●細菌戦資料センター総会(2015.4.7) 「衛生学校記事の公開」裁判の経過 4月7日NPO731細菌センター総会 001
活動報告 4月7日NPO731細菌センター総会 002
記念講演「細菌戦研究の最前線」近藤昭二 4月7日NPO731細菌センター総会 004
昭和20年9月20日日本にいた石井四郎が全国各地の隊員に伝達した通告
特別講演 「医師の歴史的・社会的責任ー731部隊ーABCC・RFEF・予研(感染研)・IAEA・UNSCEAR・日本財団ー重松逸造ー山下俊一・長瀧重信という人脈を解くー」 松井英介 4月7日NPO731細菌センター総会 005
質疑応答1 4月7日NPO731細菌センター総会 006
質疑応答2 4月7日NPO731細菌センター総会 007
問題提起 4月7日NPO731細菌センター総会 008
●第9回今、なぜ?「昭和の日」
なぜ、安倍自民はあの戦争を美化しようとしているのか。「アジア解放のための戦争」であったとか?
安倍首相の米議会演説は「太平洋戦争を始めた昭和天皇の誕生日」、韓国で波紋広がる―中国メディア
日本「歴史言及は不可避」と認識 韓国首脳初の国賓訪問時
昭和天皇の反省表明求める 韓国、84年の外交文書で明らかに
●(参考) 日本政府が「戦後のアジアの平和をつくった」とビデオで宣伝、韓国側が猛反発―中国メディア 戦後国際社会の国づくり:信頼のおけるパートナーとしての日本
自民党はかつての侵略戦争のスローガン「八紘一宇」を復活させて、天皇を中心とする世界国家を目指して誤った道を再び歩むのであろうか? 1人の人間を神格化するのはやめよう!!特に戦争に深く関わった人間の子孫を!! 「八紘一宇」よりも「一人ひとりが輝く世界」の方が、人類にとって幸せではないか?
●三原じゅん子 日本が建国以来大切にしてきた価値観「八紘一宇」
「八紘一宇」を礼賛 参院予算委で自民・三原氏 だから私は「八紘一宇」という言葉を使った
あの戦争が、侵略戦争であり、多くのアジアの人々の命を奪った事は、紛れもない事実であり、大変な犯罪行為であった。とりわけ、中国では、毒ガス戦・細菌戦を頻繁に行い、残忍な殺戮も多かった。
●日本は1925年のジュネーブ議定書を無視し、主に中国で毒ガス兵器、細菌兵器を多用した!! 閑院宮参謀総長が出した毒ガス使用の指示!! 日本鬼子のおきみやげ(毒ガス)
初めて知った戦争「大久野島」「731」
元をただせば、敗戦時アメリカが、天皇の戦争責任をどういうわけか回避した事につながる。 アメリカは、731の戦争犯罪よりも、その細菌兵器に注目し、共産主義の台頭に脅威を感じていたのか? 当時、国家元首の昭和天皇と取引をし、沖縄を軍事基地化し、731の犯罪を免罪し、その細菌戦のデータを本国での遅れた細菌戦研究に利用しその後の戦争で細菌兵器を使用した。また、広島・長崎の2発の原爆投下の残虐性についてはマスコミには情報をシャットアウトさせ、医学界には放射能の体に関する影響の研究や発表を禁止させた。ただただ、日本の医学界は、731の免責を乞うために原爆の被爆調査に全面協力し、資料をアメリカに提供した。
●封印された原爆報告書
封印された原爆報告書
アメリカは731の犯罪に目を瞑り、日本は、アメリカの原爆の犯罪に目を瞑っている。 その後、アメリカは「アトムズ・フォー・ピース」の下、CIAのスパイ中曽根・正力を使って、原発を推進し、54基もの原発を狭い日本に設置し、2011年福島の大惨事!!医学界は、放射能の被害については過小に評価。
●原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~
原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~
保守の議員が、公然と国会で侵略戦争時のスローガン「八紘一宇」を使い、日本の基本理念であると言ってはばからない。 保守の人々は、木戸幸一が1944年1月6日に綴った日記を秘かに夢見ているのだろうか?
