秘密保護法撤廃!!撤廃!!撤廃!!
「憲法9条」がノーベル平和賞候補
憲法9条ノーベル平和賞候補に!安倍自民にとってダメージか?いやいや暴走加速しているぞ!《゜Д゜》
軍縮・不拡散:「広島宣言」採択へ 非核保有12カ国会合
清明節に南京大虐殺記念館で追悼行事 「国家追悼日」制定後初の民間活動=中国報道
日本人監督撮影のドキュメンタリー映画、南京大虐殺記念館で上映―中国メディア
(転載)
私たち南京への道・史実を守る会は、「南京・史実を守る映画祭」と題し、
2009年に『Nanking』『チルドレン・オブ・ホァンシー』『アイリス・チャン』
『南京・引き裂かれた記憶』の4本の映画上映を行い、2011年には陸川監督『南
京!南京!』の上映を行ってきました。
そして2014年5月17日(土)、私たちは『ジョン・ラーベ』(F・ガレンベルガー監督)
の上映を行うことになりました。
本作品は、2009年のドイツ映画賞では主演男優賞・作品賞・美術賞・衣装賞を
受賞し、同年のバイエルン映画賞では最優秀男優賞・最優秀作品賞を受賞してお
り、また、撮影中には『ニューズ・ウィーク』誌に取り上げられるなど、世界的
にも注目を浴びた作品です。
日本でもインターネット上で上映を嘆願する署名活動が行われるなど、大きな
期待を受けていましたが、公開から早や5年の歳月が流れてしまいました。しか
し、私たちもこの5年間を無為に過ごしてきたわけでありません。映画会社との
交渉を幾度となく重ね、念願の上映許可を得ることになりました。
是非とも多くに皆様にご来場いただき、本作品をご鑑賞頂ければと思います。
そして、1937年の12月に南京でおこったことに思いを馳せ、平和の尊さについ
て考える機会を持っていただければと思います。
「南京・史実を守る映画祭」実行委員会
■日時・チケット
2014年5月17日(土)
第1回目 12:00開場 | 12:30上映 | 15:00シンポジウム
前売1500円 / 当日1800円
第2回目 16:30開場 | 17:00上映
前売1200円/当時1500円
※シンポジウムのパネラーは現在調整中です。
※前売り券について
インターネットまたは電話にてご予約いただき、セブン・イレブンでの発券とな
ります。代金はチケット受け取りの際にセブン・イレブンでお支払いただきま
す。ご予約時に発行される払い込み番号をセブンイレブンのレジにて提示するこ
とでチケットが発券されます。
必ずご予約後1週間以内に発券してください。1週間を超えるとキャンセル扱い
となります。
WEB予約 http://johnrabe.jp/
電話予約 0120-240-540 カンフェティチケットセンター
■場所 江戸東京博物館ホール
■交通
・JR総武線 両国駅西口下車 徒歩3分
・都営地下鉄大江戸線 両国駅(江戸東京博物館前) A4出口 徒歩1分
■お問合せ 「南京・史実を守る映画祭」実行委員会
MAIL. info@jijitu.com FAX 020-4624-0773
(以上、転載)
中国、「731部隊」の世界遺産登録を申請=「これが歴史を否定する日本への中国の答え」―ロシアメディア
全人代代表、「教科書の『日本の中国侵略』に関する記述を増やすべき」と提議―中国メディア
旧日本軍731部隊遺跡を戦争遺跡公園に―中国
八王子「731部隊展」終了!!
八王子「731部隊展」を終えて
今回の八王子の731部隊展を終えて感じたことは、大日本帝国実現の為に、兵器を作るのに熱中しすぎて、人間の倫理観は麻痺し、残虐な限りを尽くしたことだ。日本医学界は、上からの命令で動いたことや、アメリカが細菌戦のデータを重視し、隊員を買収してデータを集め、、戦犯免責を与えたものだから、関わった者たちは戦後全くの反省することなく、自慢げに学会で発表する者すらいた。また、戦中・戦後、生体実験をもとにして書かれた論文に多くの大学が驚くことに博士号を授与した。
そして国体護持’天皇制護持)を条件に、降伏した日本は、731等石井機関で残虐行為をやっていた手前、アメリカの非人道的な2発の原爆投下を非難することはできず、日本医学界は全面的に、アメリカの原爆被害調査に協力し、治療はまったくしなかった。ただ、現地の医師たちだけが、患者に向き合い、治療した。
このことが、アメリカの核戦略を容認し、日本の科学界・医学界が、原子力の方向へ進むことになる。
中国、アジアで行われた医学界の残虐行為は、国家犯罪であり、日本医学界だけの問題ではなく、天皇を含め国家の上層部の責任が大きい!!日本医学界が謝罪できない理由は、こんなところにあるのかもしれない。
パネルを振り返りながらそれを見ていくと、
序章は、「薬害エイズと731部隊」
一枚目のパネルは厚生省の中庭に建てられた碑の写真から始まる。
その「誓いの碑」には、こう書いてある。
「命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていくことをここに銘記する
千数百名もの感染者を出した
「薬害エイズ」事件
このような事件の発生を反省し
この碑を建立した
平成11年8月 厚生省」
1980年代、アメリカでエイズが広がった。もしかしたらこのエイズも731部隊の研究成果を元に作られた可能性はある。人為的なもの?
