国家犯罪!731から福島まで!!

2015-04-30 08:52:09 | Weblog
※Internet Explorer よりグーグルクローム(Google Chrome)で見るとスムーズに画面が動きます。

●731部隊
●南京大虐殺
●昭和天皇
●教科書問題
●陸軍登戸研究所
●日航123便の怪
●日本とドイツの違い
●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!!
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展

秘密保護法撤廃!!撤廃!!撤廃!!
“過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる”
日常/ #3ドキュメント2013.12.6 


●憲法9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


●ニュース
村山談話の継承、不明瞭=安倍首相の米議会演説

志位委員長「異常な対米従属の姿勢」と批判

米国が日本保護に核兵器を使用へ、アジア太平洋での核抑止力を維持―ロシアメディア

安倍首相が45分間の米議会演説で語ったこと

「安倍首相、議会演説で謝罪を」=元慰安婦らが集会―韓国

沖縄知事、日米首脳の辺野古確認に「強い憤り」

特別取材:日米は731部隊の細菌戦の罪を密かに覆い隠している―日本人学者、近藤昭二氏を取材

小出裕章先生:権力者はそこまでやるんだな…ひどい…実に理不尽…

小出裕章先生:権力者はそこまでやるんだな…ひどい…実に理不尽…


「日本の一番長い日」「日本のいちばん醜い日であった」

本木雅弘演じる昭和天皇の姿も!役所広司『日本のいちばん長い日』特報公開!

●昨日は、「昭和の日」街宣車がやたらと「君が代」を流し、うるさかった!!
警察は取り締まらない!!(グルになっているのか?)

●安倍さんががんばってアメリカの上下両院の合同議会で過去の秘密を隠し続けるために演説をした?
天皇制護持の為に結んだ密約(731部隊の人体実験、細菌戦を実施した時のデータの公表はしない)の解明がいよいよ難しくなる?
人体実験・細菌戦の資料はますます開示されなくなる。原爆の非人道性も、日本政府は強く訴える事はないだろう。ポーズで核拡散防止を訴える事はあっても。
アメリカの核の傘の下、日米同盟はますます強化され、日本の軍事力は増強され、思想統制が厳しくなる?


●今週の某週刊誌が“「あの戦争」を読む”という記事で著名な歴史家HとSの対談を載せている。

そこには細菌戦のことも書かれていて、「ハバロフスク公判書類」『細菌兵器ノ・・・・』がソ連のプロバガンダとH氏、S氏が共に言っている。
この本は、アメリカが731のデータを全て独占し、その代わりに731部隊員を全員戦犯免責にしたことから、ソ連が独自にハバロススクで日本の細菌戦の裁判を1949年12月にやり、それに基づいて書かれた本だ。
・プロバガンダではなく、ソ連が日本が犯した細菌戦の非人道的な行為を世界に訴え、東京裁判では訴えられなかった天皇裕仁を再び裁判にかけようとしたものだ。
アメリカはこれを、ソ連のシベリア抑留した捕虜の強制労働を隠蔽するためにしたものだとして、でっち上げだとして無視した。

・もう1つH氏は「日本人に見せるためにだけにこの本を造ったのがすごい」と言っているがこれは近藤氏によればロシア語を含めて7ヶ国語に翻訳され、世界に公開されたとのこと。
ハバロフスク裁判 


こうやって、日本やアメリカは731の人体実験・細菌戦の事実の隠蔽に必死だ!!


特別取材:日米は731部隊の細菌戦の罪を密かに覆い隠している―日本人学者、近藤昭二氏を取材
【新華社東京4月27日】日本のNPO法人「731部隊・細菌戦資料センター」の共同代表、近藤昭二氏が近ごろ新華社記者の取材に応じた際、日本は戦後米国に全ての731部隊の研究資料を渡すことを条件に、米国と昭和天皇と細菌戦の責任者の戦争責任を問わないという裏取引を行っており、今日まで日本と米国はまだ関連史料を公開していないと語った。

近藤氏は次のように語った。日本への戦後統治を順調に実現させるため、米国は日本の天皇制を維持させる必要があった。天皇の戦争責任を問わないという点で、日米は利益において合意に達していた。同時に、ソビエト連邦に対抗する必要により、米国は731部隊の研究資料がソビエト連邦の手に渡るのを見たくない。石井四郎(731部隊の創始者)はこの機に乗じて米国に交渉を持ちかけ、この裏取引が最終的に成立させた。日本は全ての731部隊のデータ資料を米国に渡し、また米国は昭和天皇と石井らの責任を問うことはなかった。

