国家犯罪!731から福島まで!!

2014-10-15 09:08:12 | Weblog

秘密保護法撤廃!!撤廃!!撤廃!!
“過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる”
日常/ #3ドキュメント2013.12.6 

グーグルクロムで見るとスムーズに画面が動きます。

権力側の都合の悪い情報を「国益を損なう」と言って隠すことはあってはならないことだと思う。
情報をもっとオープンに公開せよ!!

「日本では戦争について反省をしていない人々が権力を握っており、これが日本とアジアの人々にとって非常に深刻な問題になっている」

安倍さん!!72年の日中共同声明を完全に忘れたのですか?

共同声明は、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と明記している。

※今の日本で「命の教育」などできるのか、疑問だ。過去の日本の残虐行為を全て日本政府からして隠し続け、「日本を取り戻す」、「美しい国」とか、天皇制の強化を唱えている。大人がきちんと過去と向き合っていない!!

第1次世界大戦から100年、安倍首相への10の質問―中国メディア

●情報公開裁判 10月16日(木)
寄贈されたものを防衛省・自衛隊がなくすはずはないではないか!!
秘密国家日本は裁判を起こして闘わなければ、情報を公開しない!!
防衛省には情報管理する役人が5000人もいるという?
いったい高給をもらって何をやっているんだろうか?
まずい情報をいかに国民の目から隠すかということに腐心しているのか?

この際、アメリカから返還された全ての731部隊関連資料も防衛省は公開しなさい!!

2014年9月20日


●被ばくしたのは第5福竜丸1隻だけではない!!
第5福竜丸以外にも被ばくによって人知れず亡くなった方が数多くいるのではないか?
国は隠している!!(毎日新聞)

ソ連とアメリカの冷戦はどうも見せかけだったようだ!!
731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島 より
実は免責された731部隊は、放射線医療業界にも歴史的につながっています。例えば731部隊、レントゲン班でも致死量を当てる人体実験が行われ、リーダーのひとりであった宮川正は、戦後放射線治療の専門家になりました。第五福竜丸事件の後、福竜丸以外の船員が放射線障害で苦しんでいても、放射線障害ではないだろうという理論を展開し、800あったと言われる被曝船は、一隻とされたのでした。



●気になるニュース
何で歴史の真実を隠し続け、自存・自衛のための戦争であったと主張する安倍内閣の支持が高いのだ?
国民は、天皇とそれを取り巻く財閥に騙されてはいないか?
NHK世論調査 内閣支持率52%

全ての情報を国民の前に明らかにし、あの戦争で日本がやった事を明らかにすべきだ!!
特定秘密保護法 官邸前で抗議の集会
戦中のゾルゲ事件のような犠牲者がたくさん出るのか?


韓国、日本外務省サイトの慰安婦関連記述削除に深い憂慮―中国メディア

・原爆投下を当時の長崎県知事も知っていたのでは?なぜ、避難指示を出さなかったのか?
※当時の知事は内務官僚で、県民を取り締まるという感じだったのか?閣下と呼ばれていた!!
以下、永野若松(当時の長崎県知事のウキペディアより)

同年8月8日夕方、広島市への原子爆弾投下後に被災状況を実見し、長崎に帰った西岡竹次郎代議士から広島の惨状を聞いた永野は、警察との協議で現時点で無傷である長崎にも原子爆弾が投下される可能性が高いとの結論に至った。翌日8月9日、長崎市内立山町・諏訪公園内の防空壕に置かれた県防空本部に幹部を招集、「新型爆弾」被災時の対策を協議した。長崎に投下された原爆に被災したのはこの最中であったが、爆心地から金比羅山を隔てて約2.7km離れており、かつ防空壕内であったため、一時的に停電が起こったほかに直接の被害はなかった。


永野若松県知事がいた防空壕

・高野源進広島県知事(1945年当時)の墓とその書簡


・中曽根康弘氏の存命中に慰安所設置のことと、日航ジャンボ123号機墜落事故について聞きたい!!
中曽根元首相と海軍慰安所(1/2)

「戦争受け入れる下地づくり」

日光23便の怪
中曽根康弘「JAL123便は私が撃墜命令した」JAL123便は自衛隊が撃墜した

韓国政府、国連で日本の慰安婦問題を提起=2011年から4年連続、批判のトーンは年々強化―韓国メディア

韓国、国連で日本の慰安婦問題に対する態度批判へ 安倍首相「性奴隷とはいわれなき中傷」と発言―韓国メディア

・自民党は中国の史料をしっかり検討しろ!!
吉林省公文書館が今回掘り起こし、整理した慰安婦問題関連の32件の書類は「憲兵月報」「南京周辺地区『治安回復状況』に関する報告」などで、慰安婦を強制連行し、奴隷的に酷使し、虐待した日本軍の狂暴な行為を詳細に暴露するものだ。
新発見の日本軍文書:慰安婦が日本政府の行為だった

米国で初の慰安婦常設展示館 来年9月NYに

河野談話「もはや役割は終わった」…萩生田氏


●皇室の秘密
お金に換算すると100億円ものジュエリーをジャラジャラ着けて入場する天皇一家。そのジュエリーの中には、第二次世界大戦時にアジアの金持ちを殺し略奪してきた首飾りもあるという。そう、ほとんどの皇族の身に着けているジュエリーは、戦争でアジアから略奪してきた物だという。その他のジュエリーや金塊は、日銀地下にある天皇の金壺に保管されているという。


天皇家の守り人組織は暴力団!

