秘密保護法撤廃!!撤廃!!撤廃!!
グーグルクロムで見るとスムーズに画面が動きます。
権力側の都合の悪い情報を「国益を損なう」と言って隠すことはあってはならないことだと思う。
情報をもっとオープンに公開せよ!!
「日本では戦争について反省をしていない人々が権力を握っており、これが日本とアジアの人々にとって非常に深刻な問題になっている」
安倍さん!!72年の日中共同声明を完全に忘れたのですか?
共同声明は、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と明記している。
※今の日本で「道徳重視」とか「命の教育」などと政府は言っているが、その一方で過去の日本の残虐行為を全て日本政府からして隠し続けている!!政府から姿勢を正し、過去の日本の侵略行為と向き合い、史料をきちんと国民の前に提示して、その責任を明確にすべきだ!!
北朝鮮の拉致問題で日本政府が北朝鮮に、「正直で誠実な対応」を求めているが、731や慰安婦問題等でも日本政府に「正直で誠実な対応」を求めたい!!
第1次世界大戦から100年、安倍首相への10の質問―中国メディア
●気になるニュース
なぜ、靖国神社や天皇制が残っているのか私にはわからない!!
戦後も、元軍人やA級戦犯容疑の政治家が数多く日本の政治の中枢にい続け、現在もその流れが力を持っている。
国民にそしてアジア諸国等対戦相手に多大な犠牲を負わせたあの戦争。日本もアメリカも正義の戦争をしたのではなかった。日本はアジア諸国を侵略し、略奪を重ねた。アメリカは、日本をまねて、無差別空襲を実施し、最後は2発の原爆投下!!
そして、天皇とアメリカは取引をし、天皇と皇族たちは誰1人裁かれることなく、アメリカは戦争ビジネスでもうけ、731部隊員を裁くことなく、そのデータを買収した。一方B・C級戦犯は証拠も不十分で、弁護も受けることなく、命令者の罪を被されたまま処刑された!!
韓国、靖国参拝を批判 「慨嘆禁じ得ない」
・天皇制を考える
ノーベル物理学賞受賞者・益川敏英博士にインタビュー
歴史を否定する国が尊敬を勝ち取ることはできない
中国外交部報道官 日本側「慰安婦」強制連行を否認する言論を厳しく責める
訪米の韓国外相が会見「日本は歴史問題で態度をころころ変える」「米中韓は北朝鮮問題で団結」―韓国メディア
日本政府はどうなってんの?
「東アジア市民連帯」のメンバーらは同日、「日本政府高官は慰安婦問題の存在を否定し、工夫を凝らして歴史を歪曲して、近隣諸国との関係を緊張させ続けている」と指摘!!
日本の市民団体、「侵略の歴史」直視を日本政府に呼びかけ―中国メディア
これは二枚舌ではないのか?
慰安婦や歴史認識巡る立場 歴代政権と変わらず
急ぎましょう!!
日本政府、中国に遺棄した化学兵器の調査・発掘を拡大―日本メディア
・秘密保護法撤廃!!
日本内閣、『特定秘密保護法』の運用基準を決定
秘密保護法:廃止求める緊急アピール 児童作家ら7団体
戦中のゾルゲ事件のような犠牲者がたくさん出るのか?
本当に群馬県はどうなっているの?
・中曽根康弘氏の存命中に慰安所設置のことと、日航ジャンボ123号機墜落事故について聞きたい!!
・中曽根に菅はきちんと聞いたらいいではないか?中国の史料も検討したら!!
慰安婦問題 菅官房長官、河野氏の発言「大きな問題だ」
・読者の方から貴重なコメントをいただきました!!
たくさんの国家犯罪を示す貴重な資料の提供ありがとうございます。ねじ曲げられつつある歴史的事実が隠蔽されることなく公開されるため、できることは何かを考えていかなければと思ってるとこです。私の父は、関東軍で慰安婦斡旋の任務だったことを生前話してくれました。国家の政策であったはずです。
中曽根元首相と海軍慰安所(1/2)
自民党議員の中には慰安婦問題に力を注いだ議員もいた!!
クローズアップ現代 2014 山口 淑子 ~ 李 香蘭 94年の 人生 2/2 NHK
慰安婦問題に熱心な自民党議員!この史料も検討したら!!
新発見の日本軍文書:慰安婦が日本政府の行為だった
「戦争受け入れる下地づくり」
慰安婦問題に言及=日本に「遅滞なき解決」求める―国連総会で韓国
慰安婦問題、脅迫に対し声明 日本ペンクラブ
・日航123便の怪!!多くの疑問を早く解いて下さい!!
中曽根は地元なのに事故現場視察や慰霊に行ってない!!地元なのにおかしい!! しかも首相の頃の事故!!
桐沢 凛々子
★中曽根康弘
ロッキード事件の発覚直後の1976年2月、中曽根康弘・自民党幹事長(当時)から米政府に「この問題をもみ消すことを希望する」との要請があったと報告する公文書が米国で見つかった。裏金を受け取った政府高官の名が表に出ると「自民党が選挙で完敗し、日米安全保障の枠組みが壊される恐れがある」という理由。三木武夫首相(当時)は事件の真相解明を言明していたが、裏では早期の幕引きを図る動きがあったことになる。中曽根事務所は「ノーコメント」としている。
中曽根康弘元首相のつぶやき
日本航空123便の墜落事故 29年目の真実(2014年)より
『日航機墜落30回目の夏生存者が今明かす32分間の闘い』
この人に、この月例会の後何があったのか?