「私はかつて極東国際軍事裁判の審判に参与した米国人検察官と自ら話をしたことがあります。その検察官の話によると、東京に到着する前に、彼の上司であるキーナム(音訳)氏が天皇の戦争責任は問えないと伝えていたと言っていました。米国は最初から天皇制の維持を決めていたんです」と近藤氏は語った。

近藤氏は、細菌や毒ガスなどの生物・化学兵器は経済的且つ実利的で、銃砲と比べ殺傷能力や致死率が高く、自然資源の乏しい日本にとってはたいへん魅力があった。当時、国際社会では細菌兵器や毒ガスの使用禁止が取り決められていたが、日本は厳守しなかったと指摘している。

近藤氏は「生物・化学兵器の研究は非常に危険で、その濫用を阻止できるのはつまり倫理です。倫理の厳格な制限がない場合、戦時に731部隊が行った細菌戦が繰り返されないとはとても保証しかねます」、「私たちは必ず厳格な審査機関を設立することで関連の研究が生命理論に合っているかを監督しなければなりません。そして過去の歴史に対して厳格な検証を行うことが、ちょうど倫理体制を構築させる重要な材料となるのです。」と語っている。

731部隊の罪を暴き続ける、ペスト被害の生存者たち





731部隊めぐる日本と米国の密約、ジャーナリストの近藤昭二氏語る

「731部隊はどこまで明らかになったか、この部分はまだ謎」
4月26日近藤昭二講演 001 

4月26日近藤昭二講演 002 

4月26日近藤昭二講演 003 

4月26日近藤昭二講演 004 

4月26日近藤昭二講演 005 


●映像でみる731部隊とは
(参考)黒い太陽731 


終戦50年特別企画
731部隊(アメリカとの取引き・戦犯免責の経緯、部隊員の証言等)


知ってるつもり「731部隊と医学者たち」


731細菌部隊と帝銀事件との真相1


●731に関係する簡単な映像作品を作ってみませんか?





・戦争を主導した大元帥、昭和天皇を始め、陸軍参謀総長、閑院宮、海軍軍令部総長、伏見宮、南京大虐殺に関わった上海派遣軍司令官、朝霞宮、影で動いた三笠宮、731部隊と関係のあった竹田宮等々、天皇、皇族は誰一人東京裁判で裁かれなかった!!
金と地位がそうさせたのか?

裕仁の朝廷は1940年10月、戦争が敗北に終った場合に天皇制を守ることを目的とした後方計画を開始した。
第1段階は皇族を責任ある地位から退ける事であった。
第2段階は彼らが戦争準備の過程で何の役割も演じなかったかのように見せかける表向きの筋書きをつくることであった。
菊の垂幕の背後への引退は、10月3日に・・・・75歳の閑院宮が、陸軍参謀総長の職を辞した時に始まった。・・・(『天皇の陰謀』下 バーガミニ著P134 より)

・アジアで多くの人々が虐殺されたのに、天皇はじめ皇族方は誰も処刑されなかった?
・731部隊での人体実験と細菌戦の最高責任者は誰だ?
・沖縄戦で多くの日本人が犠牲になった。その沖縄をアメリカに渡したのは誰だ?
・恐怖政治により、思想犯は拷問にかけられ、投獄され、死んだ者も多かった。
・1945年5月25日の東京の空襲では皇居の一部が燃えた。火事を防げなかった消防士は後に射殺体となって発見された!!
・(1942年)3月10日、マッカーサーがコレヒドールから脱出の大逃避行に出発する数時間前、英国外相イーデン卿は下院での演説において、全世界に向かい、日本が香港において忌まわしい残虐行為を広範に行ったことを明らかにした。・・・・3月13日に木戸内大臣は裕仁にイーデンの香港事件暴露の演説のことを報告した。裕仁はこのようなことの再発を防ぐ方策は何もとらなかった。裕仁の叔父達や軍関係の助言者達の立場は日本軍は残虐行為を犯すことによって自己の任務を一層忠実に遂行するようになるし、また敵に降伏してはならない、もし降伏すれば彼らが敵に対してした事を自分達に対してされるのだ、ということを彼らに信じさせるためにも必要であるというものであった。(『天皇の陰謀』下、バーガミニ著P335)
日本軍より虐殺と強姦も多発していた