天皇家の秘密!!

なお天皇が第二次大戦中「売春婦輸出業」を行っていた商船三井の共同経営者が、CIA(当時はOSS)の対・日本作戦部長マクスウェル・クライマンであるのは何故なのか?
敵国のCIA対・日本作戦部長と「仲良く」天皇が「売春婦輸出業」を行っている=天皇はCIA工作員であったのか?ん???
天皇は戦後、このスイス銀行に預けた金塊を担保資金を借り、CIAが事実上創立した不動産業者=森ビルと共に、港区の不動産を次々に買収し、またハイテク産業に投資し、莫大な蓄財をさらに莫大に膨れ上げさせて行くことになります。
天皇は神でも「象徴」でもなく単なる金儲け主義の金融ビジネスマンで、そしてここでも「何故か」CIAと天皇は「共同経営者」であります。
天皇は、1940年代初頭からスイス銀行に少しずつ蓄財を「移し」始めますが、ヨーロッパにおいてナチス・ヒトラーがユダヤ人から奪った貴金属を管理していたのもスイス銀行でした。
天皇はヒトラーに請願し、ナチス・ヒトラーの口座の中に「天皇裕仁」のセクションを作ってもらい、そこに天皇一族の蓄財を隠していました。
天皇とヒトラースイス銀行の秘密口座を「共有」する略奪ビジネスパートナーであり、ナチスと天皇は一体であったわけです。(アダム・レボー 「ヒトラーの秘密銀行」 ベストセラーズ 及び、濱田政彦「神々の軍隊」 三五館)

天皇家の秘密―再掲

美智子さんや天皇家の人々の真実
皇室の秘密  美智子妃殿下の性格
堀江貴文 「天皇は戦争の責任を負うべき」神をも恐れぬビッグマウス!そして池上彰ディスり!!
日本人を大量虐殺した天皇家の皇太子妃・雅子の一族
2012/6/26 皇室裏アルバム:水俣チッソ財閥令嬢 雅子様の本当の病名
2.26事件は天皇兄弟の謀略
旧陸軍士官が語った歴史の真実(2.26事件はヤラセ?)
(天皇は)アジアへの侵略が深まれば深まるほど儲かる銀行や会社の大株主だったのである。
そして国民や農民の資産が 皇室に集まる仕組みが出来上がった。
それと同時に軍人勅語【ただただ一途に軍人として自分の義務である忠節を守り、義(天皇の国家に対して尽くす道)は険しい山よりも重く、死はおおとりの羽よりも軽いと覚悟しなさい。(何の為に天皇のために死ぬんだ?)】・教育勅語【非常事態の発生の場合は、真心をささげて、国の平和と、安全に奉仕しなければなりません。(ここでも同じ!!何で天皇の為に死ぬ事が出来ようか)】等が準備されていくのである。

大正、昭和にその1千万弱の資産が終戦時37億円に膨れ上がっていた。
国体とは実はこのゼニであった。
戦場で散って行く若者たちを盾にして支配層が守ろうとしたものはこの「神聖財閥」を頂点とするゼニの塊だったのである。
1969年の5月13日、超満員となった東大教養学部900番教室で、三島由紀夫は天皇を「ブルジョワなどではなく、日本の民衆の底辺にある観念、日本人の持続したメンタリティ、いわば庶民の超越項である。」などと寝言を言って全共闘にコテンパンにやっつけられた。
「侵略戦争遂行財閥の頂点に位置した神聖財閥」
 


●昭和天皇実録!!
権力側が情報を操作して「遅すぎた聖断」の弁明をいくらしても、何にもならないのでは。
本当に真実の歴史を書こうとすれば、情報を全て公開し、第3者が書かなければならないと思う。
もちろんこの本には秘密部隊731については一言も書かれていないだろう?

こっちこそ、『昭和天皇実録』ではないのか?
驚いた!!万世一系は嘘!? え!昭和天皇の父親は大正天皇ではなく、西園寺八郎?