「御巣鷹山JAL123便墜落事件の真相について!」佐宗邦皇代表
日本航空123便墜落テロから28年目特集3 (123便テロ総まとめ。 ちなみに佐宗邦皇<さそう くにお>さんが、「アメリカ軍によって撃墜された」と2009年8月8日の月例会で語った翌日に死亡。おそらく暗殺)
【ワールドフォーラム代表・佐宗邦皇変死事件】
●安倍政権の「景気浮揚」の美名の下、また水面下で戦争ビジネスが加速しているのでは?
枯葉剤の製造には日本も関係があるのでは?
婦民新聞8月10日、20日合併号(2014年)
(参考)
ベトナム戦争では、枯葉剤も使用された。枯葉剤の研究も731部隊で行われていたと聞く。
「第2部には、我々の他に、八木沢班というのがあった。ここは植物や穀物を枯らす細菌の研究をしていた。ベトナム戦争の時に、アメリカ軍が、ベトナムで枯葉作戦というのを行なったということを知った。そして、この枯葉作戦は、731部隊八木沢班の研究が発展させられたものであるということを聞いた。何ともやりきれない想いにとらわれてしまった。
戦争は2度と起こしてはいけないと、心の中で念じつつ、筆を置くことしかできない今の自分を残念に思うことしきりである。」
「真相:石井細菌戦部隊 郡司洋子編」徳間書房より
枯葉剤の原料は三井化学が製造していた?
そしてもう1つ。「・・・この三井化学(戦時中、毒ガス工場のあった大久野島に毒ガスの原料となる化学物質を提供、供給していた)は戦後も生き残り、毒ガスの原料となる薬品をニュージーランドなどを経由し、アメリカにこの製品を売り、これが米軍の枯葉剤になったのです。ベトナム戦争で使われた枯葉剤の70%は日本製だと言われています。」(3月の「毒ガス連続学習会」より)
ベトナム戦争の枯葉剤で思い出すのは、ベトちゃんドクちゃんである。
ベトちゃんドクちゃんは、下半身がつながった結合双生児としてベトナムで産まれた双子の兄弟を指す、日本で一般に呼び習わされた愛称である。兄はグエン・ベト(Nguyễn Việt, 漢字: 阮越、1981年2月25日 - 2007年10月6日)、弟はグエン・ドク(Nguyễn Đức, 漢字: 阮、1981年2月25日 - )。ベトナム戦争時に米軍が大量に散布した枯葉剤の被害者の可能性があると報道された。ベトが急性脳症となったことを契機として手術で分離した。
この分離手術は日本で行なわれたが、皮肉にもその枯葉剤の基礎研究みたいなものが731部隊で行なわれていて、それをアメリカが引きついで研究し、枯葉剤を製造し、ベトナム戦争で使った。
また、枯葉剤を搭載した爆撃機は沖縄から飛び立ったのかもしれない。
ベトナム戦争にも、戦後の日米同盟の中で、日本は間接的ではあるが、大きくかかわってしまった!!
●皇室の秘密
君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか?より
戦後、天皇が海洋生物の研究家になったのは、ただひとえに自分が専制君主ではなかったというポーズであり、戦争中の責任を隠す念のいった方便だった。国民もそれに騙された。
そして戦争指導の責任を全部、東条ら軍人(それも陸軍ばかり)に押し付けた。
大東亜戦争で米英と戦った主力は帝国海軍である。陸軍の主任務地は支那およびビルマやインドであって、太平洋を主任務地としたのは海軍であったから、あの太平洋での拙劣きわまる作戦で惨敗につぐ惨敗を喫し、国家を惨めな敗北に導いた直接の責任は、海軍にあった。
ところが、戦後は「海軍善玉論」がマスコミや出版界を席巻し、あの戦争は全部陸軍が悪かったという風潮が醸成された。多くの作家(阿川弘之ら)がそのお先棒を担いだ。
天皇家が悪魔崇拝に関わっているとしか思えない幾つかの理由。より
(以下、NEWSポストセブンより転載)宮内庁の予算約170億円 天皇家のプライベート予算約3億円
宮内庁には平成23年度予算で、170億8158万円の予算がついた。うち宮内庁費は107億8557万円。残りが宮廷費、内廷費、皇族費となる。皇室を支える“財布”の中身とは。以下に解説する。
【宮廷費】宮内庁が管理する皇室の公的活動費。宮中晩餐会や園遊会、行幸啓や外国訪問などに使われる。56億8378万円。
【内廷費】御手元金として支出される天皇家(天皇・皇后、皇太子一家)の日常費用などのプライベート予算。3億2400万円。
【皇族費】同じく御手元金として支出される各宮家の皇族の予算。平成23年度は当主1人につき3050万円など。2億8823万円。
*内廷費や皇族費は内廷職員や私的に雇用している職員の人件費としても使われている。
※宮内庁HPなどを元に作成
※参考資料:『知られざる皇室』(久能靖著、河出書房新社刊)、『皇室のすべて』(学研刊)ほか
※SAPIO2012年2月22日号(転載ここまで)
天皇家の守り人組織は暴力団!