アメリカは、血友病患者に投与していた非加熱製剤がエイズウイルス汚染されていることがわかり、いち早く加熱製剤に切り替えたが、日本は、非加熱製剤のトップメーカーであったミドリ十字に配慮して、加熱製剤への切り替えがアメリカに比べ2年以上も遅れ、さらに加熱製剤販売後も1年以上非加熱製剤を回収しなかったために、薬害エイズの被害が広がった。
なぜ、ミドリ十字に厚生省は配慮したのか。両者には、天下りを通して、癒着があり、厚生省のエイズ班長であった安部英(あべたけし)にも、影響を与えた。
それでは、テレビで初めて薬害エイズの件で土下座者謝罪したミドリ十字とは、いったいどんな会社なのか?
1950年、石井四郎の懐刀(ふところがたな)といわれた内藤良一(731部隊員、防疫研究室にいて、石井ネットワークにいろいろ指示を出していた)は、朝鮮戦争の犠牲者に対する輸血血液の需要を当て込んで、売血を目的に、日本ブラッドバンクを設立をする。そこには北野政次(731部隊2代隊長)ら多くの731部隊員が集まる。そして日本の輸血が売血から献血に切り替わると、日本ブラッドバンクは、ミドリ十字と社名を変更し、血液製剤メーカーとなっていった。
内藤は、多くの731部隊関係者をスカウトし、日本ブラッドバンク・ミドリ十字の中核を担わせていく。
内藤が731部隊の人脈と技術を引き継いでつくり上げたミドリ十字は、731部隊の気風をそのままに引き継いでいた。そのことが、薬害エイズ事件を引き起こす原因の1つになった。
※731部隊の気風・・・731部隊は本当に人命を軽視していた!!
※ミドリ十字は、医薬品業界の合併を経て現在田辺三菱製薬になっている。
第1章 731部隊の創設
1931年9月18日、中国東北部の柳条湖で関東軍は、鉄道を爆破し、中国軍の仕業にして、東北地方の侵略を開始する。32年関東軍と南満州鉄道会社の支配のもとに清朝のラストエンペラー溥儀を擁立し、満州国を建国し、中国人を表の顔にするが、裏で日本人の役人が操っていた傀儡国家であった。安倍の母方の祖父、岸信介も満州国の役人であり、「満州5カ年計画」などの策定にかかわっていた。東條英機も、関東軍司令官として赴任していた。両者とも極秘裏に進められていた、731の計画も知っていただろう!!
その満州国の背陰河に秘密裡に東郷部隊を設置し、生体実験を繰り返しやっていたが、マルタ(被験者)の脱獄事件が起こり、これをきっかけに、脱獄できないもっと大規模な実験施設を平房に建設する。1938年頃主要な建物が完成する。
この巨大な施設は、議会の承認なしに、年間今のお金にして90億円が費やされた。もちろん天皇も陸軍も承認した施設であった。この施設には、今のIOCの会長の竹田の父親竹田宮恒徳王(竹田宮)は宮田中佐と名乗って、731に関与していた。
三笠宮・天皇もこの施設を視察したと言う証言もある。
安倍が秘密保護法をいち早く成立させた背景にはこういうことが関係があるかもしれない。
部隊全景
周囲8km四方を土塁と高圧線に囲まれ、部隊には鉄道の引込み線が敷かれ、物資やマルタ(被験者)を運び入れていた。飛行場もあり、専用の飛行機も数機有し、学校あり、神社、隊員の宿舎、運動場、テニスコートなどもあった。敷地内のロの字形をした研究棟(5階建てぐらい)の中に、7棟、8棟と呼ばれた特設監獄があり、そこにマルタと呼ばれていた被験者たちが収容され、いろいろな生体実験が行われていた。
731部隊の始まり
石井四郎は、京都帝大医学部を卒業後、軍医になり、1928年から2年余りヨーロッパやアメリカを視察旅行し、細菌兵器が資源の乏しい日本にとって、有効であることを確信し、永田軍務局長をはじめ、軍上層、天皇を動かし、細菌兵器の開発を傀儡(かいらい)国家満州で、取り掛かる。
731部隊組織表
731部隊には多いときで3000人の職員がいた。第1部から第4部まであった。
第1部では基礎研究でチフスやコレラ、ペストなどの細菌の研究をしていた。
第1部第3課のレントゲン班に宮川正の名前が見える。
1954年のアメリカの水爆実験のとき、被害を受けた船を第五福竜丸だけにした男だ。
そのとき、1000余り被曝したのだが、アメリカの意向を受けて過小評価した。
宮川正の軌跡
1944年3月4日、宮川は、関東軍防疫給水本部に配属され、731部隊のレントゲン担当となった。第1部細菌研究部第3課の吉村寿人の下には、レントゲン担当の二つの班ー宮川が班長を務める宮川班と在田勉(任期・1939年4月5日~1944年8月25日)が班長を務める在田班があった。