西園寺八郎
毛利元徳の八男。毛利元徳は毛利敬親の養子で公爵。宮内官として主馬頭・宮内省式部次長まで進んだ。
1906(M39)西園寺公望(同墓)の娘の新と結婚し、西園寺家の婿養子となった。翌年、公望が講和大使として渡仏した際に妻と共に随行した。 1921(T10)春、当時皇太子殿下だった昭和天皇が訪英の際、小栗孝三郎海軍中将、高畑誠一らと同行した。この時、プロゴルフの試合を初めて観戦した。1928(S3)12月28日勲一等瑞宝章。 1940(S15)政治界の元老で公爵の西園寺公望が没したため、公爵を継承し西園寺家を継いだ。1940~1946(S15.12~S21.4)公爵として貴族院議員。 八郎の長男は政治家の西園寺公一、三男の貴族院議員を務めた西園寺不二男(同墓)がいる。

西園寺家の墓(2014.9.24撮影 多磨霊園8区 1種 1側 16番)
・多磨霊園が発行した「著名人墓所」の中には、西園寺八郎が見当たらないが、インターネットにはきちんと出ている(闇の世界では相当に有名な人物ではないのか?)!!
西園寺八郎


昭和天皇の出生の疑惑

昭和天皇ヒロヒトの父親は西園寺 八郎、朱貞明皇后咬合との子堕った、昭和の醜卑喰ら卑闇

渡辺監督が語る最新作『天皇伝説』の過激な内容とは!?

山口県田布施町の怪③ 明治天皇は孝明天皇の子ではない/昭和天皇も大正天皇の子ではない

(参考)
【天皇は偽物】現皇室の秘密を暴くと、早死します

日本のいちばん醜い日/鬼塚英昭

国民は赤紙一枚で召集され、戦地でリンチを受けながら軍隊教育をされ、人殺しを命じられ、果ては敵に殺され、時には味方によって殺され、または病死したり、餓死したり(全て「名誉の戦死」として片付けられる)惨憺たる状況に置かれたが、軍の上層部、東条や岸などの満洲を取り仕切った連中はアヘンなどでぼろ儲けをし、天皇は戦争で「マネーゲーム」をしていた?
731の建設もアヘンの取引(満業)のお金で作られたのか?
戦後の731のデータの取引も天皇とマッカーサーの間で極秘裏に多額の金が動いたのではないか?
細菌戦部隊731 

大連衛生研究所:目黒正彦さんの証言(1:03過ぎ)
23,4年頃、すごいよ。私の聞いている人は200万もらっているよ。すごくもらっている。それは大したものだ。その金はどっから出たのか私も知りたいのだけれども。そんな金どこにもあるはずがないはずだけれども、23.4年頃ね、実際のとこ。
石井さんがどっからその金を引き出してきたのか知らないけれども。
(インタビュアー)23,4年頃は、もうアメリカとの取引が終わって
その辺で、アメリカからポンと出たのかね?その辺はわかりません。
そう、みんなもらってますわ。ほとんど1人残らず。ん。
一番就職口もよかったと思うね。

どこでも入れたんと違いますかね。ほとんど大学の先生みたいな、みな元石井部隊にいた人が多かったですね。
特に上の方の、その当時の厚生省のワクチン、くらうち先生とかね。田宮先生もそうだけれども。みんな石井部隊に関係あったからね。多少でもほとんどの人が、石井部隊に足を突っ込んでいる人が多いんですよ。表向きは黙っていますけどね。みんな石井部隊から金を少しずつ嘱託でもらっているんですよ。そういう人がみんな日本の基礎を作ったでしょ。


『日本のいちばん醜い日』474ページより
満州国がアヘンの国であったことを示すデータの1つが細川護貞の『情報天皇に達せず』の中に出てくる。細川護貞は近衛文麿の秘書をしていた。近衛の娘婿、元首相細川護煕の実父である。1944年10月15日の「日記」である。

14日午前9時吉田茂氏の永田町の邸に行く。この日松野鶴平氏の招きにて、近衛公、鳩山氏吉田氏等と共に深川に海の獵に行く。風強き為海産組合長佐野氏宅にて雑談、帰途吉田邸に公、鳩山氏と立ち寄り雑談の際、白根宮内次官は東条礼賛を為し居る由鳩山氏語り、一体に宮内省奥向に東条礼賛者あるは、付け届けが極めて巧妙なりし為なりとの話出で、例えば秩父高松両殿下に自動車を秘かに献上し、枢密顧問官には会毎に食物衣服等の御土産あり、中に各顧問官それぞれのイニシャル入りの万年筆等も交わりありたりと。又牧野伯の所には、常に今も尚贈物ある由。鳩山氏は東条の持てる金は16億円なりと云いたる所、公はそれは支那に於いてそう云い居れり。、主として阿片の密売による利益なりと。共謀者の名前迄あげられたり。金も何かの会合で10億の政治資金を持てりと聞けり。過日の海軍懇談会の折も、昨今の東条の金遣いの荒きことを矢牧大佐ら語られたり。或いは多少の誇張もあらんも、多額の金を持参し居るならん。夜金子(堅太郎伯)家を問うての雑談中、故伯の病せまる頃日々100人前の寿司と、おびただしき菓子等を東条より届けたりと。鳩山氏は、「かくの如き有様なれば東条復活の危険多し」と云われたり。