天皇家の秘密―再掲
美智子さんや天皇家の人々の真実
皇室の秘密 美智子妃殿下の性格
堀江貴文 「天皇は戦争の責任を負うべき」神をも恐れぬビッグマウス!そして池上彰ディスり!!
日本人を大量虐殺した天皇家の皇太子妃・雅子の一族
2012/6/26 皇室裏アルバム:水俣チッソ財閥令嬢 雅子様の本当の病名
2.26事件は天皇兄弟の謀略
旧陸軍士官が語った歴史の真実(2.26事件はヤラセ?)
●昭和天皇実録!!
権力側が情報を操作して「遅すぎた聖断」の弁明をいくらしても、何にもならないのでは。
本当に真実の歴史を書こうとすれば、情報を全て公開し、第3者が書かなければならないと思う。
もちろんこの本には秘密部隊731については一言も書かれていないだろう?
昭和天皇の姿 浮き彫りに
こっちこそ、『昭和天皇実録』ではないのか?
驚いた!!万世一系は嘘!? え!昭和天皇の父親は大正天皇ではなく、西園寺八郎?
西園寺八郎
毛利元徳の八男。毛利元徳は毛利敬親の養子で公爵。宮内官として主馬頭・宮内省式部次長まで進んだ。
1906(M39)西園寺公望(同墓)の娘の新と結婚し、西園寺家の婿養子となった。翌年、公望が講和大使として渡仏した際に妻と共に随行した。 1921(T10)春、当時皇太子殿下だった昭和天皇が訪英の際、小栗孝三郎海軍中将、高畑誠一らと同行した。この時、プロゴルフの試合を初めて観戦した。1928(S3)12月28日勲一等瑞宝章。 1940(S15)政治界の元老で公爵の西園寺公望が没したため、公爵を継承し西園寺家を継いだ。1940~1946(S15.12~S21.4)公爵として貴族院議員。 八郎の長男は政治家の西園寺公一、三男の貴族院議員を務めた西園寺不二男(同墓)がいる。
西園寺家の墓(2014.9.24撮影 多磨霊園8区 1種 1側 16番)
・多磨霊園が発行した「著名人墓所」の中には、西園寺八郎が見当たらないが、インターネットにはきちんと出ている(闇の世界では相当に有名な人物ではないのか?)!!
西園寺八郎
・侍従・侍従長などには定年がないのか?皇室にはいろいろな疑惑がわく!!
入江相政
昭和天皇の出生の疑惑
昭和天皇ヒロヒトの父親は西園寺 八郎、朱貞明皇后咬合との子堕った、昭和の醜卑喰ら卑闇
渡辺監督が語る最新作『天皇伝説』の過激な内容とは!?
山口県田布施町の怪③ 明治天皇は孝明天皇の子ではない/昭和天皇も大正天皇の子ではない
(参考)
【天皇は偽物】現皇室の秘密を暴くと、早死します
日本のいちばん醜い日/鬼塚英昭
国民は赤紙一枚で召集され、戦地でリンチを受けながら軍隊教育をされ、人殺しを命じられ、果ては敵に殺され、時には味方によって殺され、または病死したり、餓死したり(全て「名誉の戦死」として片付けられる)惨憺たる状況に置かれたが、軍の上層部、東条や岸などの満洲を取り仕切った連中はアヘンなどでぼろ儲けをし、天皇は戦争で「マネーゲーム」をしていた?
731の建設もアヘンの取引(満業)のお金で作られたのか?
戦後の731のデータの取引も天皇とマッカーサーの間で極秘裏に多額の金が動いたのではないか?
細菌戦部隊731
大連衛生研究所:目黒正彦さんの証言(1:03過ぎ)
23,4年頃、すごいよ。私の聞いている人は200万もらっているよ。すごくもらっている。それは大したものだ。その金はどっから出たのか私も知りたいのだけれども。そんな金どこにもあるはずがないはずだけれども、23.4年頃ね、実際のとこ。
石井さんがどっからその金を引き出してきたのか知らないけれども。
(インタビュアー)23,4年頃は、もうアメリカとの取引が終わって
その辺で、アメリカからポンと出たのかね?その辺はわかりません。
そう、みんなもらってますわ。ほとんど1人残らず。ん。
一番就職口もよかったと思うね。
どこでも入れたんと違いますかね。ほとんど大学の先生みたいな、みな元石井部隊にいた人が多かったですね。
特に上の方の、その当時の厚生省のワクチン、くらうち先生とかね。田宮先生もそうだけれども。みんな石井部隊に関係あったからね。多少でもほとんどの人が、石井部隊に足を突っ込んでいる人が多いんですよ。表向きは黙っていますけどね。みんな石井部隊から金を少しずつ嘱託でもらっているんですよ。そういう人がみんな日本の基礎を作ったでしょ。
『日本のいちばん醜い日』474ページより
満州国がアヘンの国であったことを示すデータの1つが細川護貞の『情報天皇に達せず』の中に出てくる。細川護貞は近衛文麿の秘書をしていた。近衛の娘婿、元首相細川護煕の実父である。1944年10月15日の「日記」である。
14日午前9時吉田茂氏の永田町の邸に行く。この日松野鶴平氏の招きにて、近衛公、鳩山氏吉田氏等と共に深川に海の獵に行く。風強き為海産組合長佐野氏宅にて雑談、帰途吉田邸に公、鳩山氏と立ち寄り雑談の際、白根宮内次官は東条礼賛を為し居る由鳩山氏語り、一体に宮内省奥向に東条礼賛者あるは、付け届けが極めて巧妙なりし為なりとの話出で、例えば秩父高松両殿下に自動車を秘かに献上し、枢密顧問官には会毎に食物衣服等の御土産あり、中に各顧問官それぞれのイニシャル入りの万年筆等も交わりありたりと。又牧野伯の所には、常に今も尚贈物ある由。鳩山氏は東条の持てる金は16億円なりと云いたる所、公はそれは支那に於いてそう云い居れり。、主として阿片の密売による利益なりと。共謀者の名前迄あげられたり。金も何かの会合で10億の政治資金を持てりと聞けり。過日の海軍懇談会の折も、昨今の東条の金遣いの荒きことを矢牧大佐ら語られたり。或いは多少の誇張もあらんも、多額の金を持参し居るならん。夜金子(堅太郎伯)家を問うての雑談中、故伯の病せまる頃日々100人前の寿司と、おびただしき菓子等を東条より届けたりと。鳩山氏は、「かくの如き有様なれば東条復活の危険多し」と云われたり。