西野瑠美子が取材したレントゲン班の元隊員の証言によれば、男性用の収容棟と女性・子どもの収容棟にそれぞれ1ヶ所ずつレントゲン室があったとされる。細菌に感染させるマルタ(被験者)の健康診断のためのエックス線撮影が主な仕事で、部隊敷地内の隊員と家族のための診療所でもレントゲン診断を行った(西野瑠美子「731部隊―歴史は継承されないのかー元隊員を訪ねて」『世界』1994年4月号掲載)。健康なマルタの病変の経過を見ることが部隊の関心対象だったため、健康診断を受けさせ、健康と判定されたマルタだけが人体実験の対象になった。
レントゲン班でも、人体実験が行われていた。西野が取材したレントゲン班の元隊員の証言によれば、「レントゲンを肝臓に当てる実験に立ちあった」といい、レントゲン班では、細菌に感染したマルタのレントゲン撮影を一定の期間をおいて実施したとされる。
これと似通った匿名の731部隊班長の証言が吉永春子の書き下ろし『731 追撃・そのとき幹部達は」(2001年、筑摩書房)に収録されている。肝臓にレントゲンを照射して致死量を確認する実験を行ったという証言は、TBSテレビで1976年8月15日に放送されたドキュメンタリーのために吉永らが行ったインタビューの中で行われたものだった。内容から、匿名の証言者は宮川ではなく、もうひとつのレントゲン班の班長と推察される。
宮川は、戦後、亀井文夫監督の記録映画「世界は恐怖するー死の灰の正体」(1957年)の撮影に協力している。この映画には、宮川も理事を務めていた日本放射性同位元素協会(後の「日本アイソトープ協会」)や山崎文夫、村地孝一らの科学者も協力していた。映画には、放射線を長時間、実験用のマウスに照射して死に至るまで観察する実験が記録されている。ネズミへの放射線照射の映像は、映画の中では、あくまで放射線の恐ろしさを実感させる素材として使われているが、一面で731部隊が死に至る人体実験の様子をフィルムに記録したという証言を彷彿させるものだった。1960年8月には、茨城県東海村の日本原子力研究所で宮川らがネズミにガンマ線を照射し、被曝時の生体変化を観察する実験を実施すると報道されたこともあった。
宮川が731部隊でレントゲン班の責任者だったことは消せない事実だが、宮川が直接行ったとする人体実験の具体的な証言や記録は今のところ確認されていない。
・・・・これらの事例とは対照的に、宮川が公職追放を受けなかったのはいったいなぜなのだろうか。
・・・宮川正は、1949年「科学朝日」8月号の皆川理らとの座談会「放射能とは何か」に国立東京第一病院の医師として登場し、放射線の医学的な利用等について説明している。国立病院の勤務医になったことは、731部隊時代の行動について「お咎めなし」のお墨付きが得られていた証だろう。
・・・宮川は1953年に横浜医科大学の教授となり、やがて放射線治療の分野で名が知られるようになっていった。
・・・宮川と731部隊の関係者の繋がりは戦後もある時期まで、維持されたものと考えられる。
・・・第5福竜丸事件が起こると、宮川は4月から5月にかけて横浜・川崎両港に入港した民間船の放射能汚染調査と、5月からの横浜市内の上水道の放射性物質の測定を開始した。此れが評価されたためか、宮川は、10月に厚生省に設置された「原爆被害対策に関する調査研究連絡協議会」の環境衛生部の委員に任命されることになった。
・・・1956年4月、宮川が東大医学部放射線医学講座の主任教授となった。宮川は、5月16日、原子力委員会の「国立放射線医学総合研究所設立準備小委員会」の5人の専門委員のひとりに任命された。
・・・宮川は、1956年に日本学術会議原子力問題委員会の放射線影響調査特別委員会委員に選ばれたのに続いて、翌年5月25日には原子力委員会の放射能調査専門部会(部会長・都築正男)委員にも任命された。宮川は、1958年9月1日、ジュネーブで開かれた第2回原子力平和利用国際会議にもアイソトープ・生物学関連のふたつのグループの責任者のひとりとして出席している。
731部隊関係者の中で、原子力行政にこれほどまでに、食い込んだ者は、宮川以外には見当たらない。そうした意味で宮川は部隊の元関係者の中では特異な存在だった。
『ヒロシマからフクシマへ 戦後放射線影響調査の光と影』
堀田伸永著より
ヒロシマからフクシマへ 戦後放射線影響調査の光と影【無料版】堀田伸永
※また福島事故後に有名になった医学者の一人に同じく東大出身で、東大病院放射線科の中川恵一準教授がいます。彼は、「福島で健康被害は出ていない、今後も出ない」と主張する学者の代表格です。私は中川医師の『被ばくと発がんの真実』という著書に、科学的な疑問点が100か所以上見受けられたので、質問を送りましたが、どれひとつとしていまだに回答をいただいておりません。