●摂政時代の裕仁(ひろひと)

この写真は大正天皇崩御の一週間前、1926年12月18日に宮内省(昔はでかかった。庁ではなく省)から発表されたもの。
大正天皇が病気だった5年の間日本を統治していたので、裕仁は日本の為に自分がどうすべきか、それをどう実行に移すべきかを既に天皇になる前に知っていた。
夢は、八紘一宇の世界?大日本帝国か?ご趣味は生物学。国民は臣民、民草。天皇の股肱。
体制を批判すると治安維持法で検挙され、拷問にかけられ、殺された。

三木清

・・・1930年代末から1940年代にかけては、抜群の語学力を生かして、ヨーロッパの最先端の知的成果を取り入れながら、マルクス主義をより大きな理論的枠組みのなかで理解しなおす「構想力の論理」を企てていたが、未完で終わる。さらに最後には親鸞の思想にふたたび惹かれている。
1945年、治安維持法違反の被疑者高倉テルを仮釈放中にかくまったことを理由にして検事拘留処分を受け、東京拘置所に送られ、その後に豊多摩刑務所に移された。この刑務所は衛生状態が劣悪であったために、三木はそこで疥癬をやみ、また腎臓病の悪化とともに、体調を崩し、終戦後の9月26日に独房の寝台から転がり落ちて死亡していることが発見された。48歳没。・・・敗戦からすでに一ヶ月余をへていながら、政治犯が獄中で過酷な抑圧を受け続けている実態が判明し、占領軍当局を驚かせた。旧体制の破綻について、当時の日本の支配者層がいかに自覚が希薄であったのかについての実例である。この件を契機として治安維持法の急遽撤廃が決められた。



●敗戦前から敗戦後の流れを想像してみると?
アメリカは、戦争中から日本人が天皇を神とあがめている事を知っていた。それを利用して占領統治円滑に進めようとした。日本とアメリカは敗戦前から、交渉を極秘にしていて、日本政府も空襲の事、原爆投下の情報をあらかじめ入手していた。そして広島に原爆が投下されるときに、畑俊六(当時第2総軍司令官)に第2総軍を広島に集めさせ、敗戦後に日本で天皇制打倒の反乱が起きないように壊滅させた。
・広島に原爆が投下されると、アメリカに心象をよくしようと日本医学者が現地に入り、原爆の被害状況を調べて181冊の報告書を作成し英文にしてアメリカに敗戦後渡した。(治療はほとんどしない)

8月14日から15日には宮城で某宮様が中心となって偽装クーデターを起こさせ、天皇の力を見せ付ける場面を作り第1総軍もおさえた。そして阿南(あなみ)陸相を自決させ、降伏の段取りをした。