1945年10月にGHQが発表した皇室財産は37億2000万円。当時の皇室財産を日銀物価価格(1990年)で計算すると、311倍となり、7912億円。東条の10億円とか15億円がいかに天文学的数字であるかがわかる。
今の貨幣価値で数千億円の金を、東条はアヘン取引で稼いでいたことになる。これが戦争なのである。国民の大半が飢餓線上にあり、住む家も焼かれていたとき、天皇から首相に任命された男は天文学的な利益を上げていたのである。・・・・たとえ流言にしても、近衛文麿の言である。たんなる流言ではあるまい。・・・

同483頁
細川護貞が語らんとしているのは、戦争を終結させるために、東条英機を首相の座から降ろそうとした岸信介は立派だという風評があがったが、本当は、今の金で数百億から数千億の国家の機密資金の奪い合いの結果、岸が大室寅之祐一族の力を利して東条英樹を捨てた。東条英機は“田布施に敗れたり”ということで、これはもうあきれて物も言えない・・・・“ということである。東条英機や岸信介は国家存亡の秋(とき)に、いかに自分の懐(ふところ)に金を入れ込むかの競争をしていた・・・と細川護貞はあきれ返っているのだ。・・・



アヘンのことは瀋陽の裁判でも取り上げられている!!
瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」 


昭和天皇ヒロヒト&財界の為の戦争 アヘン事業 侵略ビジネス


明治以降 偽天皇家の実態 動画メモ

日本のいちばん醜い日/鬼塚英昭 、読書日記(海軍どころか外務省も最初から腐敗していたようです)

日本の真相4 こじつけの天皇無罪論


福島県が標的にされた理由とは?

山口県田布施町の怪 ~日本国家の真相~ (心に青雲)

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国家犯罪!731から福島まで!!

2014-10-15 09:07:17 | Weblog

●終戦の詔勅
天皇裕仁は自分で決断し始めた戦争を終わらせるのに、天皇制にこだわり、多くの日本人に犠牲を強いた!!
「義は山獄よりも重く、死は鴻毛(こうもう)よりも軽しと覚悟せよ。」(軍人勅諭
我々の命は鴻(おおとり)の羽毛よりも軽い命だった!!
天皇は外国の軍隊より、国内の反乱を恐れていた!!

(口語訳)(1)戦争の大義
私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。
私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告するよう下命した。
そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。

鬼塚氏による解説(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
天皇ヒロヒトが戦争を開始した、と見事に宣誓している文章である。誰が始めた戦争でもなかったのである。「アジアの安定」も偽りであることは、すでに書いた。朝鮮や中国の領土を侵略した。特に満州国の創立はアヘンによる「満業」であった。その満州国の維持費の半分以上はアヘン密売からの収入であった。



(口語訳)(2)原爆投下による終戦
ところが交戦はもう四年を経て、我が陸海将兵の勇敢な戦いも、我が多くの公職者の奮励努力も、我が一億国民の無私の尽力も、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転していないし、世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない。それどころか、敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、しきりに無実の人々までをも殺傷しており、惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至った。
なのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。このようなことでは、私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り、代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか。これこそが、私が日本国政府に対し共同宣言を受諾(無条件降伏)するよう下命するに至った理由なのである。

鬼塚氏による解説(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
私は大井篤の「手記」などを引用し、皇太后が6月中旬頃に原爆投下を知っていたことを書いた。8月6日午前8時15分の広島の原爆投下についても具体的に論じた。この詔勅の内容は欺瞞以外のなにものでもない。



(口語訳) (3)人類永遠の真理と平和の実現
私は、日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しては遺憾の意を表せざるを得ない。日本国民であって前線で戦死した者、公務にて殉職した者、戦災に倒れた者、さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると、我が身を引き裂かれる思いである。また戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々の再起については、私が深く心を痛めているところである。
考えれば、今後日本国の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではなかろう。あなたがた国民の本心も私はよく理解している。しかしながら、私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである。

鬼塚氏による解説(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
まことに勝手な文章である。天皇ヒロヒトが、国家予算(平成の今日においても)を上回る秘密資金スイスの秘密口座に残していることは外国人の多くの学者たちが書いている。日本人はこのことを知らされないようになっている。まことに「朕」ヒロヒトが語るように、「今後我が国が受けるであろう苦難は筆舌に尽くし難い」ものとなったのである。
どうしてこんな天皇ヒロヒトが、「人類永遠の真理である平和の実現」をはかることができようか。結果は歴然たる事実である。日本は、アメリカと国際金融同盟の配下におかれたままである。



(口語文) (4)かくて私は国体を護持した
私は、ここに国としての形を維持し得れば、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、私が最も強く警戒するところである。
ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。
あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ。