実は免責された731部隊は、放射線医療業界にも歴史的につながっています。例えば731部隊、レントゲン班でも致死量を当てる人体実験が行われ、リーダーのひとりであった宮川正は、戦後放射線治療の専門家になりました。第五福竜丸事件の後、福竜丸以外の船員が放射線障害で苦しんでいても、放射線障害ではないだろうという理論を展開し、800あったと言われる被曝船は、一隻とされたのでした。
・・・・・・・・・・・・・・・
(XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より)
東大・中川氏 正しい放射線・放射能・被ばくに関する対応とは
崎山比早子先生 『御用学者・東大中川恵一を痛烈批判!』
陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク
天皇の承認の元に、細菌戦の攻撃面の命令は参謀本部作戦第2課が行ない、研究は陸軍省医務局が管轄していた。細菌戦部隊はアジア各地につくられ、防疫給水という名称によって、隠された。ハルピンをはじめ、北京、南京、広東、シンガポールにつくられた。
防疫給水部全体のネットワークは石井機関と呼ばれ、陸軍軍医学校防疫研究室の内藤良一が采配を振るっていた。
大学教授は、防疫研究室の嘱託となって、弟子たちを731部隊に送り、731部隊に指示を出していた。731部隊に行った弟子たちは生体実験などのデータを防疫研究室に送って、情報の共有をはかった。
日本医学会総会軍陣医学部会
1942年の第11回の日本医学会総会は東大で開かれた、写真は東大の安田講堂の前で第9部微生物学分科会の記念撮影。
前列向かって左側に、731部隊初代隊長の石井四郎、右側には2代目隊長の北野政次、3列目の左には1644部隊長の増田知貞の顔が見える。いかに、この部会で細菌戦部隊が幅を利かせていたかがわかる。
部会では、多くの細菌戦部隊員が参加し、人体実験で得たデータを元に書いた論文を発表している。
石井軍医少将は「所謂孫呉熱ノ研究」を研究グループを代表して軍陣医学部会の最後に講演した。
第2章「マルタ」
ロ号棟(四方楼)に囲まれた特設監獄(7棟、8棟)に被験者は「マルタ」(丸太)と呼ばれ収容され、人体実験が行われていた。
憲兵隊と「特移扱」(特別移送扱)
憲兵隊や特務機関に逮捕された者は秘密裡に731部隊に送られた。人体実験の被験者は「マルタ」と呼ばれた。「丸太」という意味である。
「特移扱」(とくいあつかい)は、憲兵隊が実験材料「マルタ」を731部隊に供給するための制度である。
憲兵は、特移扱でマルタを731にたくさん送れば、出世した。731部隊にとっては、大量の実験材料を速やかに入手できるものであった。
抗日活動家やソ連のスパイは裁判にかけられず、731部隊に送られた。
もちろん、無実の者でも、憲兵隊での脅迫や拷問下での取り調べの実情が、外部に漏れるのを防ぐために、731部隊に送られた人もいた。
「特移扱」文書
吉林省档案館発行の『「731部隊」罪業鉄証』には、戦争当時の憲兵隊の文書の写真が載っている。
そこには、工作名 イワン 「特移送スルヲ至当トミ認ム」と書いてある。
中国人 張生文は、抗日活動をしていたのだろうか?工作名イワンと名乗り、活動していた。そして、憲兵隊に捕まり特移送された。すなわち、731部隊に送られた。
731部隊に送られた者の数ははっきりしていないが、731部隊の総務部長や細菌製造部長であった川島清ハバロフスク(ソ連)裁判の供述調書に「強力な伝染病を囚人に罹患させる実験によって毎年600人以上が死んでいた」という証言を残している。
1939年から1945年の敗戦までには、少なくとも3000人が被験者とされ、殺された。
朱玉芬(しゅぎょくふん)の父と叔父
私は朱玉芬です。父は雲彤(うんとう)で叔父は朱雲岫(うんしゅう)です。2人とも抗日連軍(東北抗日連軍)にいました。憲兵隊に捕まって、731部隊に送られました。
2人とも731部隊で実験されて亡くなりました。
第3章
731部隊の人体実験
731部隊をはじめ、石井機関、陸軍病院その他の施設では、密かに人体実験が行われていた。
陸軍病院では、手術演習の名のもとに、生体解剖が行なわれた。
731部隊では、ペスト菌の毒力を増すために、ペスト菌の注射そして、その後に生体解剖、その他の菌でも、行われた。
