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●731部隊(1) ●731部隊(2) ●731部隊(3) ●731部隊(4) ●陸軍軍医学校50周年記念行事について ●南京大虐殺 ●昭和天皇 ●教科書問題 ●陸軍登戸研究所 ●日航123便の怪 ●日本とドイツの違い ●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!! ●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか? ●731部隊展 ●731問題 731部隊の設置許可、人体実験、毒ガス戦・細菌戦実施の許可した昭和天皇とそれに協力した日本医学界の責任、戦後、その人体実験、毒ガス戦・細菌戦を全く裁判にかけなかったマッカーサーとアメリカ政府の責任、1990年代から2000年代にかけて行われた裁判において、事実を認めながら、それを放置している司法・政治の責任、国民の認識は? 戦後70周年、中国の人々から日本の我々に届いた重いメッセージ! 虐殺された人々(日本人を含む)の声なき声にどう応えるか? 日本人はこの731問題にどう向き合うか?重い課題!! 731(3) ●横浜「戦争と加害」のパネル展 毒ガス(「戦争と加害」のパネル展in横浜 参観者の感想 ・この展示を安倍に見に来いと言いたいです。苦労を重ねて生き残った元慰安婦の方々に対して日本政府はあまりにも冷たい。50代女性 「戦争の加害」テーマに 13日まで横浜でパネル展 ●戦争が起きたら、必ず原発が狙われ、地球は汚染される!!脱原発!! 戦争の足音が聞こえる!! 米専門家 日本でプルトニウム増え続ける現状に懸念 東電から東京ガスへ電気契約客が雪崩的大移動…ガスとセットで割安、客の東電離れ加速 三権分立などしていない日本の現状!! 3.1ビキニ記念のつどい2016が開催される~核兵器の被害者を防ぐために何ができるのか 発送電作業に入った瞬間に警報 高浜4号今後の工程見通せず セシウムの最大値、2種で震災前超え 浜岡原発周辺 「ABC企画NEWS第100号」より ―写真で学ぶ『高知と戦争』展― 関心を集めた「731部隊と高知」 平和資料館・草の家 副館長:岡村啓佐 ・731部隊は「フクシマ」につながっていた 731部隊幹部の戦後は、戦犯免責の理由に人体実験の資料を米国に引き渡すこと、広島・長崎への原爆投下直後の米政府が創設したABCCに元軍医達の参加でした。このABCCの日本側代表が重松逸造(海軍軍医)で、福見秀雄(731部隊軍医・長崎大学学長)と深い関係のある人物です。 米国の指示で設立した国立予防衛生研究所(予研)も初代所長に731部隊関係者が就きABCCの調査に参加し「原爆被害は軍事機密」の下で内部被爆を隠蔽します。 1975年、ABCCとその予研が再編し放射能影響研究所(RERF)を設立。第3代理事長に重松逸造が就き、1990年にIAEAは、重松逸造を委員長に、長瀧重信らをチェルノブイリに調査団として派遣。子どもたちの健康被害を無視し、「甲状腺結節は子どもにはほとんどみられなかった」と発表し原発事故を過小評価する役割を担います。 そして今、長瀧重信(重松の弟子)が、福島原発事故直後から「放出放射能は微量」「健康に直ちに影響は無い」と発言。山下俊一(長瀧の弟子)は「このくらいの放射能なら安全」「福島事故で健康被害を受けたものは1人もいない」と発言。福島県立医大で学生を前に「研究のチャンス」だと講演。こうして「悪魔」のDNAは、米国の庇護の下で亡霊のように生き続け「フクシマ」につながっていたのです。 福島は5年目を迎えます。新たな「安全神話」で再稼動のへの前のめり、事故を「忘却の彼方」に追いやろうとする巨大な力に抗うべく『フクシマの今』を加えました。 憲法が危機を迎えています。憲法が求める立憲主義と民主主義、平和と人権を守る国づくりとは何か、私たち主権者ひとりひとりが、歴史をいかに学び、未来を紡いでいくかが問われる重要な年を迎えているいえます。 ※驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着くより === 重松逸造 ==== 重松逸造は御用医学者を語る上で極めて重要な人物、キー・パーソンである。 