マッカーサーの主張などによりアメリカは、秘かに天皇制護持を容認していた。
アメリカも日本に配慮し、マッカーサーの日本上陸を余裕を持たせた。それまでに日本政府は、天皇の戦争責任に関わる極秘文書を焼却した。
・1945年8月30日にマッカーサーが厚木飛行場に降り立った時、「ジェネラル石井はどこにいるか?」と言って、部下にその行方を探させた。
・アメリカ占領軍の上層部は、石井四郎を早くから探し出し懇意にしていた。1945年11月20日行方不明のはずの石井四郎と若松町の石井の家で6名の米軍将校と会食をしている。
・占領軍上層部は中国の情報や日本人捕虜によって人体実験・細菌戦の情報の大まかな部分はつかんでいたが詳しい情報は得ていなかった。
・占領軍上層部は、天皇を利用した占領統治を優先するため、天皇の戦争責任が問われる問題は、東京裁判では取り上げなかった。
・731部隊の事は、細菌兵器開発に後れを取っていたアメリカが、極秘に調査団を送って調査させた。
・731を調べる調査団が来日したが、サンダース、トンプソンの時は、731部隊員は人体実験の事を極秘命令なので口を割らなかった。
・1947年1月、ソ連が柄沢の供述から、人体実験の情報を得たので、石井の訊問を要求した。アメリカは、事前に石井から人体実験の情報を聞き出し、ソ連には、アメリカと組み、うまく芝居を打って情報を与えなかった。
・1947年6月にアメリカは、731部隊の人体実験に関するフェルレポート、12月にヒルレポートを作成した。
・GHQ法務部のニール・スミスが、「捕虜に対する人体実験及び解剖」という明確な罪状によって、平房の石井部隊、新京の第100部隊や東京の陸軍軍医学校の医師や関係者などを根こそぎBC級戦犯として法廷に持ち込もうとしたが、参謀2部のウィロビーが法務部の調査を中止させた。
・1948年1月26日「帝銀事件」が起き、捜査が731部隊に及びそうになると、またもやGHQは731部隊の関係者の捜査を中止させた。
・占領時アメリカは、郵便や報道を厳しく検閲し、日本国内で原爆の事や731部隊の情報が出ると厳しく取り締まった。1950年代に入り「ハバロフスク裁判資料」が出たが、ソ連のシベリア抑留などの戦争犯罪を隠すものだとしてまともに取り上げなかった。
・戦後731部隊員がアメリカに渡り、A(炭疸菌感染)レポート、G(鼻疽菌感染)レポート、Q(ペスト菌感染)を書き上げ、アメリカの生物兵器開発に協力した。 
・戦後、アメリカ政府・日本政府は731の情報【奉天の捕虜収容所の聞き取り文書やフェルレポートの各論、衛生学校記事(一部開示)、その他】を行方不明として隠している!!



あの戦争が、侵略戦争であり、多くのアジアの人々の命を奪った事は、紛れもない事実であり、大変な犯罪行為であった。とりわけ、中国では、毒ガス戦・細菌戦を頻繁に行い、残忍な殺戮も多かった。




【5/9】第15回 水俣病記念講演会
1956年5月1日に発生が報告されて以来半世紀、水俣病は日本が強引に近代化を進める中で惹き起こされたために、またあまりに悲惨であったために、現在もなおこの社会を鋭く問うています。・・・

「いま、人として」

2015年5月9日[土]午後1時―4時30分(12時30分開場)有楽町マリオン朝日ホール

・チッソと雅子
雅子の母方の祖父江頭豊は60年代取締役、70年代会長、相談役の要職にあり、水俣病の原因が工場にあると知りつつの操業をとめようとしなかった。
・チッソと昭和天皇
チッソは、戦前朝鮮で電力事業を手がけ、大もうけした。
1931年と1949年に昭和天皇はチッソ水俣工場に行幸した。
・1942年確認できる最初の水俣病患者が発病
・田宮猛雄とチッソ
北野政次731部隊2代目隊長(東大卒)が戦後東大伝研に現れたとき、それを庇護したのは田宮猛雄伝研所長であった。田宮は日本医学会の大ボスで、多くの伝研所員を「徴兵逃れ」を餌に731部隊や同仁会に送り込んでいた人物。
昭和20年9月2日、東大助教授A(伝研2部)は1644部隊(南京栄部隊)で行った人体実験を苦にして自分の研究室でガス自殺をしている。(以上「731部隊細菌戦の医師を追え、高杉晋吾著より)
「医学界主流にあった東京大学医学部を中心として作られた田宮委員会は、水俣病つぶしの有力な手段であり、日本化学工業協会とチッソから研究費をもらっていたが、表に出ないもくろみは、米国の公衆衛生院(NIH)から熊大へ支給された三万ドルの研究費をねらったらしいことが、複数の関係者の証言で裏づけられる。」医学は水俣病で何をしたか 宇井純より

日本人を大量虐殺した天皇家の皇太子妃・雅子の一族

水俣病Q&A 

水俣病 


●国策と犠牲



特別講演
「医師の歴史的・社会的責任ー731部隊ーABCC・RFEF・予研(感染研)・IAEA・UNSCEAR・日本財団ー重松逸造ー山下俊一・長瀧重信という人脈を解くー」
松井英介
4月7日NPO731細菌センター総会 005 




長崎新聞3月9日







●日本医学会総会

日本医学会総会、京都で開幕 山中教授講演、震災も議論


日本で医学シンポジウムを開催、731部隊などの医学犯罪問題について討論す

日本医学会総会では、なぜ731部隊のことが話し合われないのですか?