また、細菌戦をやったところに赴いて、防疫活動の名のもとに、生体解剖を行なった。
西里扶甬子講演会
「731部隊・広島・長崎そして福島、医学界の倫理的犯罪」
「731部隊・広島・長崎そして福島、医学界の倫理的犯罪」西里講演1(2014)
「731部隊・広島・長崎そして福島、医学界の倫理的犯罪」西里講演2(2014)
「731部隊・広島・長崎そして福島、医学界の倫理的犯罪」西里講演3(2014)
松村高夫講演会
「731細菌戦部隊と現在」
731細菌戦部隊と現在 1 慶大 松村高夫
731細菌戦部隊と現在 2 慶大 松村高夫
731細菌戦部隊と現在 3 慶大 松村高夫
常石敬一講演会
「731部隊とは?今問う意味は」1
「731部隊とは?今問う意味は」1 神奈川大学 常石敬一
「731部隊とは?今問う意味は」2 神奈川大学 常石敬一
「731部隊とは?今問う意味は」3 神奈川大学 常石敬一
天皇や三笠宮も731に行っていた?(生体実験を知っていた?)40分あたりから
unit731
731部隊から福島へ!(1時間20分~1時間33分あたり)
広瀬隆氏講演in福島「IAEAとICRP~原子力マフィアによる被曝強
重松逸造という男
プルトニウム元年 第3作 1993年8月放送 3/5
山下俊一トンデモ発言
山下俊一トンデモ発言2
731の経験を悔やんだ医学者もいた!!
「731部隊と医学者たち」
小佐古内閣官房参与辞任・20ミリシーベルト問題
明治大学シンポジウム(2013年)より
吉中講演(京都民医連中央病院院長)
「戦後の医学界と731部隊」
奈須講演(細菌センター理事)
「731部隊の資料」
福島の苛酷な現実!!
甲状腺がん33人
なぜ、日本医学界は福島の医療を批判しないのか ...
フランスFR3放送「フクシマ・地球規模の汚染へ」
ドイツZDF フクシマの嘘 (連結済み)29分23秒
米国による封印された原爆報道と残留放射能
黒い太陽731
731部隊が人体実験や細菌戦を行ったことは明らかである!!
日本政府は、速やかに情報を公開せよ!!
【七三一部隊展2013実行委員会より】
(最新の資料を元に新たにパネルを作成しました!!)
七三一部隊展2013実行委員会
E-mail exhibition731@yahoo.co.jp
http://ameblo.jp/supportvictim731/
●開催予定
2014年4月3日(木)~4月7日(月)武蔵野市にて
6月27日(金)~7月4日(金)札幌にて
2013年「731部隊パネル展」より
パネル集1993年「731部隊展」
安倍首相の「積極的平和主義」とは、安倍首相の行動を見ていると、「先の戦争は、侵略戦争ではなく、アジアを解放するための戦争であった!日本人は、天皇のために命を捧げた英霊に哀悼の誠を捧げ、自信を持って、軍事力を強化し、紛争を外交ではなく力で解決しよう!」と言っているように見える。
積極的平和主義って何?
首相「批判されても責任果たすべき」 靖国参拝巡り
改めて、昭和天皇と皇族方の戦争責任を問う!!
戦前・戦中と天皇は現人神であった。(今もそうかもしれない?)
誰が天皇に逆らえるのか?天皇は、先頭に立って、戦争を指導した!!
長谷川三千子氏の追悼文全文
その一方、東条は木戸や他の天皇教徒たちに説得され続け、ついに歴史の真実を封印する決心をするに至った。かくして、東条は「天皇を欺して」戦争の指揮を執ったのだということになった。
あの戦争は、「朕の戦争」ではなく、「東条の戦争」ということになった。多くの日本人が赤紙1枚で戦場に行ったのは、天皇のためではなかったという、世にも不思議な物語の誕生であった。後にウェッブ裁判官は当時を回想し、マッカッサーと天皇の第1回会談について、こう語っている。
「支配者は侵略戦争を開始した責任を転嫁することはできない。生命の危機からそうせざるを得なかったと釈明することは許されない」
私は思うのである。何人があの戦争に反対しえたであろう。何人が天皇が平和を唱えたら暗殺しえたであろう。何人が平和を訴える天皇を精神病院に送りえたであろう。東条が東京裁判で言った言葉は重たかったのである。
「我々は陛下のご意志に逆らうことはありえない」
『天皇のロザリオ』 上巻:鬼塚英昭著より
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言えり。
一人の人間を神にして、崇めるのではなく、選挙によって選ばれた人を大統領にして、あの戦争の反省に立って、憲法9条を国是にして、政治はできないものだろうか?