彼は終戦当時、ラバウルで海軍軍医をしており、731部隊で研究していたわけではないようだ。 しかし彼の恩師や同僚は731関係者が非常に多い。とくに長崎大教授たちとは深い交流があった。 福見秀雄とは共著で論文を書いているし、林一郎とも知己であった。 斎藤幸一郎とは金沢大で働いている。 その金沢大(旧金沢医大)も、戸田正三、石川太刀雄丸、二木秀雄などが在籍し、長崎大と並ぶ 731出身者の巣窟であった。 重松は彼らから731部隊の悪魔的な思想・精神をしっかりと受け継いだと考えてよい。 大飯高浜原発の差し止め却下 福島原発事故 東電がメルトダウン判断遅れを謝罪 制服組自衛官が権限大幅移譲要求 防衛省、背広組は拒否 国産初のステルス戦闘機開発に向け、試作機の滑走試験 武器輸出にも投融資 国際協力銀、豪潜水艦など検討か ・日本医学界は、なぜ731のことに謝罪しない?なぜ脱原発の声明を出さないのだ!! ・国策:原発推進反対!! 小出裕章先生:多くの国民にこんなことが起きてるということに気づいてほしい 小出裕章先生:多くの国民にこんなことが起きてるということに気づいてほしい 小出裕章先生:一刻も早く原子力の夢からさめて… ●彼らは本気だ。安倍晋三首相は、夏の参院選で改憲勢力による「3分の2」の議席を目指すという。どうしたらいい? 彼らと真逆の憲法は作れないか? ・憲法9条を守る!!・外交を強化する・自衛隊は災害救助隊に・象徴天皇制を廃止して、大統領制にする ・脱原発 ・靖国神社を廃止して、戦争懺悔慰霊碑の建立 ・日米安保条約見直し・国連改革 ・憲法9条(侵略戦争の反省から憲法9条が生まれた!) 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 でも、どうやったら そんな世界がやってくるのかな? 一つひとつ考えてみよう。 But、how can such a world be made? Let’s think about it. Но, как может такой мир будет сделано? Давайте думать об этом. 但是,怎么能这样的世界作出? 让我们想想吧。 IMAGINE9 (『イマジン9 想像してごらん、戦争のない世界を。』(文:星川淳・川崎哲、絵:成瀬政博 2007年12月1日発行、合同出版) 解説 9条をつかって、 戦争のない世界をつくる。 「戦争をしない、 軍隊をもたない」 という日本国憲法9条がどうしてできたのか知つていますか。それは、日本が行った戦争への反省から生まれたのです。 日本はかつて、朝鮮半島や台湾を植民地として支配し、中国や東南アジアの国々を侵略しました。日本はアジア太平洋地域で2000万人の命を奪いました。 日本国内では広島と長崎に原子爆弾が落とされ、沖縄では大規模な地上戦が行われ、東京など大都市は空襲を受けました。日本で300万人が戦争で亡くなったのです。 第2次世界大戦は、1945年に日本の「敗戦」で終わりました。その直後に、日本の平和憲法は生まれました。日本、アジアそして世界の人びとに対する「2度と戦争をしません」という誓いとして憲法9条は誕生したのです。 同時にこの憲法は、民主主義の憲法でもありました。それは国民の権利を定め、また「世界中の人びとが平和のうちに生きる権利をもつ」とうたいました。 中米の国・コスタリカも平和憲法をもつています。コスタリカは1949年、軍隊を廃止しました。軍隊の廃上によって、国は教育や医療などにお金を使うことができるようになりました。また、軍隊がないコスタリカに攻め入ろうと考える国はありません。 ところが2003年に、アメリカがイラクに対する戦争を始めると、コスタリカ政府はこれを「支持する」と表明しました。これに怒った大学生ロベルト・サモラさんは、裁判所に政府を訴えました。「イラクヘの戦争を支持するなんて、平和憲法への違反だ !」 裁判所はロベルトさんの訴えを認めました。そしてコスタリカ政府は、イラク戦争への支持を取り下げました。ロベルトさんは日本に来て言いました。 「憲法は単に守ればよいものではありません。平和憲法は人びとのもの。人びとが使うためにあるのです」 ほかにも世界の多くの国が平和憲法をもっています。イタリアや韓国の憲法は侵略戦争をしないと定めています。フィリピンは核兵器をもたないという憲法をもっています。