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世界の軍備の縮小を!!

2009-12-13 10:33:26 | Weblog
世界の軍備の縮小を!!(まずは日本から)

下記の提案に賛成です!!

[鳩山首相への緊急提案]

「移設」方式を放棄し、普天間基地の閉鎖のための対米交渉を

 私たちは、日本政府が、沖縄での米軍普天間基地の無条件閉鎖と辺野古における新基地建設プロジェクトの放棄をアメリカ合衆国政府に正式に求め、そのための外交交渉に入るよう強く要請いたします。沖縄住民はしかるべき仕方でこの交渉に参加すべきです。
 私たちは、この問題への日本政府の姿勢が、すでに破綻した論理に導かれており、それゆえ袋小路に落ち込むか、最悪の結果を沖縄住民に押し付けるかにしかならないことを恐れるものです。その論理とは「移設の論理」、すなわち普天間基地を閉鎖させるためにはその「移設」先を日本政府が準備しなければならぬとする論理です。
 1995 年米軍兵士による沖縄の少女強姦事件に抗議して沖縄に巻き起こった反基地運動の高揚に直面して、日米両国政府は、沖縄への負担軽減という美名の下で、1996 年SACO 合意を行い、老朽化し「世界で一番危険な基地」となった普天間基地を閉鎖する代償として、米国が1960 年代から欲しがっていたと信じられる新鋭基地を辺野古に建設するという取引を、当事者の沖縄住民の頭越しに行いました。それは宜野湾市の市民を人質にとり、身代金として、辺野古の住民と自然環境を要求するに等しい行為でした。これによって基地閉鎖問題は基地移設問題にすり替えられ、今日に至っています。
 この「移設」方式は、道徳的に非難に値するばかりでなく、現実的に破綻しました。SACO 合意から13 年、辺野古基地建設は沖縄住民の粘り強い抵抗、環境運動など国際世論の圧力などによって、袋小路に入っています。
沖縄の住民は「県内移設」を断固として拒否しています。だが基地をどこに「移設」しても、住民や自治体や市民運動の強い抵抗にであうのは不可避です。すなわち「移設」方式では、普天間基地の閉鎖はいつまでたっても
実現のめどがつかないのです。「検討してみたが県外は不可能」として、沖縄に舞い戻るなどという不誠実は、鳩山政権に許されるはずはないと私たちは理解いたします。
日本政府はこの移設のワナから抜け出さなければなりません。すなわち「移設先」の設定を条件とする解決方式をきっぱり放棄することが肝心です。
 SACO 合意など国家間合意の存在ももはやこの方式の継続を支える根拠にはなりません。13 年という時間は「移設」方式の破産と無効を証明するに十分な長さです。方式の再検討は不可避です。日本政府はそれを認め、普天間の無条件閉鎖の対米要求とならんで、ただちに辺野古での基地建設の手続きと工事を凍結するよう要請します。
 そしてこの方式の破綻を米国政府にも認めさせ、SACO 合意の根本的見直しへ向かうことが必要です。私たちはそれが連立政権三党合意の線に沿って、1996 年の日米安保共同宣言から2007 年の「米軍再編」にいたる自民党政権の悪しき対米関係の抜本的見直しへ進む一歩となるだろうと考えます。私たちは、日本政府がこれらの問題についていまだに対米交渉の申し入れさえ行っていないことに強い懸念を表明するとともに、対等な対米関係へ向けての政府の交渉努力については、それを強く支持するであろうことを申し添えます。


内閣総理大臣 鳩山由紀夫殿


[提案呼びかけ人]
飯島 信(日本キリスト教協議会総幹事)/石坂啓(漫画家)/岡田武夫(カトリック司教)/勝方= 稲福恵子(早稲田大学琉球・沖縄研究所)/川平朝清(東京沖縄県人会会長) /鎌田慧(ルポライター)/斎藤貴男(ジャーナリスト)/中原道子(VAWW-NET ジャパン)/丹羽雅代(アジア女性資料センター)/広河隆一(フォト・ジャーナリスト)/武者小路公秀(大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター)/武藤一羊(ピープルズ・プラン研究所)/屋嘉宗彦(法政大学沖縄文化研究所所長)/吉川勇一(市民の意見30 の会・東京)


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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-12-13 08:42:42 | Weblog
「ノブの日記」 のタグをクリックお願いします!!