国は、情報を全て公開し、国民に判断させよ!!
新藤大臣の靖国参拝 中国反発「強烈な抗議」
靖国神社って何? - 池田 信夫
靖国神社とA級戦犯の合祀
日本政府は、あの侵略戦争を反省し、戦争で亡くなった全ての犠牲者の慰霊碑を建立せよ!!
なぜ、侵略戦争を否定し、“自衛のための戦争”と主張する靖国へ安倍首相は参拝する?
なぜ、侵略戦争を遂行した軍人を神に祀る神社に安倍首相は参拝する?
靖国参拝(ピース・ニュースより)
•靖国神社は戦争犠牲者一般に哀悼の意を表する場所ではない。
•明治政府が官軍兵士のみを祀るために、東京招魂社として開設以来、一貫して、大日本帝国軍人、軍属戦没者を「英霊」として祀り、大日本帝国の侵略戦争を推進、賛美、鼓舞するための象徴であった。
•世界各国は靖国の持つ意味をきちんと理解している。靖国参拝により安倍首相は国際的に孤立している。
•世界の平和勢力と連携して日本の軍国主義化に歯止めをかけよう。
安倍晋三のおじいさんの岸信介は、満州国の役人だったとき、果たしてどんな仕事をしたか安倍首相は國民に説明せよ!!
岸信介・東条英機は、満州にいた時代、天皇の命を受けて、731部隊の設立・認可に関与していませんでしたか?
安倍、生体実験部隊の名前‘731’が書かれた飛行機に乗りサムズアップ
安倍首相は、北朝鮮の拉致問題には熱心ですが、お祖父さんがやった拉致問題については全く無視していますね!!
中国人強制連行問題!!
安倍首相の祖父岸信介が法案をつくり、政府は1942年「華人労務者内地移入に関する件」を閣議決定した。
内閣総理大臣東條英機(最前列中央)ら東條内閣の閣僚と岸(前から2列目左から2人目)「ウィキペディア」より
この「強制連行」を策定した岸信介(当時、商工大臣、A級戦犯)は戦後首相になったが、この国の意識レベルを示している。
昭和天皇ヒロヒト&財界の為の戦争 アヘン事業 侵略ビジネス
日本の真相3 天皇のための戦争・天皇は内通していた
(転載)
『万人坑を訪ねる 満州国の万人坑と中国人強制連行』 著者:青木茂
新著『万人坑を訪ねる/満州国の万人坑と中国人強制連行』が12月10日付で緑風出版から発売されました。
この新著に、中国東北地方(かつての「満州国」)を訪ねて歩いた4回の訪中記と、万人坑(人捨て場)が明らかにする中国に対する日本の侵略犯罪の全体像を示すまとめの一文を収録しています。
その中で、「満州国」全体で1640万人の中国人が強制連行・強制労働を強いられ、死亡率が8割とか9割にもなる強制労働現場がたくさん存在していたことを紹介しています。
本書に訪問記を収録している万人坑を下記のホームページで紹介しています。ぜひ御覧ください。
http://www.ac.auone-net.jp/~miyosi/index.html
政府は、日中戦争の資料(731部隊、南京大虐殺、重慶爆撃等)を国民の前にすべて開示せよ!!
日中戦争から帰還した兵士に、軍は「銃後ニ答フ」を配布し、戦争での残虐な場面を語ることを禁じた!!
続『隠された聯隊史』下里正樹著:青木書店より
12月17日、南京入城式
果たして、この裏で一体何があったんだ?
