は体内で稼働する魔力に対しては効果が薄いために、吸血鬼の身体能力は削ぎにくい――陽響も身体能力は常人離れしているが、それでも本物のモンスターを相手に肉弾で太刀打ち出来るほどではない。
 その意味では、陽響が直接月之瀬と相対するのには危険が伴う。
 だが月之瀬将也が霊体武装や武装している以上、やはり陽響が立ち合うのが最良の選択だと言える。
 月之瀬の霊体武装は二点――長剣の霊体武装『蝕』と、甲冑の霊体武装『血雪甲冑レッド・ストレイ』。月之瀬を無力化するにはまずそれらを削がねばならず――そしてそれをするには、『領域』が不可欠になる。
 だが彼の異能はなんらかの特殊効果を附加されていることの多い霊体武装の発現そのものをある程度抑え込むことが出来る反面、対象を指定出来ないために起動中は敵も味方も弱体化させてしまう。
 つまり、魔力に対する依存度が人間よりも高いフリークスである騎士団の構成員を動員して陽響とともに月之瀬に立ち向かわせるのは、下策中の下策なのだ――対象を選ばない彼の『領域』が月之瀬と一緒に味方の力も抑え込んでしまうからで、それでは陽響が自ら騎士たちの足を引っ張ってしまうことになる。
 かといって生身のままの肉弾戦ではシン以外の構成員はおそらく全員、月之瀬に届かないだろう――もともと人間離れした身体能力を持つ月之瀬に、さらに噛まれ者ダンパイアとしての属性が附加されたならなおさらだ。
 仲間の固有の能力を使わせるために『領域』を狭めれば月之瀬は『蝕』と『血雪甲冑レッド・ストレイ』によって能力を底上げし、『領域』を拡大すれば今度は味方の能力が制限される。
 ゆえに、月之瀬に直接差し向けられる戦力は極めて限られる――『メイヴ』と『キロネックス』は『領域』影響下では常人と変わらない。『フォボス』や『ロックオン』、『スコール』では、身体能力と反応速度の面でおそらく勝負になるまい。『ネメア』は皮膚が強靭であるだけで身体能力そのものは人間とさほど変わらないので、月之瀬と相対するのは到底不可能だ。
 したがって、月之瀬とじかに相対出来るのはシンと、空社陽響のふたりだけ。
 陽響の肉体的な戦闘能力はシンにこそ劣るものの、彼を除けば仲間内でもっとも高い――月之瀬に届くかどうかはわからないが、おそらく善戦は可能だろう。最善はシンをあたらせることだが、シンには月之瀬が吸血を行った六人の下位個体――綺堂が差し向け、月之瀬に返り討ちにされて死体が回収されなかった六人の刺客たちを狩って回るという味方の安全確保上重要な任務を割り振ってある。
 これはほかの誰かに回せる任務ではない――ほかの雑魚狩りとは違う。
 ヴァチカンの聖堂騎士団を現在の形に纏め上げた教会最古参の魔殺し、教師ヴィルトール・ドラゴスが対吸血鬼用に纏めた教本というものが存在する。本来は聖堂騎士団の部外秘であるのだが、現在では世界中の魔殺しの間で流通している。
 その教本にいわく――ヴィルトール・ドラゴス教師は、訓練を受けた吸血鬼をゆめゆめ軽視するべからずと説いている。
 訓練された技術や術理、知識を常人よりはるかに高い能力で行使する訓練された吸血鬼は一般人の吸血鬼よりもはるかに大きな脅威であるだけでなく、もともとの資質に優れた人間は吸血鬼化の際により高い能力を得るからだ。
 同じ二十倍に増幅されても一般人とオリンピック陸上選手では身体能力に大きな差が生じるし、適性が同程度であってもオリンピック選手の場合は増幅率がより高くなるのだ。
 結果として、素体となった人間の身体能力次第では一般人の吸血鬼百人が束になっても敵わないほどの戦闘能力を得ることもある。もともとの素体になった犠牲者が普通の人間ではないこともあって、返り討ちにされた六人の刺客たちはまず間違いなくそうなる・・・・だろう。一般騎士たちに任せられる相手ではない。
 彼らは場合によっては――『数』という絶対優位を持つために――月之瀬以上の脅威となりうる。『領域』影響下で固有の特殊能力を封じられた味方の戦力が、相対出来るような生易しい相手ではない。
 よってより効率よく六人の最大脅威となる下位個体を狩るためにはシンが必要であると、陽響と環はそう判断していた。
 残る戦力は、自分ただひとり。
 ゆえに状況に応じて『領域』の展開と縮小を自分で決められる彼自身が月之瀬と相対するのが最善であると、陽響はそう判断していた――もっとも、それは建前でしかないのだが。
 新品の白いコート――囮を務めることはよくあるので、目立つ色の白いコートはよく着るのだが、前の作戦のときに泥だらけになってしまったのだ――に着替えながら、彼は環を呼ばわった。
「環」
「はい、兄さま」
 コンテナの入り口から顔を出す少女に、
「シンが言っていた、報告事項というのはなんだ?」
 それで思い出したらしく、環が形のいい眉をひそめてみせる。
「先ほどのビル建設現場の屋上で検知した魔力ですが――十五分ほど前にまた感知範囲内に入ってきました。今度はここから五キロほど離れたところまで接近して、そこから動きがありません」
 その言葉に、陽響は眉をひそめた。意図がわからない――単にそこを根城にしているのか、それともこちらに干渉する意思があるのか。
「向こうはこっちに気づいてないのかな」
「わかりません――おそらく気づいていると思いますけれど」
 だろうな――困った様な口調の環の返事に胸中でだけそう返事をして、陽響は軽く腕組みした。
 こちら側が向こうの接近に気づいているのだ――向こう側がそれに気づいていないと考えるのは、明らかに楽観的に過ぎる。
 向こうが当然こちらの存在に気づいているものと仮定して――にもかかわらず動きが無いのは、こちらに対して無関心か様子見のどちらかだ。
 どちらも気に入らない――無関心なのだとしたら、こちらの存在、特に上位神霊クラスの霊力を有する環すら問題視しないほどの力を持っている相手だということになる。あるいはたとえ実際の能力で環のほうが上回っていたとしても、技術と作戦で勝てる自信があるのか。
 実際問題として、環が『凄い』と評した相手だ――よもや正面から戦って彼女が敗れることは無いだろうが、こちらには彼自身も含めて足手纏いが山ほどいる。彼女の邪魔になりさえしなければ、環本人はどうとでもするだろうが――
 様子見だとしたら、こちらの作戦の情報が漏れていて、何事か干渉しようとしているということだ――どちらも気に入らない。
 小さく息をついて、陽響は環のほうに視線を向けた。
「わかった。その魔力の主に関しては引き続き気に留めておいてくれ。ただし動きが無ければ放置していい」
 陽響の返答に環がうなずく。
「わかりました」
 それを確認して、陽響は腕時計に視線を落とした――あと三十分。そろそろ配置に移動しよう。
 