鬼塚氏による解説(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
この中の「国体を護持し得たとともに」に注目したい。この終戦の詔書は、敗北宣言ではなく、「国体護持宣言書」なのである。この詔書の中のどこにも、日本は敗北したとは書いていない。まことに調子の良い文章に出来上がっている。
あの玉音放送は天皇ヒロヒトの発案である。・・・
かくて「鶴の一声」は全国津々浦々のみならず、海外にまで流れ、日本人は戦争の終わったことを知らされたのである。・・・・・
「天皇が日本を救った」という神話が戦後になって登場する。その神話を実現するために『日本のいちばん長い日』は創作され、映画化された。この本の欺瞞性を私は徹底的にあばいた。半藤一利に個人的な恨みなど少しも無い。そして、多くの神話が今日でも創作され続けている。私は「聖断」そのもの自体が虚構であると主張したい。天皇は国体護持のためにのみこだわり続け、戦争を長引かせたのである。戦争を長びかせたもう1つの理由を、私は天皇の財宝のスイスへの移しかえの中に見た。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このロベール・ギランの物の考え方と松浦総三の考え方は、ほぼ一致する。
「天皇は日本の救世主であるばかりでなく、いかなる残虐行為にも反対する、人間文明の防衛者たらんと欲せられたからだ・・・・」の中に、私は、天皇とアメリカとの間にあったであろう密約を連想する。
天皇はたった一度だけの原爆批判を、終戦の詔書の中でのみ赦(ゆる)された。しかし、天皇は死ぬまで一度も原爆投下の批判をしなかった。天皇と深く結び付いたヨハンセン(吉田反戦)・グループも同様であった。
天皇とヨハンセン(吉田反戦)・グループは原爆投下の残虐行為を追及しないことによって、原爆を中心とする、米・ソの見せかけの冷戦に協力し続けたのである。それこそがロスチャイルドを中心とするユダヤ国際資本家たちが狙っていた戦略だった。原子力発電への傾斜もそのような戦略の中で推進されていった。



この写真はやらせか?


詳しくは下記のブログで!!
昭和20年8月15日の皇居前の写真は ' やらせ ' だった

第2次世界大戦の真実① 昭和20年8月15日宮城前ヤラセ事件


※(参考)木戸幸一が残した8月15日の手記
一面、一般国民は永年の圧迫感から解放せられたと云うのか、8月15日御放送のあった後、続々と宮城前広場に集まった群衆の中から万歳万歳と云う声がしばしば聞かれた。之を役所の事務室で聞いていると敗戦と云うのに何だか奇妙な感じを受け、之を以て見るも国民が絶望的な戦争に堪えきれず、如何に平和を望んでいたかが如実に示された様に思われた。

木戸幸一内大臣のこの観察日記の中に真実が書かれている。戦争を嫌っていた国民が皇居前広場に集い、「天皇陛下万歳」ではなく、ただ、「万歳!」「万歳!」と叫んだのである。


※原爆が非人間的というが、それならば重慶大爆撃、南京大虐殺、三光作戦、731部隊の生体解剖・細菌戦、慰安婦問題等はどうなんだ?当時の日本国民にはそれらの情報は隠蔽され(今でもそうだが)全く知らされていなかった!!
以下の映像に映っている顕微鏡を覗き込む裕仁の姿に、731のことにも相当詳しかったのではないかとの疑念が生じる!!
1975 昭和天皇初訪米&初公式記者会見


●天皇は原子爆弾の悪口を一生語らず、生涯を終えた!!
1975年10月31日の天皇の記者会見
昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」【「日本のいちばん醜い言葉」の一つ(鬼塚氏)】

中村康二(ザ・タイムズ):天皇陛下のホワイトハウスにおける「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がございましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします。

天皇陛下:そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないで、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。・・・・・

(鬼塚氏のコメント)
これについては批評の書きようもない。「日本のいちばん醜い言葉」の一つであるとのみ書いておく。

秋信利彦(中国放送):天皇陛下におうかがいいたします。陛下は昭和22年12月7日、原子爆弾で焼け野原になった広島市に行幸され、「広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない。われわれはこの犠牲をムダにすることなく、
平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」と述べられ、以後昭和26年、46年とつごう三度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞の言葉をかけておられるわけですが、戦争終結に当って、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか、おうかがいいたしたいと思います。

天皇陛下:原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。


[天皇家の秘密]より
広島、長崎に原爆が落とされ死傷者が苦しんでいる最中、天皇は自分の蓄財を海外に次々と逃がす事に専念していたのです。
この問題を調査したマーク・ゲインは、海外に天皇が逃した蓄財は累計で5~10億ドルに上るとしています。(マーク・ゲイン「ニッポン日記」 筑摩書房)
 

(鬼塚氏のコメント)
私は「エ・・・エ・・・・エ・・・・投下された、ことに対しては、エ・・・・・エ・・・・」の中に、直感的に、天皇が8月6日午前8時15分の広島への原爆投下の件を知っていると思った。この考えに私は拘泥し続け、この考えの正しさを証明しようと追求し続けたのである。
・・・・・・・・
天皇はたった一度だけの原爆批判を、終戦の詔書の中でのみ赦(ゆる)された。しかし、天皇は死ぬまで一度も原爆投下の批判をしなかった。天皇と深く結び付いたヨハンセン(吉田反戦)・グループも同様であった。



※昭和天皇は極秘ルートで、広島・長崎の原爆投下、ソ連の参戦の情報を知っていた?
畑元帥高野広島県知事はなぜ無事で、第2総軍は畑元帥の指示で8月3日から広島市内に出動していたのだ!?