1945年10月にGHQが発表した皇室財産は37億2000万円。当時の皇室財産を日銀物価価格(1990年)で計算すると、311倍となり、7912億円。東条の10億円とか15億円がいかに天文学的数字であるかがわかる。
今の貨幣価値で数千億円の金を、東条はアヘン取引で稼いでいたことになる。これが戦争なのである。国民の大半が飢餓線上にあり、住む家も焼かれていたとき、天皇から首相に任命された男は天文学的な利益を上げていたのである。・・・・たとえ流言にしても、近衛文麿の言である。たんなる流言ではあるまい。・・・
同483頁
細川護貞が語らんとしているのは、戦争を終結させるために、東条英機を首相の座から降ろそうとした岸信介は立派だという風評があがったが、本当は、今の金で数百億から数千億の国家の機密資金の奪い合いの結果、岸が大室寅之祐一族の力を利して東条英樹を捨てた。東条英機は“田布施に敗れたり”ということで、これはもうあきれて物も言えない・・・・“ということである。東条英機や岸信介は国家存亡の秋(とき)に、いかに自分の懐(ふところ)に金を入れ込むかの競争をしていた・・・と細川護貞はあきれ返っているのだ。・・・
アヘンのことは瀋陽の裁判でも取り上げられている!!
瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」
昭和天皇ヒロヒト&財界の為の戦争 アヘン事業 侵略ビジネス
明治以降 偽天皇家の実態 動画メモ
日本のいちばん醜い日/鬼塚英昭 、読書日記(海軍どころか外務省も最初から腐敗していたようです)
日本の真相4 こじつけの天皇無罪論
福島県が標的にされた理由とは?
山口県田布施町の怪 ~日本国家の真相~ (心に青雲)
●終戦の詔勅
天皇裕仁は自分で決断し始めた戦争を終わらせるのに、天皇制にこだわり、多くの日本人に犠牲を強いた!!
「義は山獄よりも重く、死は鴻毛(こうもう)よりも軽しと覚悟せよ。」(軍人勅諭)
我々の命は鴻(おおとり)の羽毛よりも軽い命だった!!
天皇は外国の軍隊より、国内の反乱を恐れていた!!
(口語訳)(1)戦争の大義
私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。
私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告するよう下命した。
そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。
鬼塚氏による解説(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
天皇ヒロヒトが戦争を開始した、と見事に宣誓している文章である。誰が始めた戦争でもなかったのである。「アジアの安定」も偽りであることは、すでに書いた。朝鮮や中国の領土を侵略した。特に満州国の創立はアヘンによる「満業」であった。その満州国の維持費の半分以上はアヘン密売からの収入であった。
(口語訳)(2)原爆投下による終戦
ところが交戦はもう四年を経て、我が陸海将兵の勇敢な戦いも、我が多くの公職者の奮励努力も、我が一億国民の無私の尽力も、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転していないし、世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない。それどころか、敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、しきりに無実の人々までをも殺傷しており、惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至った。
なのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。このようなことでは、私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り、代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか。これこそが、私が日本国政府に対し共同宣言を受諾(無条件降伏)するよう下命するに至った理由なのである。
鬼塚氏による解説(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
私は大井篤の「手記」などを引用し、皇太后が6月中旬頃に原爆投下を知っていたことを書いた。8月6日午前8時15分の広島の原爆投下についても具体的に論じた。この詔勅の内容は欺瞞以外のなにものでもない。
(口語訳) (3)人類永遠の真理と平和の実現