●木戸幸一の1944年1月6日の日記(デイビット・バーガミニ著『天皇の陰謀」下巻より)
今や、秘密保護法の下、生物兵器・化学兵器の開発は、国家機密として、秘かにどこかで行われているのではないだろうか?(もちろん、アメリカ・ロシア・日本・イギリス・中国などでも)
●731細菌部隊と帝銀事件との真相1
・戦争を主導した大元帥、昭和天皇を始め、陸軍参謀総長、閑院宮、海軍軍令部総長、伏見宮、南京大虐殺に関わった上海派遣軍司令官、朝霞宮、影で動いた三笠宮、731部隊と関係のあった竹田宮等々、天皇、皇族は誰一人東京裁判で裁かれなかった!! 金と地位がそうさせたのか?
裕仁の朝廷は1940年10月、戦争が敗北に終った場合に天皇制を守ることを目的とした後方計画を開始した。 第1段階は皇族を責任ある地位から退ける事であった。 第2段階は彼らが戦争準備の過程で何の役割も演じなかったかのように見せかける表向きの筋書きをつくることであった。 菊の垂幕の背後への引退は、10月3日に・・・・75歳の閑院宮が、陸軍参謀総長の職を辞した時に始まった。・・・(『天皇の陰謀』下 バーガミニ著P134 より)
・アジアで多くの人々が虐殺されたのに、天皇はじめ皇族方は誰も処刑されなかった? ・731部隊での人体実験と細菌戦の最高責任者は誰だ? ・沖縄戦で多くの日本人が犠牲になった。その沖縄をアメリカに渡したのは誰だ? ・恐怖政治により、思想犯は拷問にかけられ、投獄され、死んだ者も多かった。 ・1945年5月25日の東京の空襲では皇居の一部が燃えた。火事を防げなかった消防士は後に射殺体となって発見された!! ・(1942年)3月10日、マッカーサーがコレヒドールから脱出の大逃避行に出発する数時間前、英国外相イーデン卿は下院での演説において、全世界に向かい、日本が香港において忌まわしい残虐行為を広範に行ったことを明らかにした。・・・・3月13日に木戸内大臣は裕仁にイーデンの香港事件暴露の演説のことを報告した。裕仁はこのようなことの再発を防ぐ方策は何もとらなかった。裕仁の叔父達や軍関係の助言者達の立場は日本軍は残虐行為を犯すことによって自己の任務を一層忠実に遂行するようになるし、また敵に降伏してはならない、もし降伏すれば彼らが敵に対してした事を自分達に対してされるのだ、ということを彼らに信じさせるためにも必要であるというものであった。(『天皇の陰謀』下、バーガミニ著P335) 日本軍より虐殺と強姦も多発していた
●殺された人の霊が、歴史を否定する日本政府・日本国民を訴えている!! 「戦争犯罪をごまかそうとしている者がいる」中国外交部長が国連で安倍批判
●バターン死の行進
60マイルの死の行進の途中のアメリカ軍捕虜の護衛の任に当たったのは、第16師団の無感動な歴戦の兵士あった。彼等のほとんど全ては、1月から2月初めにかけての第1回のバターン攻撃の際に傷を受けていた。また、下士官の多くは、1937年の12月から1938年1月にかけての南京虐殺事件の時、朝香宮と中島今朝吾の下で働いた連中であった。(『天皇の陰謀』下、バーガミニ著P339)
●731問題 展示会を企画した日本人医師は「歴史を歪曲したり、隠そうとしてはいけない」と述べ、安倍政権を批判した。 旧日本軍731部隊の蛮行を反省、日本の医師らが企画展を開催=韓国ネット「日本でそんなことが?」「日本が少しずつ変わっている」 <戦中の「医学犯罪」>731部隊など…医師ら独自に企画展 日本政府、「731部隊」「慰安婦連行」などの書類を数日かけ廃棄 1945年、東京の夜空を焦がした公文書焼却の煙 東京で「731部隊」関連映像上映、日本の侵略行為を日本人はどう感じたか?―中国紙