広島原爆投下時の真相(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
畑俊六は8月6日の原爆投下のことを知っていた!!
この原爆で、第2総軍の司令部の数々の建物は壊滅し、多数の死傷者が出たのである。
8月6日朝8時頃に、多数の第2総軍の参謀や将校が集まっていた。そこに原爆が落ちたというわけである。有末精三は畑俊六元帥のことを書いている。

山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥(俊六、第12期、元侍従武官長、支那派遣軍総司令官)に敬意を表し、今夕、仁科博士等の到着を待って調査に着手する旨申告した。将軍は被爆当時日課として朝のお祈りで、神棚に向かっておられたため、幸いに被害はなかったとのことであった。

有末精三は「それぞれ頭や頸元や胸に包帯をしていた岡崎清三郎参謀長(中将、第26期)、真田穣一郎少将(参謀副長、第31期、前大本営陸軍部作戦部長)、井本熊男作戦主任参謀(大佐、第37期、後の陸将)、同参謀橋本正勝中佐(第45期、後の陸将)などが草の上に胡坐(あぐら)をかいたり横になったりして論議しているところへ挨拶否見舞に行った・・・・」と書いている。生き残った第2総軍のトップクラスも全員負傷して、草の上で胡坐をかいていたのである。
この日、間違いなく、第2総軍の全員は、8時頃に集まって会議か、あるいは演習の準備に入っていた。ほとんどの第2総軍の人々は死に、あるいは傷ついていたのである。
ひとり、畑元帥のみが理由はともあれ、この総司令部に行っていないのである。
「山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥」と有末精三は書いている。
私は東郷茂徳外相の依頼か、他のヨハンセン(吉田反戦)・グループの依頼を受けた松本俊一次官が原爆投下前のある日、秘かに畑元帥と会談し、8月6日午前8時すぎころの広島に原爆を落とす計画を打ち明けたと思う。そのときに松本俊一外務次官は、この日の8時過ぎに、第2総軍の全員が集合するようにして欲しいと依頼したとみる。この第2総軍を全滅状態におけば、陸軍の反乱の半分は防げるからである。・・・・
・・・・・・・・・・・
学徒を殺し、一般市民を殺し、第2総軍の軍人を殺し、木戸幸一は大井篤の尋問に答えている。

陛下や私があの原子爆弾によって得た感じは、待ちに待った終戦断行の好機をここに与えられたと云うのであった。特に皇室や上流階級にも身命の危険が及んで来たからではない。
※ウキペディアには 畑俊六は「昭和20年8月6日の広島市への原子爆弾投下により、国鉄広島駅付近で被爆するも奇跡的に難を逃れた。被爆直後から畑は広島市内で罹災者援護の陣頭指揮を執り、広島警備命令を発令した。その職にて終戦を迎える。」と書いてある。真実を書いていないのではないか?
高野源進広島県知事は県下福山に出張中だった。

高野 源進(たかの げんしん、明治28年(1895年)3月15日 - 昭和44年(1969年)1月4日)は、日本の内務官僚、弁護士。官僚としては主として警察畑を歩き山梨県知事・警視総監などを歴任したが、特に原爆被災時の(官選)広島県知事を務めたことで知られる。
福島県北会津郡北会津村で農業を営む高野源八の長男として生まれる。
ヒロシマ壊滅 その時 知事は 高野源進氏の書簡見つかる 


畑 俊六(はた しゅんろく、明治12年(1879年)7月26日 - 昭和37年(1962年)5月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は元帥陸軍大将。偕行社会長。位階勲等は従二位勲一等功一級。陸相在任中に戦陣訓も考案した。
終戦間際の昭和20年(1945年)8月14日10時、昭和天皇は御前会議の開催に先立って元帥会議を召集し、俊六(第二総軍司令官)、杉山元(第一総軍司令官)、永野修身(元軍令部総長)の3元帥より意見を聴取した際、杉山と永野が主戦論を張るなか、畑のみは「担任正面の防御については敵を撃攘し得るという確信は遺憾ながらなしと申上ぐる外ありません」と率直に現状を説明、これが本土決戦の不可能を昭和天皇に確信させることになった。

父は旧会津藩士・畑能賢

これも天運であると共に明治大正を通じて温醸された弊害が積り積って潰滅した結果に外ならない。

※どんな因縁があるのか知らないが、ご両人とも福島県出身。会津藩は幕末には薩長にやられ、敗戦間際には天皇の命令により第2総軍の壊滅計画の役を買わされ、その後の原爆被害の対応、そして2011年には最悪のレベル7の福島原発事故!!
(畑は、南京大虐殺後の昭和13年(1938年)には松井の代わりに中支那派遣軍司令官となり、徐州戦、武漢作戦を指揮している。)