まだ、戦中の思想から脱却できない?(密約の影響?上からの命令、731の事は口にするな!!)
科学動員・・・日本に近代科学が定着するのは明治期であるが、それは富国強兵策の一環としてであった。つまり科学・科学者ははじめから国家に奉仕する科学あるいは科学者であった。すなわち富国強兵のための手段の1つであったのだから。『消えた細菌戦部隊』常石敬一著より


ドイツ精神医学精神療法神経学会は戦時中の残虐行為について謝罪表明しているのに!!

戦争であれば、「お国のため」ということで残虐行為は許される?

天皇陛下が、慰霊の旅を続けられている。
天皇、皇后両陛下 70年前の戦跡残るパラオへ「慰霊の旅」

陛下は、731部隊跡地や南京には行かれないのですか?

ノーベル医学賞を受賞された山中教授や神の手を持つ天野教授などは、731をどの様に思っているのでしょうか?

安倍首相はなぜこういうパフォーマンスを故意にするのですか?

お祖父さんの岸信介は満洲に731部隊の施設が完成する頃にいましたが、岸は731についてよく知っていたのではないですか?
1936年(昭和11年)10月に満州国国務院実業部総務司長に就任して渡満。1937年(昭和12年)7月には産業部次長、1939年(昭和14年)3月には総務庁次長に就任。この間に計画経済・統制経済を大胆に取り入れた満州「産業開発5ヶ年計画」を実施。
コメント
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国家犯罪!731から福島まで!!

2015-04-30 08:51:09 | Weblog
「医は仁なり」ではなく
まさしく、「医は意なり」!!
日本医学会の総会は皇太子を迎え、無事に終ったかどうかは知りませんが、このポスターを「医は意なり」とはどういうことか考えてしまう。
その1
731部隊めぐる日本と米国の密約、ジャーナリストの近藤昭二氏語る

その2
院長「調査報告書に誤認」 - 生体肝移植4人死亡

その3
憲法では、戦力は保持しない事になっているが、それはまったく無視され、国防費は年々増額され、国民にはその使い道が不透明!!
研究者の成果はいったい何に使われる?テロ対策で研究費が増額されたが、反対にそれが生物化学兵器の開発に使われていないか?
731部隊の戦後、化学戦 




その4
皇太子さま、「世界水フォーラム」にビデオメッセージ
私は、水の件では、関東軍防疫給水部(731)を連想してしまう。
石井が、天皇の前で濾過したおしっこを飲んだ?石井式濾水機。
石井四郎と天皇の接触「死の工場」シェルダン・H・ハリス著p84(柏書房)より


その5
日本医学会総会と聞くと、この写真を思い出してしまう。戦後の医学界は731の事は、上層部の圧力で反省できないでいる!!
1942年、東大の安田講堂の前で撮られた記念写真、国家総動員法はすでに1938(昭和13)年には発令され、帝大の先生方は嫌がる弟子達を「お前を破門するぞ!」などと脅しながら731部隊へ送った。この写真には、石井(初代、第3代731部隊長)、北野(第2代731部隊長)、増田知貞(1644部隊、部隊長代理)など731部隊の日本医学会に於ける力を見せつけている!!東大・京大・慶大等の先生方は、治安維持法におびえ、国家に協力せざるを得ない状況に追い込まれていた!!もちろん、積極的に陸軍軍医学校防疫研究室(新宿)の嘱託となり、731に指示を出していた先生?方もいた!!皇国日本の為に?

医学者も「八紘一宇」のための戦争に駆り出された!!
「医の倫理の問う」p60秋元寿恵夫著より(勁草書房)

「医学者たちの組織犯罪」p222常石敬一著より(朝日新聞社)

細菌戦部隊と自決した2人の医学者(常石敬一、朝野富三著)より(新潮社)



中国侵略旧日本軍第七三一部隊遺跡中心エリアでの考古整理作業が完了
復元されつつあるロ号棟(捕えられた中国人・ロシア人などがここに入れられ、様々な生体実験、生体解剖がなされ、細菌兵器の開発を進めたところ)
ハルピンの731部隊跡(現在)



●ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(上)より

第3部 陛下の戦争(1931年~1945年)
第9章 聖戦

1938年 御前会議

同じ事は統帥部長が大陸命、大海令に基づいて出す更に重要な命令や指令についてもいえる。まず陸海軍の作戦課で作られた草案は、部課長クラスにより修正され、次長から総長へと指揮系統に沿って上げられてゆき、発令される前に天皇の裁可を仰ぐため最終的には天皇に上奏される。このように、日本の戦争体制全体の活力となったばかりか、侵略戦争を遂行するための政策、戦略、命令を注意深く吟味して裁可した自由に行動できる個人として、天皇の責任はきわめて大きい。
p285より


●天皇と731の関係は?
・天皇は生物兵器に関心があった。(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著(p229)

1925年9月赤坂御所に生物学研究所設置「昭和天皇」p61ハーバード・ピックス著(講談社)

1925年、ジュネーブ協定締結・・・毒ガスの禁止だけでなく、ポーランド代表の提案を入れ、細菌兵器の使用禁止もうたっている。・・日本とアメリカは批准しなかった。石井四郎、遠藤三郎に細菌戦の重要性を主張!!「医学者たちの組織犯罪」p60 常石敬一著より(朝日新聞社)

天皇の神格化1928(昭和3)年即位の礼(天皇:大元帥27歳)(約1年間かけて行われ、最後は大嘗祭)裕仁は現人神(あらひとがみ)になる。
27歳の若さで現人神?頭の中では大日本帝国の夢が膨らんでいたのであろうか?

大日本国憲法では
第三條
天皇ハ聖ニシテ侵スヘカラス
第四條
天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ
第十一條
天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
となっている。天皇が神で神聖であり、元首であり、陸海軍に責任を持つことになっている。

ところが戦後補償裁判では「国家無答責」の法理によって、国・天皇の責任が一切追及されない。
何で、戦後も旧憲法が生きているのか?
(参考)国家無答責の法理(こっかむとうせきのほうり)とは、国家無答責の原理ともいわれ、大日本帝国憲法のもとでは官吏は天皇に対してのみ責任を負い、公権力の行使に当たる行為によって市民に損害を加えても国家は損害賠償責任を負わないとする法理をいう。

1925年・・・治安維持法制定(国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的として制定された日本の法律。)
昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼


・1928(昭和3)年、昭和天皇の即位式・・・ほぼ1年かけて現人神・大元帥になった。(27歳)
日本軍が将来犯すことになる戦時虐殺の土台もこの時期に築かれた。1928年、田中内閣は化学・生物兵器禁止国際議定書〔1925年調印の「窒素生ガス、毒性ガス又はこれらに類するガス及び細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」のこと。日本の批准は1970年〕の批准を見送った。翌年には枢密院が軍の要求に応えて、ジュネーブ捕虜条約の批准を保留した。枢密顧問官は、天皇の兵士は捕虜になる事を許されない以上、捕虜の処遇に関する条項は寛大すぎてとても実行できないと言う。・・「昭和天皇」p170ハーバード・ピックス著(講談社)
・1929(昭和4)年、昭和天皇、陸軍軍医学校視察、どのような目的があったのか?(軍医学校の中に1932年に防疫研究室が設置され、33年に規模を拡大。多くの京大や東大の教授達が嘱託として働き、731部隊などにいろいろな指令を出した。)「陸軍軍医学校50年史」より
軍刀には不思議な力がある?