スイス、オーストリア、アイルランドなどの国々は、憲法で、軍事対立のどちら側にも味方しないという中立をうたってぃます。 こうした平和憲法を私たちが活用し、世界にゆきわたらせていけば、戦争を起こさない世界をつくることができます。「イマジン9」は、そのような世界のつくり方を、9通りにわたって、みなさんと考えたいと思います。 防衛相 豪外相に潜水艦開発でアピール ぐんじ と ひんこん アベちゃんのもくろみ…(´ε`;) 武器輸出三原則 今の現状防衛装備移転三原則 ●ご案内 残留孤児:中島幼八さんのお話 731日本軍細菌戦部隊などの戦争遺跡を巡る旅【5月3日(火)~5月7日(土)】 お問い合わせ・申込先 国際ツーリストビューロー TEL 078-351―2110 FAX 078―351-2140 メール ktb@silver.ocn.ne.jp ・締切 3月17日(木) ●ニュース 知事、来年度も訪米 新基地阻止へ県外でシンポも 【深掘り】辺野古代執行 和解望み薄 双方妥協点なし <認知症男性JR事故死>「家族に責任なし」監督義務を限定 米大統領選“スーパーチューズデー”始まる スーパーチューズデー 日本時間午前9時から開票へ 東電の緊急事態報告、1時間遅れか 福島第一原発事故時 高浜4号機、営業運転4月以降に 検査やり直し必要に <高浜原発>1、2号機の延長差し止め提訴へ 名古屋地裁 津波被害農地の復旧は74% 福島33%どまり 関連倒産は阪神の5倍 “原発のいま”を取材、事故5年の最新映像 減りゆく原発交付金について。- 2016.02.29 【お知らせ】と「第163回小出裕章ジャーナル」 「育鵬社」の教科書不正問題について。- 2016.02.23 マニラ市街戦、東京大空襲 フィリピンの元慰安婦、天皇陛下に公式な謝罪を要求へ ●昭和天皇と731部隊 昭和天皇は、大元帥・天皇になるように、幼少の頃からお金をかけて教育された。 「13歳から19歳まで、彼は小笠原が学習院からとくに選抜した5人の学友とともに、東宮御学問所で軍事と一般教養の両面の教育を受けた。・・・・御学問所は、皇太子のために高輪の東宮御所に特別に建てられた白い洋館である。・・・・御学問所は軍事教育の必要から設置された。若手将校による乗馬や軍事教練と並んで、皇太子と学友は地図の解読と作成、軍事史、軍隊統率の原理、戦術、戦略、兵棋演習を学んだ。」『昭和天皇』(上)ハーバード・ビックス著p67 そして、摂政のときに、生物学研究所を作る。 「摂政に就任して4年めの1925(大正14)年9月、彼は赤坂御所の中に小規模ながらよく整った生物学研究所を持つことになった。3年後、天皇になって2年めには、温室と、それぞれ標本室、図書室を備えた2棟の大きな実験室からなる生物学御研究所を吹上御所に建てさせた」。『昭和天皇』(上)p82 ※細菌やウィルスに、様々な培養組織の研究に興味を持つようにならなかったか? 1928(昭和3)年、治安維持法改正・・・国体変革を目的とした結社の組織者、指導者に対して最高刑に死刑が導入され、天皇制軍国主義が強化される。 ※1921年(大正10年)2月28日、東宮御学問所修了式が行われる。大正天皇の病状悪化の中で、3月3日から9月3日まで、戦艦「香取」でイギリスをはじめ、フランス・ベルギー・オランダ・イタリアのヨーロッパ5か国を歴訪。同年11月25日、20歳で摂政に就任し[4]、摂政宮(せっしょうみや)と称した。 ●防衛省、外務省は積極的に国民に情報開示し、戦争を防止する義務がある!! 秘密保護法撤廃!! 731部隊の生体実験、細菌戦、また、毒ガス戦などの戦争犯罪についての反省は全くしない? 自衛の名のもとに、戦後も生物戦・核戦争の研究は秘かに行われている? アメリカの圧力を受けて「機密」が増大し、軍事費が膨らんでいる!! 戦後も自衛隊はアメリカから情報を入手し、サリンやVXガスなどの毒ガス製造をしている?? 化学兵器禁止条約があるにもかかわらず!! 防衛省は、地下鉄サリン事件の発生することを事前に知っていた??オウムは自衛隊から解毒情報入手?? 地下鉄サリン事件 「国家政策の中で国防機関の発言力が強化され、軍事的観点が占める比重が高まるに伴い、軍事機密は外交、治安、経済など国政のあらゆる分野をおおい尽くすにいたる。この過程に照応して国民は政治の意思決定過程から排除されていく。