(参考)
大木操の『大木日記』の8月7日を見ることにしよう。大木操は当時、衆議院書記官長であった。

8月7日(火)晴
10時半登院、間もなく警報、小型機空襲。
議長、副議長と雑談。
正午過ぎ、岡田厚相来訪。広島に原子爆弾を6日午前8時半頃投下。十数万の死傷の報、大塚地方総監爆傷死、畑元帥健在、高野知事は出張中にて助かる。成層圏より落下傘にて投下、地上2,3百メートルにて爆裂、直径4キロ全滅全焼、エライことなり。
直ちに依光代議士は日政の幹部会にこれを伝える。一座愕然。

では、『広島県史(近代Ⅱ〕』の「原爆と敗戦」を見ることにする。

広島地区司令部の強い要望により、中国地区司令部の強い要請により、中国地方総監および広島県知事は8月3日から連日義勇隊約3万人、学徒隊1万5千人の出動を命令した。

この2つの本を読んで、私は次のように推論する。 
8月初旬に広島県庁に入った畑元帥は、高野源進広島県知事と中国地方総監を説得した。第2総軍を動員し、8月3日から連日、義勇隊3万人、学徒隊1万5千人を出動させよと命じた。畑はひそかに、高野知事に真相を打ち明けた。高野知事は広島を去った。こうした中で8月6日の朝8時15分を迎えた。第2総軍の軍人たち、義勇隊、学徒隊の多くが死んだのである。
・・・・・
もう1度、米内海相の直話を記す。天皇も木戸も、この米内の話に賛意を示したのである。

私は言葉は不適当と思うが、原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めるということを出さなくても済む。私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢を表面に出さなくて収拾出来るというのがむしろ幸いである。(「米内海相直話」昭和20年8月12日)

まさに、米内海相が語るがごとく、数十万の死者を出した原爆より、ソ連参戦で満洲で数十万の軍人や民間人が死んだことより、国内情勢の憂慮すべき事態が重要であると、天皇や米内たちは考えたのである。その1つが広島にある第2総軍であったというわけである。
その第2総軍は壊滅した。西日本の軍の反乱はこれによって鎮圧された。残るは関東一円となった。その中心の皇居を舞台に、偽装クーデターを起こしたというわけである。



●天皇はなぜ広島・長崎の式典に参列しない?天皇と原爆は関係ない?
天皇批判した小川、謝罪も炎上
小川未菜は100%正しい! 「日本人は昔,天皇のせいで苦しみ、命がたくさん奪われた」


日本は戦争中、世界で初めての2発の原爆投下を、経験した。
これは、アメリカが莫大な費用をかけて開発したものだった。
アメリカは実戦の効果を知りたかった。
原爆の子

日本が、本当に「自衛のための戦争」をしていたならば、敗戦後この非人道的な核兵器の被害を、国際社会に訴えることができたはずだ。
ところが、日本は戦争中、中国大陸において、驚くべき残虐な人体実験、細菌戦、毒ガス戦等を展開していた。アメリカは再三日本に「この非人道的な細菌戦、化学戦(毒ガス戦)はやめろ」とと警告を発していた。
日本は自国の戦争犯罪を隠すことに汲々として、アメリカとの取引をし、そして、原爆被害を世界に訴えることなく、全面的に核兵器の効果を調べるためのアメリカの調査に協力した。その結果、その調査によって被爆者は全く治療されなかった。
封印された原爆報告書


1997年の平和宣言で広島市長平岡敬氏は「アメリカの核の傘から日本は抜け出すべきだと政府に要求する」と唱えた。
すると橋本首相は平岡氏に歩み寄ってきた。
「あなたの気持ちはわかるけれども、そんなことはできない。あなたはアメリカの怖さを知らない」と言ったという。
やんばるの白ひげ ~核の傘の下で~(3)


私の想像:もしも日本政府が、アメリカの核戦略から抜け出し、この非人道的な核兵器の廃絶を世界に訴えたら、アメリカは「日本が中国で行った非人道的な人体実験、細菌戦、毒ガス戦、三光作戦等をばらすぞ!!」と脅しているのではないかと思う。そしたら今の天皇制はすっ飛んでしまうだろう。
追記:アメリカの怖さとはこれかな?
橋本龍太郎は、1986年7月22日、第3次中曽根内閣の運輸大臣に就任した。
このドラマの最初の方で事故調査報告書を受け取っている。
ボイスレコーダー  ジャンボ機墜落20年目の真実
米軍が墜落させた?それとも、自衛隊?
「御巣鷹山JAL123便墜落事件の真相について!」佐宗邦皇代表