4 days after the Fall of Nanking (Dec. 17, 1937) 南京城入城式
The Nanking Massacre
南京大虐殺76周年、現地平和集会に5000人 日本の団体も「大罪忘れるな」―中国メディア
日本人の大虐殺に対する考え方とは―中国メディア
2013年12月13日、財訊は「南京大虐殺から76年、日本人の大虐殺に対する態度」と題する記事を掲載した。以下はその概要。
「南京大虐殺」から76年、日本政府は時にあいまいな返答をし、時にその存在を認めることを拒んできた。1937年に南京で大虐殺が発生した当時、圧倒的多数の日本人はその存在を知らず、1945年の東京裁判の時に初めて知る人がほとんどだった。事件が発生したとき、中国政府が発表した情報は、日本軍第6師団が23万人を殺害、16師団が14万人を殺害、その他の部隊が6万人を殺害し、合計で43万人の犠牲者が出たというものだった。南京大虐殺に関する審理の際、傍聴に訪れた日本人が2000人以上にのぼったことは、人々のこの事件に対する関心の高さを示している。
東京裁判の後、南京大虐殺は日本で次第に忘れ去られていったが、1970年代、日本社会は再び南京大虐殺を見直し始め、多くの日本人が南京大虐殺を認知した。朝日新聞の記者・本多勝一氏は日本軍の侵略戦争を調査するため中国にわたり、朝日新聞の紙面で10度にわたって南京を取り上げた。
また、早稲田大学の洞富雄教授を始めとする一部の人々が1984年に「南京事件調査研究会」を組織し、南京大虐殺を否定する思想に反対するために具体的な調査を開始した。洞教授を代表とする人々は「大虐殺派」と呼ばれ、大虐殺を否定する人々は「幻想派」と呼ばれた。その後、議論に加わる人はますます増えていった。それぞれが主張する被害者の人数は異なり、一部はその存在自体を否定した。
1990年代、与党自民党の政治家でこの論争に加わる者は少なかった。初めて公の場で南京大虐殺を否定したのは、羽田孜内閣の永野茂門法務大臣だったが、永野氏はこのことが原因で、就任わずか11日で辞職に追い込まれた。この後、現職の大臣がこの種の発言をすることはなくなった。しかし、大臣を退いた後は違った。例をあげれば、運輸大臣、通産大臣、経産大臣などを歴任した平沼赳夫氏は、2008年からたびたび南京大虐殺を否定している。
日本社会の主流は、南京大虐殺の発生を認めるというもので、多くの小中学校で使用されている教科書には関係する記述があるが、被害者の数については相変わらず見解が分かれている。しかし、被害者の数がどうであれ、中国国民に巨大な損害を与えたことには変わりがないのである。(翻訳・編集/北田)
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山下俊一のお師匠さん、
重松逸造も、戦中の医学界の流れを引き継いだ!!
重松逸造とはどんな人物?
プルトニウム元年 第3作 1993年8月放送 3/5
被曝をめぐる御用学者の系譜より
ところで、この重松逸造とはいったいどんな人物なのでしょうか。
重松が戦時中何をしていたのかは不明ですが、戦後は公衆衛生院の一員であると同時に、広島長崎の原爆被害について米国が作った原爆障害委員会(以下、ABCC)のスタッフでした。このABCCが解散した後、1975年に予防衛生研究所との再編でできたのが放射線影響研究所(放影研)。広島の日赤病院の一角にあり、被曝者を調べるだけで治してくれない処と地元では云われてきたそうです。それもそのはず、ABCCとは原爆を落とした米国が、原爆による被害をチェックするために作った機関であり、被曝に苦しむ人たちを救おうという研究機関ではありませんでした。そして、非被曝群ではなく低被曝群を比較対照とすることで、被曝被害を過小評価してきました。重松は放影研の理事長などを務め、実質的に放影研を牛耳ってきた人物です。
重松は被曝被害を過小評価しただけではありませんでした。日本で公害問題が深刻になり、水俣病をはじめいろいろな公害病が話題になった時にも名前が登場します。イタイイタイ病では公害認定がなされた後の1976年になって三井金属や自民党等が原因のカドミウムを否定する動きを見せ、それを受けてWHOにカドミウムの見直しを提起した学者の1人が重松でした。また、スモン病の時には厚生省の調査班班長となり、後日原因物質として認定されることになるキノホルムを原因としませんでした。つまり、キノホルムによる薬害を認めず、製薬企業や国を利する報告を行ったのです。詳しくは広河隆一さんの『チェルノブイリから広島へ』(岩波 1995)に書かれています(この本は絶版みたいなので最近出た新版らしきものを横に紹介しておきます)。
また、重松は、成人T細胞性白血病(ATL)の原因ウイルスの母子感染について、厚生省研究班の班長として1990年度に「全国一律の検査や対策は必要ない」との報告をまとめ、感染者の全国拡大を招きました。これは、国の対策が遅れたことによる被害という側面をもたらしました。これに関して重松は、今年1月の新聞インタビューで「私は、いわば雇われマダム的な班長だった・・・」と白状しています(雇われマダムに失礼な発言だ!)。