   †
 
 地上百二十メートルの家電品メーカー本社のビルの屋上で、アルカードは地上を俯瞰していた――すでに地上は寝静まり、まばらにしか車の行き来は無い。
 二十四時間営業のスーパーマーケットやコンビニエンスストアの明かりが漏れて地上を彩っている。けばけばしいネオンサインが街を飾り立てているのは、おそらく駅近くに出来た風俗街だろう――根本的なところで抑制を美徳とする思考を叩き込まれた彼の気性は、そういうものに対する嫌悪を隠そうとはしない。
 顔を顰めて視線を転じる――向いた視線の先に、パチンコ屋の建物があった。
 パチンコやスロットといった賭け事にも興味は無い――その利益が実は某国の資金源として送金されているという指摘も、異邦人である彼にはあまり関係無い。
 ただ、そういった店はやかましいので嫌いだった。ルールがさっぱりわからないのも気に入らない――そもそもそれ以前に、プログラム制御された玉入れなど賭け事としては下の下だ。賭け事とは純粋な運や対象の能力、技量に対して張り込むものだ。
 なので、アルカードは賭け事そのものに対しては別になんとも思っていなかった――ただしパチンコやスロットではなく、スポーツや競馬、競輪や競艇など、賭けの対象になる人間や動物の能力や技術を競うものであるべきだとは思うが。
 鼻を鳴らして足元に視線を向けたとき、彼は地上で動きがあることに気づいた。
 先ほどまでに比べて、車の数が明らかに増えている。いずれも警備会社やコンビニの配送車で、普通の乗用車はそれほど多くない。
 警備会社の機械警備――ではないだろう。
 こんな時間に、警備会社のエンジニアが銀行を見回ることなどあるまい。交代要員がわざわざ車で現地に乗りつけることもない――常駐警備員が交代制ならば、最初から建物の中で仮眠をしているはずだ。
 それに妙なのは車の進行方向だ――いずれも街の中心部から遠ざかっている様に見える。
 なにがあったのかはわからないが――
「動き始めた、ということか」
 笑みを含んだ声でそうつぶやいて、アルカード・ドラゴスはイヤホンを耳から引き抜き跳躍した。

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