私は、日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しては遺憾の意を表せざるを得ない。日本国民であって前線で戦死した者、公務にて殉職した者、戦災に倒れた者、さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると、我が身を引き裂かれる思いである。また戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々の再起については、私が深く心を痛めているところである。
考えれば、今後日本国の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではなかろう。あなたがた国民の本心も私はよく理解している。しかしながら、私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである。
鬼塚氏による解説(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
まことに勝手な文章である。天皇ヒロヒトが、国家予算(平成の今日においても)を上回る秘密資金をスイスの秘密口座に残していることは外国人の多くの学者たちが書いている。日本人はこのことを知らされないようになっている。まことに「朕」ヒロヒトが語るように、「今後我が国が受けるであろう苦難は筆舌に尽くし難い」ものとなったのである。
どうしてこんな天皇ヒロヒトが、「人類永遠の真理である平和の実現」をはかることができようか。結果は歴然たる事実である。日本は、アメリカと国際金融同盟の配下におかれたままである。
(口語文) (4)かくて私は国体を護持した
私は、ここに国としての形を維持し得れば、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、私が最も強く警戒するところである。
ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。
あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ。
鬼塚氏による解説(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
この中の「国体を護持し得たとともに」に注目したい。この終戦の詔書は、敗北宣言ではなく、「国体護持宣言書」なのである。この詔書の中のどこにも、日本は敗北したとは書いていない。まことに調子の良い文章に出来上がっている。
あの玉音放送は天皇ヒロヒトの発案である。・・・
かくて「鶴の一声」は全国津々浦々のみならず、海外にまで流れ、日本人は戦争の終わったことを知らされたのである。・・・・・
「天皇が日本を救った」という神話が戦後になって登場する。その神話を実現するために『日本のいちばん長い日』は創作され、映画化された。この本の欺瞞性を私は徹底的にあばいた。半藤一利に個人的な恨みなど少しも無い。そして、多くの神話が今日でも創作され続けている。私は「聖断」そのもの自体が虚構であると主張したい。天皇は国体護持のためにのみこだわり続け、戦争を長引かせたのである。戦争を長びかせたもう1つの理由を、私は天皇の財宝のスイスへの移しかえの中に見た。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このロベール・ギランの物の考え方と松浦総三の考え方は、ほぼ一致する。
「天皇は日本の救世主であるばかりでなく、いかなる残虐行為にも反対する、人間文明の防衛者たらんと欲せられたからだ・・・・」の中に、私は、天皇とアメリカとの間にあったであろう密約を連想する。
天皇はたった一度だけの原爆批判を、終戦の詔書の中でのみ赦(ゆる)された。しかし、天皇は死ぬまで一度も原爆投下の批判をしなかった。天皇と深く結び付いたヨハンセン(吉田反戦)・グループも同様であった。
天皇とヨハンセン(吉田反戦)・グループは原爆投下の残虐行為を追及しないことによって、原爆を中心とする、米・ソの見せかけの冷戦に協力し続けたのである。それこそがロスチャイルドを中心とするユダヤ国際資本家たちが狙っていた戦略だった。原子力発電への傾斜もそのような戦略の中で推進されていった。
この写真はやらせか?
詳しくは下記のブログで!!
昭和20年8月15日の皇居前の写真は ' やらせ ' だった
第2次世界大戦の真実① 昭和20年8月15日宮城前ヤラセ事件
※(参考)木戸幸一が残した8月15日の手記
一面、一般国民は永年の圧迫感から解放せられたと云うのか、8月15日御放送のあった後、続々と宮城前広場に集まった群衆の中から万歳万歳と云う声がしばしば聞かれた。之を役所の事務室で聞いていると敗戦と云うのに何だか奇妙な感じを受け、之を以て見るも国民が絶望的な戦争に堪えきれず、如何に平和を望んでいたかが如実に示された様に思われた。
木戸幸一内大臣のこの観察日記の中に真実が書かれている。戦争を嫌っていた国民が皇居前広場に集い、「天皇陛下万歳」ではなく、ただ、「万歳!」「万歳!」と叫んだのである。
※原爆が非人間的というが、それならば重慶大爆撃、南京大虐殺、三光作戦、731部隊の生体解剖・細菌戦、慰安婦問題等はどうなんだ?当時の日本国民にはそれらの情報は隠蔽され(今でもそうだが)全く知らされていなかった!!
以下の映像に映っている顕微鏡を覗き込む裕仁の姿に、731のことにも相当詳しかったのではないかとの疑念が生じる!!
1975 昭和天皇初訪米&初公式記者会見
●天皇は原子爆弾の悪口を一生語らず、生涯を終えた!!