・小泉元中将と助教授を結び付ける唯一の“接点”も細菌戦部隊だった。小泉は陸軍省医務局長時代、細菌戦準備を提唱した石井四郎元中将の最もよき理解者の1人であったし、後援者でもあった。小泉元中将の支援なくして日本の細菌戦部隊はありえなかったと言ってもよい。
その細菌戦部隊とかかわり、そこで人体実験を強いられたのが、自殺した助教授である。彼は医学者としては、手を染めてはならない人体実験を繰り返し、その良心の呵責から死を選んだのである。
小泉元中将を、日本の細菌戦を推進し、大きな流れを作った人物と位置づければ、助教授はその流れに巻き込まれ、のみ込まれた1人といえよう。・・・
(『細菌戦部隊と自決した2人の医学者』常石敬一・朝野富三著より)
小泉親彦・・・1932年(昭和7年)、近衛師団軍医部長に就任。1933年、陸軍軍医学校校長。1934年(昭和9年)、陸軍軍医総監(陸軍中将相当官)となり陸軍省医務局長に就任。1937年(昭和12年)、官名が陸軍軍医総監から陸軍軍医中将に改められた。階級としては、軍医中将は軍医として最高位である。1940年(昭和15年)、勲一等旭日大綬章受章。1941年(昭和16年)、第3次近衛内閣で厚生大臣に就任、次の東條英機内閣でも留任した。
1945年(昭和20年)、連合国軍の取り調べを拒否し、割腹自殺を遂げた。
軍医時代の小泉の大きな仕事
1、厚生省設置の推進  2、日本における毒ガス戦の基礎を築く  3、防疫研究室新設に協力し、この近衛師団軍医部長を兼務していた時、近衛師団の土地約5000坪の土地を「譲与」した。(1933年10月、新たな防疫研究室完成)
・厚生省とは国民の健康を増進するために作られたのではなく、強い兵隊を作るために作られたのか?
・毒ガスの人体実験は平房の731部隊の施設で516部隊と合同で行った。
・陸軍軍医学校と防疫研究室は、地下道でつながり、その地下道には、コンクリート製の水槽があって、ホルマリンの中に死体が、15、6体浮かんでいた。(『証言731石井部隊』郡司陽子著)(731部隊で、生体解剖したものを飛行機で研究室まで運んだのか?)
小泉親彦(こいずみちかひこ)

1933年防疫研究室完成(731部隊の司令塔)、1936年(陸軍軍医学校50周年)遂に防疫機関(731部隊)の新設をみるに至れり。
ここで、防疫研究室新設の理由として、欧米各国と比べ「我が国に之が対応施設なく」と述べられている。しかしすでに軍医学校にはこの研究室より規模も大きく、名称も似かよっている「防疫部」が設けられていたのである。対応施設云々こそ、細菌戦研究の研究室である事を、暗に認めたものであろう。この表現でも、一般に公開することを予定した文書においては、ぎりぎりの線であろう。(『消えた細菌戦部隊』常石敬一著より)
『陸軍軍医学校50年史』P184 

防疫研究室『陸軍軍医学校50年史』より

731部隊全景(『続・悪魔の飽食』森村誠一著)

・4宮殿下、陸軍軍医学校50周年式典にご臨席・・・731部隊(細菌戦)・毒ガス戦にかける思いも強かったのでは?
閑院宮(かんいんのみや)・・・1931年~40年陸軍参謀総長
梨本宮・・・元帥、敗戦後、神宮祭主であったことから国家神道の主体的な頭目であったとみなされ、皇族としてただ1人A級戦犯容疑者に指定されて、巣鴨プリズンに拘置された。
朝香宮・・・1937年(昭和12年)12月2日、上海派遣軍司令官を拝命し、直後の南京攻略戦に参加。南京大虐殺に関与。
東久邇宮(ひがしくにのみや)・・・太平洋戦争時は防衛総司令官・陸軍大将に就く

・4宮殿下陸軍軍医学校の50周年の式典に臨まれる。


久邇宮(香淳皇后の父親)・・・生物学戦争についての情報を提供し続けた?

・永田鉄山・・・石井の特に細菌戦研究についての主張は、陸軍省や参謀本部において次第に支持を集めて行った。彼の意見を支持した人間のうち最も有力な人物が、1931年当時陸軍省軍務局軍事課長(陸軍中佐)で、1934年には実質的に最も力を持っていた局長である軍務局長(陸軍少将)に就任する永田鉄山だった。ちなみに、後に石井部隊が創設されてから、部隊長の石井の部屋には永田鉄山の胸像が飾られていたという。国家総動員を唱えていた。(『消えた細菌戦部隊』常石敬一著)

・1937年(昭和12年)・・国民精神総動員【第一次近衛内閣が1937年(昭和12年)年9月から行った政策・活動の一つで、「国家のために自己を犠牲にして尽くす国民の精神(滅私奉公)を推進した」運動。】「国体の本義」(神勅や万世一系が冒頭で強調されており、国体明徴運動の理論的な意味づけとなった。)
・1938年(昭和13年)・・国家総動員法発令【総力戦遂行のため国家のすべての人的・物的資源を政府が統制運用できる(総動員)旨を規定したもの。】
・1941年(昭和16年)・・「臣民の道」7月の第3次近衛内閣時に文部省教学局より刊行された著作である。欧米の個人主義思想を否定し、ただ国体の尊厳を観念として心得るだけでなく、国家奉仕を第一とする「臣民の道」を日常生活の中で実践する在り方を説いている。
戦陣訓発表 (生きて虜囚りょしゅうの辱はずかしめを受けず、死して罪禍ざいかの汚名おめいを残すこと勿なかれ。)


1940年(昭和15年)皇紀2600年?に東京オリンピックを開催する予定だった。

道徳の強化、「日の丸」・「君が代」の強制、秘密保護法で隠す動き、軍事力強化、集団的自衛権を行使可能にする流れは
何か昔の動きと似ていませんか?