【ワールドフォーラム代表・佐宗邦皇変死事件】
(参考)【天皇は偽物】現皇室の秘密を暴くと、早死します

橋本首相は続けて言う。
「日米安全保障条約によって支えられている安全保障の仕組みがこの国にとって必要だ。」

私の解釈:だからお互いに過去の非人道的な過ちは隠しておいて、未来志向で、放射能の怖さや遺伝子組み換え操作の怖さにも触れず、日本はアメリカの核戦略・生物化学兵器開発(もちろん日本も密かにやっているのでは?)を危険と知りつつ、進んでいきましょう。そしたら、天皇制も安泰です!!(何時まで続くこの身分差別!!)
原爆を浴び、放射能の恐怖を体験したはずの日本が、原発を50余機持っている。そして文殊はじめ原発関連の施設の維持費は膨らむばかり。国家財政は破綻寸前!!(破綻しているのかな?)、若者の貧困化も深刻!!

・内部被曝を日本の司法は認めているが、日本政府は認めていない?
・日本の医療・教育で、本当に「人間を人間として見る医療・教育がされてきているのだろうか?」
※日本は、戦後東京裁判で731部隊の罪業が裁かれることなくきたために、教育界・医療界でも戦争の反省をすることなく進んでしまった。
その結果、歴史認識の問題や放射能の怖さについても、まともな研究が疎まれ、今の政治状況が生まれている。
広島・長崎で2発の原爆投下を受け、悲惨な状況を経験し、また福島であれだけの原発事故が起き、これまた悲惨な状況にあえいでいるにもかかわらず、原発再稼動に日本は突っ走ろうとしている!!なぜなのか?
日本では、「人間を人間として見る」教育などされていないのでは?
いつも権力者の言うことに慣れ親しんいる。












731部隊!!

部隊展開催の予定
11月25日(火)~27日(木)世田谷



夏草をふみしめ遺跡の前に跪(ひざまず)く
オバケ煙突の下、不気味に笑う悪魔の目鼻
ここで焼却されたマルタは虚空に消えた
その無念の粒子を今なお人々は呼吸する
この空間には癒されぬ死の怨霊がくすぶり続ける
だが誰もそのことを声高に語ろうとしない
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より

混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)


東京中野展感想
中野展感想 

8月2日分

5、20代 女
・731部隊展の展示内容を見て
模型などありよかった。序章がエイズなのに驚いた。

・731部隊展の運営についてのご意見
詳しい説明頂きよかった。






●『731部隊 細菌戦の医師を追え(今も続く恐怖の人体実験)』(高杉晋吾著 徳間書店)

プロローグ― “日本医療の荒廃”をもたらしたもの
石井部隊の亡霊は生きている





その象徴が、民衆を医学研究の材料視するマテリアル(材料)という医学用語であり、731における「マルタ」、そして各部隊における「材木」と言う用語であった。
したがって、冒頭の731部隊の機構図でも、731部隊幹部の(戦前の役割とともに)戦後の役割も明らかにした。
私は、その頃、現在の大学や研究所における人体実験(最初は精神病患者に対するロボトミーなど神経外科や脳外科人体実験)を追及していた。だから、患者を研究用の材料、金儲けの材料としかみない日本の医学研究者の思想にはいちいち驚きの声を上げる状態であった。
以上のような戦闘部隊に学問の立場から、奉仕し、そして豊富なマテリアル=マルタを得てきた幹部研究者(高等官)たちの731部隊における役割と戦後の軌跡の一端を見てみよう(別表参照)。このほかに、当初は満鉄調査部に匹敵する満鉄衛生研究所(大連)として発足しながら、そのペスト防疫研究や調査組織の役割などをかわれて731部隊に吸収された731部隊大連衛生研究所がある。
さらに主な731部隊所属の研究者で、戦後の軌跡の明らかな人々を記しておこう。
関根隆(旧姓安川・東京水産大学学長)、園口忠男(寧波作戦参加の輸送指揮官、陸将補、陸上自衛隊衛生学校)、瀬尾末雄(三重大学医学部教授)、所安夫(東大医学部助教授)、内藤良一(第2部、製薬会社社長)、長友浪男(前北海道副知事)、浜田稔(大学教授)、増田美保(第2部、防衛大学校教授)、宮川正(埼玉医科大教授)。
このほかにも大学医科大の学部長や教授、大病院の院長、裕福な開業医、公立の研究所所長など、日本の医学医療界に重きをなす人々は多い。ここで強調したいのは、後述するように731部隊ヒラ隊員の戦後はこれとは全く別だということである。
これらの大人脈―医学界幹部たちは、旧満州の731部隊本部や各支部、そして中国大陸でどんな細菌戦争をおこなったのか?少なくとも細菌戦争そのものの姿は、まとまった形では紹介されていない。『悪魔の飽食』などに描かれた人体実験は、細菌戦争の「準備」ではあっても、細菌戦争そのものの姿ではない。私は、中国でも731部隊が行った細菌戦争の姿を不十分ではあるがまとまった形で紹介することから始めよう。





続きは「ノブのノート」

あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?

 
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