辞典に見る731の記述その2
医学犯罪、今どう考える…?731部隊の“闇”を振り返る
日野原氏は、憲法九条を守り、戦争に反対するという点では明確な意見を発信してきた。「戦争と医の倫理」の問題(731部隊的問題)では、はっきりと731部隊を批判する意見を表明してきたはずだ。ところが、原発の導入、原子力の「平和利用」、広島・長崎の原爆の影響調査や放射線リスク評価等をめぐる「戦後処理と医の倫理」については、むしろ、批判的な意見はほとんどなく、正力松太郎や原子力船を推進する笹川良一らの意見を容認してきたといってよいだろう。 15年戦争における医の倫理ばかりでなく放射線リスク評価における医の倫理が問われる時代 「放射線ムラと『笹川』系人脈」執筆への道
オウムに関わった鈴木俊一と日野原重明と731部隊より ・山西省にあった731部隊の分遣隊の主計部の中尉だった鈴木俊一は東京都知事であり、自民党右派の主要なメンバーだった。鈴木の居た分遣隊は人体実験には関わっていなかったが、彼は731部隊の残酷な秘密を知っていたことを認めている。
・莇(あざみ) :少なくとも日本の医学界の中枢は、731部隊で行われていた医学犯罪の内容を知っていたと思います。当時の京都大学の医学部長も教授も何回もハルピンに行っているんです。そこで何が行われていたか知っていたはずだと思います。昭和14・15年には石井四郎が京大に来て生体実験の内容の一部を映写機で写しているんです。当時京大の助手としてそれを見た日野原重明先生が、2005年12月5日付けの朝日新聞に投稿しています。投稿の内容は、「私が京都大学の医局で学んでいた時、大学の先輩でハルピン特殊部隊の石井四郎中将が現地の様子を納めた写真フィルムをもって母校を訪れました。そこには捕虜たちの生体実験が映っていました。腸チフス・ペスト・コレラなどを感染させてから死亡するまでを収めたものです。見るに耐えられないものであり、今でも鳥肌が立ちます。」
●731部隊展 (参考)黒い太陽731
(参考)中国の劇映画 荒原城堡731第1集
ETV特集「戦場で書く~作家・火野葦平の戦争~」①
なぜ、「医師会」「医学界」は731部隊の反省をしないのか? 731の汚染をそのまま日本医学界は引き継いでいる? もう、生物兵器開発は秘密裏に研究所で当たり前のように行われている?
「731部隊」展示撤去 京大医学部資料館 731部隊の展示は2008年刊の「京都大医学部病理学教室百年史」から引用したパネル2枚。部隊長の石井四郎ら医学部出身者の関わりを、文献を示して解説。731部隊の「発祥の主たる舞台となった京都大学医学部としても検証が必要なのでは」と指摘していた。同資料館の管理担当者によると、完成記念式典の後ほどなく撤去したという。
731部隊では何が行われたのか
知ってるつもり「731部隊と医学者たち」
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
中村明子先生と西里扶甬子対談 1
終戦50年特別企画 731部隊(アメリカとの取引き・戦犯免責の経緯、部隊員の証言等)
●日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか? 医の倫理は、向上すると思う!!
中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!