いよいよ!今日です!!
なぜか日本で上映されない南京虐殺映画に有志が「南京・史実を守る映画祭」開催

12月4日16時31分配信 シネマトゥデイ

1937年に日本軍が当時の中国の首都・南京で起こした南京事件を、さまざまな角度から描いた映画の数々が国際的な評価を得ているにもかかわらず、日本でなかなか上映されないという現状を受け、「南京・史実を守る映画祭」と題する上映とシンポジウムを有志により執り行うことがわかった。

 南京事件の70周年を期して、前後に世界各国で、南京事件をテーマとした映画が数多く製作されている。このような映画には配給会社が付きにくく、特に日本ではあまり上映されることがない。そこで、インターネットを通じて集まった20代から30代を中心とする有志を中心に、これまで南京事件被害者の裁判支援などを行ってきたメンバーが中心となり南京・史実を守る映画祭実行委員会を結成し、「待てど暮らせど公開されないのであれば、自分たちで公開するしかない」と考え、今回の映画祭を企画した。

 この南京・史実を守る映画祭実行委員会によると「それらの映画のほとんどを、日本のスクリーンでは観ることができず、情報さえも紹介されていないのが現状です。南京事件は、当時の日本政府や日本軍に大きな責任のある事件です。また、中国での世論調査では、『日本といえば思い出すこと』として、常に南京事件が一位となるなど、現在の私たちとも関係のある出来事です」とこの映画祭を企画したことの意義を述べた。

 南京・史実を守る映画祭は、キャパシティーが1,000人規模のホールで行われ、シンポジウムには鈴木邦男氏(「一水会」顧問)も登壇する。上映される映画は、アメリカのビル・グッテンタグ監督による南京市に残留した欧米人の視点で描く、手紙・日記を基にした朗読劇を中心に、当時の映像や生存者・体験者のインタビューを織り交ぜて構成される『南京』。カナダのビル・スパヒックとアン・ピック監督による「The Rape of Nanking」の著者アイリス・チャンの死に至る過程をドキュメンタリー仕立てで描写した『アイリス・チャン』。日本の武田倫和監督による南京事件を追いかけてきた松岡環さんの約10年にわたる取材を基に中国人被害者6名、元日本軍兵士7名のインタビュー映像で構成される、交わることなかった被害者と加害者の「引き裂かれた記憶」を重ね合わせることにより、南京大虐殺の実態に迫る『南京・引き裂かれた記憶』。ロジャー・スポティスウッド監督の日本軍から逃れるため、黄石の中国人孤児60人を連れて濾州へ向かうジャーナリストの日中戦争の秘話を映画化した感動作~『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』など、1日のみですべて上演し尽くす。

「南京・史実を守る映画祭」は2009年12月13日(日)世田谷区民会館ホールにて開催



   
  「怨」

きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!

(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)

(時効なき戦争責任


●731部隊
『死の工場』(隠蔽された731部隊)

(シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳:柏書房:1999年発行)
日本語版前書き

現状と「記憶のずれ」 

1、証言
 1939年、篠塚氏は16歳で後に第731部隊と呼ばれるようになる部隊の軍務に志願した。彼は戦場の兵士たちに浄水と他の必需品を供給する部隊で医師のアシスタントとして働くものと信じていた。しかし、彼の主な任務は恐ろしい病原体を研究室で培養することだった。そして、後には中国人捕虜の生体解剖を含む人体実験にも参加することになるのである。
 一方、東氏は1937年8月に軍隊に徴集され、その12月、南京での戦いに参加した。その時のことを氏は次のように回顧するー「食べる物は何も支給されなかった。食べる物は、侵略、略奪して、自分で手に入れろというのだ。我々は食べ物を捜した(原文のまま)。
 隠れている女を見つけたら、レイプした。なぜ、あんな非人道的なことができたのだろう。なぜ、無意識で、あんな殺戮や、レイプや、放火や、略奪ができたのだろう・・・・軍国主義とは人間を単なる資源として扱うことなのだ・・・我々の命さえ重要でないとしたら、どうして敵の命など重要であろうか。『皆殺しだ!』と命令され、我々は躊躇することなく殺戮したのである」。(明日に続く)


※中国から復員した兵士の中で、731部隊のことや南京大虐殺のことを、証言されている方は、ほんの一握りの方だけだ。この方々は、右翼による嫌がらせなどに毅然と立ち向かい、いろいろな所で証言したり、自分の体験を本にしたりした。
 本当に貴重な証言だと思う。また、証言を決意された勇気には、驚きさえ感じる。多くの戦争に召集された日本兵は帰還後、戦争の加害の事実を語らず、みんな貝になり、余生を静かに暮らしてしまった。戦後の日本は、次の時代を背負う若者に戦争の加害事実がよく伝わらず、時代が過ぎた感がある。
その中で、いろいろな反対を押し切り、よく加害体験を証言されたと思う。戦争の実態が多くの日本人に理解されればと思う。
 