1975年10月31日の天皇の記者会見
昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」【「日本のいちばん醜い言葉」の一つ(鬼塚氏)】
中村康二(ザ・タイムズ):天皇陛下のホワイトハウスにおける「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がございましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします。
天皇陛下:そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないで、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。・・・・・
(鬼塚氏のコメント)
これについては批評の書きようもない。「日本のいちばん醜い言葉」の一つであるとのみ書いておく。
秋信利彦(中国放送):天皇陛下におうかがいいたします。陛下は昭和22年12月7日、原子爆弾で焼け野原になった広島市に行幸され、「広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない。われわれはこの犠牲をムダにすることなく、
平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」と述べられ、以後昭和26年、46年とつごう三度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞の言葉をかけておられるわけですが、戦争終結に当って、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか、おうかがいいたしたいと思います。
天皇陛下:原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。
[天皇家の秘密]より
広島、長崎に原爆が落とされ死傷者が苦しんでいる最中、天皇は自分の蓄財を海外に次々と逃がす事に専念していたのです。
この問題を調査したマーク・ゲインは、海外に天皇が逃した蓄財は累計で5~10億ドルに上るとしています。(マーク・ゲイン「ニッポン日記」 筑摩書房)
(鬼塚氏のコメント)
私は「エ・・・エ・・・・エ・・・・投下された、ことに対しては、エ・・・・・エ・・・・」の中に、直感的に、天皇が8月6日午前8時15分の広島への原爆投下の件を知っていると思った。この考えに私は拘泥し続け、この考えの正しさを証明しようと追求し続けたのである。
・・・・・・・・
天皇はたった一度だけの原爆批判を、終戦の詔書の中でのみ赦(ゆる)された。しかし、天皇は死ぬまで一度も原爆投下の批判をしなかった。天皇と深く結び付いたヨハンセン(吉田反戦)・グループも同様であった。
(松浦総三の著書より)
裕仁理論=「終戦の詔書」によれば、アジア諸国に対する“侵略”も“防衛戦争”の一環となる。裕仁らはこの“理論”を盾にとって、南京大虐殺、シンガポール虐殺、重慶大爆撃、朝鮮人強制連行、慰安婦問題などを黙殺しようとするのだ。
そのような「防衛戦争」つまり“正義の戦争”も「敵は新に残虐なる爆弾を使用してしきり(頻)に無辜を殺傷す・・・・」というわけで原子爆弾によって「終戦」にせざるを得なくなる。この部分は、裕仁の『昭和天皇独白録』で「ソビエトはすでに満洲で火蓋を切った。これではどうしてもポツダム宣言を受諾せねばならぬ」と本音を言っていることと完全に矛盾する。
歴史的事実としては裕仁がポツダム宣言を受諾したのはソ連参戦によって、ソ連の発言権が強まれば国体・天皇制が危うくなるからである。原子爆弾を投下された8月6日や8月9日には、裕仁は「なるべく早く講和を」といっている。それが、「ソ連参戦」で即時御前会議が開かれるのだ。
というわけで、「正義の戦争」は終戦となる。では戦死者、戦災者、その遺族はどうなるのか。それを思うと朕は「五内為に裂く」とオーバーなことをいう。が、「時運のおもむくところ」「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」というのだ。「五内為に裂く」といっているが、その内容は、被爆者援護法や空襲の補償はしないぞ、ということであろう。
※昭和天皇は極秘ルートで、広島・長崎の原爆投下、ソ連の参戦の情報を知っていた?
畑元帥と高野広島県知事はなぜ無事で、第2総軍は畑元帥の指示で8月3日から広島市内に出動していたのだ!?
●広島原爆投下時の真相(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
畑俊六は8月6日の原爆投下のことを知っていた!!
この原爆で、第2総軍の司令部の数々の建物は壊滅し、多数の死傷者が出たのである。
8月6日朝8時頃に、多数の第2総軍の参謀や将校が集まっていた。そこに原爆が落ちたというわけである。有末精三は畑俊六元帥のことを書いている。
山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥(俊六、第12期、元侍従武官長、支那派遣軍総司令官)に敬意を表し、今夕、仁科博士等の到着を待って調査に着手する旨申告した。将軍は被爆当時日課として朝のお祈りで、神棚に向かっておられたため、幸いに被害はなかったとのことであった。
有末精三は「それぞれ頭や頸元や胸に包帯をしていた岡崎清三郎参謀長(中将、第26期)、真田穣一郎少将(参謀副長、第31期、前大本営陸軍部作戦部長)、井本熊男作戦主任参謀(大佐、第37期、後の陸将)、同参謀橋本正勝中佐(第45期、後の陸将)などが草の上に胡坐(あぐら)をかいたり横になったりして論議しているところへ挨拶否見舞に行った・・・・」と書いている。生き残った第2総軍のトップクラスも全員負傷して、草の上で胡坐をかいていたのである。
この日、間違いなく、第2総軍の全員は、8時頃に集まって会議か、あるいは演習の準備に入っていた。ほとんどの第2総軍の人々は死に、あるいは傷ついていたのである。
ひとり、畑元帥のみが理由はともあれ、この総司令部に行っていないのである。
「山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥」と有末精三は書いている。
私は東郷茂徳外相の依頼か、他のヨハンセン(吉田反戦)・グループの依頼を受けた松本俊一次官が原爆投下前のある日、秘かに畑元帥と会談し、8月6日午前8時すぎころの広島に原爆を落とす計画を打ち明けたと思う。そのときに松本俊一外務次官は、この日の8時過ぎに、第2総軍の全員が集合するようにして欲しいと依頼したとみる。この第2総軍を全滅状態におけば、陸軍の反乱の半分は防げるからである。・・・・
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学徒を殺し、一般市民を殺し、第2総軍の軍人を殺し、木戸幸一は大井篤の尋問に答えている。
陛下や私があの原子爆弾によって得た感じは、待ちに待った終戦断行の好機をここに与えられたと云うのであった。特に皇室や上流階級にも身命の危険が及んで来たからではない。
※ウキペディアには 畑俊六は「昭和20年8月6日の広島市への原子爆弾投下により、国鉄広島駅付近で被爆するも奇跡的に難を逃れた。被爆直後から畑は広島市内で罹災者援護の陣頭指揮を執り、広島警備命令を発令した。その職にて終戦を迎える。」と書いてある。真実を書いていないのではないか?