御用学者はその名の通り、国や企業の便宜を図るような話をしたり論文を書いたりするため、研究費等のお金がたっぷり貰えます。お金のある研究室の回りには研究者もたくさん集まるため、御用学者は集団化し大きな勢力となります。お金と人を握れば学会などを支配できますので影響力が増し、発言権も大きくなっていきます。これが(醜悪な)世の習い。
一方、権力側に都合悪い話でも正しいことを堂々と主張する研究者もいます。でもごくごく少数です。そして、このような立派な研究者にはお金が回ってきません。学会からも遠ざけられます。こういう状況を知っている大多数の研究者たちは、発言を慎みささやかに生きていくか、御用学者化するか、どちらかに流れていきます。その結果が今日の東電福島原発を取り巻く状況だと思っていいでしょう。だから、権威筋の話しか信じない・信じられないという一般人は、今回のような事故の時には完全にマヤカサれてしまいます(きっぱり)。
ということで、重松逸造にはたくさんの弟子がいます。最近メディアに出てくる長瀧重信(長崎大、元放影研理事長)は先のチェルノブイリ原発事故調査の時にも重松といっしょにシゴトをしています。広島大原医研の神谷研二。長崎大の山下俊一も、重松や長瀧らとチェルノブイリ原発事故の調査を行っており、その資金源は右翼笹川系の笹川チェルノブイリ医療協力(日本財団)でした。原爆と原発と戦後右翼を繋ぐ禍々しいリンクが垣間見えてきます。最近、山下の代わりに露出気味の高村昇というのは長崎大での山下の弟子になりますね。その他の有象無象の「御用学者」はネットで調べれば簡単にわかります。
重松、長瀧、神谷、山下、高村、・・・・彼らは、放射線の被曝影響を小さく見せるための御用学者です。それ以外にも、地震の影響を過小評価して原発の立地にゴーサインを出す地震学者、原発関連だけでも御用学者はたくさんいます。フランスのペルラン裁判と同様、彼らの犯罪は後できっちりオトシマエをつけなければなりませんね。
(参考)今中哲二編「チェルノブイリ事故による放射能災害」(国際共同研究報告書)(技術と人間 1998)
チェルノブイリから広島へ 学者はどうして反論しなかったか『お金が入れば批判なし』重松氏は水俣病の調査責任者で、水俣病被害
【重松逸造】対広島の学者の対立も起きます。
広島県被団協の近藤幸四郎事務局次長は語りました。下「」引用。
「良心的な学者だとか、研究者だったら、放影研へは来ないですよ。だから、あの人がチェルノブイリの調査責任者に選ばれたのは、最初から、ある結論を出させるためだったのではないか、と私は思います」
【重松逸造】がどのようなことをしてきたかも新聞などでも概要は伝えられています。
・「環境庁の水俣病調査中間報告「頭髪水銀値は正常」、論議必至。(一九九一年六月二三日付読売新聞)重松氏は水俣病の調査責任者で、水俣病被害者とチッソの因果関係はないと発表したのです。
・「黒い雨「人体影響認められず」広島県、広島市共同設置の「黒い雨に関する専門家会議」(座長・重松逸造・放射線影響研究所長、十二人)は、十三日、「人体影響を明確に示唆するデータは得られなかった」との調査結果をまとめた。(一九九一年五月一四日付毎日新聞)ここでも重松氏は調査責任者。
・「イタイイタイ病について環境庁の委託で原因を調査していた「イタイイタイ病およびカドミウム中毒に関する総合研究班(会長・重松逸造放射線影響研究所理事長)とし、イ病の発症過程を解明するに至らなかった。イ病では、認定患者百五十人のうち、既に百三十四人が激痛の中で死亡している」(一九八九年四月九日付読売新聞。)
・岡山スモンの記録「スモン研究の思い出。前厚生省スモン調査研究班々長重松逸造。結局は後で原因と判明したキノホルムに到達することができませんでした」重松氏はスモン調査の責任者でありましたが、キノホルムの因果関係はないと発表していたのです。
・九三年一月一三日、岡山県の動燃人形峠事業所が計画している大規模な回収ウラン転換試験の安全性を審査していた「環境放射線専門家会議」(重松逸造委員長)は、ゴーサンを出しました。じつにあらゆる公害問題においての政府・企業の利益になる決定に、重松氏が責任者となっているのが分かります。・・・・
重松逸造の恩師・野辺地慶三の原子力施設からの放射性廃棄物に対する意外な危機意識
重松逸造、肺炎で死去:報道まとめ
重松逸造の訃報に接して 肝心なことは、何も語らずに逃げるように逝った貴方
山下俊一トンデモ発言
●水俣病
一時は、「奇病」などと呼ばれていた。
水俣病患者と水俣出身者への差別も起こった。
苦しんでいる人は、今もいる!!
もし、戦後日本学術会議や日本医学界が731部隊の反省をきちんとし、人間を「マルタ」としてみるのではなく、「人」としてみる、すなわち患者側にたって、医療をすすめていれば、水俣病の拡大は防げたのでは?
政治家・経済界は目先の経済優先の戦後復興に血眼になった。医療は、企業側・国側に相変わらず加担してしまった。
水俣と福島の状況は酷似していませんか?
水俣病では工場が設置したサーキュレータが全く機能しなかった!
福島ではシルトフェンスは大丈夫なのか?
質問なるほドリ:シルトフェンスで汚染水を防げるの?=回答・鳥井真平
ミナマタからフクシマへ~いま、いのちを問う~(後半
水俣病は克服などしていない!!まだ多くの人が苦しんでいる!!
写真集『水俣』(W.ユージン・スミス、アイリーンM.スミス、中尾ハジメ訳 三一書房より)