●南京大虐殺 
   
1937年12月12日
日本海軍機、アメリカ砲艦パナイ号を撃沈、南京防衛軍唐生智、撤退命令を出す。深夜、南京陥落。
12月13日
日本軍、「残敵掃蕩」を開始。
12月14日
昭和天皇、南京占領を喜ぶ「お言葉」

「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

汪玉蘭(女、58歳)の証言

1937年の12月に日本の侵略軍が南京を攻めた時、家は八宝街18号でした。その頃人々が逃げたり戻ったりで、お金のある人たちはみんな逃げて行きましたが、家は貧しく行きませんでした。日本軍が入って来た後至る所で人を捕まえ、八宝街一帯に住んでいたラオパーイシン(=庶民)で、およそ家にいた者は全部日本軍に捕まり明故宮飛行場まで連れて行かれたのですが、私たち一家も捕まって行きました。その時捕まったのは6、70人で、私たち一緒に座らされ、周りには機関銃が据えられていました。私たちは午前中に捕まって行ったのですが、午後4時頃になってやっと、通訳が1人やって来て私たちに家に帰ったら食べる物があるかどうかと聞くので、食べる物はないと言うと、日本軍は男の人を全部連れて行き残ったのは年寄りと子供と婦女子でした。父も連れて行かれ、私たちは放たれ家に戻りました。その時男の人で1人、およそ30歳ぐらいのが、私たちに言うのに、自分は無錫から捕まって来て雑用をさせられている者で、自分を助けてほしい、自分も子供の世話をしたりするから、ということで私たちは一緒に歩きました。八宝前街まで行ったら、日本兵何人かその男の人を見かけて、自分たちが捕まえてきた男だと分かって、すぐ発砲しその人を撃ち殺したのでした(黄徳林が記録)
 
■ 南京・史実を守る映画祭 ■ (転載)
http://jijitu.com/filmfestival2009/
○日時 2009年12月13日(日) 10:00開場
○場所 東京都世田谷区区民会館ホール
○料金 前売券900円、当日券999円。
1作品ごとに入れ替えを行います。前売券の購入方法は下記のURLをご参照ください。
http://jijitu.com/filmfestival2009/2009-09-28-06-41-10

○プログラム・上映作品
10:30-『南京』(88分)
13:00-『アイリス・チャン』(103分)
15:00- シンポジウム
  ※ゲスト:鈴木邦男さん、武田倫和監督さん(詳細はHPで)
  ※映画祭チケットご購入のすべての方が入場いただけます。
16:30-『南京・引き裂かれた記憶』(85分)
18:30-『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』(125分)

主催:南京・史実を守る映画祭実行委員会
お問合せ:nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp
「南京大虐殺」と聞いて、どれだけの人々が具体的に事件のイメージを語ることができるでしょうか。日本では、南京大虐殺という事実は、公の場であまり語られることはなく、学校教育でもほとんど取り上げられず、どこか、事件に触れることがタブーであるかのような空気が作られているようでもあります。

 事件をめぐっては、戦後になっても何度かの裁判が提起されてきました。その中には、事件の証言をする人々に対する「偽者」呼ばわりがきっかけになったものも多くありました。
 中国人の被害者である夏淑琴さん、李秀英さん。事件そのものの証言を報じた本多勝一さん。

 事実は必ず勝つ、という言葉のとおり、これらの裁判では真実が勝利し、事件はなかったとする人々の主張はすべて、疑似科学や単なる読み物レベルの俗論に過ぎない、ということが白日の下に晒されてきました。

 しかし、事件はなかったとする勢力が沈黙することはなく、それどころか、事件について公の場で触れることそのものにまで、攻撃の手を伸ばしてきました。

 事件を描いた「南京1937」は、その上映が右翼によって暴力的に妨害され、上映する劇場のスクリーンは、右翼によって切り裂かれました。

日本の大手映画会社によって、日露戦争や太平洋戦争の映画が次々と作られる中にあっても、日本軍による中国大陸での残虐行為を描いた映画はほんのわずかしかなく、南京大虐殺を描く映画は皆無、という状態です。

 この間、諸外国では南京大虐殺をテーマにした映画が数多く制作され、公開されているのに、事件の当事者である日本の国内では、南京を描く映画は作られていないのです。

 映画【靖国】の上映に至るまでの経緯を振り返るとき、このような状況は「暴力と、それを恐れるが故の自粛」によってもたらされる、言論の自由の危機だとはっきりいえます。これは、断じて容認することはできません。