高野源進広島県知事は県下福山に出張中だった。
高野 源進(たかの げんしん、明治28年(1895年)3月15日 - 昭和44年(1969年)1月4日)は、日本の内務官僚、弁護士。官僚としては主として警察畑を歩き山梨県知事・警視総監などを歴任したが、特に原爆被災時の(官選)広島県知事を務めたことで知られる。
福島県北会津郡北会津村で農業を営む高野源八の長男として生まれる。
ヒロシマ壊滅 その時 知事は 高野源進氏の書簡見つかる
畑 俊六(はた しゅんろく、明治12年(1879年)7月26日 - 昭和37年(1962年)5月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は元帥陸軍大将。偕行社会長。位階勲等は従二位勲一等功一級。陸相在任中に戦陣訓も考案した。
終戦間際の昭和20年(1945年)8月14日10時、昭和天皇は御前会議の開催に先立って元帥会議を召集し、俊六(第二総軍司令官)、杉山元(第一総軍司令官)、永野修身(元軍令部総長)の3元帥より意見を聴取した際、杉山と永野が主戦論を張るなか、畑のみは「担任正面の防御については敵を撃攘し得るという確信は遺憾ながらなしと申上ぐる外ありません」と率直に現状を説明、これが本土決戦の不可能を昭和天皇に確信させることになった。
父は旧会津藩士・畑能賢
これも天運であると共に明治大正を通じて温醸された弊害が積り積って潰滅した結果に外ならない。
※どんな因縁があるのか知らないが、ご両人とも福島県出身。会津藩は幕末には薩長にやられ、敗戦間際には天皇の命令により第2総軍の壊滅計画の役を買わされ、その後の原爆被害の対応、そして2011年には最悪のレベル7の福島原発事故!!
(畑は、南京大虐殺後の昭和13年(1938年)には松井の代わりに中支那派遣軍司令官となり、徐州戦、武漢作戦を指揮している。)
(参考)
大木操の『大木日記』の8月7日を見ることにしよう。大木操は当時、衆議院書記官長であった。
8月7日(火)晴
10時半登院、間もなく警報、小型機空襲。
議長、副議長と雑談。
正午過ぎ、岡田厚相来訪。広島に原子爆弾を6日午前8時半頃投下。十数万の死傷の報、大塚地方総監爆傷死、畑元帥健在、高野知事は出張中にて助かる。成層圏より落下傘にて投下、地上2,3百メートルにて爆裂、直径4キロ全滅全焼、エライことなり。
直ちに依光代議士は日政の幹部会にこれを伝える。一座愕然。
では、『広島県史(近代Ⅱ〕』の「原爆と敗戦」を見ることにする。
広島地区司令部の強い要望により、中国地区司令部の強い要請により、中国地方総監および広島県知事は8月3日から連日義勇隊約3万人、学徒隊1万5千人の出動を命令した。
この2つの本を読んで、私は次のように推論する。
8月初旬に広島県庁に入った畑元帥は、高野源進広島県知事と中国地方総監を説得した。第2総軍を動員し、8月3日から連日、義勇隊3万人、学徒隊1万5千人を出動させよと命じた。畑はひそかに、高野知事に真相を打ち明けた。高野知事は広島を去った。こうした中で8月6日の朝8時15分を迎えた。第2総軍の軍人たち、義勇隊、学徒隊の多くが死んだのである。
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もう1度、米内海相の直話を記す。天皇も木戸も、この米内の話に賛意を示したのである。
私は言葉は不適当と思うが、原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めるということを出さなくても済む。私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢を表面に出さなくて収拾出来るというのがむしろ幸いである。(「米内海相直話」昭和20年8月12日)
まさに、米内海相が語るがごとく、数十万の死者を出した原爆より、ソ連参戦で満洲で数十万の軍人や民間人が死んだことより、国内情勢の憂慮すべき事態が重要であると、天皇や米内たちは考えたのである。その1つが広島にある第2総軍であったというわけである。
その第2総軍は壊滅した。西日本の軍の反乱はこれによって鎮圧された。残るは関東一円となった。その中心の皇居を舞台に、偽装クーデターを起こしたというわけである。
●天皇はなぜ広島・長崎の原爆忌に参列しない?天皇と原爆は関係ない?
天皇批判した小川、謝罪も炎上
小川未菜は100%正しい! 「日本人は昔,天皇のせいで苦しみ、命がたくさん奪われた」
日本は戦争中、世界で初めての2発の原爆投下を、経験した。
これは、アメリカが莫大な費用をかけて開発したものだった。
アメリカは実戦の効果を知りたかった。
原爆の子
最初の原爆はドイツが作ったと言う説もある!!