参政権は骨抜きにされ、知る権利と表現の自由が抑圧される。国会は国権の最低機関に転落する。これこそ軍国主義の発生と成長の一般的法則なのである。最後に来るのは戦争である。 戦争を始めるかどうかの決定に、もはや国民はまったく参加することができない。戦争準備は極秘裏に進められ、ある日突如として戦争の火蓋が切られる。国民はただ肉弾として運命を甘受する他なかったのが、かつての軍国主義日本であった。いや、政府や参謀本部の決定さえ無しに、関東軍が勝手に戦争をおっぱじめ、その「既成事実」を否応なく追認させられつつ、破壊的な侵略戦争にエスカレートしていったのであった。アメリカのベトナム戦争もまた、そうであった。」(『日本の国家機密』藤井治夫著より) ※柳条湖事件も、初めから作戦の一環で、昭和天皇も知っていた。決して軍の独走ではない。 ●今の情報を公開しない姿勢は、戦前からずっと続いている!! 秘密保護法施行・・・何を政府はたくらんでいる? 防衛の名のもとに、軍事力は増強されている!! 特定秘密保護法はジャーナリズムに何をもたらすか(ラジオフォーラム#158) ちょっと古いが、参考になる本なので紹介します。1972(昭和47)年10月9日初版藤井治夫著『日本の国家機密』より 第二章国家機密の構造 1 国家機密と軍事機密 「庁秘」と 「防衛秘密」 (1)「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。 (2) 「極秘」とは、機密につぐ程度の秘密の保全が必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に損害を与えるおそれのあるものをいう。 (3)「秘」とは、極秘につぐ程度の秘密の保全が必要であって、関係職員以外の者に知らせてはならないものをいう。 「取扱注意」については訓令第47条で 「官房長等の指定した者は、その取扱う事務に関する文書、図画又は物件で、その保全の必要度が第5条に定める基準には達しないが、当該事務に関与しない者にみだりに知られることが業務の遂行に支障を与えるおそのあるものについて、取扱注意の指定をするものとする」と定められている。 南京大虐殺があったことは国民に知らせず、陥落を喜ぶニュース映像! 南京陥落 東京の風景 |
●現在の日本
日本政府・天皇家は戦争犯罪をきちんと認めないから今の日本がある。今の日本はまた、八紘一宇の世界を目指しているのではないか?
平頂山、731・南京・毒ガス・細菌戦・・・等の戦争犯罪、日本の戦争犯罪はアジア全般にわたったが、特に中国では、731部隊などの石井機関で生体実験が行われ、細菌戦も実施された。また、毒ガスを多用し、残虐な殺害もした。アメリカは、中国からの情報を得て、それらを察知し、日本に非人道的な行為を止めるよう再三警告していた。それにより、日本軍の細菌戦と毒ガス戦の頻度は減ったが、アメリカ自身の受けた被害も相当だったために、アメリカは最後に実験的に原爆の使用に踏み切ったのではないか?これら非人道的な戦争犯罪(日本軍の行った大虐殺、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃、アメリカの行った原爆投下や無差別爆撃等)が東京裁判できちんと裁かれていればもっと今の世の中は変わっていただろう。戦後十分に裁かれないで、また戦争の深い反省もなく来たものだから、旧軍関係者がそのまま自衛隊や大学・製薬会社などに滑り込み、実権を握り、戦後も軍国主義思想が根強く残り、軍隊の復活、人命・環境軽視の医療、経済がそのまま進み、9条の形骸化、水俣病をはじめとする公害が多発、医療事故などが起こっている。そして戦争や原爆への批判が不十分だから、アメリカに取り込まれ、原発推進に走り、3,11が起こっても方針を変えられない。いや、日本は生物、化学兵器や核兵器を秘かに開発・研究している。今の社会は一見華やかに見えるが、秘密保護法が施行され、ますます国家機密の名のもとに秘密主義が蔓延し、思想・信条の自由は制限され、戦中のように報道規制が強くしかれ、政治・軍事・医療・教育・食料・建築・農業・・・で様々なゆがみが出て、閉塞感を感じる社会になっている。
・731部隊は天皇の勅令で巨費をかけて作られ、人体実験、細菌兵器の開発をし、実際に細菌戦を行った!!
闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)
・住民は、アメリカ兵を虐殺した!それを見逃す警察、軍隊。当時の日本の状況がよくわかる。捕虜に対する国際法は全く無視されていた!生体解剖は、軍、大学がグルになってやった?個人の意思ではない?陸軍病院、大学病院、精神病院でもいろいろな人体実験がなされていたのでは?九大、京大、東大、慶大等は戦中の資料をきちんと公開せよ!!
九州大学生体解剖事件を語る
中国の陸軍病院でも生きた人間を使った「生体手術演習」が行われていた。戦時中の日本の病院ではどうだったのだろうか?
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」
アトピーなどいろいろな子供の病気は食べ物や環境に大きく影響される。添加物屋の存在?石油メジャーに支配されている食品業界!!農業も同じ!!
食品の裏側「安部司講演会」DVDの一部紹介
今の医療は根本的に病気を治さない!!対症療法!!
内海聡の新説異説!「医学不要論」謎学WONDER⑤DVDダイジェスト
●南京大虐殺
・証言
1937年の冬月には、家は城隍廟の後ろで、日本軍が入って来てからも難を逃れませんでした。冬月の末に、日本兵に捕まって行き、日本のある将校の所で湯を沸かさせられました。一度、その将校が私に質屋へ連れて行かせ、文物や金塊などを探して、好いのが見つかると、持って行ってしまいました。私はその将校が府西街から内橋までの間だけで、前後して4人殺したのを見かけました。
何日かして、日本軍は砂珠巷に住んで豆腐屋をしていた陸お爺さんを、半殺しになるほど殴りつけ、放って家に帰らせた4日目に死んでしまいました。(陳王瑞と何学珍が記録)
南京大虐殺 世界記憶遺産登録で世界の教科書に掲載可能性も
昭和天皇・皇族はすべてを知っていた!!
ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(上)より
第3部 陛下の戦争(1931年~1945年)
第9章 聖戦
日本軍が将来犯すことになる戦時虐殺の土台がこの時期に築かれた。・・・・・
1929年には、枢密院が軍の要求に応えて、ジュネーブ捕虜条約(1929年調印の「捕虜の処遇に関する条約」)の批准を保留した。枢密顧問官は、天皇の兵士は捕虜になる事を許されない以上、捕虜の処遇に関する条項は寛大すぎて実行できないという。陸海軍大臣と外務大臣の主張を容れたのである。・・・p171
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●日本や中国各地に毒ガスが遺棄されている!!生活に支障をきたさないのか?
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
「旧海軍の毒ガス」に新資料 1987年4月7日(朝日新聞)
本土決戦へ相当量備 米軍報告書
敷地の見取り図では、コンクリート壁に囲まれた約8百メートル四方に、14の実験室の他毒液貯蔵室、ガスタンク、爆弾貯蔵庫などがびっしり並ぶ。主な実験室には毒液輸送などのために線路が敷かれていた。
総司令部の尋問に対し、海軍の元将校は「海軍ではもっぱら化学兵器の使用については防御を中心に考え、攻撃は頭になかった」と答えている。しかし、化学戦で広く使われた猛毒のイペリットの年間製造量を陸、海軍で比較すると、昭和17年以前で、陸軍1262トンに対し、海軍30トンだったのが、19年には陸軍157トン、海軍190トンと逆転。また、国内の海軍貯蔵所には本土決戦に備え、ある程度の攻撃兵器が保管されていた。href="https://4.bp.blogspot.com/-69o2QoHCXko/VtN2TYp7izI/AAAAAAAAIBI/NvuARdiy4P8/s1600/%25E6%25AF%2592%25E3%2582%25AC%25E3%2582%25B9%25E8%25B3%2587%25E6%2596%2599%25E6%259C%259D%25E6%2597%25A5%25E6%2596%25B0%25E8%2581%259E.jpg" imageanchor="1" >
自衛隊は防護のためと称して昭和20年代後半から毒ガスの研究をし、1964年にはサリンを合成し、VXガス、タブンも作った。最新の無能力化ガスBZは1973年に成功している。1970年日本政府ジュネーブ議定書締約、1993年化学兵器禁止条約日本署名、1994年6月松本サリン事件、1995年3月地下鉄サリン事件発生、自衛隊とオウムの関係は?