 そこで私たちは、映画配給会社がやらないのなら私たちがやってしまおうと決意し、南京大虐殺をテーマとする映画を集めて映画祭を開催することにしました。
 ぜひお越しください。

●『陸軍登戸研究場見学ツアー』(転載)
●日時:12月20日(日)10時
●集合場所:小田急線「生田駅」前集合
●見学後、明大食堂で姫田先生のお話
●参加費:無料
●主催:埼玉9条連・川崎9条連「共催」
◆『フィールドワーク・陸軍登戸研究所』

●【裁判のお知らせ】(転載)
チチハルの毒ガス被害事件の裁判が行われます。

日時:2009年12月21日(月) 10:00~11:30
場所:東京地方裁判所 103号法廷

結審です。丁樹文さんが来日して弁護団と共に
最終意見陳述を行います。丁樹文さんが、より
多くの人に見守られ、励まされて、陳述できる
よう、ぜひ傍聴にいらして下さい。

裁判終了後、東京地方裁判所裏の弁護士会館
1002号室で報告集会が行われます。


●女たちの戦争と平和資料館
 常設展(日本軍「慰安婦」問題)と特設展(転載)


特設展
証言と沈黙 加害に向きあう元兵士たち
午後1時より6時まで入館料500円 
休館 月・火
 03-3202-4633
 早稲田奉仕園AVACOビル2階

jr 高田馬場駅よりバス西早稲田下車 2分
地下鉄東西線早稲田駅歩 5分 

南京大虐殺     

南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント


南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

※日中戦争は、戦時国際法(戦争法)として国際慣習法が条文化されたハーグ陸戦条約に拘束されていた。同条約は、国家間の戦争を合法としながらも、国際人道法の理念からその惨禍をできるだけ軽減するために、直接の戦闘外に置かれた者の苦痛や殺傷を防止しようとしたものだった。そのために、戦争の手段と方法が規制され、非戦闘員である文民及び非軍事目標への攻撃を禁止し、さらに戦闘員を人道的に保護するために、直接の戦闘外におかれた捕虜、投降兵、敗残兵などの殺傷も禁じられた。捕虜についてはその保護と待遇改善を一層明確化して存在した。(日本は調印したが、批准はしなかった。しかし、欧米に対しては「同条約の規定を準用する」と表明した)。【『南京事件』:笠原十九司著:岩波新書】より

またまた、核心さん(栗原利一さんの息子さん)より、参考になるメールを頂いたので紹介したい。なぜ、日本は歴史を改ざんするのかがよく分かる!!

核心 2009年11月26日 18:12
「戦史叢書」と南京大記念館の差

結構知られているようなのですが、防衛研究所戦史部が南京を否定するのは、GHQのGSとG2の占領政策の違いから来ています。

この戦史部OBで終戦時少佐の森松俊夫氏が2006年に親父(栗原利一)のスケッチブックの破壊工作を行なって失敗しています。
(この方は、偕行社にいた時に東裁判を計画された方でもあります。)

以下は「加害と赦し、南京大虐殺と東史郎裁判」の中の吉田裕氏の論文の抜粋です。

防衛研修所戦史室の源流

...この資料整理部の前身は史実調査部、さらには史実部であるが、一貫してその中心的地位にあったのは、元陸軍大佐の服部卓四郎だった。
服部は、タカ派で有名なGHQ参謀第二部(G2)部長の、C.A.ウィロビー少将の援助の下に、周辺に旧日本軍の幕僚将校を集めて「服部グループ」を結成する。
占領中から、秘かに再軍備計画の研究にあたっていたのは、このグループである。

...戦史室編纂の「戦史叢書」が、旧軍の立場を代弁する弁明史観的性格を色濃く持たざるを得なかった...


※南京大虐殺の際には帰国をはしゃぐ兵士たちを横目に、連隊首脳は、帰郷したした兵士らが、歓迎会席上などで、知人・友人を前にめったなことを口走らないように、「銃後ニ答フ」という想定問答集まで編集した。

※国は、天皇制に大きく係わるので戦争のことを今でも隠そうと必死である。その結果、南京大虐殺の否定本が書店に出回り、教科書にもその記述が少なくなってきている。
 731はもっと無視されているのかも知れない。
 昭和天皇に係わるだけに、大きく取り上げられることは少ない!!

栗原利一資料集
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