スパイ ”ベラスコ” が見た広島原爆の正体 (高橋五郎)
日本が、本当に「自衛のための戦争」をしていたならば、敗戦後この非人道的な核兵器の被害を、国際社会に訴えることができたはずだ。
ところが、日本は戦争中、中国大陸において、驚くべき残虐な人体実験、細菌戦、毒ガス戦等を展開していた。アメリカは再三日本に「この非人道的な細菌戦、化学戦(毒ガス戦)はやめろ」とと警告を発していた。
日本は自国の戦争犯罪を隠すことに汲々として、アメリカとの取引をし、そして、原爆被害を世界に訴えることなく、全面的に核兵器の効果を調べるためのアメリカの調査に協力した。その結果、その調査によって被爆者は全く治療されなかった。
封印された原爆報告書
1997年の平和宣言で広島市長平岡敬氏は「アメリカの核の傘から日本は抜け出すべきだと政府に要求する」と唱えた。
すると橋本首相は平岡氏に歩み寄ってきた。
「あなたの気持ちはわかるけれども、そんなことはできない。あなたはアメリカの怖さを知らない」と言ったという。
やんばるの白ひげ ~核の傘の下で~(3)
私の想像:もしも日本政府が、アメリカの核戦略から抜け出し、この非人道的な核兵器の廃絶を世界に訴えたら、アメリカは「日本が中国で行った非人道的な人体実験、細菌戦、毒ガス戦、三光作戦等をばらすぞ!!」と脅しているのではないかと思う。そしたら今の天皇制はすっ飛んでしまうだろう。
追記:アメリカの怖さとはこれかな?
橋本龍太郎は、1986年7月22日、第3次中曽根内閣の運輸大臣に就任した。
このドラマの最初の方で事故調査報告書を受け取っている。
ボイスレコーダー ジャンボ機墜落20年目の真実
米軍が墜落させた?それとも、自衛隊?
「御巣鷹山JAL123便墜落事件の真相について!」佐宗邦皇代表
【ワールドフォーラム代表・佐宗邦皇変死事件】
(参考)【天皇は偽物】現皇室の秘密を暴くと、早死します
橋本首相は続けて言う。
「日米安全保障条約によって支えられている安全保障の仕組みがこの国にとって必要だ。」
私の解釈:だからお互いに過去の非人道的な過ちは隠しておいて、未来志向で、放射能の怖さや遺伝子組み換え操作の怖さにも触れず、日本はアメリカの核戦略・生物化学兵器開発(もちろん日本も密かにやっているのでは?)を危険と知りつつ、進んでいきましょう。そしたら、天皇制も安泰です!!(何時まで続くこの身分差別!!)
原爆を浴び、放射能の恐怖を体験したはずの日本が、原発を50余機持っている。そして文殊はじめ原発関連の施設の維持費は膨らむばかり。国家財政は破綻寸前!!(破綻しているのかな?)、若者の貧困化も深刻!!
・内部被曝を日本の司法は認めているが、日本政府は認めていない?
・日本の医療・教育で、本当に「人間を人間として見る医療・教育がされてきているのだろうか?」
※日本は、戦後東京裁判で731部隊の罪業が裁かれることなくきたために、教育界・医療界でも戦争の反省をすることなく進んでしまった。
その結果、歴史認識の問題や放射能の怖さについても、まともな研究が疎まれ、今の政治状況が生まれている。
広島・長崎で2発の原爆投下を受け、悲惨な状況を経験し、また福島であれだけの原発事故が起き、これまた悲惨な状況にあえいでいるにもかかわらず、原発再稼動に日本は突っ走ろうとしている!!なぜなのか?
日本では、「人間を人間として見る」教育などされていないのでは?
いつも権力者の言うことに慣れ親しんいる。
広島・長崎の被爆者はアメリカや天皇家・財閥から賠償金をもらったら!!
(高橋五郎氏の親族は、第五福竜丸に乗っていて、被曝したらしい)
「天皇のスパイ」 高橋五郎氏 ダイジェスト版 2009年8月
●731部隊!!
部隊展開催の予定
11月25日(火)~27日(木)世田谷展
夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
東京中野展感想
中野展感想
・松井先生の講演会のアンケート
3、(1)松井先生の話を聞いて
とてもよかったです。医学上のデータを政治・社会運動の観点、歴史の観点と結んで広い視野で説明して下さって、その立場を人権と弱者の側に置いて貫かれています。その姿勢に勇気をいただけました。夫が福島出身で南会津であるためそれはそれで心情的には複雑です。まずは科学的で人間的であること。そこに根ざして今後を考えていきたいです。
・『731部隊 細菌戦の医師を追え(今も続く恐怖の人体実験)』(高杉晋吾著 徳間書店)
細菌戦争の実態
寧波(にんぽー)作戦―日本の医療団も協力
同仁会の杭州市防疫所は昭和14年6月に業務を開始すると同時に、土橋部隊は同仁会と協議して「コレラ予防接種証明書」を持たぬ者の通行を禁止した(『同仁会40年史』)。そして11月には「ペスト防疫のため、寧波方面からの物資輸入の禁止」などの措置をとっている。これなどは、その後の731部隊による寧波方面へのペスト、コレラ、チフス攻撃を想定し、日本軍が自ら行なう細菌戦の被害にあわぬために対策をたてたものだ。寧波方面でペストが流行していた事実は無いのに「物資輸入禁止」をペスト予防を理由に行なうというのはまさに今後行なうペスト攻撃への対策である証拠ではないか。
一方、同仁会医学雑誌(第16巻8号)は同仁会華中防疫所の松村猛雄の「昭和16年浙東地区に流行せるコレラ菌株について」と題する論文を載せている。
続きは「ノブのノート」で
あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?