オリンピックよりも、脱原発、福島・東日本の復興にお金をかけたらいかがですか!!






●『天皇の陰謀』

天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた

ディビット・バーガミニ 著
松崎  元 訳より

著者より読者へ

私はまた、いっそうの注意を払い、1952年の占領の終了以後、日本の報道機関が表した、およそ30万ページの、伝記、再現報道、そして省かれていた文書の復元物などを調べた。そうして私は、ことに、多くのインタビューを基にした再現報道の中から、一語一語に注意して読むに値する数千ページの資料を発見した。私は、高い当局筋に関する資料(#)は二次資料として最重要なものであり、それはなまじの一次資料より、はるかに正直に事を語っていると思う。また、戦争を生き延び、いまだ生存している、有力な老人たちから口述で得られる情報も、価値あるものである。

(#) ことに、退役した特高警察少将、おおたに けんじろう〔漢字名不詳〕による2巻の回想録、皇后の兄〔弟〕の私的出版による小冊子、退役した陸軍諜報部の、たなか たかよし〔漢字名不詳〕中将による未発表の5,000ページの大作、そして、むろふし てつろう、たかはし まさえ、ふじしま たいすけ、しまだ としひこ、秦郁彦、おやけ そういち、あがわ ひろし、くろだ ひさた〔各漢字名不詳〕、による文献である。

私は、こうしたすべての資料を、慎重にではるが、徹底的に使用した。それらを扱うにあたっては、時間的前後関係と因果関係に高い信憑性をおいた。私は、古い新聞記事であるとか、日本人が着いていた地位であるとか、個人記録にある記述(ж)とかといった、日本人のとった行動の論争の余地のない記録をことのほか重視した。私が著したニュアンスや説明は、ほとんどそのすべてが口述によって表されたものである。情報提供者の何人かは、匿名を条件としたが、それを求めなかった人もいた。幾人かは、私が彼らに会見したことを、まったく秘密にするよう望んだ。現代の日本でも、あまりに自由に語ると危険をもたらすことがあるため、私は彼らとのそういう約束を守った。

(ж) そのほとんどは、自衛隊の非制服職員である秦郁彦の好意によって提供されたものである。秦氏は『日中戦争史』や『軍ファシズム運動史』の著者である。









●日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!

中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!

夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より




混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



・『731部隊 細菌戦の医師を追え(今も続く恐怖の人体実験)』(高杉晋吾著 徳間書店)

Ⅵ 米謀略資金とツツガ虫病人体実験

米軍援助資金の契約の窓口・元石井部隊研究者


浅沼はマスコミの取材に対してこう答えていた。
「もし米陸軍406部隊との共同研究なら先方の意志がかなり入って来るはずだが、我々の研究グループは学者の自主性に基づいて独自のプログラムを組んで研究を進めており、軍事利用は考えられない」
北岡正見も次のように答えている。
「ヒモ付き研究にありがちな密室性は全く無く、むしろ援助資金のおかげで日本中の詳しいツツガ虫病の発生地図を作ることができ日本の研究水準が上がられた」
私は、①自主性を持ったグループで、②独自のプログラムを組み、③秘密性は無く、④ツツガ虫病発生地図を作るなど日本の研究水準が上げられた、という浅沼や北岡らの見解を全部否定するつもりはない。しかし「軍事利用は考えられない」というのは随分とぼけた見解だと思った。
軍隊が出す資金による研究に「軍事利用は考えられない」という見解はまず一般的には成り立つものではない。軍隊が出す研究資金は「軍事利用が前提だ」と考えるのがこの世の常識である。アメリカ軍は慈善鍋を並べてラッパを吹くおもちゃの軍隊ではないのだ。
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