聞け、この沈黙の慟哭を 平房の涙、地底の叫びを 見よ、この虐げられた大地を 名も知れぬ鳥たちが番人のように私を見下ろしている 記憶は人間の地底を永劫に流れ続ける 【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
戦時中、日本政府は医学界に圧力をかけ、優秀な医学者を731部隊に送り込ませた!! そこでは、細菌兵器開発の為に、生体実験や生体解剖が行なわれ、3000人以上の人を殺した。 731部隊で開発された細菌兵器は、中国各地で実戦に使われ、多くの人を殺した。 日本政府・医学界はこのことを正式に認めていない!! 日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア
以下、ABC企画news代94号より
侵華日軍第731部隊罪証陳列館
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
・『731部隊 細菌戦の医師を追え(今も続く恐怖の人体実験)』(高杉晋吾著 徳間書店)
Ⅵ 米謀略資金とツツガ虫病人体実験
新潟精神病院ツツガ虫病人体実験
体温表は、病原体接種後、1日か2日で抗生物質を与えて熱を下げてしまっていることを示していた。発熱療法は長期間の発熱を要するものであって、これではスピロヘータは死なないのである。真相が暴露されると桂教授はマスコミ(読売新聞 1956年11月29日)に次のような見解を発表した。 「注射の本当の目的はツツガ虫の研究であった。これを精神病の発熱療法に便乗してやろうと思い、患者を選んでやってもらった。皮膚を切り取ったということは、例えば血液をとり腹を切って肝臓の治療をするのと同じように、治療のために安全が保証されれば同じだという解釈だ。医療というものはどこかである程度の犠牲があるわけで、それは生命の保証ということで許してもらえると思う。それがなければ医学の進歩は難しい」
日本鬼子(リーベンクイズ)
映画『『日本鬼子(リーベンクイズ)』のDVD発売中 税込価格 5184円 (カラー160分) 購入をご希望の方は「中帰連発行所」に連絡ください。 申込先メルアド tyuukiren@yahoo.co.jp Fax 03-3954-6142
「日本の一番長い日」は「日本のいちばん醜い日であった」
野中 だいたい安倍さんは「戦後レジームからの脱却」と言うが、それは自分の祖父である岸信介元首相がA級戦犯(容疑者)にされた東京裁判を否定したいということなんだ。 共産党:衆院選で議席増 84歳の元「プリンス」に聞く (毎日新聞 ...
●日本医学界は、731・原爆・水俣・福島の経験を反省して、脱原発の先頭に立つべきだ!!
●日本政府は、被爆国の立場から、脱原発・核兵器廃絶の先頭に立て!!
●日本は、憲法9条を遵守し、非軍事でいくべきだ!!
731部隊展開催のお願い!!
●日本の真相 鬼塚英昭
●天皇の陰謀 はじめに
●『天皇の陰謀』
天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ 著 松崎 元 訳より
著者より読者へ
私は、この旅に、八冊の厚いルーズリーフのホルダーを携えていた。それには、932人の日本の指導的官僚と軍事官吏の個人記録を刻んだカードがつづられていた。そのほかにも、乱雑に記録した2,000ページのノート、雑誌100冊、日本人の日記と回顧録60冊、そして、面会とその印象を録音した240時間分の磁気テープがあった。 本国までの旅の途上、私は10日間をシンガポールで、5週間をオーストラリアで過ごし、こうした多量の資料にさらに資料を付け加えた。シンガポールでは、日本の占領軍が発行した戦時英語紙『Shonan Times』の完璧なファイルを読むことができた。オーストラリアのキャンベラでは、私は、親切にも閲覧を許され、第二次大戦中のオーストラリアの民間諜報記録、日本の戦後占領期にマッカーサー将軍へ助言を与えたはずの極東委員会の書類、そして、1946年から48年まで、日本のA級戦犯を裁いた11ヶ国連合軍東京裁判の裁判長を勤めたクイーンズランドの判事長であるウィリアム・ウエッブ卿のメモと手紙、を読むことができた。終戦時、オーストラリア、ニュージーランドそして中国の高官はすべて、裕仁天皇は日本の君主であり、日本の戦争責任者のリストの先頭におかれるべきであることに同意していたことを、キャンベラの書庫で発見して、私には心をやわらげられるものがあった。彼らは、その後、マッカーサー将軍の決定――天皇を国際法の下の戦争犯罪人とするより日本の復興のために用いる――(私自身、これは賢明な決定と思う)に従った。
まやかし裁判 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか?
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