2013年度の「核・生物・化学兵器対処関連事業」費71億8200万円。何に使っているのだろうか?
2013年5月17日号「週間金曜日」より
自衛隊とサリン
死者13人、約6300人の被害者を出した地下鉄サリン事件(1995年3月20日発生)
「私は自衛隊で毒ガス・サリンの製造に関わっていた」
世界を揺るがした地下鉄サリン事件より数十年も前から、陸上自衛隊はサリンを製造していたことが複数の資料と証言で明らかになった。サリンだけではない。VX、タブンといった猛毒の殺人ガスも・・・・。非核三原則と同様、日本政府は毒ガスについても「持たず、作らず、持ち込ませず」などと表明していたが、自衛隊によるサリン製造が事実なら(これは事実であった!!)、毒ガスのをめぐる戦後の歴史が塗り替えられる可能性がある。(塗り替えられた!!)
※日本が95年9月に批准した現行の化学兵器禁止条約では、サリンなどの化学兵器の開発、生産、保有が包括的に禁止されているが、ここにも抜け道がある。同条約によれば、「生産量が年間1トン以下なら生産施設に当たらない」(第二条8)し、「防護目的」の生産・保有なら「この条約によって禁止されていない目的」(第二条9)に入る。国際機関である化学兵器禁止期間(OPCW)に申告し(第三条)、OPCWの査察を受け入れればその生産・保有・廃棄などが可能だ。防衛省によれば、同条約に基づき、1997年から2012年6月まで、計8回、OPCWの査察を受け、申告内容に問題がないことが確認されている、という。
※サリンなどの毒ガス製造が「防護目的」であれば、つまり兵器として使用しなければその製造が許されるとしたら、同じ理屈で核兵器の「防護研究」も可能ということになる。
戦前は「防護目的」戦争になったら大量生産?毒ガス兵器、核兵器!!
●中国残留孤児問題!!(中国残留孤児の書いた奇跡の書「この生あるは」)
映画化したら、過酷な運命・そして中国人の人間愛がよくわかる!!
敗戦時3歳、この中国残留孤児の過酷な運命に対して、国はきちんと補償したのだろうか?
この本の中に、米軍が1950年代の朝鮮戦争時、北朝鮮に行った細菌戦に神経を尖らせている中国の一般民衆の生活や反核運動の様子が描かれている。
中国の恩に報いたいー半生記を出版した残留孤児 中島幼八さん
2016年1月18日記(武漢大学客員教授・日本記者クラブ会員)
残留孤児の一冊<本澤二郎の「日本の風景」(2238)
<「この生あるは」(中島幼八著)>
中国・新華社通信の友人に紹介された残留孤児・中島幼八さんの記録「この生あるは」(幼学堂)の日本語版を読んだ。その悲しい運命から、気が重くなる厳しい内容ゆえに、同じ時代を日本で生きてきた者には、とても興味を引く本である。人間は一人では生きられない、そのことを痛切に教えてくれる人間性のあふれる内容である。同時に「2度と侵略や戦争を起こしてはならない」ということを、日本の為政者に訴えている。全国の図書館に置いて、多くの国民が読むべきである。
<戦争を知らない世代の必読本>
日本の歴史教育は、特に近現代史のそれはあまりにも問題がありすぎる。多くの日本人は、日中戦争や侵略について、ほとんど理解しないまま大人になっている。
このことが、隣人との友好の阻害要因となっている。残留孤児について知らない若者が多いだろう。この中島本を学生に教えるといい。歴史を教える教師の副読本にしたらいい。
発売元 亜東書店 03-3835-7091
中国語版 北京三聯書店「何有此生」
●731問題
・「ABC企画NEWS第100号」より
―写真で学ぶ『高知と戦争』展―
関心を集めた「731部隊と高知」
平和資料館・草の家 副館長:岡村啓佐
・・・・
・四国4県出身兵士が731部隊を支えた事実に衝撃
『731部隊と高知』では、731部隊で安達(アンダー)での野外実験など様々な生体実験に関わった(故)尾原竹善さんの証言は参加者に衝撃となって、改めて戦争とは何かを感じ取っていただいたようです。尾原さんの証言をまとめた資料は追加印刷しその数は800セットを超えました。
また731部隊には6つの中心支隊・機関が存在し、その支隊に高知県人で編成されたハイラル支部(543部隊)があり、4名の部隊員の「ネズミを捕まえ、飼育する」「ネズミを入れる籠を作り、この籠にペスト菌を注射したネズミを入れて731部隊に送った」との証言も熱心に読んでいました。
そして、林口に「162部隊」(香川県出身)、孫呉に「673部隊」(徳島県出身)、海林に「643部隊」(愛媛県出身)などの各支部があり、731部隊が四国4県の兵士らによって支えられていた事実に皆一様に衝撃的に受け止められたようです。
終戦50周年731部隊1
終戦50周年731部隊2
・731部隊→ABCC(被爆者は治療もされずに、原爆の影響を調べられた。・・・731部隊員の協力)→放影研→重松逸造・・チェルノブイリ原発事故について・・・汚染地帯の住民には放射能による健康影響は認められない。→福島原発事故・・原子力を進めてきた人たちは、福島で今、甲状腺がんが多発しているけれども、それは被曝との因果関係はないと主張している。
朝枝繁春の証言
なぜ、日本政府は、731部隊の生体実験、細菌戦を認め、謝罪しないのか?
731部隊のドキュメンタリー
アメリカは、将来の戦争で毒ガスや細菌兵器を有効な手段として使うかもしれないということで、東京裁判では、毒ガス・細菌戦などは追及しなかった!!
毒ガス戦はなぜさばかれなかったのか?
※しかし、これは、アメリカにとって「後日、深刻な問題をもたらす」ことになるのではないか?
・但是,如果这是不是成为“在以后的日子,造成了严重的问题”的事情对美国?
・그러나 이것은 미국에게 "나중에 심각한 문제를 초래"하게되는 것은 아닐까?
・However, if this is not to become "at a later date, resulting in a serious problem"thing for the United States?
・Однако, если это не становится "на более поздний срок, в результате чего серьезные проблемы" вещь для Соединенных Штатов?
・Jednakże, jeśli nie jest to, aby stać się "w późniejszym terminie, w wyniku poważnych problemów" rzecz dla Stanów Zjednoczonych?
・Wenn dies jedoch nicht, sich "zu einem späteren Zeitpunkt, was zu einem ernsten Problem", was für die Vereinigten Staaten?
・Toutefois, si cela ne veut pas devenir ≪à une date ultérieure, résultant en un problème grave" chose pour les États-Unis?
アメリカは、ハルピンの731部隊に於ける人体実験、生体解剖、奉天の捕虜収容所における731部隊員による米兵らに対する人体実験、また、化学戦部隊516、526部隊等と組んで行った悲惨極まりない毒ガスの人体実験を、東京裁判で裁くことなく見逃してしまったからだ!!
ドイツのニュルンベルクの裁判では、人体実験に加担した医学者が厳しく裁かれた。ところが、東京では、戦犯免責だ!!このダブルスタンダード!!
「結局、ワシントンは「国家の安全」を理由に731部隊の免責を是認した。免責付与是非を論じる米軍高官の覚書の中にはこんな一文がある。
彼(石井)らの人体実験は、本政府が目下ニュルンベルクで、ドイツの科学者および医学者をそれゆえに訴追している人体実験とはそう違わないものである」
(『731免責の系譜』太田昌克著より)
・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!
中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!
夏草をふみしめ引込み線を歩いた
視界が不意に三角形に切り取られ
やがて歴史の暗渠(あんきょ)に足を踏み入れる
見上げれば天を突く巨大な残骸
ただれ崩れ落ち、悲しみの肉塊のように
灰色の空の下で泣いている
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
・「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
謀略班の活動状況
患者は一週間ぐらいで死んでしまう。老人や病弱者などは、リンパ腺の腫脹を見ないうちに死ぬこともある。1度ペストが発生したは大抵の場合、家屋ごと焼き払われる。また感染度の少ない場合には、慢性の経過をたどり、いったん腫脹したリンパ腺が引っ込んだので治療したと思っていると、20日以上も経てから急激にぶり返してきたりすることもあるという。
このような油断のならない細菌であるから、謀略員の服装は勿論厳重を極め、蚤が附着できないようなあらゆる処置を講じている。それでも、帰隊すると、数日間は隊外に隔離されて、念入りな検疫を受けた後任務を解かれるのだそうである。
(参考)
イレッサ訴訟
子宮頸がんワクチンの危険性 - Thinker
子宮頸がんワクチン接種、通学できぬ少女 推奨中断2年
ワクチンについて シェリー・テンペニー博士
厚生省・国民健康保険について(消えた細菌戦部隊より:常石敬一著より)
医務局長としての小泉の実績は、確かに先の、「意欲・鋭さ・執拗さ」という言葉に見合ったものとなっている。すなわち今日の厚生省及び国民健康保険法を作ったのが小泉であった。
※小泉親彦(ちかひこ)・・・陸軍軍医学校校長、陸軍軍医総監、陸軍医務局長、厚生大臣を歴任、毒ガス戦、細菌戦を積極的に推し進めた人物
1945年9月、自決。
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健兵対策の一環として厚生省は設立されたのだった。こうした設立の経緯が、今日の厚生省の弱者に冷たく、福祉行政に消極的な理由となっているのかもしれない。
真実を知ろう!!(権力側が流す情報にだまされるな!!)
黒い太陽№10
ガン治療のウラ 2/8
「新医学宣言」記者会見 船瀬俊介、ベンジャミン・フルフォード、リチャード・コシミズ
医学革命!
軍陣医学(戦場医学)から「活人医学」へ
「悪魔の飽食」から「小食へ」(体質改善への道)
医師 甲田光雄5/6 ラジオ深夜便
●ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(下)より
第12章
大元帥の試練
V
昭和天皇がいまだに勝利の希望を抱いていたことは、フィリピン南部のレイテの戦いにおける天皇や、大本営のふるまいから知ることができる。旧植民地の奪回を目指すアメリカ軍の行動は、10月、マッカーサー元帥が率いる部隊によるレイテ島、フィリピン海での陸・空の戦闘で始まった。戦闘は11月に入っても続き、、残っていた連合艦隊は、これにより事実上壊滅し、約8万名の日本軍守備隊が戦死した。レイテで決戦を行うという10月18日の大本営の決定は、ルソン島の防衛を事実上、不可能にしてしまった。〔当初の作戦計画では、ルソン島で決戦を行うはずだった〕。戦後、昭和天皇自身は、「私は参謀本部や軍令部の意見と違ひ、一度『レイテ』で叩いて、米がひるんだならば、妥協の余地を発見出来るのではないかと思ひ、『レイテ』決戦に賛成した」と述べている。この発言は実際に何が起きていたのかを示唆している。天皇と両統帥部長は、前線司令官の山下奉文陸軍大将が戦闘を望まず、防衛態勢が整っていないレイテ地域で、アメリカの侵攻軍と交戦することを強制したのだった。これは昭和天皇が、しばしば、作戦に破壊的な影響を及ぼす事例のひとつに過ぎなかった。
瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」
●『天皇の陰謀』
天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ 著
松崎 元 訳より
第二章
(その4)
天皇に奉げられた命
皇居では、木戸内務大臣と裕仁天皇が理解を希求していた。かれらは、相手がキリスト教的親切さを実行してくれることを期待し、相手が民主化に失敗することを祈っていた。かれらが天皇制を存続できない限り、かれらは祖先に応えようがなかった。貴族制度と身分制度なくしては、その生者の社会は死者の霊魂の世界と一致できなかった。それまでは、その和平計画はほろびゆく者を相手としてきたが、今や、勝利者を相手としなければならなかったのである。
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